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1巻
1-2
5
「おぎゃあああああああぁっ」
気を失いそうなくらい、痛かった。
初めての出産。
がんばれって励まされて、やっとの思いで産道を潜らせたけれど、限界だったわ。
視界が白くなっていたもの。
それが、元気のいい産声を聞いて一気に戻って来れちゃった。
……ふふ、将来はあの人に似て腕白になるかしらね。
自然と口角が上がる。
メイド長のマリーが、私の子を大切そうに抱えて産湯につけて、丁寧に洗ってくれる。
しわくちゃな顔ね……かわいい。
……いま、気持ち良さそうな顔していたような……気のせいよね。
「元気な男の子ですね」
マリーは私の息子を覗き込んで嬉しそう。
お湯から小さな身体を持ち上げて布に包み、私の方に抱えてきてくれる。
「お母様ですよー」
マリーは自分のことのように、喜んでる。
そんな風にマリーが思ってくれることが嬉しくて、つい涙が滲んできちゃった。
思わず涙を隠そうとして、マジマジと我が子の顔を覗き込むようにしたわ。
……不思議そうな表情をしたのも、気のせいよね?
しわくちゃねぇ……でも、本当に可愛い。
あら……?
「笑っているのかしら、ウィル、私の可愛い息子。あなたの名前は、ウィリアムス」
初めて授かったあの人との子。
嬉しくて、愛らしくて。
この気持ちが少しでも伝わるように思いを込めて、名前を何度も呼んだの。
そしたらね、もうウィルったら、幸せそうな顔をして眠り始めちゃった。
これは、気のせいじゃないと思いたいわ。
「よろしくね、私の可愛いウィル」
◆ ◆
結局、幸せそうな顔をしたまま眠ってしまったウィル。
起きてるときも可愛いけれど、眠った顔も可愛いわ。
あの人譲りの銀髪に、私と同じ緑の瞳。
まだしわくちゃとは言え、あの人に似て、将来は期待できる整った顔をしているし。
早く目を開けないかしら?
スヤスヤと腕の中で眠るウィルをそっとベビーベッドに下ろした。
さて、出産で疲れたけれど、これくらい! 母は強いのよ!
……寝室から隣の部屋に行って、ウィルの着替えを取ろうとしたんだけど……。
やっぱり駄目だったわ。行くだけで疲れちゃった。
ソファにだらしなく座ってしばらく放心していると――。
「うぎゃああああああ」
突然、隣の部屋からすごい声。
あらあら、ウィルが目を覚ましたのね。
急いでソファから腰を上げて寝室の扉をそっと開き、ウィルのもとへ向かう。
「お腹が減ったのかしらー?」
ベビーベッドの中のウィルを見ると、すでに泣き止んでなんだか悲しそうな顔をしている。
ごめんね、待たせちゃったかしら。
ウィルを抱き上げて、胸元を広げた。
初めての授乳でドキドキする。
ちゃんと飲んでくれるかしら?
そんな私の不安をよそに、さっさと食い付いて当たり前のようにおっぱいを飲んでくれるウィル。
よかった、これでしばらく食の心配はいらないわね。って、それはちょっと違うかしら……。
黙々と飲んでいたウィルだったけど、しばらくすると満腹になったみたいで口を離した。
私の方を見つめて、もうよいぞ、とばかりに笑っているのは気のせいだと思うの。
……まさかね。
だって、さっき生まれたばかりの赤ん坊よ? 自分の意思を表現できるはずないわよね。
まぁ……でも、本当にそうだったら、うちの子は天才ね!
人生と子育ての先輩であるマリー(口が裂けても本人には言えないわね)に教えてもらった通り、私は恐る恐るウィルを左肩に抱きかかえた。
えーと、背中を優しく叩くんだったわよね。
数回叩いたところで、ウィルはきちんとゲップしてくれました。
「……ゲプッ」
地味……?
確か、はじめての子は吐いちゃったりするとか聞いたのだけど。
うちの子は優秀ね!
「お腹いっぱいになった?」
まだ話を理解できなくても、たくさん話しかけるのは大切なんだそうなの。
だから、たわいもないことをできるだけたくさん語りかけて。
愛情も込めて、ね。
抱っこして揺らしていたら、眠り出しちゃったわ。
あらあら、マイペースな子なのかしら?
