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第三章 図書館の主と図書館での一日

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    Ⅰ

    あれから、祈李は一週間ごとに紫雲に呼ばれるようになった。祈李が自分からあの妖怪の世界にある、「あやかし図書館」に出向かないからである。
    祈李が行きたくなくて行かないわけではない。学校から帰宅して部屋に閉じこもってしまえば、そこから出ない習慣ができてしまっており、外に出ようという思いが一切出てこなくなるのである。つまり、人間の世界ですら出ようとしない祈李の頭の中では、「あやかし図書館」へ、紫雲の元へ行こうと言う考えが出てこないのであった。
    「あやかし図書館」は、居心地がいい。紫雲は会って話せばとても会話が弾むし、時間を忘れるほどに傍にいたいと思う。ついついあの場所に行けば、様々な理由から、時間を忘れて長居してしまうのだ。それぐらい、あの場所は祈李にとって大切で大事な場所になっていた。
    以前、紫雲に聞いたところ、妖怪の世界は人間の世界と違って、時の速さが遅いのだと教えてもらった。人間の世界に比べれば、妖怪の世界はとてもゆっくりで、一時間の速さも、一日の速さもまったく違うのだという。その理由は、妖怪には時間の概念がないからだと紫雲が語っていた。
「私たちが急くことはなくてね。それこそ、この図書館だって、開館時間も閉館時間もまばらなんだよ。早く閉まる時もあれば、遅く閉まる時もある。また逆も然り、早く開く時もあれば、遅く開く時もあるのだよ。つまり、気分によって、私たちは動いている。人間のように、時間に縛られるということが私たちにはなくてね、だから人間の世界の時間とのずれがどれだけ発生しているのかも私たちには分からないのだ」
    紫雲はそう言って、不思議そうに、また愉快そうに笑っていた。それは、時間を気にしていた祈李を見ていたからだったのかもしれないし、他のことを思い出したからだったのかもしれない。理由は祈李にはよく分からなかったが、兎にも角にもその時の紫雲は楽しそうであった。
    本日、祈李が帰宅して部屋に閉じこもれば、それと同時に狛犬が扉をすり抜けて中へと入ってくる。壁掛けのカレンダーを確認すれば、ちょうど前回訪れた日から一週間が経過していた。つまり、紫雲が呼んでいる、ということである。
    紫雲が祈李を呼ぶ理由は、様々であった。この間のように新たな人間のお客さんが来るからだったり、ただ呼んだだけであったり……。祈李が紫雲の元へ行くまで、呼ばれた理由はいつも分からないのであった。ちなみに、呼ばれただけの場合は、祈李は帰る時まで紫雲の傍に終始いることになる。普通に会話をしている時もあれば、膝枕をしていることもあった。膝枕は頻繁に要求されるのである。それも、気分だとは言うが、たびたび要求されるため、本当の理由はよく分からずにいた。
    祈李は小さく首を傾げた。
    ……紫雲って、結構寂しがり?
    祈李はぼんやりとそんなことを思いながら、狛犬とともに妖怪の世界にある「あやかし図書館」へ向かうのであった。



