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【本編】アングラーズ王国編

障壁(カリーナ視点)

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 祝賀パーティーの会場に入ると、華やかな装いの来賓客で溢れていた。
 ドーム型の解放的な天井は、ステンドグラスになっていて、日の光を浴びてキラキラと色鮮やかに輝き、その天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられている。

 そんな豪奢な会場を、私は物珍しく見回していると「どうぞ」と言って、一緒に来ていたエアリスがドリンクを渡してくれた。

「今日は眼鏡かけてないんだね」
「ええ。ドレスの時は合わないし、眼鏡はかけないようにしているの」

 私はお礼を言って、エアリスからドリンクを受け取った。
 隣にいるエアリスは、華やかな装飾がついた漆黒の詰襟の礼服を身に纏い、いつもよりぐっと大人びて見える。
 侯爵家にいた時は、ボサボサだった青みがかった黒髪も、今は綺麗に整えられていた。

「昨夜は大変だったみたいだね」
「ええ……」

 皇女殿下との一件を思いだし、私はぎこちなく微笑んだ。

「でも、お兄様の想いは堅いみたいだし、安心して──」

 エアリスがそう言いかけた時、人々の談笑でざわついていた会場が、急に静まり返った。
 壇上に目を向けると、アングラーズ王国のグラシアン国王陛下とリリー王妃殿下が登壇していた。

 グラシアン陛下の挨拶が始まると、隣にいたエアリスが「お父様の話はさ、毎回、無駄に長いから」と私の耳元で囁くので、もう少しで吹き出す所だった。

 私はグラシアン陛下の挨拶を聞きながら、会場にいるであろうレアン殿下の姿を探した。
 すると、すぐに見つかり、レアン殿下は壇上に近い場所に立ち、グラシアン陛下の話を聞いていた。
 そのすぐ隣に、ローズ皇女殿下の姿を見つけ、私は思わず目を逸らした。

「ん?どうしたの?」

 そんな私の様子を見て、エアリスが不思議そうに聞いて来たので「なんでもないわ」と、私は慌てて囁き首を振った。

「──皆様に感謝申し上げます。そして今日、アングラーズ王国の建国記念という祝いの場で、もうひとつ祝福すべき発表があります」

 そんな時、グラシアン陛下の言葉が、不意に私の耳に入ってきた。

「アングラーズ王国の王太子であるレアンと、フェアクール帝国のローズ皇女殿下との婚約が、正式に決定した事をこの場で発表させて頂きます」

 グラシアン陛下がそう言った次の瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

「フェアクール帝国とは、長い間戦を繰り返してきましたが、この婚約で──」

 グラシアン陛下の話は続いていたが、私の耳には全く入って来なかった。

 婚約が決定した?
 レアン殿下はそんなこと一言も──
 私がレアン殿下を見ると、彼は非常に厳しい目つきでグラシアン陛下を見据えていた。

「やられたね。こんな所で大々的に発表されたら、簡単には覆せないよ。お兄様も祝いの場では、否定する事も出来ないし」

 隣にいたエアリスが囁いた。

「大丈夫?カリーナ」

 私の顔を見たエアリスが、心配そうに言った。

「だいっ……」

 大丈夫。そう言おうとしたが、言葉に詰まって最後まで言えなかった。

 壇上のそばでは、レアン殿下とローズ皇女殿下が招待客に囲まれ、祝福を受けているのが見える。
 容姿端麗で、身分もつり合っている2人の姿が、私には眩しすぎて、見ているのが辛かった。

