リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第二章

37.灰に還る

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「さて、何から話すべきか……。僕は口下手なのですよ。リアさんにとって要領を得ない話をしてしまうかもしれませんね。その時は、遠慮なく止めて下さいね」

「はい。ありがとうございます」

 レントは微笑みながら、これをどうぞと暖かい茶と菓子をリアに差し出した。悴んだ手に、カップの温かさがじんわりと伝わってくる。そして、リアは菓子を見てあることに気が付いた。

「あ、あの。このクッキー……。大通りから花の小道を入ったところにあるお菓子屋さんのものではありませんか?」

「ああ、よく分かりましたね、その通りです」

「やっぱり。そこのお菓子屋さんに、よくゼルと行ったのです」

 リアは寂しげに微笑んだ。最後に彼と菓子屋に行ったのは、あの美しい魔法の薔薇を貰った日だった。リアは幸せな夜を思い出して、涙を滲ませた。

「そうなのですか。リアさんとゼルドリック様は、仲良く過ごしてきたのですね」

「はい。今はその関係にひびが入ってしまったのですけれどね。彼は、私の言葉に耳を傾けてくれなくなりました。私が彼を傷付けてしまったから……」

 レントは眉を下げた。そして、静かな声で切り出した。

「リアさん。今から僕があなたに話すことは、ゼルドリック様との関係についてです」

「……はい」

「まず、こうなることが前から分かっていたと言った理由についてお話しますね」

 レントは深く息を吸った。彼は話をすることに対し随分緊張しているようだった。

「エルフの血を引く者は、魔力をもとにして魔法を使うことができます。これはリアさんもご存知だと思います。ただし、基本的な魔法を使うこと以外に、ひとりひとりのエルフにはそれぞれ得意なことがあるのです。魔法的な才能、とでも言うべきでしょうか」

 レントはリアの頷きを確認しながら、ゆっくりと続けた。

「例えばリアさんの知っている方々で言うと、ファティアナ様は物に込められた人の思いを汲み取ることができます。怒りや、喜びや、悲しみ、楽しさ。ファティアナ様がリアさんの作品に強く惹かれたのは、そこに込められた恋心にご興味を抱かれたからですね」

「……なるほど」

「それから、ゼルドリック様は魔力操作という、魔力を細かく操って、何かを動かしたり、何かを作り上げたりする分野に特に秀でています。彼は非常に強大な力を持つエルフで、中央政府の中でも大きな尊敬を集めています」

「ゼルはそんなに凄いのですか?」

「ええ。一千年に一度の天才と称されるほどに素晴らしいお方です。リアさんは特に意識されたことはないでしょうが」

 リアは驚いた。まさか一緒に暮らしてきた男が、それほどに強大な力を持つエルフだとは思わなかった。

「オリヴァー様もまた素晴らしい方です。彼は魔力探知という技に特別秀でています。魔力の流れを辿り、分析し、策を講じることができる。リアさんにかけられた強力な魔法は、彼なくしては解除不可能でした。あとは……。ああ、アンジェロがいましたね。彼はとにかくよく食べる男です。あらゆるものを食べても腹を下さない強靭な胃腸を持っています」

「……?」

 それは魔法的な才能ではなくただの体質ではないかとリアは思ったが、レントの話を大人しく聞くことにした。

「さて。各々が持つ力についての説明はこれくらいにして。リアさん。僕が持つ能力は未来視です」

 リアは目を瞬いた。

「未来視? レントさんは、未来が分かるのですか?」

「ええ。とは言っても、好きな時に視たい未来を視れる訳ではなく、不完全なものですが。僕は接してきた者たちの断片的な未来をふとした瞬間に知ることがあります。僕はリアさんと握手を交わした際に、三度あなたの未来を視ました」

 リアはレントと握手を交わした時、不自然な静電気が走ったことを思い出した。あの静電気の不自然な走り方は、勢いは違えどゼルドリックの魔法と似ている気がした。彼はもしかしたらあの時に、魔法的な力で自分の未来を視たのではないだろうかとリアは思った。

