68 / 80
Extra.糸の魔術師
Ex3.糸で繋がる
しおりを挟む
それからリアは親友であるマイムの言葉を胸に、ゼルドリックとの約束を胸に、必死で努力をし続けた。
マイムを守れなかった悔しさは日毎に強くなる。リアは焦燥感の中、血の滲むような思いをしながらひたすら鍛錬に励んだ。中央政府より下される任務は、危険なものであっても全て成功させてみせた。
背の低いエルフらしからぬ外見。しかし熱心かつ厳格であり、魔力操作術に特に秀でた役人。北部の誇り、オフィーリア=オルフィアンの名は若くして注目を集めた。
そして二年間の時が過ぎたのち、リアは各地の視察と汚職調査等を行う行政部へと配属されることになった。
(行政部。各地の視察か……。かつてゼルが行っていた仕事を私がやることになるとは)
かつての高慢なダークエルフの役人の姿を思い出し、リアは口角を上げた。
(今度は私が役人としてあちこちの町や村に行くのね。それはそれで楽しそうだけれど、高慢な振る舞いをしないように心掛けなくてはね)
リアは思考しながら、行政部の第二課を目指して中央政府の長い廊下を歩き続けた。
(はあ、まさか私がエルフになるなんて。何だかとても不思議なことのような気がする。記憶を取り戻してからは特にそう感じるわ。この中央政府の制服だって未だに着慣れない。そして、私の指から伸びるこの糸は一体何なのかしら?)
リアは目を凝らして自分の手を見つめた。その手には、色とりどりの糸が絡みついている。リアは首を傾げ、まじまじとその糸を見た。
(赤は愛情だって分かったけど、黒や黄や緑や青に白、橙や桃もあるわ。様々な色の糸が私の指から伸びている。この糸たちは、どこへ繋がっているのだろう?)
ふと、リアは一本の黄色い糸に引っ張られた。リアが顔を上げると、そこは目的地である行政部第二課の扉の前だった。
(黄色? ここに、黄色い糸の先があるの?)
リアはエルフ様式の、美しい装飾が施された第二課の扉を見た。こくりと唾を飲み込み、リアは丁寧に第二課の豪奢な扉を叩いた。
「うむ! そこで待たれよ新人! 今、そちらまで行くのでな!!」
快活な、廊下までよく響き渡る大きな声。耳を塞ぎたくなるほどの声量。
リアはその声の持ち主に心当たりがあった。
(まさか、この声は……)
勢いよく扉が開かれる。
リアの前に、若草色のおかっぱ頭を持つエルフの男が笑顔で飛び出してきた。
「会えて嬉しいぞ、北部の新入り! 貴様は非常に仕事熱心な者だと聞く! そのような素晴らしき者をこの第二課に迎えられて何よりだ! 私は緑葉のオリヴァー! オリヴァー=ブラッ――」
オリヴァーは石のように固まった。
そしてゆっくりとゆっくりと顔を下げ、目の前にいる背丈の低い女をまじまじと見つめた。
「お久しぶりです、オリヴァー様」
リアは丁寧なエルフ式の挨拶をしたが、オリヴァーはそれに応えることなくわなわなと身体を震わせた。
「なっ……なっ、なっ……な、ななな、なっ……!?」
オリヴァーは吃った。彼は上手く声が出せないようだった。震える指でリアの顔を指差し、口と細い目を限界まで開いた。
「なっ、き、貴様! なぜここに!? なぜここに!! なぜっ……なぜ!?」
取り乱すオリヴァーに向け、リアは安心させる意味合いを込めて微笑みを向けたが、それはオリヴァーの困惑をより一層強くさせるものだった。
己に突き立てられた指に目を向け、リアは溜息混じりに言った。
「落ち着いて下さい」
「おっ、落ち着けるものか! わっ……わたげっ! なぜここに貴様がいる!? 貴様は天に旅立っただろう! 綿毛女!!」
オリヴァーの大声に周囲のエルフたちが何事かと集まってくる。
リアは彼に向けて淡々と自己紹介をした。
「私は綿毛女ではありません。オフィーリアと申します」
「その返事! やはり綿毛女だな! もしやアンデッドか? 貴様、墓場から蘇ったのか!!」
幽霊は大の苦手なのだとオリヴァーはリアの頭目掛けて不死者祓いの魔法を放った。だがその聖なる白い光は、リアの頭の上でぴかぴかと光っただけだった。リアは頭上に放たれた光の眩しさに目を眇めつつも、頭を輝かせながら再度落ち着くようにオリヴァーに言った。
「私は生きています。不死者祓いの法は効きません」
「う、うそだっ……何もかも同じ!……こ、こんなことが……!!」