「外に出よう」

 エアリスは気遣わしげにそう言うと、私の手を力強く引いた。
 祝福に沸く人々の間をすり抜け、私たちは会場から出ようとした。

「カリーナ様」

 その時、後から声をかけられ振り返ると、そこには白い隊服を着た、アングラーズ王国の近衛騎士が立っていた。

「国王陛下がお呼びですので、控室の方まで来て頂けますか?」
「……分かりました」

 私が頷くと、近衛騎士は「ご案内致します」と言って歩き出した。
 私はその後について行こうとした時。

「最悪──」

 隣にいたエアリスは、顔を歪めてそう呟いた。





 私とエアリスは会場近くにある控室に案内された。
 グラシアン陛下はまだ来ておらず、私とエアリスはソファに座り、落ち着かない気持ちでしばらく待っていた。

「待たせてすまなかったね」

 グラシアン陛下はそう言いながら、数名の近衛騎士と共に部屋に入って来た。
 私は慌てて立ち上がり、グラシアン陛下と挨拶を交わした。

「エアリスが世話になったね」

 グラシアン陛下はそう言って、私たちとは対面の位置に腰を下ろした。

「私の方こそ、エアリス殿下には色々と助けて頂いて、大変お世話になりました」

 私は深く一礼すると、エアリスの隣に静かに腰を下ろした。

「先ほど発表した通り、レアンとローズ皇女との婚約が決まって、私も喜ばしいかぎりだ。フェアクール帝国とは長らく敵対していたが、これを機にやっと和平の道を歩めそうだ」

 グラシアン陛下はそう言うと、私の顔をじっと見据えた。
 レアン殿下と同じ深海のような瑠璃色の瞳が、冷淡に光っている。

「それなのに、レアンはローズ皇女との婚約に納得がいかないようでね。これまでは私に歯向かう事がなかったから、非常に困っているのだ」

 グラシアン陛下は「やれやれ」と首を小さく振ると、疲れたように視線を落とした。

「レアンは君と婚約したいと言っている。すまないが、君の方からレアンを断って貰えないだろうか。レアンは国の為に、行く行くはローズ皇女と結婚して貰わなければならない。分かってくれるね?ローレル侯爵令嬢」
「国王陛下。それはカリーナ様とお兄様が決める事で、ここで決めるような内容ではないかと思いますが」

 その時、エアリスが間に割って入ってきた。
 グラシアン陛下を責めるような、鋭い視線を送っている。

「お前はまだそんな生ぬるい事を言っているのか。エアリス。そんな事より、いつまでもフラフラしていないで、もっと公務に励みなさい。お前がいない間、レアンがお前の分の仕事までこなしていたんだよ」
「私の分の仕事が増えるくらい、お兄様にとっては大したことないですよ。優秀ですから」
「お前はいつまでレアンに甘えているんだ。それだからお前は、いつまで経ってもレアンに遠く及ばないのだ」

 隣のエアリスを見ると、今まで見た事もないような冷酷な表情で、グラシアン陛下に対峙していた。
 そのあまりに重苦しい空気に、私が耐えられなくなった時、唐突に扉がノックされた。

「失礼致します。グラシアン陛下、少し宜しいでしょうか?」

 そう言って部屋に入って来た男性は、グラシアン陛下の耳元で何事か囁いた。
 グラシアン陛下はそれに頷くと「分かった。そちらに行く」と言って立ち上がった。

「私はこれで失礼するよ。ローレル侯爵令嬢、レアンの件、宜しく頼んだよ」

 グラシアン陛下はそう言い残すと、近衛騎士を引き連れて出て行った。

「だから帰って来たくなかったんだよ」

 エアリスはグラシアン陛下が出て行った扉に向けて、吐き捨てるように言った。

「ごめんなさい。エアリス。私のせいで…」
「気にしないで。いつもの事だから」

 エアリスはそう言うと、深いため息をついた。
 そして「あーあ」と言って、ソファにもたれ掛かると天井を見上げた。

「ここにいるとさ、常にお兄様と比較されるんだ。『お前はなんでそんなに出来ないんだ。レアンをもっと見倣いなさい』って、そればっかり。あんな何もかもずば抜けて優秀で、完璧なあの人に、俺が敵う訳がないのに。もっと頑張れ、もっと努力しろ、そればっかり。もう、うんざりなんだよ。だからここから、出て行ったのに……」