「その未来の悍ましさに、僕はゼルドリック様とリアさんを引き離さなければならないと決心したのです」

「私の未来?」

 レントは悲しそうに息を吐いた。リアはその様子に大きな不安を抱いた。
 自分の鼓動がどくどくと大きく響く。これから彼が言わんとしていることを、聞きたくないと思ってしまった。

「どのような未来ですか?」

「女性には、酷な話ですが」

 レントは茶を自分の口に運んだ。カップを持つ手が小さく震えている。

「…………」

「レントさん。なるべく落ち着いて聞きます。話してくれませんか」

「…………リアさん。あなたが……。あなたが、どこかに監禁され、奴隷のように鎖で繋がれ、ゼルドリック様からひたすら酷い凌辱を受け続ける未来です」

「…………」

(ゼルが、……私を監禁して、凌辱、って……それ……)

 リアは呆然とした。口に含んだ茶の味も何もかも分からなくなってしまう。
 レントの言っていることが信じられなかった。

「あなたは泣き叫ぶもゼルドリック様は楽しそうに笑い、なおあなたに暴行を加える。これは、ひとつ目の未来の断片です。次に僕が視た未来はもっと恐ろしいものでした。リアさん。お辛いでしょうがどうか落ち着いて聞いて下さい」

 レントもまた、青褪めた顔で息を吐いた。視たものを思い出したくないというような苦い顔だった。

「ゼルドリック様は自分を受け入れないリアさんに酷く怒って、拘束をなお強める。リアさんの大切な存在を人質に取って、人質の命を奪われたくなければ大人しく言うことを聞けとあなたを脅すのです。無抵抗になったリアさんを、ゼルドリック様はなお嬲る。彼は枷のためにリアさんを孕ませようとする。子供を産むまで外に出してはもらえない。これがふたつ目に視た未来です」

「そ、そんな……ゼルが、そんな酷いことを……?」

「最後の断片は飛び飛びで、何をきっかけとしてそうなったのかは分かりませんが、リアさんの身近な存在は、逃げる希望を持ち続けるあなたの心を折るために、ゼルドリック様によって全て殺されてしまう。リアさんのご両親も、はずれの村の住民も、僕も、オリヴァー様も、アンジェロも。全て。あなたは四肢をゼルドリック様に奪われて、とうとう彼の子を孕んでしまう……」

 リアの脳裏に父母やマルティン、友人の姿が出てくる。
 大切な存在が殺されると聞いて、リアはかたかたと身体が震えるのを感じた。

「レントさん……。そんな、嘘でしょう……?」

「リアさんは絶望して自ら命を絶つ。ゼルドリック様はあなたを生き返らせようとし、禁呪に手を染め、なお罪を犯し、狂って、命を落とす。これが僕の視た未来です。悲しく悍ましい未来です」

「嘘っ……嘘です、そんな未来が訪れる訳がないっ……!」

 リアは悲鳴を上げてしまいたかった。喉元に迫り上がるものを必死で我慢しなければ、その場で叫んでしまいそうだった。だが、目の前の友人の深刻そうな顔が、これは真実なのだと物語っている。

 リアの心にぞわぞわとした絶望が忍び寄った。

「レントさん。ゼルは、ゼルは……困ったことはありましたけど、それでも私に随分と優しくしてくれたのです。彼がそんなことをするなんて、殺しに手を染めるなんて、そんなこと……」