    Ⅱ

「来たね、祈李」
「こんにちは、紫雲。今日は何事?」
    祈李は紫雲に挨拶をして、すぐに本題を切り出した。早々に確認しておかなければ、のらりくらりと躱されそうな気がするからである。ちなみに、過去に一度あったのは、余談であった。
    紫雲は気分を害した様子もなく、ふふっと笑った。
「祈李、今日は図書館の中で、働いてみないかい?」
「……ん?」
    祈李は目を丸くした。聞き間違いかと思ったが、紫雲はくすりと笑って否定しなかった。紫雲は煙管に口をつけ、静かに煙を吐き出してから言葉を紡ぐ。
「なに、働くと言っても、本を元の場所に戻したり、図書館の中で散策するだけさ。そう構えなくてもいい。そうだね、働くと言うよりも、手伝いをして欲しい、と言ったほうがいいかな」
    紫雲はにこりと微笑んでいる。今日は桔梗色の着物に身を包み、白亜色の羽織を肩にかけていた。
    最近、祈李は気がついた。紫雲が着る着物の色は濃い色が多く、羽織は白や灰色が多いということに。だからといって、何か言うわけではないのだが。
    祈李は紫雲の言葉を聞きつつ、首を傾げた。
「……私が手伝ってもいいの?」
「元々そのつもりで呼んだのだから、気にすることはないよ。それに、祈李が初めてここに来た時にも言ったはずだよ、手伝ってくれるとありがたい、とね」
    紫雲は煙管を右手で持ちながら、祈李に近づき、空いている左手をぽんと彼女の頭に置く。それから、ゆっくりと撫でた。
「私の手伝いをしてくれないかい?    祈李」
「……そういえば、紫雲が図書館の中で何かしているところをあまり見たことがない気がする」
    祈李はぽつりと呟いた。紫雲はくすくすと笑う。
「基本的に狛犬に任せているからね」
    祈李はその言葉を聞いて、呆れてしまう。一つため息をつき、それから紫雲へ真面目な顔で告げた。
「……仕事してないじゃない。紫雲が仕事をしなきゃ」
「ふふ、私は基本的に人の子の悩みを聞くことが仕事だからね。それ以外は、図書館の管理ぐらいなものさ」
「仕事、してね」
    祈李がばっさりと切り捨てても、紫雲は楽しそうに笑うだけだ。
「これは手厳しい。祈李には敵わないね」
「……思ってないでしょ、紫雲」
「さてさて」
    紫雲は笑いながら、左手の袖で口元を隠す。くすくすと笑い声が隠れておらず、困った様子はない。怒っている様子もないが、反省している気配もなかった。
    祈李は再度ため息をついたのであった。



    Ⅲ

    螺旋階段を下りて、一階に辿り着く。ゆっくりと図書館の中を紫雲と共に歩いていけば、図書館の奥にカウンターがあった。貸出や返却をするためのカウンターである。ちょうどカウンターの上には、いつも祈李や紫雲がくつろいでいる二階があるらしく、そこだけ天井が低く感じた。
    カウンターの中には誰もいないが、お客として来ている妖怪たちの姿はちらほらあった。お客として来ている妖怪たちは勝手知ったる様子で、返却や貸出の処理を行っている。
    祈李はその光景に驚いた。
「……誰もいないのに」
「基本的に自分で行ってもらうのだよ、この図書館ではね。あまりカウンターに誰かがいると、気になってしまう者もいるからね。それに、人手不足、というのもある」
「……それが本音でしょ、紫雲」
「さてさて」
    紫雲は祈李の手を引いて、カウンターの中へと入っていく。不思議そうに妖怪たちからは視線を向けられるが、祈李も紫雲もそれに触れることはない。
    カウンターの中では、お客として来ている妖怪たちから見えないように、数匹の狛犬がこそこそと動いていた。返却された本を回収し、一箇所に集めている。カウンターの外から戻ってきた狛犬が、本を持ってまた棚のほうへちょこちょこと向かっていった。紫雲曰く、返却された本を並べる係と、元の棚へ戻す係と分かれているとのことだった。
    祈李はそれを見て、ぽつりと呟く。
「……狛くんたちじゃ、運ぶの大変なんじゃ……」
「……狛くん?」
「狛犬くんたちのこと。家に来る子は、いつも狛くんって呼んでたから」
    祈李の言葉に反応した紫雲が顔を覗き込みながら、問いかけてくる。祈李は淡々と説明した。すると、紫雲はすっと目を細めた。
「……へえ」
    紫雲の声が数段低く聞こえた。だが、祈李はそれに触れることなく、彼の表情にもまったく気がつかない。ただただ、狛犬たちがせかせかと働く姿を見ているだけであった。
    祈李が観察していて、気がついたことは、狛犬の飾りの色であった。一匹一匹、しめ縄のような飾りは色が違う。祈李が見ているだけでも、狛犬たちの姿はすべて同じでも、自分の家に来る子がどの子か飾りを見ればすぐに分かった。
    だが、そこで紫雲にぐいっと腕を引っ張られる。
「――おいで、祈李」
「……え?」
「私たちも本を戻しに行こう、返却された本たちを、ね」
    紫雲は祈李の手をぐいぐいと引っ張っていく。よく見れば、いつの間に持ったのか、紫雲の腕の中にはたくさんの本があった。煙管と本を器用に右手で持ち、左手はしっかりと祈李の腕を掴んでいる。祈李はそれに驚きながらも、紫雲に引かれるまま、棚の森へと足を運ぶのであった。



