巻き戻った悪役令息のかぶってた猫

いいはな

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「……うわッ!?」
 すべすべなシーツの手触りが仇となり、手汗で見事にロープを掴み損ねたルイは、必死に手を伸ばして何とかで全身でロープにしがみついた。
 シーツと擦れてジンジンと痛む手のひらに、バクバクと鳴り止まない心臓。緊張から全身に目一杯の力が入り、先ほどから息が上がって仕方なかった。
 一瞬の浮遊感に必死に押さえ込んでいた恐怖心が溢れて、息が乱れる。
 ぎゅうとしがみついたまま、戻ることもかと言って再び下に降りることもできなくなってしまったルイは、どうしようもなくなってしまった。
「ルイ!?」
 そんな中、頭上から聞こえてきた声にハッと顔を上げる。
 ルイが飛び出てきた部屋の窓から顔を青くしたアーノルドがルイを見下ろしていた。どうやら、滑った時に出てしまった声で気づかれてしまったらしい。
「何でそんな危ないことしてるの!?このままここにいればそんな怖い目に遭わなくても俺がルイを終わらせてあげられたのに!ああ、もう!とりあえずそこから動かないで!すぐに助けるから!」
 いつになく取り乱した様子のアーノルドがそばに控えていた使用人に何やら指示を出しているのを見て、ルイは慌てる。
 このままだと、またあの部屋に逆戻りだ。
 恐怖心を必死に押し殺し、速度は格段に落ちてしまったものの、再びズリ、ズリとシーツでできた歪なロープを降り始めるルイにアーノルドが叫んだ。
「動かないでって、ルイ!!」
「……い、やだ……絶対!嫌!!」
 幼い子供のように嫌々と頭を緩く振りながら、それでも決して止まることなくルイはロープを伝っていく。
 アーノルドはルイのその頑なな様子に、なぜとでもいいたげな苦しげな顔をしていた。
「アーノルドに、全部任せてたら楽だってことくらい分かってる……!でも、僕はっ……僕の好きなように生きるって決めたんだ!!僕は君の物じゃない!」
 不安定な姿勢で思いっきり声を張り上げたから、息が切れる。摩擦で擦れた手は痛いし、身体中に変に力が入っていてあちこちが痛い。
 それでもルイは諦めなかった。ゆっくりと、それでも確かに少しずつ地面へと向かって降りていく。
 何だかポロポロとルイ自身もよく分からない理由で涙も溢れてきて、視界が歪む。気力だけで動かしていた体が本能的な恐怖で動けなくなってしまうその少し前。
「ルイ!!」
 少し下の方から聞き慣れた、ここで聞こえるはずのない声が聞こえた。
 ルイの恐怖と不安でぐちゃぐちゃになってしまった頭の中にぱあっと光が差し込むようだった。
「……かみる?」
 反射的に声のした方へと顔を向けると、そこにはルイに向かって手を伸ばすカミルがいた。2階部分にあたる窓から落ちそうなほど身を乗り出して、必死にルイの名前を呼んでいた。
「そのまま下に向かって飛び降りろ!オレが受け止める!」
 そんなカミルの言葉が聞こえたのか、上の方からルイを引き止めようとするアーノルドの声が聞こえる。
「っ!?危険すぎます、カミル殿!……ルイ、お願い、そのまま動かないで!俺と一緒にいよう……!」
 その声に釣られるようにしてルイがアーノルドの方へと目線を一度向けた。それまで意地になって進んでいたルイの動きが完全に止まったことにアーノルドが一瞬安堵の表情を浮かべる。
 そして、次の瞬間。
 何のためらいも見せず、パッとルイがシーツでできたロープから手を離した。
 重力に従って下へ下へと落ちていくルイの体。ふわりと内臓が浮き上がる感覚に思わず声が出そうになったその時、グンッとルイの体が誰かの腕に引っ掴まれた。
「ぐえっ!?」
 猫のように首根っこを掴まれたルイは、全体重が一瞬首元に集中して潰されたような何とも汚い悲鳴をあげる。
 そんな彼の悲鳴などお構いなしにさらにぐっと上へと引っ張り上げられたルイは、次の瞬間誰かの腕の中に抱え込まれた。
 片腕に座るような形になったルイは、思わず瞑ってしまっていた目を恐る恐る開く。
「よくやったな、ルイ。流石だ。」
「……んふふ、死んじゃうかと思った。」
 目の前に広がる太陽の瞳に触れ合ったところからじんわりとルイに染み込んでくる少し高い体温。
 口の端を少しだけ上げてどこか嬉しそうに笑うカミルにルイも同じようにニッと笑い返しながら、心底安心したように彼に体重を預けた。
 一方、ルイがシーツから手を離した時から声無き悲鳴を上げて、窓から身を乗り出したアーノルドは無事にカミルに掴まれて室内へと見えなくなったルイにひとまず安心していた。
 力が抜けて座り込んでしまいそうな体に鞭を打って、さっとルイが消えていった場所を確認したアーノルドは後ろに控えていた護衛たちに声を荒げつつ、素早く指示を飛ばし始めた。
「あの二人を追え!絶対にこの城から逃がすな!必ず捕まえて俺のところまで……」
「もうやめなよ、アーノルド。」
「……ミカエル……?」
 アーノルドの指示の声が段々と尻すぼみになっていく。
