あまやどり

天木あんこ

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【番外編】横峯律という男

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横峯律とは、いつどんなときも真面目が服を着て歩いているような男である。海外にも名を轟かせる大企業に勤めて仕事ができる、挙げ句高身長高学歴高収入とくれば、それは神にも愛されし男ともいえる。
一方俺、河野正宗はよく言えば普通、敢えて落として言えば地味な部類で、特に横峯ほど誇れる高身長も高学歴でもない、つまりは特筆することがない普通の男である。

本来なら俺と横峯の人生が交わるなんてこと、無いに等しいわけだが、入社して2年が経つ頃には「同期」から「友人」となり、こうして夜飲みに行くくらいの関係になるまでには、それなりに色々あった。

まず、横峯律という男は俺が思うに、友だちを作るのが下手だ。丁寧な話し方や清潔感のある見た目は充分に人を惹きつけるが、ハイブランドな衣服や小物を身につける癖に、それが奴の推定給料に見合っておりかつ、ちっとも嫌味ったらしく見えないどころか自分のオリジナルブランドのごとく着こなしてしまうところが、横峯律という男を「とっつきにくい」とか「手が届かない」といった印象付けてしまう所以であろう。

しかもこの男、周りからそう思われていることをものともせず、むしろ良しとしている節がある。
「自分の趣味趣向に合った外観にしていたら無駄な馴れ合いがなくなるなんて、良いことづくしだと思いませんか?」
ある日定食屋でアツアツの唐揚げ定食をほくほく言わせて食べていた俺の空気を凍らせたセリフである。もう少しで30に手が届くいい大人が何言ってんだと絶句したものだ。

そんな俺たちは、年度採用者600人のうち本社勤務30人の中でも、映えある企画営業部に配属された、たった二人きりの同期であった。

企画営業部とは、社内で最も重要視され花形とも言われている部署であった。聞こえはいいが蓋を開ければ数字と実績を追い求める世界であり、ノルマ達成は当たり前、数字に結びつかない仕事をすれば即刻異動という厳しい部署である。

ちなみに影では「光るミッドナイト課」なんて言われ、その所以は部署のある7階が毎日の鬼残業よって常に煌々と明るく照らされているため、なんて当の本人たちは笑えない事実があったりもする。このことを横峯に話した時は、二人して終電を超えた残業をしているときで、疲れを滲ませる顔により深くシワが刻まれ、正に鬼の形相と化したのを思い出す。あれはほんとに怖かった。

そんな部署に配属が決まったのは忘れもしない、入社後の採用者全員研修期間を終えてからだった。そして横峯律との出会いも同時に果たすのである。



研修期間中、希望部署について人事担当と面談する機会が設けられる。俺はこの地味さを活かして経理部を希望していた。「これでも数字は得意なので、地道な作業も向いてます」と、フレッシュな新卒だった俺は意欲もばっちり伝えたはずだった。なのに発表を待てば、エリートコースまっしぐらと言われる花形部署に配属だったんだから、驚かないはずがない。志望していた同期から妬みの言葉を投げかけられたこともあり、配属前からどん底の気分だった。

もう一人配属された奴がいると聞いていたが、それがあの横峯律であったのことには誰もが納得した。横峯は当時、研修期間中からも異質の才能を見せつけていて、研修チームが違った俺にも噂が飛んでくるほどの人間だった。「今年度の当たり玉」や「稀に見る奇才」だの、本人は後に散々な人権侵害だと渋い顔をしていたが、とにかく横峯は入社早々に会社の上層部にも名が知れる逸材だったのだ。

そんな横峯は、指導員に課されるノルマを達成して初めて一人前といわれる世界において、配属後3ヶ月でノルマ達成という偉業を成し遂げ、誰よりも早く指導員から卒業を果たし、入社1年後には部署内1位の成績を物にした。先輩社員からの妬みもなんのその、あまりの仕事ぶりに部長も頭が上がらない。そして困ったら横峯に言えば解決するといった謎の社訓めいたものまでできて、もはや上下関係など皆無に等しい部署になっていった。

一方俺は、同期の中ではそれなりに早く出世したが、それも自分にできることを自分なりにコツコツとやってきた結果だと思っている。もとが不器用だから、横峯のように何でも手広くこなすなんてことはできないので、自分に合った力量の仕事をしてきた。つまり横峯だって、俺のことは可もなく不可もなく、特に気にかけることもなくただの「偶然同じ部署の同期」である他に何者でもなかったように思う。

しかも横峯は前述した通り、自然といや故意に人と距離を置くタチなので、部署内の忘年会や送別会等は参加するが、同期たちとの飲み会など、仲間内の集まりを避け続けている。なので同期の中でも、横峯と知り合い、あわよくば出世欲から仲良くなりたいと狙って声をかける奴もいるが、さらりと躱されて結果歯痒い思いをすることになる。