    IV

    祈李は紫雲と共に、棚の間を歩いていく。時折、紫雲に「この本はここだ」と教えてもらい、空いている空間へ本を収めていく。
    その時、祈李は一つ気がついたことがあった。本を収めると、かちりと小さく音がなるのである。それは、パズルのピースのように、正解だと教えてくれているようであった。
    不思議な感覚に、祈李は紫雲に確認する。図書館内だということで、こそりと声をかけた。
「紫雲、どうして棚に本を戻すと、小さく音が鳴るの?    かちって感じの音」
「祈李はよく気がつくね。この音はね、間違い防止の音だよ。その音が鳴れば、正解だと教えてくれているんだ」
「間違い防止?」
「――祈李、君は人間の世界の図書館に足を運んだことはあるかい?」
    紫雲は祈李へ逆に問いかけた。紫雲の言葉に、祈李は不思議に思いながらも、とりあえず頷く。紫雲は満足そうにくすりと笑った。それから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……図書館に行って、棚の中に間違った場所に置かれている本が、今までになかったかい?    この本はこの場所じゃないのに、そう思ったことはなかったかな?」
「……あ」
    祈李は紫雲の言葉によって、記憶を手繰り寄せる。思い出したら、勝手に言葉が口から零れていた。祈李は勢いよく頷く。
    紫雲はふふと笑った。
「図書館の関係者であれば、パッと見て気がつくこともあるだろう。その場所ではないと、本来の場所に戻すこともできるはずだ。だが、客として来ている者はどうだろうか?    すぐに分かる者はそうそういないだろうね。もちろん、気がつく者もいるだろうが、気が付かない者のほうが多いだろう。特に、お客として来ている者なら、本を見てそのままそこに戻してしまうことが多いと思わないかい?    その場所が本来の場所と信じて、ね」
「た、確かに……」
    紫雲の言葉を聞き、祈李は頷く。紫雲は続けた。
「それを防止するために、私の術をかけて間違えないようにしてあるのだよ。その証拠に、ほら」
    紫雲はおもむろに一冊本を取りだして、一冊分空いている空間に収めようとする。だが、その本が棚に収められることはなかった。空間の奥に収まろうとしない。何かに阻止されているように、その空間を本自体が拒否しているように見えたのである。
    目を瞬く祈李に、紫雲は笑いかける。
「分かりやすくていいだろう?    妖怪の世界ならでは、という感じもするしね」
「便利だね」
「――祈李、人間の世界にも便利なものはたくさんあるのだろう。それこそ、妖怪の世界にはないようなものがたくさんあるはずだ。だが、ようは考え方の一つに過ぎないのだよ。何を必要として、どうしてそれを作ろうと思ったのか。何かしら必ず理由はある」
    紫雲は本を腕の中に収めて、大事そうに表紙を撫でた。慈しむような目で、本を見つめる。
「――祈李、君の住む人間の世界にも、そして私たちが住む妖怪の世界にも、生活していくために何かしら考えて動いている。そして、それを形に変えて、少しずつ世界を変えて行っているのだよ」
    紫雲は祈李へ視線を移して、にこりと微笑む。
    祈李は彼のその姿から、目を離すことができなかったのであった。



