運命を破り捨てないで。

ますじ

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千晴の場合――3

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 退院後すぐ学校へ復帰しようと思っていた千晴だが、周囲からの猛反対を受けて一週間の休みを追加で取ることになった。もう十分病院で休んだと主張しても、両親はともかく愛良や晃達まで休めと言って聞かないのだ。
 事件が事件なので学校でも噂になっていることだろう。好奇の目で見られることは確実だが、普段通りの友人達がいてくれるなら千晴にとってたいした問題ではない。それでも少しだけ不安があることは否定できないので、一週間の休みは正直ありがたかった。幸い成績にも単位にも余裕があるので、休むこと自体に支障もない。
 その休暇中に芦田の家を訪れることになり、千晴は別の意味での緊張を感じていた。期待してはいけないと自分を戒めつつ、広すぎる門の前に立つ。心臓が高鳴るのは、ここまで小走りで来たせいだ。いや、どうしてわざわざ急いだのだろう。別に遅刻しているわけでもないのに。
 呼び鈴を鳴らすとほどなくして穏やかな男性の声がした。どくりと鼓動が脈打ち、妙な緊張感から舌がもつれた。
「あ、え、えっと、千晴です。今日、約束してて……」
「ああ、千晴くん。今お迎えにあがりますね」
 インターホン越しの通話が切れたあと、柵の向うから物腰柔らかな老紳士が現れた。彼は芦田が子供の頃からいる使用人で、千晴とも顔見知りだ。彼の焼いてくれるスコーンは優しい甘みがあってとても美味しい。
 丁寧にエスコートされながら、よく手入れのされた庭を進む。芦田の家に来るのは初めてではないし、金持ちの匂いにもとっくに慣れているが、今日は別の意味でどうしても緊張した。
 差し出された柔らかなスリッパに履き替えて、老紳士の背中を追う。芦田の部屋は二階の奥にある。水場が遠くて不便そうだが、あまり両親と顔を合わせず済むように、そして双方の声が届かないようにとここで生活しているらしい。芦田と両親の仲は、詳しい話を聞いたわけではないものの、あまり良いとは言えないことだけ知っている。食事も使用人が用意したものを自室でとっているらしいので、顔を合わせるのは欠席が許されない集まりの時くらいだそうだ。
 老紳士が部屋の前で立ち止まり、コツコツと控えめにノックする。ほどなくして中から騒がしい足音がして、扉が勢いよく開かれた。
「千晴! 悪いな、迎えにも行かなくて」
「いやいいですよ、たった三軒隣じゃないですか」
 芦田の部屋は最後に見た時より綺麗に片付けられていた。床に散乱していた本の山は増設された本棚に納められ、買っただけで箱に放り込まれていた海外バンドのグッズやCDはインテリアとして飾られている。そしてくしゃくしゃだったベッドシーツは綺麗にメイキングされ、見たことのない新品のものに変えられていた。芦田が一人でやったとは思えないので、おそらく使用人のおかげなのだろう。
「坊ちゃま、お茶菓子はどうされますか?」
「いい。それよりしばらく二人きりにしてくれ」
「かしこまりました。では、何かございましたらお呼びください」
 老紳士はすっと綺麗な一礼をすると、扉を閉じて去っていった。足音が完全に遠ざかってから、ようやく芦田と向かい合う。目線でベッドを促されたので、遠慮なく腰掛けた。この部屋は無駄に広いくせに、ソファーの一つもない。あるのは大きなベッドとデスク、本棚、そして飾られたグッズとポールハンガーくらいだ。
「……あれから、色々考えたんだ」
 芦田はデスクの回転椅子に腰かけると、思案するように深く腕を組んで顔を伏せた。
「お前が俺のこと好きとか考えたこともなかった。気づけなくてすまない」
「謝らないでください。惨めになるだけなので」
「……すまん」
 重なる謝罪に苛立ちが募る。謝ってほしくないと言いつつ、きっと無言でいられても腹を立てていただろう。そんな自分の理不尽さと不安定さにもまたイライラした。
「千晴は運命の番って信じるか」
「……さあ。愛良だったらそういう話好きでしょうね」