まったく、なんでこんなに可愛いの?
6
まだ首が据わらない。
生まれてから何ヶ月経ったんだろうか?
とりあえず毎日の練習で手足と指はそれなりに動くようになってきた。
しかし……。
「あーうぃーうぇえーぉうー」
発音ができん……。
だから毎朝、母親が何かしら身支度をしている間にこうして練習をしている。
ちなみに今のは「あいうえお」のつもりである。
つーか、動けんのがつらい。手足をジタバタしてみるが、いまだ寝返りには成功していない。
「あら、ウィル。もう起きてたの?」
扉が開くと、母が驚いた顔で見下ろしてきた。
あ、そうそう。ここ最近の収穫と言えば、赤ん坊だからなのか、驚異的な記憶力を発揮し、周りの人がしゃべっていることが分かるようになってきた。
「んー!」
一応、返事しておく。
まぁ、普通の赤ん坊でも何かしら反応はするだろうから、多分不自然ではないはずだ……うん多分。
「ウィルは一人で泣かないでいい子ねー! ミルクにしましょうか」
そう言って母は俺を抱き上げた。
母の名前はリリィと言うらしい。
はい、というかね。
もう慣れたもので、何の抵抗もなく朝食を取っている俺ですが、最近、視界がはっきりしてきたおかげで分かった事実があるのです。
……母、美人すぎる……!
十代のような白いもち肌に、綺麗なぷくぷくのピンク色の唇。シュッとしすぎない形のいい輪郭に、クリクリのおめめと綺麗な鼻がバランスよく配置されているのです。
これを絶世の美女と言わずして何と言う! って感じです。
これは、俺も将来有望かなーと少し嬉しくなったが、もしかすると父親似かもしれない。
まだ父親に会っていないので何とも言えないというのが現状だ。
あ、ちなみに父親なんだが、何日経っても現れないから、これは複雑な家庭なのかー……と不安になってたんだが。
三日前くらいに、メイドさんぽい人が母に言っていた。
『よかったですね、奥様。旦那さまは領地を回り終わったみたいで、今ものすごい勢いでこちらに向かっていらっしゃるようです』
俺は安心した、そして嬉しかったよ。今世では、両親がいるって分かって。
ついでに言うと、この家は貴族らしい。そして更に言えば、父親は騎士のようだ。
貴族で騎士……響きがイケメンだから、少し期待している。
国の制度とか世界については、母親やメイドさん達の世間話からは分からないが、家の内装は中世ヨーロッパ風だから、そんな感じなのだろう。
「……んむ」
母親の……から口を離し、食事終了を主張する。
「あらウィル、もうお腹いっぱい?」
「ん」
そんなやり取りをしていると……。
「おおお! ウィル! 生まれたか、コイツめー!」
扉がすごい勢いで開いて、大声が聞こえてきた。
「あら、キアン帰ってきたの? ――ウィル、あなたのお父さんよー、ほらキアン」
嬉しそうな母の声とともに俺は、父親のキアンに渡された。
危なっかしく俺を抱きかかえたその人は、嬉しそうな顔で俺を覗き込んだ。
「父さんだぞー、ウィル」
いい笑顔です。こっちもつられて笑っちゃうよ。
サラサラの銀髪に青い目。外国人風の顔立ち。
でもね。
なんで平凡顔なんだよー!!
よく見れば、前世の俺に似てるし……。
ここに来てから初めての絶望でしたよ、ええ、神様。
7
父さんの平凡顔が判明して計り知れないショックを受けた俺。
『すごくアナタに似てるわ』との母の言葉で俺は撃沈した。
こんなことなら、神様にイケメンにしてくれってお願いすればよかった! と今更な後悔を一瞬だけする。
でも、あんな平凡顔の父さんが母さんをひっかけられたんだ。よくよく考えてみれば、顔が全てじゃないのかもしれない。
それを父さんが身をもって教えてくれたぜ!
思い出してみれば、前世でも、クラスメイトには言っちゃ悪いが、顔はよくなくてもモテていた奴はいた。
顔が、とかそれらしい理由をつけて簡単に諦めていたけど、もうちょっと積極的に行動していたら違ったのかもしれない。
うん。今世では、おれがんばる!
……と、無理やり前向きに考えて自分を奮い立たせてみる。
て言うか、母と父。
久々の再会で嬉しいのは分かるが、そこでイチャイチャしないでくれっ!
