あまやどり

あまき

文字の大きさ
2 / 21

2

しおりを挟む
結局、お約束にも風邪をこじらせて玄関先で意識を失った私は、親友である日向によって救い出された。日向が言うにはものすごい熱だったようで、乗ってきたタクシーの運転手さんに手伝ってもらって病院まで運んでくれたらしい。救急外来で点滴の処置中に目覚めた私は風邪と診断されて薬をもらい、点滴の処置が済み次第帰宅するように言われた。横で目覚めるのを待ってくれていた日向に付き添ってもらって帰ってくるころには、時計は真夜中を指していて、確か律の家を飛び出したのは昼過ぎだったよな…と時間経過に身震いした。

点滴中あんなに寝たのに、夜も日向付き添いのもとしっかりゆっくり寝てしまった。明るい日差しに目を開けて起きたら、日向特性のお粥をいただき薬を飲み、いたれりつくせりな看病のおかげですっかり元気になったところである。点滴ってすごい。
ただ心配性の日向によって、今は先日クリーニングからあがったばかりの冬毛布で簀巻きになって寝ているところだ。ちなみに今は桜も散った春半ばで、その毛布だって知らない間に律がクリーニングに出してくれていたものである。まさに、いたれりつくせり…

「…ごめんね。日向も忙しいのに…」
「日本にいるときでよかったわよ。風邪こじらせて死んでましたなんて連絡、貰いたくないしね」

日向こと、大前日向は幼稚園の時からの親友で、小中高とともに同じ道を進んだある意味腐れ縁ともいえる。私が大学に進学するとき、服飾系の専門学校に進学を決めた日向は既に夢を追いかけていて、今では自らオリジナルブランド『Hyuga』を立ち上げるキャリアウーマンだ。ティーンからミセスまで、幅広く展開するブランドはとても人気で、1年前には海外に支店を出してからは、日本と海外を行ったり来たりしている。それでも日向は私みたいに屍になることなく、常にキレイを保っているので、女性として尊敬する、私の大切な大親友なのだ。

「あ、こじらせたのは風邪じゃなくて、恋愛の方だったかしら」
なんて意地悪なことも言うけれど、根はとっても優しいのだ。確か。そのはず。


「それでー?熱でぐずぐずな透ちゃんが、スパダリイケメン彼氏に頼ることなく玄関先で死にかけていた訳を聞かせてもらえるかしらー?」

日向がニヤニヤ顔を隠すこともせずに尋ねてくる。

「死にかけるだなんて大げさな…」
「ばかね!大人は40度の熱を出すと死んでもおかしくないのよ!雨に濡れた体をそのままに玄関で寝こけるなんて小学生でもしないことして死にかけたことは、ちゃんと反省なさい」
「ごめんなさい」

お医者さんは起きた私に「秋川さんは子ども体温なんですね~」なんて言っていたが、日向曰く連れてきた時はなかなかの高熱で、外来受付もざわめくほどだったらしい。点滴をして下がり始めた熱には心底安心したという。なんにせよ迷惑をかけたことには変わりない。が、どうもからかいの気持ちのが大きいように感じる。今も「寿司でも頼もうかなぁ」なんて、楽しそうに広告を見ているのだから。

「…どうもこうも…家に行ったら知らない女の子がいたから、私邪魔かなぁって帰ってきただけだし…」
「雨予報の日にも高いヒール履いてるなんて、見てないけど、フェロモンたっぷりなイケイケ姉ちゃん想像しちゃうなぁ。見てないけど」
「…見てないなら言わないでよ」
「あっらー的中しちゃったかしらウケる」

雨でも湿気知らずのきれいに巻かれた髪と、大きな目を縁取る明るいピンクのシャドウ。春らしいワンピースを着てその手には、シワの寄る彼のワイシャツ。
あれから1日たっても未だに脳裏に張り付く彼女に、また心が冷えた気がした。

「方やTシャツにジーパン、スニーカーだなんて適当なワードローブを着た自分に嫌気がさして、まんまと敵陣から退却してきたってわけね」
「…別に敵陣でもないし、退却したわけでもないし…」
「ならうじうじしてないで、彼氏様に連絡とればいいじゃないの。いつまでスマホの電源切ってるつもり?」

