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第二章 進路に悩む少女の来訪

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    Ⅰ

    あれから、どういう経路で家に帰ってきたのか、祈李はよく分からなかった。気がついたら、見慣れた部屋の中におり、呆然と自室の扉の前で立ち尽くしていたのである。
    祈李が我に返ったのは、下から届く母親の声が聞こえたからであった。気になって、自室にある目覚まし時計に目を向ければ、あんなにあの図書館に長くいたように感じていたのに、時計の針はそんなに進んでいない。部屋を出る時に確認した時刻より二、三分進んだだけであった。
    だが、その二、三分によって、母親の声は急かしているものに変わっていた。
    祈李は慌てて部屋を出て、階段を駆け下り、リビングへと向かう。母親がぷりぷりと怒っている中、謝罪をして席に着いた。
    いまだにぼんやりとした頭のまま、なんとか食事を食べ終え、早々に部屋に閉じこもる。
    ぼうっとしたまま、ベッドに腰掛け、扉をじっと見つめる。視線は一点を見つめたまま、そらされることはない。むしろ、何も見つめていないと言ったほうが正しい。

    ――その時だ。

    何かが扉をするりと抜けて中に入ってきたのである。

    え……?     何か、すり抜けた……?
    祈李は目をぱちくりと瞬く。目を疑って入ってきたものをじっくりと見ていれば、床をちょこちょこと歩いてこちらに向かってくるではないか。真っ白でもこもこしたまん丸の生き物。一瞬、ゴムボールかと思うほどに、綺麗なまん丸であった。
    祈李の目の前で止まったその生き物は、へっへっと顔を見上げている。まん丸の瞳がとても可愛らしい。それは祈李に向けられていた。ぶんぶんと振られる尻尾が、止まる気配はない。
    座る気配はなく、よくよく見れば本当に小さな取っ手のような三角形が手足として四つついていた。地面すれすれの身体が汚れないかと不安になってしまうほどである。その小さな手足に肉球があるのかと聞きたくはなるが、問いを口に出すことはない。それから、頭にも手足と同じような小さな三角形がちょこんと収まっている。ぱっと見ただけでは、角なのか、耳なのかよく分からないぐらいにしか見えていない。もこもことした毛並みによって隠されてしまっているのである。
    祈李がじっと見ていれば、その生き物はぴょんと祈李の膝の上に飛び乗って丸くなる。
    祈李は驚きも、疑いもすっかり忘れ、好奇心に負けてもこもこの生き物へ手を伸ばす。ゆっくりと触ってみれば、予想以上のもこもこでもふもふであった。手触り抜群である。
    いい毛並み……。
    ぼんやりと思いながら、思いのままに手を動かす。わしゃわしゃと撫でていれば、その生き物はごろんと腹を見せて寝転がる。それにくすりと笑って腹を撫でた。身体にはしめ縄のような赤と白の飾りがつけられている。背中で蝶蝶結びになっているようであった。そこに一枚の折りたたまれた紙と1本の紐が挟まれていることに気がつく。
「……これとってもいいかな?」
    その生き物に聞けば、こくんと頷く。首がないように見えてしまうが、ちゃんと頷いていた。
    祈李はそれに手を伸ばす。紙を開けば、中には達筆な字が刻まれていた。読めなくもないので、とりあえず読んでみることにする。
    手の動きが止まったからか、生き物から撫でるようにと催促があった。顔を近づけて鼻でくいくいと押される。左手で紙を支えながら、生き物をまたわしゃわしゃと撫でた。
    紙に記載されていたのは、紫雲からの言葉であった。

    ――何時でも来られるように、狛犬に道具を渡しておく。肌身離さず持っておくように。    紫雲

    祈李はその手紙を読んで、すぐに思った。
    この子、狛犬だったんだ……。
    じっと実は狛犬だった生き物を見ていれば、対する狛犬はきょとんとした目を向けてくるだけである。まん丸な可愛らしい瞳にきゅんとして、祈李はまたわしゃわしゃと撫でてやる。撫でながら、祈李は狛犬に問いかけた。
「ねえ、狛くん。この紐が紫雲の言っている道具なのかな」
    狛犬はそれを聞いて、わふっと鳴いた。祈李は紐を見る。おそらく、組紐と呼ばれるものであった。紫を主体としたカラーのそれに、祈李はぽつりと呟いた。
「……肌身離さず、って学校では無理だと思うんだけど」
    祈李はどうしようかと悩んだ挙句、制服のポケットに入れることにした。プライベートなら、手首につけても問題ないだろう。学校では取り上げられる可能性がある。見つからないようにしようと考えた結果だった。
    祈李は狛犬を見送り、組紐をじっと見つめたのであった。