「リアさん。酷ですが、僕の未来視は外れたことがないのです。このままでは確実に訪れる未来だと言えます」

 リアは大きく目を見開き涙を溢れさせた。怖ろしさからぼたぼたと涙が零れ落ちる。
 ゼルドリックが狂い、他人の命を奪い、そして挙げ句の果てに死ぬという悲惨な未来。

 そんな悍ましい未来を迎える訳にはいかなかった。何としても彼をその未来から救いたかった。

「リアさん。彼から愛の告白を受けたことは?」

「い、いいえ……」

「そうですか。リアさんはゼルドリック様が好きなのでしょう。ファティアナ様の前で言った、あなたが恋焦がれている王子の正体はゼルドリック様ですね?」

 レントはリアの様子を窺うように優しく尋ねた。リアは涙を流しながら、首を縦に振った。

「酷なことを言います。あなたの抱えているその恋心を捨てて下さい。ゼルドリック様とは、もう会わないで下さい。あなた自身の安全のために。たとえファティアナ様に捧げる作品に翳りが出たとしても、僕は大切な友人であるあなたにそうしてもらいたい。あなたと彼が離れるのなら、僕が視た未来は変えられるかもしれない」

 優しく、どこまでも残酷な忠告だった。

 ゼルドリックに恐怖を感じても、心の中に咲き誇っている恋の花が散ることはない。リアは震える声でレントに尋ねた。

「レントさん。私はゼルのことを愛しているのです。心から愛しているのです。彼と、この未来について話すことはできないのでしょうか? 未来を知れば、彼だって変わってくれるかもしれない。彼と穏やかに暮らしていくことはもうできないのでしょうか……?」

「……それが出来ぬのは、貴様が一番分かっているのではないか?」

 オリヴァーがベッドから起き上がり、おかっぱ頭を整えながらしゃくり上げるリアの横に座った。

「奴は貴様とまともに対話しようとはしなかったのだろう? だから貴様はここまで追い詰められた。違うか?」

「オリヴァー様、お身体の方はよろしいのですか?」

 レントが気遣うが、オリヴァーは手を挙げて問題ないと答えた。

「本調子ではないが仕方ない。こう泣かれては満足に休むことも出来ぬ。レント、私が説得する」

 オリヴァーは涙を流すリアを苦い顔で見た。

「綿毛女、聞け。私はゼルドリックと同期だ。奴は以前あんな男ではなかったのだ。非常に厳格な奴でな、任務に忠実で絶対に悪や不正を許すことはなかった。模範的な役人だ。あやつに憧れるエルフは多かった」

 緑色の瞳が、かつてのゼルドリックの姿を懐かしむように眇められる。オリヴァーはゆっくりと続けた。

「それが、貴様を屋敷に住まわせてからすっかり変わってしまった。周囲の噂や目を全く気にすることなく、混ざり血の女、それだけが大事だというように振る舞う。あの男は貴様に入れ込み、全く酷い振る舞いをするようになったのだ」

「……」

「通常エルフというものは魔力を抑えて生活をしている。漏れ出した魔力で他者や他種族を傷付けるようなことがあってはならないからな。だがゼルドリックは私や、レント、他の者を魔力で威嚇した。これはあまりにも礼を失する行動だ。エルフとして考えられないことなのだ」

「……それで、オリヴァー様はゼルの顔を見に来たのですね。あの時二人で話していたことは、ゼルの立場を危ぶむものですか?」

 オリヴァーは頷いた。

「左様だ。貴様に入れ込むなと、貴様を手放せとそう言った。再三注意をしても、あやつはそれを聞き入れることはなかったがな。貴様はいたくあやつに気に入られたようだ。何があの男を狂わせたのかさっぱり分からんが……あやつは危険だ。狡猾な男だ。私からも言う、ゼルドリックへの恋慕は捨てろ! そうでなければ我々は貴様を守り抜けぬ」

「……」

「綿毛女、聞け。役人というと机仕事を想像するか? だが中央政府の役人というのはな、この国の暗部に触れることがある。奴は諜報、戦闘、暗殺などの薄暗い仕事を得意としてきた。あやつは今までに何千人も葬ってきた。戦闘能力の高さで伸し上がってきた奴だ」