    Ⅴ

「あ、主様」
「主様ー」
「これ、静かに」
    棚の間を歩きながら本を元の場所に戻して回っていれば、たくさんの妖怪とすれ違う。その中で、声を上げながら祈李たちに近づいてきたのは、以前出会った狐たちだった。今日は狐と狸の他に、猫や蛇のような妖怪たちもいる。
    紫雲は静かに窘める。だが、狐たちは気にせずに、紫雲に話しかけるだけだった。
    さすがにまだ他の妖怪には慣れずにいた祈李は、紫雲の影に隠れるようにして立ち、彼らの様子を窺った。
    紫雲はそれに気がついていたが、怒る様子もなく、顔だけ振り向かせてにこりと微笑む。それから、祈李を安心させるかのように、尻尾をふさりと動かし、祈李の手に触れるように持ってきた。それは「大丈夫だ」と言うかのようにゆっくりと触れて撫でてくれる。ふさふさの尻尾が祈李にとって癒しであり、また安心させてくれるものであった。
    祈李の姿に気がついた狐たちは、ひょこりと顔を覗かせて祈李に笑いかける。ちなみに、この狐は「野狐やこ」と呼ばれており、狸は「豆狸」と呼ばれていると紫雲がこっそり教えてくれたのは記憶に新しい。
    野狐である狐が、豆狸である狸が口々に祈李に話しかけた。
「あれ、今日はお姉ちゃん一緒だー」
「一緒だー」
「こ、こんにちは」
    祈李は紫雲の後ろから顔を出し、挨拶をする。
    紫雲はその様子を見てから、猫や蛇のような妖怪たちの会話に耳を傾け、話を聞くことにする。
「ねえ、主様、この本はどこー?」
「検索機もあるだろう?    探してみると良い。借りていることにはなっていなかったのかい?」
「なってなかったー」
「なら、探しておいで」
「はーい」
「主様、これはー?」
「これ、お前たち。いつもは自分で探しに行くだろう」
    紫雲は文句を言いつつも、ちゃんと彼らの相手をしている。祈李はそれを呆然と見ていたが、急にくいくいと靴下を引っ張られた。ずり落ちる感覚に視線を落とせば、狐と狸が祈李を見上げている。祈李はしゃがみこんで、二匹と視線を合わせた。狐がにこりと笑う。
「お姉ちゃん、慣れたー?」
「な、慣れたって……?」
「この図書館にー」
「う、うん、慣れてきた……かな?」
    祈李は戸惑いつつも会話をする。狐と狸はなんだかんだ祈李と話すことが楽しいようで、小さな声で会話を続ける。
    祈李がどうしようと内心焦っていれば、そこに届くのは狸の声。
「主様も楽しそうだし、良かったよねー」
「……そうなの?」
    祈李は思わず聞き返していた。二匹は嬉しそうに頷く。
「主様、お姉ちゃんが来てからだいぶ変わったよー」
「昔はずっと二階にいて降りてくることなかったもん。僕たちの相手もしてくれなかったし」
    「ねー」と二匹は顔を見合わせる。
     祈李はその言葉に、不思議そうに紫雲を見た。紫雲はまだ妖怪たちの相手をしている。呆れつつも、会話をしている姿が目に入った。
    私、まだ紫雲のこと、よく知らないんだよね……。
    ここに来始めたと言っても、まだふた月過ぎたぐらいだろう。なかなか紫雲と会話をしていても、紫雲のことを知ることはできない。
    呆然と考えていた祈李の視線に気がついたのか、紫雲が振り向く。
「祈李、騒がしくなってきたし、二階に行くとしようか」
「う、うん……」
「ばいばーい」
    狐たちに見送られ、二人は一階を後にする。祈李は狐たちの会話が頭から離れることはなかった。



    Ⅵ

    二階に上がったが、祈李の頭の中は先ほどの会話で占められている。他のことを考えることができず、耳に言葉も届かない。
「祈李」
    紫雲の手が、祈李の肩に触れた。思わずびくりと身体が反応する。紫雲は目をぱちくりとした。祈李は慌てて言葉を紡ぐ。
「ご、ごめん。何?」
「いや、大丈夫かい?    話しかけても無反応だったからね」
「あ……。大丈夫、考えごとしてたから」
    祈李がソファに腰かけたままそう言えば、紫雲はすっと目を細めたが、やがて祈李の膝に頭を乗せて寝転がる。自然と膝枕になっていた状況でも、祈李はそのまま文句の一つも言わずに、受け入れた。
    紫雲は再度問いかけてみる。頭を上げることはなく、視線だけ彼女へと向けた。
「……どうかしたのかい、祈李」
「ううん、なんでもない」
    祈李は笑う。だが、いつもの笑い方ではなく、紫雲には無理に笑っているようにしか見えなかった。
    少し、様子を見るとしようか……。
    今聞いたところで、教えてくれないのだろう。そう思った紫雲は、彼女の膝に自分の頭を預けて普段通りに声を出した。
「……そうかい」
    祈李は膝にあるスノーホワイトに目を向ける。先ほどのアメジストの瞳は、すべてを見透かしているように見えた。しかし、紫雲は何も言わなかった。
    今は……。
    祈李は今、紫雲に聞く勇気がなかった。知りたいことはたくさんあるはずなのに、言葉が口から出てこない。無理やり言葉を飲み込んでしまう。祈李はスノーホワイトに手を滑らせた。手触りの良い髪がするりと手からすり抜けていく。ゆっくりと撫で、何も言わずにいた。
    紫雲は彼女の心地良い手付きに、ゆっくりと頭を撫でてくれる体温に、次第に飲まれていく。

    静かな空間が、二人の今の状況を物語っているかのようであった――。
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