    Ⅱ

    あれから、二週間ほど何も起こることなく経過していた。
    学校での状況は、何ら変わりもなかった。そんなにすぐに変わることはないと分かっていたので、特に動揺もない。
    だが、以前と違って、苛立つことは少なくなった。理由はよく分かっている。紫雲と話したからであった。紫雲の言葉がふとした時に蘇り、小さく頷くとそれだけで怒りが収まって何事も起きずに終わるのである。最近は同級生の視線も、こそこそと話される言葉も、まったくとは言えなくても、そこまで気にすることはなくなったのである。
    ……考え方一つで、こんなに変わるんだなあ。
    祈李は今日も無事に学校を終えることができた。
    帰宅し、自室にこもる。ベッドへ腰かけると同時に、例の狛犬がまた扉をすり抜けて現れた。まだ二回目であるが、もう驚くこともない。ちょこちょこと短い手足で床を歩き、ぴょんと祈李の膝元に飛び乗り丸まってしまう。
「狛くん、どうしたの」
    祈李が撫でながら問いかければ、まだ飾りの部分に折りたたまれた紙が挟まっていた。それに手を伸ばす。狛犬は文句を言うこともなく、祈李の様子をじっと見ていた。かさり、紙を開く音が響き、その中にある達筆な文字に目を落とす。

    ――今日も、来ぬのかい。

    短い文章を読み、祈李は少し経ってから小さく吹き出した。ついくすくすと笑ってしまった。不思議そうに狛犬から視線を向けられるが、それに反応すらできない。
    ……紫雲って、結構可愛いんだ。
    祈李は狛犬に問いかけ、組紐を手にして紫雲の元へ向かうことにしたのであった。



    Ⅲ

「……おや、ようやく来たのかい」
    久しぶりに見た紫雲は、少しだけむすっとした顔をしていた。表情はあまり変わらないが、頭にある犬の耳はぺたりと折れており、背後に控えている尻尾が垂れている。整っている顔が台無しである。
    ちなみに、紫雲は今日、鶯色の着物に身を包み、灰白色の羽織を羽織っていた。
    祈李は笑わないように気をつけて、言葉を紡いだ。
「……紫雲、拗ねている?」
「……拗ねていない」
    ……嘘だね。
    祈李はそれを聞いて、くすりと笑ってしまった。それ以上笑わないように、無理やり飲み込む。
    意外と人間に近いのかもしれない。妖怪である彼だが、とても感情が分かりやすい。
    祈李は少し嬉しかった。人間のようだと思えば、親近感も湧いてくる。さらに話しやすくなると思ったのだ。
    祈李は素直に話す。
「あんまり妖怪の世界に来ちゃいけないのかも、と思って。呼ばれたら行こうと思ってたんだけど」
「……何のために、祈李に渡したと思っているんだい。別に図書館の外に行かせようとは思っていないし、妖怪の世界を歩き回るわけでもない。図書館にいてくれればいいのだ、いつでもおいで」
「はーい」
    祈李は面白くて少し間の抜けた声で返事をした。
    紫雲は不服だと言うように眉をひそめたが、煙管を口にして、静かに煙を吐き出す。
「……今日は、祈李にどうしても来て欲しくてね」
「……どうして?」
「おそらく、今日は新しいお客さんが来るからね」
    紫雲はくすりと笑った。やっといつもの紫雲らしく思える。もっとも、紫雲に会うのは、今日でようやく二回目であるのだが。
    祈李は紫雲の言葉を頭の中で繰り返した。それから、紫雲に問いかける。
「……人間のお客さんが来る、ってこと?」
「そういうこと」
「分かるんだね」
「ふふっ、なんとなくだよ」
    紫雲はくすりと笑う。それは何故か含みのある言い方に聞こえた。
    祈李はそれに触れることなく、紫雲へ別の疑問を問いかける。
「それで、なんで私がいたほうがいいの?」
「以前、言っただろう?    皆、君のように向かい合って話すことができないからさ。仲介役として、祈李にはいて欲しいんだよ」
「なるほど……」
    祈李が頷いた瞬間、図書館の扉がギイッ……と大きな音を立てて開いた。その先には、一人の少女が佇んでいる。祈李と同じか、年上ぐらいの少女であった。
    紫雲と祈李は二階から少女の様子を窺う。
    少女は呆然と中を見つめていたが、やがて――。