 芦田の瞳がゆっくりとこちらを向く。あまり見ることのない真剣な表情だ。どうしてか視線を外せない。戸惑う千晴に対して、芦田は追い打ちのような言葉をかけた。
「お前が俺の運命だと言ったら、どうする?」
 さあっと頭から血の気が引くと同時に、全身が凍り付く感覚がした。残酷すぎる言葉が耳にこびりついて離れない。芦田は愛しそうな、けれど苦しそうな顔で千晴を見つめている。それがより一層千晴を追い詰めた。
「なんの、冗談ですか? からかってるんですか?」
「冗談でもないし揶揄ってもない」
「本気で言ってるんですか?」
 まだ冗談だと笑われたほうが救われる。けれど芦田は目を細めるばかりで、少しの笑い声すら聞かせてくれない。
「本気だ。ずっと前から分かってた。お前は俺の運命だ」
「はあ? なんだそれ、なんなんだよ……」
 なんで今になってそんなこと言うんだよ、なんで今なんだ。……恨み言が次から次へと脳裏を過る。しかしどれも口にできないまま、情けなく唇を震わせて黙り込むことしかできなかった。
「もっと早くに伝えるべきだった。いっそ強引にでも迫っておけばよかったんだ。……こんなことになってからで、すまん」
「うるさいっ!」
 もう聞きたくない。頼むから黙ってくれという願いを込めて芦田を睨む。伝わったのか分からないが、それから少しの沈黙が続いた。しかしそれもただの執行猶予でしかなくて、やがて芦田がきしりと椅子を軋ませると、いつになく低い声が吐き出された。
「なあ……お前の項、噛んでもいいか?」
「……ハハッ、なに言ってるんですか?」
 思わず乾いた笑いが洩れる。あまりにも質の悪い冗談だ。千晴がもうどんな相手とも番えないことを知りながら言っているのだから、悪意の塊としか思えない。
「俺はもう、番にできませんよ」
「知ってる」
 なにが『知ってる』だ。なら言うんじゃねえよ。殴ってやろうかとも思ったが、ここで自分が暴れたところで何か解決するわけでもない。せいぜい落ち着けだとかなんとか適当に宥められるだけだ。まだ神崎のように丸め込むのが上手ければ違ったかもしれないが、こういうとき芦田は少し不器用になる。中途半端な慰めなんてただ消化不良のもやもやを抱えるだけだ。
「それでもだ。噛みたいんだ」
「だからできないって言ってんだろ!」
 かっと頭に血が昇り、勢いのまま立ち上がる。久しぶりに大声を出したせいか、乾燥した空気で喉がかさついた。芦田は微かに動揺した顔をしていたが、腕を組んだ状態のままじっと千晴を見上げている。
「僕だって好きでこうなったわけじゃない……好きであんな知らないやつに噛まれたわけじゃない! どうしてそんなこと言うんだよ、頭わいてんのかっ!」
 悔しかった。本当に芦田と番になれたらどれだけ幸せだったろう。はじめから望みがなければまだ諦められたものを、もう二度と手に入らなくなってから可能性の残骸を見せつけられるなんて。考えるだけ辛くなるだけだから必死で気を逸らしていたのに、この男はどうしてそんな残酷なことを軽々しく言えるのだろう。
 芦田がアルファだから好きになったわけじゃない。顔がいいから、優等生だから、金持ちだから好きになったわけでもない。その少し不器用でデリカシーに欠けるところや、家族とあまり上手くいかなくて悩んでいるところだとか、そういう「完璧なアルファ」じゃない人間らしい部分を含めて好きになった。だからこそ、この恋心は墓場まで大切に守りたかったのだ。
 それをあろうことか、運命「だった」なんて、あまりに残酷すぎる言葉でズタズタに切り裂かれた。
「もう、帰ります」
 芦田は何か言いたそうにしていたが、構わず上着を掴んで部屋を飛び出した。無駄に広い階段を駆け下りて、靴をひっかけ外に出る。微かに湿った空気が漂っていて、見上げればどんよりと重い雲が薄暗い空を覆っていた。
「……追ってこないのかよ」
 門を出て振り返るが、芦田が追って来る気配はなかった。期待していたわけではないがさすがに虚しくなる。いや、ちがう。多分期待はしていたのだと思う。惨めになるから、認めたくないだけだ。
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