病院から帰ってきた時に開いたスマホには、おぞましい程の不在着信と未読メッセージがあって、その数に目眩がした程だった。そのどれも律からのもので、一通り目を通した上で私は電源を落としたのだ。なんて返せばいいかもわからなかったし、なにより返すだけの気力が残っていなかったのもある。
日向は、私と律の間に何かあったと思っていたらしく、私が眠っている間も鳴り響くスマホを手に取ることはしなかったようだ。

「代わりに連絡してもよかったけど、あんたが嫌がることはしたくないから」

そう言った日向に思わず抱きついたのはご愛嬌だ。すぐに引き剥がされたけど。



彼はメッセージでしきりに、今日のことは誤解であること、話がしたいことを訴えていた。最後には急遽北海道まで行くことになって、あの後一人ですぐに旅立ったこと、明日の夕方には帰ってくる予定であることも書かれていた。

「電源切ってたって逃げ切れるもんでもないでしょうに。大人しく腹割って話したら?それに彼、あんたが今寝込んでることも知らないんでしょう?」
正論すぎてぐぅの音もでないとはこのことだなとしみじみ思う。何も言い返さない私に、日向は呆れたようにあからさまなため息をこぼした。

「とりあえず、あんたの体調もだいぶよくなったし、あたしも明日から仕事だから、今日は帰るわ。日曜に仕事ってほんとやんなる」
「…ごめんね、休日返上で看病させちゃって…しかも昨日は泊まってもらっちゃったし…」
「逆の立場でも同じことしてるでしょ?つまりはそういうことよ。彼のこともそうだけど、あんたやっと仕事の山場抜けたんなら、ちょっとはゆっくり休みなよ。そんな風邪長引かせたら虚しいだけよ」
「…ゆっくり休みます」
「…せめて担当さんには連絡しときなさいよ。連絡取れないって心配してるかもしれないんだから」
「…そうだよね。うん、今からは電源いれとく。担当さんにも連絡するし、日向にもまた連絡するね。本当にありがとう」
「いいよ。またご飯連れてってね。あんた美味しいとこたくさん知ってるから。じゃあまたね。鍵ポスト入れとくから、寝てな。おやすみ~」

日向はそう言うと、寝室のドアを閉めて出ていった。しばらくたって日向が出ていく音と、鍵がドアポケットに入る音がする。

途端に静かになる部屋に一気に心細くなる。
「…合鍵なんて、使うんじゃなかったなぁ…」
思いの外高く上がった熱は、すっかりナイーブな気持ちにさせてくれちゃって、いい匂いのする毛布に包まりながら目を閉じる。そうすると脳裏に浮かぶ、あのワイシャツが私をひどく駆り立てる。
こんなんじゃだめだと、まずはスマホの電源を入れる。日向はああ言ってくれたけど、私だって休んでばかりはいられないのだ。

私は今『春野徹』という名前で、しがない物書きをやっている。昔から話を作るのが好きで、高校生のときなんかは文化祭の演目でやる劇のシナリオを書いたりもしていた。そして学生時代に趣味で書いていた小説を、最初は「酒の肴にさせてもらうわ」なんて焼酎片手に読みだした日向だったが、最後まで読んだ日向に背中を押されて投稿したその小説がとある編集者の目に止まり、あれよあれよという間にデビューが決まった。
それ以降がむしゃらに書いて書いて書きまくり、2作目の発表があった大学卒業頃から少しずつ認知度があがっていき、なんとかファンもそれなりについて、時には映画化なんて話もいただいて、ありがたい事に物書き一本で生活していけるほどには支えてもらっている。