 常に、優秀な兄と比べられる日々。
 そんなエアリスの境遇を思うと、私は胸が痛んだ。

「どうして人は、誰かと比べたがるのかしらね……」

 私もエアリスと同じだ。
 レアン殿下と比べ、ローズ皇女殿下と比べ、それに対して、あまりに劣っている自分に傷つく。
 自分と他人を比べたって、良い事は何もないのに、比べて、比べられて、傷ついて、永遠にそのくり返し。
 抜け出せない。

「──侯爵家は、居心地が良かったよ。誰も、俺とお兄様を比べたりしなかったから」

 エアリスはそう言うと、力なく笑った。
 侯爵家にはもう戻れない。
 その寂しさが、言葉に込められていた。

「エアリスには、貴方にしかない良さがちゃんとあるわ。私はいつも、エアリスに助けて貰ってばかりだった。本当にありがとう。私だけは、絶対に貴方を比べたりしないから」

 私はエアリスに微笑んだ。

「ありがとう。だから俺は──」

 エアリスはそう言いかけると、真剣な眼差しで私をじっと見つめてきた。
 そんなエアリスに、私が困惑していると「ごめん。ごめん」と言って、おどけるように笑った。

「いつもカリーナを応援してる。お兄様と、上手くいくと良いね」




 ***




 私たちがパーティー会場に戻ると、エアリスは招待客に声をかけられ談笑を始めたので、私は少し離れた所でそれを眺めていた。

 私はこれからどうしたら良いのだろう。
 グラシアン陛下は、私がレアン殿下を断る事を望んでいる。
 私を婚約者として歓迎するつもりなど、最初からない。
 そんな状況で一緒になったとして、私たちに未来はあるのだろうか。
 私は耐えられるのだろか。

「カリーナ」

 その時、不意に後から肩に手を置かれ、私はビクッとして振り向いた。

「ごめんね。声はかけたんだけど……」

 レアン殿下が少し戸惑ったように微笑んでいた。

 その後には、ローズ皇女殿下が無表情にこちらを見ている。
 ローズ皇女殿下は深い青色のドレスを身に纏い、ふわりと膨らんだスカートの裾には銀糸で見事な刺繍が施されていた。レアン殿下の瞳と、髪の色でまとめられたそのドレスは、彼の婚約者だと主張しているかのようだった。

「話があるんだ。だから──」
「レアン殿下。すみません。少し宜しいですか?」

 その時、補佐官のユーリ様が足早にやって来て、レアン殿下に耳打ちした。

「ごめん。すぐに戻るから」

 レアン殿下は申し訳なさそうにそう言うと、ユーリ様と人混みに消えて行った。

「それ、どうしたの」

 突然、目の前にいるローズ皇女殿下が、私の胸元を凝視しならがらそう言った。

 私は疑問に思い、ローズ皇女殿下の視線の先に目を向けると、レアン殿下から貰ったダイヤモンドのネックレスが輝いていた。

「あっ、あの、これは──」

 やましい事は何もないのに、私はなんと答えれば良いのか分からず、ネックレスを隠すように手で包んだ。

「あなた、それがどのくらい価値があるものか、分かっているの?小国の侯爵令嬢が買える代物じゃないのよ」

 ローズ皇女殿下は吐き捨てるようにそう言うと、私に顔を近づけた。

「それをレアン殿下に貰ったからって、私に勝ったと思ってるの?自分の身分につり合わない物を身につけたって、みっともないだけよ。馬鹿みたい。私がレアン殿下の婚約者になることを、グラシアン陛下も、来賓客たちも望んでいるの。分かるでしょう?私は皆から認められ、求められているのよ。貴女とは違うわ」

 ローズ皇女殿下は私に顔を近づけて、そう囁くと、薄ら笑いを浮かべた。

「……確かに、その通りです。私は皆から求められてはいません。ですが、レアン殿下だけは違います。ローズ皇女殿下は、自分に思いを寄せていない相手と、無理矢理婚約して、それで本当に良いのですか?」