「目的を達成するためなら、手段を問わない冷酷な面がある。相手を躊躇いもなく卑劣な罠にかける狡猾さがある。魔力なしでも体術は相当のものだ。あやつに対抗できる者は、この国にほんの僅かしかいない。恐ろしい男なのだよ、あれは。貴様を連れ去ったのが我々だと露見したら、ゼルドリックはすぐさま私とレントを殺しに来る」

(ゼルがそんな仕事をしていただなんて。全く知らなかった……)

「ここから、よく耳を傾けろ。貴様は既に奴の獲物として見定められ罠に掛かっていると見える。魔力探知に自信のある私なら分かるのだ。あやつは貴様に自らの魔力を強く纏わせている。結果、貴様のその身体の内には、魔力の器と呼ばれる、後天的な臓器のようなものが出来上がっている」

「ぞ、臓器……?」

 リアは怖ろしいその響きに、オリヴァーの顔をじっと見つめた。

「魔力を溜めておくための臓器。『魔力の器』と呼ばれるものだ。魔力の器はエルフ以外持たずに生まれてくるが、日々強い魔力に晒されていると、後天的に出来上がり、体内に魔力を宿し続けられるようになる。エルフ以外の種族が魔法を使えるようになるために、エルフに頼んで魔力の器を作ることがある」

 オリヴァーはリアの胸を指差した。

 リアはどくどくと熱く跳ねる胸を押さえた。全身を巡る不自然な熱はここから発生しているように思えた。

(ここに、魔力の器があるの……?)

「だから私は、以前貴様にゼルドリックから魔法を習っているのかと尋ねたのだ。だが貴様はそうではないと言った。……貴様から乞うてゼルドリックに魔力の器を作ってもらったのでなければ、ゼルドリックが無理やり作ったのだと言える。今や、貴様の魔力の器は、満杯になろうとしている」

「何のためにそんなことを」

「分からぬ。分からぬのだ。その目的が分からぬから、なおあの男が不気味なのだ。……何か良からぬことを企んでいるのかもしれない。だから貴様を、ゼルドリックに近づかせる訳にはいかない」

 強さのある緑色の瞳がリアの胸を見た。
 彼はリアの身体に流れる、魔力の流れを追っているようだった。

「貴様は熱に苦しめられたと聞いている。その熱の原因はゼルドリックだ」

「…………どういうことですか?」

「魔力酔い、それが貴様を苦しめた熱の正体だ」

 オリヴァーは深く息を吐いた。

「過剰な魔力にあてられて一時的に体調不良を起こすこと。体内で正常に魔力が循環できなくなるために、高熱や強い倦怠感などの症状が出る。エルフ以外の種族で特になりやすい。だから我々エルフは、他種族と接する時は限界まで魔力を抑えている。酔いを引き起こすことがないようにな。貴様の魔力の器には、ゼルドリックの魔力がたっぷりと満ちている。それだけ溜め込んでいれば苦しいだろうに」

 オリヴァーはリアの赤く腫れた首筋を見て、痛ましいものを見るように顔を歪めた。

「深くは聞かぬが、狡猾なあの男のことだ。大方、熱の治療だ何だと言って貴様を監禁し、飼い、その身体を存分に嬲ったのだろう」

 リアは目を見開いた。

「なぜそれをっ……」

「やはりか。あやつは卑劣だな。熱の原因は自分が作り出したものだというのに、その熱を貴様との取引の材料にした訳だ。私がゼルドリックを狡猾だと評した理由が分かったか? 奴は目的の為ならどんな手段をも用いる」

「そんな……」

「魔力を纏わせるのには相手に自分の体液を注ぎ込むのが一番効率が良い。血や唾液や、あるいは精液。貴様はゼルドリックから何度も嬲られてきたのだろう。そうでなければ、それほどまでに強い魔力を纏う訳がない」