半日ぶりに電源の入ったスマホには、編集担当の織田くんからメッセージが2通入っていて、新作の刷り上がりができたことと、まだ先だが次回作の資料に欲しがっていた本が手に入ったことが書いてあった。刷り上がった本と資料を届けに行きたい旨が書いてある。
資料のお礼と、それから熱で病院に行ったり寝込んでいたりしたことも伝えた。彼氏からの連絡から逃げるために電源を切って遮断していた、なんてことは伏せておく。いい大人が傷心して電源を切り引きこもるだなんて、今年新卒でキラキラ働く織田くんには見せられない姿だ。いや正直織田くんには、書き上がらない原稿を前に泣きわめく姿や、徹夜入稿明けのドロドロな姿も見られているので、今更大人ぶったところでなんの挽回もできないのだか。

「…子どもっぽいよなぁやっぱり…」
私だってわかってる。私はだらしないし、やることなすこと子どもっぽい。がむしゃらに文字と向き合って7年。とにかく書き続けてきた私は学生の頃から、これといった変化を遂げず、中身だけが置いてけぼりのまま、気がつけばアラサーと言われる年になっていたのだ。このままじゃいけないと、じわじわ思い出している時期である。


prrrrr…prrrrr…


突然のコール音に文字通りスマホが宙を舞う。恐る恐る見ると、相手は織田くんだった。

「…もしもし」
『あ、春野先生!こんにちは。体調の方いかがですか?熱があるってメッセージ見て、俺心配になっちゃって。昨日相当降ったから、大丈夫かなぁって思ってたんです』
「点滴打ってもらってゆっくり休んでたから、もう熱も下がったの。だから大丈夫だよ。連絡をすぐに返せなかったから申し訳なかったなぁと思って」
『いえいえとんでもない!今回、先生の前作品のドラマ化に向けて、コラム記事やエッセイの仕事も舞い込んで、体調を崩されてもおかしくないスケジュールだったと思います。先生には負担をかけてしまって、編集担当として申し訳なく思っています。次の作品に取り掛かるまではまだ時間も余裕がありますし、しっかり治るまで休んでくださいね!』

なんていい子なんだろう、この子は。しんどい身体に染み渡る労りの言葉に思わずじーんとくる。

「ううん。ありがたいお話だし、それに忙しかったのは織田くんの方だったよ。私が表に出たがらない分、負担がいったよね。本当にありがとう。織田くんのおかげで、ドラマ化の話も進んだし、私も仕事を終えられたんだよ。情けない作家だけど、これからもよろしくね」
『こちらこそ!俺は負担なんてちっとも感じていませんから!これからも先生の素敵な作品をより良い形で世の中へ送り届けられるよう、俺も精一杯がんばりますので!よろしくお願いします!本田さんも、よろしくとのことでした!』
「こちらこそ、本田さんによろしく伝えてね」


先生と呼ばれる今があるのは、一重に、あの時背中を押してくれた日向と、当時私の小説を読んで、光る原石だと言ってくれた、今では大手、IU出版文芸部編集長であらせられる、本田隆也さんのおかげである。それ以降ずっと私の担当編集者をしてくれていて、なんやかんやと私生活も気にかけてくれている。今年一年は研修を積む織田くんを、私の担当にしてほしいと本田さんから言われたときは、正直仕事面の不安から戸惑いが大きかったが、本田さんが勧めてくれただけあって、織田くんの仕事への熱意と丁寧さには感服する。私もしっかり応えないとと俄然やる気も出るのだ。そのやる気と執筆速度がイコールで結ばれないのが難点ではあるが。


ピロン…


スマホがメッセージを受信する。確認してその名前を見るときゅっと心が痛む。よくよく見れば、律からは何十通とメッセージが届いていた。大きく深呼吸を繰り返して、勢いよくトーク画面を開くと、もうこちらに戻ってきていることと、ひたすら折返しの連絡を待つ旨が書かれていた。

「…折り返して、何を言ったらいいの」
気にしてないよ、は白々しいし、分かってるから大丈夫だよ、も言い難いし、信じてるから、なんて重すぎて重力より勝って地面にのめり込んでしまう。

「…私から言えることなんて、もう、一つしかないじゃない」

合鍵を交換して5年。付き合って8年。2人を知る知人からは「似合わない2人」だなんてからかわれて、もう8年。
そろそろ潮時なのかなぁ。イケメンスパダリエリート彼氏様を、ずぼらな私から解放するのは、今なのかもしれない。






しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...