【完結】狂おしいほど愛してる

今川みらい

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義兄が帰って来て、一睡もしないまま朝になった。

私は雨の止んだ庭園へ出て、門が見える場所にある椅子に腰かけた。

ここにいれば、養父が帰って来た時にすぐ分かるから。

ライアン様が養父を連れ去ったかもしれないなんて……一体何を考えているのか、全く分からなかった。

彼の出自を知った時、他の誰よりも深く分かり合えると思っていたのに……

両親を亡くした私に寄り添い、一番の理解者だったライアン様は、王太子殿下の側近になってガラリと変わってしまった。

私の事など、どうでもよくなってしまったのだろう。

そんなふうに考えていた時、伯爵家の門の前に立派な四頭立ての馬車が止まった。

見覚えのあるその馬車には、カーシス公爵家の紋章が刻印されていた。

「まさか……」

馬車から颯爽と降り立った長身の人物は、紛れもなく自分の婚約者であるライアン様だった。

「そんな……どうして?」

彼の方から現れるなど全く予期していなかった私は激しく動揺した。

ライアン様は門番に声をかけると、門を開けるように言っていた。
しかし、彼が来ても絶対に中へは入れるなと義兄から厳しく言いつけられている門番は困ったように首を振っていた。

「アシュリー」

私が近くにいる事に気づいたライアン様が自分の名を呼んだ。

さすがに無視する事など出来ず、私はゆっくりと門の方へ近寄った。

「ライアン様……」

「久しぶりだね。しばらく会いに来られなくて、本当にすまなかった」

目の前にいるライアン様は、以前と全く変わらない慈しむような視線を私に向けていた。

切れ長で涼やかな瞳は、相変わらず見惚れてしまうほど美しい黄昏色で、端正で整った顔を再会を喜ぶかのように綻ばせていた。

ずっと会いたかった彼が、目の前にいる。

思わず歓喜しそうになる自分を必死で押し殺した。

「ここは開けられません。貴方はどうしてここへ来たのですか」

私の冷たい態度に困惑したのか、彼は微かに眉をひそめた。

「……昨日、バトラー伯爵が公爵家へ訪ねて来る予定だったが結局彼は来なかった。伯爵の身に何かあったのかと思い、ここへ訪ねて来たんだが……」

「お義父様はカーシス公爵家へ行く途中で何者かに連れ去れ、今もまだ戻って来ていません」

「バトラー伯爵が……連れ去られた?」

ライアン様は驚愕したように目を見開いた。

そんな彼の表情を、私は冷めた気持ちで眺めていた。

どうしてそんなに驚くの?
お義父様を連れ去れと指示したのは、貴方なんでしょう?

それを声に出す事は、さすがに出来なかった。

「そんな大変な時に、どうして頼ってくれないんだ。私は何を犠牲にしたとしても、貴女を優先させるのに」

今まで散々仕事を優先しておきながら、今更この人は何を言っているのだろうか。

貴方が言う事なんて、私はもう二度と信じない。

「お願いだ。アシュリー。中へ入れてくれないか。私は貴女の力になりたいんだ」

鉄柵の向こうで、黄昏色の瞳が真摯に訴えかけていた。
そのあまりに真っ直ぐな瞳に狼狽えて、私は思わず後退りした。

「今さら何を仰いますか」

その時、背後から義兄の冷めた声音が響いた。

「3年間も義妹を蔑ろにしてきた貴方に、一体何が出来ると言うのです?」

義兄は私の隣にやって来ると肩を抱き寄せてきた。

「アシュリーから離れろ。シュナイゼル」

いつも柔和な表情を崩さないライアン様が、見た事もない殺気立った表情を義兄に向けていた。

「どうしてです?僕は義兄として貴方よりもずっと前からアシュリーのそばにいるのですよ?彼女の事は貴方よりも良く知っています。義妹は僕に任せて、貴方は他の女と過ごせばいいでしょう」