 リアは唇を戦慄かせた。目の前のオリヴァーの顔が歪んでいく。
 涙が溢れていくのをリアは感じた。

「ゼルは……この熱には、エルフの魔力を注ぎ込むのが一番良く効くのだと私に言ったのです。魔力が良く滲み出るのは体液だから交わりを増やそうって……」

「嘘だ。貴様は治療を受けたのではない、その反対だ。ゼルドリックから魔力を注がれ、なお酔いを起こしたのだ。私は先程貴様に治療を施した。随分と楽になっただろう? だが、ゼルドリックの治療を受けた時の貴様は、決して楽にならなかった筈だ。魔力の循環がされても、その後なお強い魔力を注がれたのだから。あやつは治療をちらつかせて、貴様を操ろうとした」

「ゼル……」

 リアの心に絶望が広がる。ずっと消えなかった黒い染みが、自分の心を覆い尽くしていく。
 リアが思わず震えると、レントは布をリアの肩に掛けた。

「ゼルドリックの魔力操作の技巧は凄まじい。貴様を意のまま操ることすらできるはずだ。貴様のゼルドリックに対する恋情。本当に真だと言えるのか? それすら作られた可能性がある」

 オリヴァーはじっとリアを見据えた。リアは怯えつつも、ふるふると首を横に振った。

「この気持ちは本物です。操られて出来たものではありません」

「そう言い切れるか怪しいところだ。奴は何の躊躇いもなく貴様に魔法を使った筈だ。今までの奴との生活をよく思い出してみろ。何か不審に思うことはなかったか?」

(……あ)

 ゼルドリックの身体を押しのけようとする度、腕から不自然に力が抜けたことを思い出す。
 あまりにも鮮明すぎる淫らな夢と、内腿に散った痕を思い出す。

 ゼルドリックと対話しようとした日、身体が燃え上がってしまいそうな熱に苦しめられたことを思い出す。

(あれは、あれはもしかして、ゼルが私に魔法をかけて……?)

 リアはもう、心当たりがないとは言い切れなかった。

 顔を青くしたリアを見て、オリヴァーはふうと息を吐いた。

「貴様がいくら平和的解決を夢見たとて、それは叶わぬ。奴と穏やかに暮らしていくことなど本当に出来るのか? これだけのことをされておいて?」

「…………」

「奴に話を聞く姿勢があったら、貴様は監禁などされなかったはずなのだ。貴様がゼルドリックと向き合い、奴と未来について話し合おうとしたとして、奴は再び狡猾に貴様を絡め取るだけ。その時、何の抵抗もできないはずだ。そして未来視を持つレントは、ゼルドリックに殺されるかもしれぬ。次こそ邪魔が入らぬようにとな」

「……そんな」

「私はレントも、貴様も危険に晒したくない。ゼルドリックとの対話は諦めろ」

「リアさん……」

 悲しみに息を呑むリアに、レントが口を開いた。

「リアさん。エルフという種族は、一生に一度しか恋をしないと言われています。それは、性的な欲求が薄い種族だからです。しかしそれはあくまで傾向……性的欲求が強いエルフも中にはいるでしょう」

「……レントさん」

「リアさんは、ゼルドリック様から愛の告白を受けたことはないと言いましたね? あなたは、ゼルドリック様に弄ばれているだけなのではありませんか?」

 レントが言い辛そうにそう言うと、オリヴァーは頷いた。

「そうだ。酷なことを言うがな、遊びならエルフ以外の種族を相手にした方が都合が良い。エルフと違ってすぐに死ぬから後腐れがない。奴は貴様と番う気はなく、単なる性の捌け口として扱うつもりだったのだろう。その捌け口に、ここまで入れ込んでしまったのは理解出来んがな」

 オリヴァーとレントの言葉が痛い。痛くて仕方がない。
 リアは酷く痛む胸に手を当て、赤い目から涙を流し続けた。

「リアさん。純血のエルフは国が出生を管理するほど、一人いれば国力が上がるのです。それゆえエルフが他種族と番うことはよしとされません。同族から嘲笑の対象になります。あなたがいくらゼルドリック様を愛しても、彼から真の愛は得られないかもしれない。彼に誠意があるならば、障壁を無視してでもあなたに愛の言葉を贈るはずなのだから……」