 レアン殿下のみ求められる私と、唯一、レアン殿下のみに求められないローズ皇女殿下。

 立場が真逆な私たち。
 なんて皮肉なのだろう。
 私もローズ皇女殿下も、このままの状況では未来がない。

「──なに言っているの?レアン殿下は、私を好きになるわ。これから、必ず。私がそうさせてみせる。それよりも、本当に目障りだわ。あなた。さっさとこの場から消えてくれない?」

 ローズ皇女殿下の緋色の瞳に、不気味な光が宿った時「ローズ皇女殿下」と言って、横から颯爽と現れた人物がいた。

「初めまして。私はアングラーズ王国第二王子のエアリス・アングラーズと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 エアリスは気品溢れる動作で一礼すると、ローズ皇女殿下に微笑みかけた。

「貴方のような美しい方が婚約者だなんて、お兄様が羨ましいです」
「い、いえ……そんな事は……」

 いつもは強気のローズ皇女殿下が、何故だか恥ずかしそうに俯いている。

「ローズ皇女殿下、良ければ私と一緒に踊りませんか?」
「えっ?あの、でも、レアン殿下が……」
「大丈夫ですよ。お兄様はまだ戻って来ませんから。行きましょう」

 エアリスはそう言って、戸惑うローズ皇女殿下の手を取ると、半ば強引にダンスフロアへ消えて行った。

 エアリスは私に一瞥もしなかった。
 その事に衝撃を受けた私は、二人がいなくなったなった後も、茫然と立ち尽くしていた。

「カリーナ」

 その時、足早にレアン殿下が戻って来た。

「エアリスがローズ皇女殿下を連れて行ったね」
「──はい。私が皇女殿下と話をしていたら、エアリスが来て、連れて行ってしまいました」
「そう……」

 レアン殿下はそう言うと、エアリスたちが消えて行った方向を、しばらく無言で見つめていた。

「レアン殿下?」
「──あっ、ごめん。外に出ようか。また邪魔されたくないからね」

 レアン殿下は一転して微笑むと、私に手を差し出した。




「私とローズ皇女殿下の婚約は、まだ正式には決定してないんだ。国王陛下は、私が断れなくなるように、外堀から固めていきたいらしいけど」

 レアン殿下は、庭園にある噴水の縁に腰かけながらそう言った。私もその隣に座っている。
 祝賀パーティーが始まる前は晴れていた空も、今は雲で覆われ、昼下がりなのに辺りは薄暗かった。

「先ほど、グラシアン陛下に、レアン殿下を断るように言われました」

 私はポツリと、レアン殿下にそう言った。

「あの人は、そんな事を君に言ったの?」

 レアン殿下は怒気を抑えるように、ゆっくりとそう言った。

「グラシアン陛下が国の為に、ローズ皇女殿下との婚約を望むのは、あたり前だと思います」

 しかし、そこに私たちの気持ちは反映されていない。
 かと言って、自分達の気持ちを優先させると、国の為にはならない。
 堂々巡りだった。

「ローズ皇女殿下では、駄目なのですか?」

 先ほど、ローズ皇女殿下に強気の発言をしてしまったが、将来、国を背負う立場のレアン殿下には、彼女と婚約した方が良い気がしてならない。
 ローズ皇女殿下なら、本当にレアン殿下を振り向かせる事が出来るだろうし……

「──それ、本気で言っているの?」

 その低い声には、明らかな苛立ちが含まれていた。
 いつもは柔和なレアン殿下が、怒りの感情をあらわにしたので、私は酷く動揺してしまった。

「その……レアン殿下と私とでは、身分も容姿も全てつり合いませんし……」
「つり合わないって何?身分も、容姿も、私が努力して、自ら獲得したものではないよ。そんなものを比べられたって、どうしようもない」

 レアン殿下はそう言うと、疲れたように息を吐いた。

「ごめん。今日は冷静に話せそうにない。明日、出掛けた時にまた話そう。それで、カリーナの気持ちが変わらないのであれば──」

 レアン殿下は噴水の縁から立ち上がると、正面から私を見下ろした。

「私はローズ皇女殿下と婚約する」

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