俺の傷心のハートが更に砕けるから……。
あ、「傷心のハート」って「外国人の人」みたいだわ。
前世では友人と色々言葉遊びしたなー……「外国人の人」にはじまり、「頭痛が痛い」「一番最初」「豚足の足」とか。あとは、「カモシカの足のような足」……これはちょっと他のと遊びの種類が違うけどな。
「カモシカのような足」では、足そのものが一頭のカモシカの形をした、グロテスク極まりない状態を表してしまう、というのが友人の持論だった。
だから、「カモシカの足のような足」という言い回しをしたのだが……今考えてみると、なんであんなに馬鹿笑いしていたのか分からない下らなさである。
ちなみに俺が今こんなことを考えているのは、全力で気を紛らわせるためだ。
お隣に寝ている両親から、変な雰囲気なんて漂って来てない。決して来てないぞー。
嘘言うな? ふざけんな殴るぞ。
よし、こういうときは睡眠だ、睡眠……。
◆ ◆
必死に自分で暗示をかけているうちに寝てしまったらしい。
気がつくと、窓から白い光がぼんやりと差し込んできていて、あぁ朝か、と分かる。
隣はー……と、よかった。もうすでに二人は起きたあとのようだ。
最近だいぶ身体が言うことをきくようになって、自制というものができるようになってきた。
空腹を訴える腹をよそにボーっとしてみる。
ここまでくるのに長かった。頑張ったよ、俺。
まだそんなに経ってないって? あのね、泣いて呼び立てるのは元日本人の俺としては忍びないやら恥ずかしいやらで、何の苦行かって感じなわけ。
長かったよー。
というわけで、この空腹を前に平然とする自分にちょっと悦に入る。
まだこの部屋だけが生活圏の「ざ☆ひきこもり」な俺だが、まぁ赤ん坊だから仕方ない。
ここは寝室らしいんだが、廊下に続く扉の他に、隣の部屋に通じる扉がもう一つある。
隣の部屋は着替えたりくつろいだりする部屋のようだ。
無駄にデカい部屋の真ん中に、やはり無駄にデカい両親のベッドが陣取り、その横――隣の部屋側にちょこんとあるのが今俺が寝ているベビーベッドだ。
まだ首が据わっていなくて、動こうにも動けないから仕方ないけど、首が据わったらまずはこの部屋から出たい。
この世界の、そしてこの家の情報が欲しいのですよ、奥さん。
しかし、第一の難関はこの柵だな……。
赤ん坊が落ちないように、ベッドの四方に柵が取り付けられている安心設計!
俺にはとってもありがた迷惑である。
でもさ、こんな中世ヨーロッパ風の部屋に、貴族や騎士とかいうワードですよ? ワクワクしちゃわない?
ワクワクするよな! いかにも異世界って感じだよな!
だから、今俺は必死で首が据わった後のために、腕と足の筋トレを行っている。
それに、発音練習も続けている。
「かーくぃーくーえーこぉー」
端から見れば、手足をジタバタしてるだけなんてことはないぞ。
「ひゃあ%ィうーへぇ△ょ!」
サ行は苦手だ……。
「お、ジタバタしてるー! もう起きてたのか? 泣かないのか?」
扉が開いて父さんが入ってきた。
ポスポスポスと絨毯を踏みつける音が三回聞こえて、俺は持ち上げられる。
今の俺が小さいせいか、体感では父さんは無駄にデカい気がする。
実際、一八〇センチは超えているだろう。
「母さんはまだ着替えてるから、父さんと遊んで待っとけよー」
嬉しそうな顔して頬擦りしてくる。
いや、嬉しそうなのは良いんだけどさ、痛い!
微妙に伸びた髭が痛いです、父!
「わんおいえぃひょっでおうおー!(ちゃんと髭そってこいよー!)」
抵抗するべく全力で手足をジタバタして叫ぶが、短い手足は父に届かず、顔にクリティカルヒットは与えられない……。
「おぉー、父さんに会えて嬉しいか、ウィルー!」
しかも上手くしゃべれないせいで勘違いしてるー!
くそっ……これからもっと発音練習しなきゃな!
おれがんばる!
その後、疲れてぐったりした俺は父さんになすがままにされ、母が来るまで大人しく遊ばれていました。
おれ……がんばる!