 レントが身体を震わせるリアに弱々しく声をかける。オリヴァーは腕を組み、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「綿毛女。貴様の境遇には同情する。ここまで我々が厳しいことを言うのは、貴様を救いたいがこそ。ゼルドリックは貴様を囲い込むにあたり、いくつもの犯罪行為を行った。公的書類の偽造、多種族差別解消法の抵触、越権行為。任務外でおいそれと他種族に対して魔法を使うことはできないのだよ。それは法律で禁止されているのでな。そんな犯罪者の元に貴様を返す訳にはいかん。中央政府の者として、貴様を保護する役目がある」

「ゼルが、そんな犯罪をする訳が……」

「事実だ。奴は罪を犯してまで貴様を囲い込もうとした。よいか、先程も言ったが、貴様にそこまで魔力を纏わせる理由が分からんのだ。レントの未来視でも、その理由は掴むことが出来なかった。だが、貴様に対してのあの恐ろしいほどの執着、気味の悪い魔法式……。狡猾なエルフだ、必ず何かを企んでいる。何か、もっと悍ましい罪を犯そうとしているのかもしれぬ。綿毛女……貴様の身体を使ってな」

 オリヴァーの言葉が、頭の中でがんがんと響く。
 リアは熱を発する胸を押さえた。熱い筈なのに、苦しくて寒々しい感覚がした。

「綿毛女。私はまだ恋情を理解したことがない。だが、こんな歪なやり方は決して男女の愛ではないのだと思う。貴様は自分を苦しめた男を愛せるのか? 苦痛を帯びた熱を植え付けた男を? 身体だけいいように使われて終わるのに?」

「……オリヴァー様」

「ゼルドリックをどれだけ愛したところで無駄だ。一方的で、あまりにも悲惨だ。貴様の恋情は蹂躙される。レントから貴様の未来を聞いただろう?」

「もう、やめてっ……」

「奴を突き放せ。奴を忘れるのだ」

「……ふ、ううっ……」

 リアの赤い目からぼたぼたと涙が落ちる。レントは唇を噛み、苦痛に耐えた。

「ゼルドリックは執念深い男だが、どうしても貴様に会えないのだと理解すれば、いずれ貴様を諦めるだろう。無駄なことを嫌う男だ。貴様に見切りをつけて他の女を飼うだろうさ」

 オリヴァーは嫌われ役を引き受けるような、わざと酷な言い方をリアにした。

「未来を変えるためにも、貴様とゼルドリックは一緒に居てはならない。あの未来を回避すれば、貴様も、ゼルドリックも、貴様の家族も、皆救われるのだ。理解しろ」

 リアはもう、何も言えなかった。
 重たい沈黙が三人の間に流れた。

「……リアさん。僕は自分がハーフエルフだと、以前あなたに話しましたね」

 レントは静かにリアに話しかけた。
 彼の柔らかく透き通っている声は、今は沈痛を堪えるように暗い。
 その暗さに誘われるようにリアは静かに耳を傾けた。

「僕の身の上話で申し訳ないのですが……。どうか、あなたに聞いてもらいたい。僕の父はエルフでした。彼は人間である母に手を出した。彼にとってはただの遊びだったのでしょう。僕を身籠った母を何の躊躇いもなく、一片の愛情を注ぐこともなく捨てたのです。父は何の誠意も見せることがなかった。僕を身籠ったと打ち明けた途端に彼は消えてしまったのだと。そう母から聞いています」