 信じられないと目を見開いてアーノルドが見つめる先には、悠然と腕を組んで扉にもたれかかったミカエルが立っていた。
 無理やり扉を開けたことで壊れてしまった蝶番を軋ませながら、扉から体を離したミカエルは、ゆっくりとアーノルドの元へと歩み寄る。
「さっきのルイの言葉、聞こえなかったわけ?お前はルイに選ばれなかったんだよ、アーノルド。潔く身を引くこともできないの?」
 アーノルドを睨みつけるようにその新緑の瞳を細めながら、それまで彼の前で見せていた媚びへつらったものではなく、辛辣な態度を隠しもせずに堂々と曝け出していた。
「……そっちが本性か、このクソガキ。」
「はあ?そんなこと、今はどうでもいいでしょ。て言うかお前、薄々勘付いてたでしょ、おれのこと。」
 アーノルドの言葉を眉間に皺を寄せたミカエルが吐き捨てるように切り伏せる。はあ、と心底呆れたようにため息をついた後、馬鹿にするようにアーノルドを見上げる。
 身長的にはアーノルドよりも頭一つ分ほど小さいはずのミカエルが、この場の誰よりも上にいるようなその態度に使用人や護衛たちも変に戸惑ってしまい、彼を止めることはしない。
「いい?お前はルイをここに閉じ込めて自分のものにしたかったんだろうけど、今さっきカミルに正面から正々堂々ルイを奪われたの。しかも、ルイが望んで。ルイは、お前が持ってるその幼稚な執着心でどうにかできるような安い奴じゃ無かったの!分かった!?分かったら喜んで2人を見送るくらいのなけなしの誠意くらい最後に見せたら!?このど腐れ性悪王子!」
 離しているうちにヒートアップしたのか、段々と声を張り上げながら、アーノルドへと捲し立てるミカエル。
 ようやく一息ついて軽く息を切らせていると、目の前のアーノルドが拳を握りしめているのが見えた。そんな様子をめんどくさそうに見るミカエルをキッと睨みつけたアーノルドは、幼い子供の癇癪のように喚いた。
「うるさい……!うるさいうるさい!お前に何がわかる!俺の気持ちの何が!!欲しいものを欲しいと言って何が悪い!?ルイは俺のものだ!俺のものをどうしようが俺の勝手だ!ルイはずっと……ずっと!俺と一緒に……!」
「分かるわけないでしょ、おれがお前の気持ちなんて。でも、ルイはカミルを選んだんだ。それ以上の答えなんてある?ここはゲームの世界なんだよ。主人公ルイはカミルを。もう、ルイとアーノルドが結ばれる世界は無くなったんだ。」
 そう言って静かに、静謐さを湛えた澄んだ薄緑の瞳がアーノルドを見つめる。そんな瞳にアーノルドは顔をグシャリと歪めて、手で顔を覆う。この場から逃げ出したくて堪らなくなっていた。だって、ミカエルの言っていることなんか一ミリも理解できないのに、やけにストンと納得してしまったから。
 薄々分かってはいた。
 ルイが自ら命綱であるシーツから手を離して、カミルの元へと落ちていった時から。
 アーノルドには触られることすら抵抗があるのに、カミルには命すら預けられると、その投げ出された小さな体が目一杯訴えていた。
 アーノルドはルイの愛し方を間違えた。アーノルドだけを見てもらうためにわざと傷つけて、嫉妬させて、孤立させた。間違えていると分かっていながら、アーノルドはやめられなかった。それ以外の人の愛し方を知らなかったから。
 だから、ミカエルとルイの話をたまたま聞いた時、チャンスだと思った。理屈はよく分からないが、もう一度アーノルドがルイを処刑すれば再び時は巻き戻り、同じ時間を繰り返す。もう一度、一からやり直すことができると思った。今度は正しい愛し方ができると過信した。
 けれど、多分、やり直してもルイはアーノルドを選ばないのだろう。ミカエルが言ったように、ルイとアーノルドが結ばれる世界は無くなってしまったのだ。他でもないアーノルドのせいで。
「殿下!現在あの二人は2階部分を逃走中!このままですと城を抜けられます!いかが致しますか!?」
 アーノルドが沈み込んでいると、ガチャガチャと装備を揺らしてルイとカミルを追っていた衛兵が部屋に駆け込んでくる。
 ばっと下げられた頭と、息を切らして叫ぶように言った言葉をアーノルドはじわじわと遅れて認識する。
 そして、言っていることをようやく理解してアーノルドは力無く首を振った。
「もう、いいよ。」
「は……で、殿下?」
「もう追わなくていい。好きにさせたら?」
 目を見開いて驚いている衛兵を一瞥した後、いつになく取り乱していたアーノルドに戸惑ったようにそばに控えていた使用人と護衛を部屋から追い出した。
 意外なことにアーノルドの様子に後ろ髪を引かれたように部屋に残ろうとする使用人をミカエルが無理やり引っ張って部屋から出ていった。まるで、アーノルドに気を遣っているみたいな行動に少しだけ笑えた。
 そうして一人になった部屋で、アーノルドは力無くベッドに腰掛けてボソリと呟く。
「……あーあ、俺は、間違えてたんだね、ルイ。」
 頬を伝った雫には気づかないふりをした。
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