俺は同じ部署であったから、それなりにコミュニケーションは取っていたが、それでも一定の距離感があったことは否めない。仕事上困ることはなかったので、特に気にしていなかったのだが、ある時休憩中に読書をしていた俺に、初めて横峯から声をかけてきたのが、「同期」の枠から「友人」にまでなったきっかけであったと思う。


俺は昔から本を読むことが好きだった。特に一度好きな作家の本はとことん求めて収集する癖がある。色んな作家の本をそれなりに読んできたが、『春野徹』の本にたまたま本屋で出会ったときは世界が開けたような衝撃を受けた。
今となっては、年齢も性別も公表していない、謎のベールに包まれたミステリアスな作家でありつつも、そういった話題性を抜いても、なにより作品が面白くてハマってしまう人が続出してしまう、今をときめく超売れっ子作家であるが、当時はまだあまり知られていない駆け出しの作家であった。
女の子らしいかわらしいポップに目を引かれて、特に考えもせず手に取った本。その帯に書かれた「新人賞受賞!期待の新人現る」「泣いて笑って、また泣いた話」だなんて文字に、たまたま買ってみようと思ったのがきっかけだ。「泣いて笑って、また泣いた」なんて、大袈裟な謳い文句としか捉えていなくて、軽い気持ちで風呂上がりに読み始めたが、読了後には既に日が登っていて、俺の目はパンパンに腫れていた。これから会社に行くことだとか、朝イチで大事な商談があることなど頭の中から抜け落ちて、俺はその本を抱きしめてまたおいおいと泣き続けたのだった。
こんな情景を、こんな描写を、こんな世界観を、文字の世界で表現する『春野徹』とはどんな人物なのかと興味をもち、他に出していたまだ数少ない書籍を買い漁り、まんまと『春野徹』の作り出す作品の虜になってしまったのだ。





そんなある日、あれはちょうど『春野徹』の新作が出たばかりのときで、繁忙期と重なって買ったはいいが読めないという俺にとってとてつもないストレスを抱えながら仕事をしていた。一度本を開くと読了するまで閉じれない性格の俺だったが、あまりにも我慢できずに、昼休憩丸々使って読んでやろうと、意気揚々とデスクで本を開いていた。

「…お昼、食べないんですか?」

初めて横峯に声をかけられた衝撃は凄まじく、あまりに突然で、世間話にしては突拍子もない切り口の会話に時間が止まったかのような感覚に陥った。

「…え?あ、えぇーっと…なんて?」
「休憩に入ってからずっと本を読んでいますので、お昼は食べないのかと」
「あー…っと、」

正直、今までも昼飯を食わずに仕事をすることなんてザラで、それを横峯も今まで見てきたはずなのに、なにを今更そんなことを言ってくるのかと、内心訝しげに思ったが、せっかくの唯一の同期が話しかけてくれたのだから、少し話を広げてみようと思い立つ程には、案外横峯に話しかけられたのが嬉しかった。

「…実はさ、俺本好きで。好きな作家さんの新作が出たからさ。読みたくても今結構忙しいじゃん?だからまだ読めてなくて。今なら読めるかなーって。昼飯食べるのももったいないくらいの、面白い本なんだよ」

いまいち上手に話を広げられなくてどぎまぎする。こんなんでよく営業なんてやってるなと鼻で笑われてもおかしくないが、そんなことをする奴ではないことは知っているので、ただ一人おろおろする俺とそれを冷静に見つめる横峯という不思議な構図が出来上がるのだ。

「…私も今日は簡単に済ませるつもりで、パンを買ってきました。家の近所のパン屋なのですが、味は保証します。お一ついかがですか?」
「え?!あ、いいのか?え?」
「ここのコロッケパンは絶品です。よろしければ」

そう言って差し出されたコロッケパンを凝視する。これは本どころではなくなってしまった。馴れ合いを嫌う横峯からの差し入れである。断ったなんて周りが知れれば総スカンを食らう。ありがたく頂戴しなければ、と思い、感謝の言葉を述べて手を伸ばした。
いや、なんだこの状況。

恋を知った乙女のごとく心臓をドキドキしながら食べたコロッケパンは味が分からない、なんてことはなく、とても美味しかった。

「、っ!うま!え、なにこれ、うま!やば!」
「…河野さんは語彙が単純ですね」

…あれ、今軽くばかにされた?

「いや、ほんとうまい。ありがとうな。ってゆか、同期なんだから、呼び捨てでいいよ。俺も横峯って呼んでるんだから」
「…そうですか。では河野。貴方その作家が好きなんですか?」

突然の話の切り出し方に、思わずコロッケパンでむせる。

「うぇ?…あぁー、『春野徹』のこと?」
「…それ、一昨日出た最新作ですよね」
「!えっ!横峯、『春野徹』のこと知ってるの?!」

これは意外だった。冷静沈着、恐竜が降ってきても瞬き一つしなさそうなあの横峯律が、「泣いて笑って、また泣いた」なんて話を好んで読むとは思えなかったからだ。だが俺はこの2年間の激務で培った切り替えの速さですぐさま回復した。本の趣向なんざ人それぞれで、しかも俺が勝手に発掘した気になっているマイナーな作家を好きな人に会えるなんて、これは運命に違いない!と一人脳内で大いに盛り上がった。