 レントの灰色の瞳が、ランタンの光に照らされて揺れる。

「母は善き人だった。捨てられたにも拘らず気丈に生きました。ひとりきりで僕を産み、愛情を持って育ててくれながらも、いつもどこか寂しげな顔をしていた。僕の顔は父によく似ているのだと、いつも辛そうな顔をして僕に言った。母は、父を深く愛していた。その悲しみは年月を経ても消えることはなかった……」

 レントが震えた息を吐くと、オリヴァーの顔が悲痛に歪んだ。

「忘れもしません。穏やかな春の日でした。母は僕に書き置きを残して、自らその命を絶ってしまったのです。もう生きるのに疲れたのだと……」

 灰の瞳から涙がひとつ溢れ落ちる。レントが後悔に滲んだ声を絞り出し肩を震わせると、オリヴァーが彼の背を摩った。かつて自分の前で母を語ったレントを思い出し、リアは彼の悲愴に思いを寄せた。

「……レントさん」

「母を喪った後、僕に未来視の能力が発現しました。偶然それに気が付いた僕は、あらゆる人に対して訪れる未来を忠告し、それを回避するよう勧めたのです。結果、僕の能力は知れ渡る事となり、混ざり血でありながらも中央政府に入庁するよう命令が下されました。未来視の能力は極々珍しいものであったがゆえに、僕にはそれなりの地位が与えられることになりました」

 レントの目から涙が溢れ落ち続ける。
 彼は涙を拭うこともなく、空虚な声で言葉を紡ぎ続けた。

「……中央政府で働くようになってから、僕は周囲のエルフから随分な圧力を受けました。人間を孕ませた父への嘲笑、人間である母を貶める言葉、混ざり血である自分を追放しようと動く者達。凄まじい悪意が僕を傷付けた」

「僕は、酷く疎まれていました。何人ものエルフから大量の魔力をぶつけられ、酷く錯乱し、その結果精神の病をも患ってしまった。全身に夥しい数の傷を付けられ、失血で何日も動けなくなる時もあった。この存在を、出自を貶められた。お前は陋劣なのだと繰り返し言われた。僕は、母の後を追い、自らの命を絶ちたくなるほどに追い詰められた」 

「……ひ、どい……」

 リアは口元を押さえた。
 オリヴァーが首を振りそれ以上言わなくて良いと言ったが、レントはなおも続けた。

「オリヴァー様を始め、何人かの善いエルフもいる。でもそれは、ごく少数なのです。大半のエルフは同族以外の種族や混ざり血に対して、今も根深い差別意識を抱いている。純血のエルフであることにプライドを持つ彼等からしたら、いくら珍しい能力を持っていようとも、中央政府の中に混ざり血が存在すること自体が許せなかったのでしょう」

「他種族がエルフと番うとは、こういうことです。こういうことになるのです。ゼルドリック様と番い、子供を持ったとて。リアさん、あなたと生まれてくる子供は大きな重圧に苦しむことになる。ゼルドリック様も例外ではありません。差別はどこにでもあるのです。この話は、中央政府の中だけではない」

 レントは悲痛に揺れる灰の瞳をリアに向けた。

「他種族と番い、魔力溢れる高貴な血をいたずらに薄める選択をしたエルフに対し。そして短い寿命を持ちながらもそれを受け入れた身の程知らずの相手に対し。そしてその罪の象徴である混ざり血の子供に対し、すべてに嘲笑、猜疑、嫌悪の目が向けられる。……リアさん。あなたはそれに耐えられますか?」

 リアはレントの言葉に、ゼルドリックの願いを思い出した。

 ――俺の夢は、家族を作ることなのだ。俺には家族というものが無かった。いつしか愛した女と契りたい。出来れば子供も持って、仲良く暮らしていきたいのだ。俺は、ずっとそんな願いを持ち続けている……。

(ああ、……馬鹿げてる。こんな風に、私の願いが打ち砕かれるなんて)

(私の願いを叶えることはできない……。彼と共に契って、子供を持って、仲良く暮らしていけたらなんて。そんな願いは叶わない……。産まれてくる子供が祝福されないなんて、そんなのは耐えられない……)