    ――踵を返して、外へと駆け出してしまった。

「おや」
「え」
「困ったね。このままだと、勝手に元の世界に戻されてしまうだろうね」
「……え」
「さてさて、どうしようかね」
「……そんなこと言ってる場合!?」
    祈李は言い終わるより先に動き出していた。螺旋階段を駆け下り、最後の数段は飛び降りる。華麗に着地を決め、紫雲へ振り返り半ば叫ぶように告げる。図書館の中だということは、すっかり忘れていた。
「紫雲、準備しててよ!」
「はいはい」
    紫雲はくすくすと笑いながら、煙管を持っていない左手をひらひらと振っている。その姿に、祈李は少しだけ苛立った。
    ……絶対に、仕組んだよね!
    そう言いたいのを我慢して、図書館を出る。キョロキョロと周囲を見渡せば、図書館の傍でおろおろとしている少女の姿を見つけた。どうやら、どうしていいのか分からず、図書館から離れることはなかったらしい。
    祈李は少女の肩をがっと掴んだ。気持ちに余裕がなかったのである。
    案の定、少女はびくりと大袈裟に身体を震わせた。祈李は息を整えながら、一生懸命に言葉を紡いだ。
「……すみません、怖がらせるつもりじゃなくて。あ、の……大丈夫なんで、とりあえず中に入りませんか……?    中にいたほうが、多分、安全だと思うし……」
「け、ど……」
「怖くない、です。私は人間で、その、私もいますし、悪い……ものもいないと思います。その、中にいるのは、人間じゃない、けど……」
「や、やっぱり……」
    少女の瞳が揺れる。怯えているのだろう、と祈李は思った。
    祈李はとにかく言葉を紡いだ。せっかくこの場所に来たのだ。何も解決できずに帰ってしまうのは、勿体ないと思う。
    私が、楽になったように、この人も楽になるかもしれない……。なら――。
    祈李はじっと見つめた。
「大丈夫、です。本当に……。あ、の、変なこと聞きますけど、悩みとか、ないですか……?」
「……どう、して」
    少女の目が見開かれる。予想していなかったのだろう、驚きの表情が隠せてはいなかった。
    祈李は慎重に言葉を選ぶ。
「……私も、この間悩みがあって、ここに来て……。聞いてもらって、楽になりました。その……、とりあえず、聞いてもらってみませんか?    もしかしたら、何か変わるかも、しれませんし」
    祈李が言葉を紡ぎ終えると、少女はしばし黙り込んだ。やがて、祈李の目を見て、小さくこくんと頷く。
    祈李はほっと一つ息をついて、少女と共に図書館の中へ戻るのであった。