「いいよなぁ、この人!話が良すぎてさ。俺結構本好きだけど、寝る間も惜しんで読み切ったのこの人が初めてだったよ!」
「…そうでしたか」
「横峯も読むの?どの本が好き?俺ちなみに『パン屋のおじさん』がちょー好き!一番最初に読んだやつ!」
「それは第2作目の作品ですね。私は処女作の『街角のパン屋』が好きです」
「あー!わかるー!その本、『春野徹』にハマってから探し回って手に入れたんだよ!また内容もすんげーよくてさー…商談のこと忘れて夜通し読んで、目腫らしたんだよなぁー」
「…あぁ、〇〇社の新規入荷、大口商談の日ですね」
「げぇー!覚えてんのかよ!散々いろんな人にからかわれてやばかったもんな。失恋したのかーとか部長にも言われて…いやでもあれは確かに恋だったよなぁ。『春野徹』にまんまと心奪われてたもん」
「それはそれは…3作目の『パン屋の独り言』も読みましたか?」
「読んだ読んだ!あのオムレツとパンが出会うまでの苛立ちや葛藤が堪らなくいいよなぁ…1度別れるんだけど、焼きそばの、かつてパンに包まれることへの思いが溢れ出てきて!俺たちだけじゃなかったのか!ってなるあのシーン!涙なくして語れないよなぁ」
「歴代に勝る、いいシーンでしたね」

なんだこいつ、話がわかる。と思った頃には俺もヒートアップしていて、ついガチな『春野徹』トークをしてしまっていた。

「…っと、わりぃ、昼休憩終わるな」
「いえ、こちらこそ。読書の時間を邪魔してしまいましたね」
「あーまぁ、読めなかったけど。嫌でもまさか会社で、しかも同じ部署の貴重な同期と『春野徹』トークができるなんて思ってなかったから!すっげーうれしいよ」
「私も、話せてよかったです」
「ちなみに、横峯はもう最新作『憂鬱なパン屋の心情』は読んだのか?」
「えぇ。なかなかの傑作でした。ぜひ時間のあるときにゆっくり読んでください」
「うわー抜け目ねーなー!いつそんな時間作ってんだよ…まぁ楽しませてもらうわ!また話そうぜ!にしても…」

―『春野徹』って、どんな人なんだろうな―

続く俺の呟きに、うーんと首を傾げた横峯に俺は目を見張った。
いつもクールな顔つきで表情を動かさない横峯の顔が、柔らかく微笑んだからだ。

「そうですね……案外、可愛い人かもしれませんね」

…かわいいってなんだ?かわいいって。いや突拍子もないそんな感想よりむしろお前の表情に意義を唱えたい。

「な、お、おまえ!なんだその!やわこい、笑みは!」
「さぁ、なんのことでしょう。では午後外回り行ってきます」
「は?いやいや、それどころじゃないだろ!おい!横峯!」
「…こら!河野!うるさいぞ!」
「いや部長!それどころじゃないですから!俺も外回り行ってきます!……おい、横峯!まて!」


そんなこんなで、俺と横峯律は『春野徹』を通して話をするようになり、なんやかんや他の好きな作家なんかも被っていて、俺たち結構趣味が合うんじゃね?と認識するときには、お互いに名前を呼び合う仲になっていた。
俺たちの出会いから6年経つ頃には、未だに花形部署で二人きりの同期をやりつつ、それぞれそれなりの役職付きになって、ますます忙しい日々を送っている。ただそれでも俺は本を読むことを続けていたし、新作のチェックはお互い欠かさずにやっていて、業務後二人で本屋に行っては本を購入し、次の日は決まって飲みに出て本について語り合うというパターンを繰り返してきた。

まさかそんなありふれた日々の中のとある月曜日に、「律!出張お疲れさん。そういやさ、『春野徹』の新作『パン屋の激動』が〇〇賞受賞だってな!」なんて俺の言葉に、律は質のいいジャケットを床になすりつけながら崩れ落ち、「…もうだめかもしれない…」なんて呟くから、一時社内は騒然とし、「こ、こここ河野!横峯を連れて早退しなさい!」なんて部長に言われて二人揃って午後休暇を貰い、よたつく律を担ぎながらなんとかたどり着いた俺の家で問いただした内容が、「最愛の彼女に振られそうだ」なんて話題で、これまた俺はド肝を抜かす羽目になることなんて、かつての俺は知る由もない。


「は?え、てゆか律、お前、彼女いたのかよ!言えよ!」
「…もうだめかも、しれない…」
「いやいやしっかりしろよ!お前を振るなんてそんな愚かな女いねーって!」
「…彼女を蔑む奴は正宗とて許さない。愚かと言ったことを撤回しろ」
「えええええいやいや!怖いから!その顔!ごめんって違うって!いや落ち着けってマジほんと!ごめんだからその怖い顔やめろって!」





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