 レントの言葉ひとつひとつが、心の中に咲き誇った恋の花をむごく散らしていく。

「リアさん。あなたほど鮮やかな色ではありませんが、僕の母もそれなりに綺麗な赤毛を持っていた。艶のあるレディシュ。働き者で、穏やかで、よく微笑む女性だった。リアさんは母にどこか似ている。リアさんを見ていると母を思い出す。そして、僕の後悔も……」

 レントは手を伸ばしリアの小さな手を握った。優しく労るような白く美しい手。灰色の瞳が縋り付くようにリアを見る。レントは湧き上がる悲しみを吐き出すように口早に喋った。激情を滲ませた声が寒々しい石の部屋に響く。

「僕は母の未来を知ることがなかった。知っていたら、救えたかもしれないのに! だから僕は未来視の能力が発現した時に誓ったのです。悍ましき未来を知ることがあれば、その未来に関わる者たちを助けようと。母によく似たあなたが、僕の友人であるあなたが、狡猾なエルフの手に堕ちその命を蹂躙されようとしている。そんな未来を、誰がそのまま迎えられるだろうか? 僕は放っておくことなんてできない……! 今度こそ救いたい!」

「……レント」

 オリヴァーが沈んだ声を出した。彼が声を震わせる部下の頭を優しく撫でると、レントはなお涙を流した。

「リアさん。どうか、僕の忠告を受け入れて下さい……。もう一度言います。ゼルドリック様に誠意があれば、あなたへとっくに愛の言葉を贈っているはずだ。それをしないということは、リアさん、ゼルドリック様はあなたを食い物にしているということです……。エルフに叶わぬ恋をして自らを滅ぼす女性は、僕の母でもう充分です。もう繰り返したくない……。僕の大切な人が喪われるのを、見たくない……」

 そう言った後レントは顔を覆い、とうとう泣き沈んでしまった。リアは呆然とレントの言葉を頭の中で反芻した。

「……レント、もう良い。……もう休め」

 オリヴァーがそっとレントを椅子から立たせ退室させた。寒々しい石造りの部屋には、リアとオリヴァーの二人だけが残された。

「綿毛女。平気か?」

「ふふっ……馬鹿、みたい……」

 リアは泣き、そして笑った。おかしくて仕方がなかった。

(ゼルのことが分からない。全部分からなくなっちゃった……)

 自分を苦しめ続けた熱。それがゼルドリックによるものだったなんて。
 彼が犯罪に手を染めていただなんて。あんな悍ましい未来が待ち受けているだなんて。

 そうだ。彼は一度も自分に好きだとは言ってくれなかったのだ。

 オリヴァーの言う通り、ゼルドリックは自分の身体に魔力を満たして、何かをしようとしているのかもしれない。

 そしてそこに、きっと自分の求める愛はないのだ。ゼルドリックは手頃な女として、自分を選んだだけなのだ。自分がゼルドリックを求めても、ゼルドリックといくら対話しようとしても、この恋は叶わない。

 ゼルドリックと共にいれば破滅が訪れる。
 自分も、ゼルドリックも、その子供も、両親も、マルティンも、はずれの村の住民たちも皆死んでしまう。

 そんな未来を、迎えたくない。
 この恋を諦めるしかない。
 彼とは、もう会えない。

 ――リア。

 優しい微笑み。恋い焦がれているダークエルフの姿が鮮明に思い浮かぶ。
 オリヴァーとレントからゼルドリックの所業を聞いても、それでも、リアは彼が好きで仕方なかった。

「くるしい……」

 リアが思わずそう口から溢すと、オリヴァーは唇を噛み、そしてリアの背を優しく摩った。

「…………一度にたくさん話して済まなかったな。落ち着くまで休め」

 オリヴァーはそう言い残し、部屋を後にした。

 リアは誰もいなくなった石造りの部屋で、声を出して泣き続けた。
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