    IV

「おや、祈李。ありがとうね」
「……紫雲、後で絶対許さないから」
「おやおや、怖いね」
    紫雲は祈李の鋭い視線をものともせず、言葉とは裏腹にくすくすと笑うだけであった。確実に楽しそうである。
    祈李は彼にじとっとした目を向けたが、相手にされないことが分かったので、少女へと向き直った。
「……あの人が、図書館の主で、話を聞いてくれるので。なんでも話していいですよ」
「おや、祈李。腹いせかい」
「ちゃんと話を聞いてあげてね」
    紫雲は嬉しそうに煙管を口に含み、静かに煙を吐き出す。
    祈李はソファに少女を座らせ、彼女と向き合うように反対のソファに腰掛けた。紫雲は相変わらず柵へと身体をもたれさせている。背を預けて静かに煙を吐き出すだけであった。
    少女がソファに腰掛け、少し落ち着いたところで、先日の祈李へ説明したように、紫雲が説明を始める。
    祈李はそれを聞きながら、同じ説明なんだな、とぼんやりと思った。祈李が口を挟むことはない。ここからは、紫雲が主体だと思っていたからだ。当然、少女へのフォローは必要だと思うが、果たして自分にできるのかと不安になる。とりあえず、様子を窺うことにした。
    少女は説明を受けてから、おずおずと話し始めた。
    彼女は、愛宮叶織えのみやかおりと名乗った。
「……わ、私、進路で悩んでて……。今、高校二年生なんですけど、やりたいこともないし、夢とかもよく分からなくて……。好きなことはあるんですけど、それをどうとか考えたことないし、先生にも上手に伝えられなくて……」
「好きなことっていうのは何だい」
「……旅行、です。家族としかしたことないけど、いろんな場所を回って、世界が広がる感覚が好きなんです。け、ど……」
    叶織は顔を俯かせる。自信がなさそうであった。
「……それが将来の仕事になるのかって言われたら分からないし、かと言って大学で学びたいこともない、し……」
「そうかい」
    紫雲は頷く。静かに煙を吐き出した後で、にこりと微笑んだ。
「なら、図書館の中を歩き回ってみたらどうだい?    何か得られるものもあるだろう。ここには、人の子の世界にはないものが多いからね。祈李、付き合ってくれるかい」
「私はいいけど……。えっと、叶織さんは、どうですか?」
「お、お願いしてもいいかな?    私、一人だと、その……」
    叶織は不安そうな目を祈李へと向けた。祈李は叶織の言いたいことが分かった。すぐに頷く。
    図書館の中では、たくさんの妖怪が本を手に移動していた。本日も大盛況なようである。叶織は先ほど図書館の中を見ているからなのだろう、一人で歩き回るのは怖いわけである。
    祈李は叶織と一緒に一階へ下りた。
    祈李も初めて図書館の中を歩き回る。すれ違う分には余裕な本棚の間を、ゆっくりと歩きながら、棚に綺麗に並んでいる本のタイトルを見ていく。時折、歩くことによって、床がきしりと音を奏でた。
    本のタイトルは、妖怪にちなんだものが多くあった。たまに自分たちの世界にある本が置いてある。すぐに分かったタイトルのそれに、手を伸ばして中を確認する。中身も一緒で見たことあるものであった。
    意外……。人間の世界の本もあるんだ……。
    祈李が本を棚に戻せば、そこに叶織の声が届く。小声だったが、静かな図書館の中では十分耳に届くものであった。
「……不思議ね」
    祈李はその言葉に頷く。叶織は続けて言葉を紡いだ。
「……妖怪の世界って、初めてだから怖かったし、あまり信じてはいなかったけど、私たちが知らないだけで存在しているのね」
「そう、ですね。……叶織さん、進路って難しいですか?」
    祈李は気になっていたことをこっそり聞いてみる。叶織は苦笑した。
「どうかな……。私は難しいと思うけど、友達や同級生の子を見ていると、やりたいことがある子もいるし、夢がある子もいるから、人によるのかなって思うかな」
    叶織は話しながら本を手に取り、パラパラと中を見てから棚にしまうを繰り返していた。
    二人は思い思いに本を手に取り、時折小声で会話をして、次の棚に移動する。
    その中で、叶織はある本を手に取った。
「……あ」
    叶織が口を開く。今までの様子と違ったため、祈李は彼女に近づいて手元を覗いた。彼女の手元にあったのは、妖怪の世界の地図であった。
「妖怪の世界にも、地図があるんだ……」
    祈李の言葉に、叶織は微笑む。
「地図って凄いわよね。何があるのかとか、どんな形をしているのかとか、写真を見れば分かることが細かく書かれているんだもの。面白いと思うの、地図って図鑑みたいだな、って思うし」
「図鑑、ですか……?」
「生物の図鑑とか、こと細かく書いてあるでしょ?    地図も小さく細かく地名や建物の名前が書いてあって面白いし、ネットで簡単に調べられることがここにたくさん記載されていて私たちがたくさんのことを学ぶことができるの」
    叶織はそこまで話してから、祈李を見つめた。きらきらとした瞳だった。祈李はぱちくりと目を瞬く。叶織は「祈李ちゃん」と小さく名前を呼んだ。
「……私、分かったかも!」
「……え?」
「――おや、分かったのかい、君がやりたいこと」
    紫雲が二人の元へ音もなく降り立つ。だが、すぐに左手の人差し指を自身の口元に持ってきて、微笑んだ。
「しかし、図書館内だから、静かに、ね」
「……あ」
    紫雲の言葉を聞いて、祈李が言葉を零し、叶織が口に手を当てる。祈李と叶織は顔を見合わせて、それからくすくすと小さく笑った。紫雲はそれを見て、首を傾げていた。
    叶織は気を取り直して言葉を紡ぐ。
「……私、自分で日本中を旅して地図を作りたい。たくさんメモをして、たくさん見て回って、私しか知らない地図を作るの」
「……凄い」
    叶織の言葉を聞いて、祈李は思わず言葉を発していた。叶織が微笑む。すっきりとした、それでいて決意に満ちた顔であった。
「できるかできないかは分からないけど、やってみたいと思ったの。……ううん、やりたい、やりたくて仕方がないの。私だけの地図、とても楽しそうだわ」
「……良いものが見つかったようだね」
    叶織の言葉に、紫雲は満足気に頷いた。ふふっと微笑む。叶織も笑った。
「紫雲さん、ありがとうございます」
「私は何もしていないさ。答えを見つけ出したのは、君自身だ。……さて、もう迷いはないようだね。君の道を歩めばいいのだから」
    叶織は自信に満ちた顔で頷くと、図書館の扉に向かって駆け出した。扉が開いたと思ったら、扉の向こうは白銀に輝いていて、すぐに彼女の姿は見えなくなっていた。
「い、ない……」
「無事に帰ったようだね。彼女はもう問題ないだろう」
「え、ねえ、紫雲……。叶織さん、本持ってっちゃったよ?    大丈夫なの?」
「問題ないさ。時期にここに勝手に戻ってくる。用済みになれば、ね」
「……紫雲は、こうなることが分かっていたの?」
「さて、ね」
    紫雲は微笑んで、煙管を口に含む。静かに煙を吐き出した後、祈李へ向き直った。それから、祈李の右手を左手で捕らえる。祈李が目をぱちくりと瞬く中、紫雲はにこやかに笑うだけだった。
「さて、祈李。君にはまだやってもらうことがあるよ」