「くだらない戯れ言を。私はアシュリー以外の女性と関係を持った事など一度もない」

さも当然かのように嘘を吐く婚約者に、忘れようとしていた王都での苦い記憶がよみがえり、激しい怒りが込み上げた。

「……本当にそうですか?一昨日、王都で貴方とシェスター子爵令嬢が抱き合う姿をお見かけしましたが、あれは私の見間違いなのでしょうか」

「……?何を言っているんだい?その日は王都に行っていない。私は──」

「言い訳はお止め下さい。私はこの目ではっきりと見たのです。貴方とシェスター子爵令嬢が抱き合っていたのを」

自分を欺こうとする彼の言葉を遮り、黄昏色の瞳を強く見据えた。

「……その時、私の顔は見えた?」

ライアン様は視線を反らす事なく、何かを思案するように目を細めていた。

「いいえ。後ろ姿だったので見ておりません。ですが、貴方に差し上げたそのマフラーと全く同じものを巻いていました」

そう言って私は彼が首に巻いている黄昏色のマフラーを指差した。

「そのマフラーに使っている毛糸は、通りすがりの行商から購入したとても希少なもので、全く同じマフラーが王都にあるなどあり得ません」

「例えそうだとしても、王都で見たのは自分じゃない。私は何があっても、アシュリーを裏切るような真似は絶対にしない」

「もう、貴方の言う事は信じられません……婚約は、取り消して頂けませんか」

掠れる声でその言葉を口にした。

ライアン様は驚いて声が出ないのか、放心したように私の顔を見つめていた。

「もうこれ以上は私の心が耐えられないのです。どうか、婚約は全てなかった事に……」

愛している人に裏切られる事が、こんなにも辛い事だったなんて……母を殺すほどの父の苦しみが、今やっと理解できた。

「……貴女にずっと寂しい思いをさせて、深く傷つけてしまった事は本当に申し訳ないと思っている。だが、別れる事は出来ない」

しばらく黙り込んでいたライアン様が口を開くとキッパリと言い切った。

「そんな……どうしてですか?王都で貴方の不貞現場を目撃した事は誰にも言いません。私と別れて、シェスター子爵令嬢と婚約して下さい」

「アシュリー。私は不貞などしていない。愛しているのは貴女だけだ。どうか信じてくれないか」

ライアン様が鉄柵に手をかけたのでガタンと大きな音が鳴った。
その必死に訴えかけるような悲痛な表情は、彼が嘘を言っているようにはとても見えなかった。

絶対に信じないと決めたはずの自らの決意が、ぐらりと揺らいだ。

「貴方は嘘をつくのがお上手ですね。そうやって今まで何人の女性を騙して来たのですか?」

その時、隣にいた義兄が私にしっかりしろと言うかのように軽く背中を叩いた。

「貴方に散々放おっておかれて、義妹は愛想を尽かしたんですよ。だからアシュリーは貴方と別れて僕と結婚したいんです」

その言葉に私は驚いた。

義兄と結婚したいと思った事は、今まで一度もなかったから。

「そうだよな?アシュリー」

義兄の有無を言わさぬ瞳を見て、彼が敢えてそう言っているのだと気がついた。

私が義兄との結婚を望んでいる事にすれば、ライアン様だって諦めがつくだろう。

「ええ。そうです。私はお義兄様……いえ、シュナイゼル様との結婚を望んでいます。ですから私との婚約はなかった事にして下さい。どうか、お願いします」

ライアン様に向かって深く頭を下げた。

「……私より、シュナイゼルを選ぶのか」

自分に対する怒りか失望か、ライアン様は震える声で問いかけてきた。

「私は……貴方をずっと待っていました。ライアン様のいない3年間が、どれほど長かったか……この苦しみはきっと貴方には分からないでしょう。もうひとりにされるのは嫌なんです。シュナイゼル様なら、貴方と違ってずっと私のそばにいてくれます」

今まで我慢していた思いが一気に込み上げて、瞳からぽろぽろと涙が溢れてきた。

そんな自分を見てライアン様は強く拳を握ると、落胆したかのように瞳を伏せた。

「……貴女の気持ちはよく分かった。少し……考えさせてくれないか」

ライアン様はそう言って踵を返すと公爵家の馬車に乗り込んだ。

離れて行くカーシス公爵家の馬車を見送りながら、これで良かったのだと、私は自らに何度も言い聞かせた。


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