9
生まれてから、五ヶ月くらいは経っただろうか。
退屈な日々は終わった。
そう――首が据わったのだ! わー!
そして、必死で毎日筋トレしてた甲斐あって、すぐにホフクゼンシンを習得。今ではなんとかハイハイっぽいのができるようになった。
うん、初寝返りが打てたときは本当に感動した。転生してからの一番の感動だった。思わず泣きそうになったぜ……。
しかし、そこからが大変だった。だって、ほぼ四六時中監視の目がある。
母さんとかマリーさんとか。後は、その他メイドさん達。
メイドさん達、だらしない顔で『かわいいかわいい、食べちゃいたい』とか言ってほっぺたつついてくるから、正直怖いんだけどな。
まぁ、平凡顔の俺がこんなに持て囃されるのも、子供のうちの特権だと思うことにしよう。
そして監視をかいくぐり部屋を抜け出……そうにも、まずベッドから下りられない。
このっ、忌々しい柵め!
最初は柵をよじ登ろうとするも、足の筋力が足りなくて、あえなく諦めた。これは、掴まり立ち会得までは無理なのかな、と打ち拉がれた俺だった。
柵を睨みつけ何分か。
そして、俺は気づいた。
柵に、扉がある!
木がパズルのように加工されていて、赤ん坊には開けられないようになっている。
しかし俺には頭があるぜ!
人差し指で頭を指してポージングを決め、ニヤリと笑う赤ん坊。
結果。
簡単でした。
下りるのは少し怖かったが、握力と腕力を駆使して柵の下にぶら下がったら、何とか足がついた。
「ふっ」
ハイハイをしながら、ベビーベッドを見上げて少し笑う。
うむ。達成感。
◆ ◆
ベビーベッドからの脱出に成功したあの日から、俺は母やメイドさん達の目を盗んでは脱出し、屋敷内を動き回った。
そして繰り返しの涙ぐましい努力の結果、俺はこの広い家を制覇した!
よくここまで見つからずにやれたもんだ。自分を褒めてやりたい。
もしかしたら、俺はスパイとか向いているのかもしれない。
そして、大きな収穫。
この家には、小規模な図書館くらいの広さの書庫があった!
情報を求めていた俺のテンションは一気に跳ね上がる。
でも、しかーし!
そこで大きな壁にぶち当たった。
……文字が……読めん!
と、いうことで俺は転生モノでお馴染みのアレを実行しようと思い、今日も書庫に来ていた。
書庫の入り口付近の棚にある物を口に加えて進み出す。
犬みたいだが仕方ない。
これが一番効率がいいのだ。……ハイハイな俺には。
「あら、起きていたのウィル」
部屋に戻ると、今日も美人な母さんが、隣の部屋から絶妙なタイミングで寝室に入ってきた。
……ふぅー、アブね……。
「ん」
そして、持ってきた例のブツを差し出す。そう、定番の。
「絵本ね、どうしたのかしら……マリーが持ってきたのかしらね……ウィル、読んでほしいの?」
絵本を手に取り、一人で勝手に理由をつけて納得してくれた母に内心ガッツポーズ。
いよっ!! 待ってました!
と言わんばかりのテンションで、俺は返事をする。
「ん!」
◆ ◆
「……めでたし、めでたし」
絵本の内容は正直ひどかった。
昔むかしから始まり、貧困生活を送るおじいさんとおばあさんが、ある日捨て子を見つけ、拾って育てたら、その子が魔力チートで世界を救って一家が金持ちになる、という話。
わけわからん。途中からいきなり魔法とか出てきたよ。日本昔話みたいな教育的な話かと思ってたら、いきなりファンタジー入るのかよ!
まさかの展開に思わずツッコミそうになった。
まぁそれはそうと文字は覚えられた。つか本当赤ん坊の脳味噌すげぇな。
日本語のように平仮名とか漢字とか、いくつも表記があるんだったら大変だな、と思っていたら、アルファベットみたいな形式らしく簡単に覚えられた。
「あーう」
ありがとうのつもりで、一応母に話しかける。
「どういたしまして」
笑顔の母。……通じたよ……。
これぞ、噂に聞く母の特殊能力という奴か。
そして、それからの俺の日々は、筋トレと発音練習と極秘捜査(読書)の繰り返しになるのだった。
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