    Ⅴ

    祈李は呆然と今の状態を眺めている。
    ……どうして、こうなったのかな。
    祈李は二階のソファに座らされ、その膝元にはスノーホワイトの髪が広がっている。ソファの上で身体を丸めるようにして、祈李の元で嬉しそうに寝転がっている紫雲。

    ――そう、何故か祈李は、紫雲へ膝枕をしているわけである。

    祈李は自分の膝元で寝転がっている彼へ声をかける。
「……紫雲?」
「しばらく祈李が来なかったし、仕事も終わったわけだしね。私の枕になっていておくれ」
「なるって言ってないんだけど……」
「それから、頭を撫でてくれるかい?    耳も触っていいよ」
「……犬、かな」
「犬神、だからね」
    祈李は恐る恐る紫雲の頭へ右手を伸ばす。初めて触る髪はさらりとしていて、耳は柔らかく気持ちが良かった。だんだんわしゃわしゃと撫でるように手の動きが変わっていった。
    丸くなっている紫雲は、犬神だからなのか、背丈が高いからなのか、理由はよく分からない。だが、撫でてもらえることは嬉しいらしく、耳がぴくぴくと反応し、尻尾がぶんぶんと振られていた。
    分かりやすいなあ、と思うのと同時に、可愛いと素直に思った。
    祈李は手の動きを止めることなく、紫雲へと話しかける。
「叶織さん、良かったね」
「ふふ、ああしてきちんと決まった顔を見ていると、楽しいし、気分がいいね」
    祈李の膝元でくすくすと笑う紫雲をくすぐったく思いながら、祈李は撫でる手を止めることなく、会話に花を咲かせるのであった。
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