オリヴァーは驚愕に震えながら目の前の女を見た。赤い髪と目、そばかす、低い背丈、胸部と臀部の肉付きが良い体型。かつてのライバルであった男の妻であるリアに、目の前のオフィーリアはそっくりだった。
赤い髪から突き出た、白く長い耳にオリヴァーはさっと視線を向けた。
同胞の耳。同族が持つ、尖った長い耳。
リアはその長い耳をひとつ動かし、彼に向けてにやりと笑った。
「あああああああああああああああっ!!」
オリヴァーは驚きから叫び声を上げた。
外にまで響き渡るほどの絶叫。近くの木の枝からばさばさと葉が落ち、鳥が飛び立つ。周囲のエルフたちはびくりと肩を震わせ、急いで耳を塞いだ。オリヴァーの魔力が漏れ出た叫びは、廊下中の窓をがたがたと震わせ、棚から本を落とし、机の上にうず高く積み上げられていた書類の山を崩していく。リアは第二課の扉の向こうで、エルフたちが耳を塞ぎながら、雪崩れてきそうな書類の山を必死に押さえるのを見た。
「来い! どういうことなのか聞かせてもらおうか!!」
リアはオリヴァーにがっしりと両腕を掴まれ、彼専用の広く豪奢な執務室へと連れ込まれた。
「何者だ貴様! 本当に、本当にあの綿毛女なのか! 墓場から生き返ったのか!?」
「生き返ったのではありません。生まれ変わったのです」
「エルフにか!!」
「はい。エルフにです」
何度目かの問いに、リアは疲労からふうと深い息を吐いた。執務室に連れ込まれてからというもの、リアはソファに座らされずっと質問攻めにあっていた。オリヴァーは糸目をかっ開き、リアの顔をまじまじと見た。
「こんなことがあるのか? ハーフドワーフの女がエルフになって戻ってくるなど信じられん……!」
「ええ、こんなことがあるのですね。大いなる奇跡に感謝を」
リアが穏やかな微笑みを浮かべると、オリヴァーは頭を抱えた。
リアがこれ以上どうやって釈明をしようかと悩んでいたその時、執務室の扉が乱暴に叩かれた。ノックの返事も待たず扉が勢いよく開かれる。一人の女が扉を蹴り上げた後、ずかずかとオリヴァーに近づいた。
「おいおっさん、朝からうるせえぞ! あんたの叫び声のせいで書類に珈琲を溢しちまったじゃねえか! あんたはいっつも声がデカすぎんだよ、ちったあ静かにしやがれ! 静かにできねえなら、あたしが弾ブチ込んでやろうか!!」
色とりどりの鋲が打ち込まれた派手な制服がじゃらじゃらと音を立てる。メルローは二丁の魔法銃を構えながらオリヴァーに向かってがなり立てたが、オリヴァーは頭を抱えたままリアを指差した。
「メルロー。緊急事態だ」
「あん? 一体何だってんだ?」
メルローはオリヴァーの指差す方向に顔を向け、そして固まった。
「え」
「こんにちは、メルローちゃん!」
死に別れた親友が、自分に向けて手を振っている。
「おっ、おいおいおいおいおい……何だ!? あたしはおかしくなっちまったのか!? リアちゃんが見える!」
メルローはごしごしと自分の目を擦ったが、何度擦っても見えるものは同じだった。若返った親友が自分の目の前にいて、満面の笑みを向けている。
そしてメルローは、真っ赤な髪から突き出した長い耳を見た。
「久しぶりね! 私よ、リアよ! この世に戻ってきたわよ!」
リアは横に振る手と連動するように耳をひくりひくりと上下に動かした。メルローは目線を上下に動かしながら、ぼんやりとした様子でその動く耳を見つめた。長い耳。それは目の前の親友が、尖り耳の一族であることをはっきりと示していた。
「はっ……嘘だろ? おいおっさん、何か言えよ……」
メルローは半笑いでオリヴァーを見たが、オリヴァーは難しい顔をしてメルローを見るばかりだった。
――――――――――
その後、事態を飲み込んだメルローに涙ながらに抱き締められたまま、リアは執務室のソファで過ごしていた。慌ただしく部屋を後にしたオリヴァーが、腕に何かを抱えて再び部屋に戻ってくる。
彼の腕の中から、猫の鳴き声が聞こえた。
「いやあ、リア。久しぶりだね。君は北部の誇りと呼ばれているらしいじゃないか? 同郷から優秀な者が出て嬉しいよ」
ミーミスはふわふわとした前足を上げ、リアに向けて挨拶をした。猫はするりとオリヴァーの腕から抜け出し、彼の整頓されていない机の上に飛び乗った。
真っ白い腹に窓から差すぽかぽかとした陽光を当て、ミーミスは紫色の猫目をぱちぱちと瞬いた。
「オリヴァーに大声で呼ばれて何かと思って来てみれば、まさかまた君に出会えるとはね」
「ミーミス様、お久しぶりです。お元気そうで」
リアが丁寧な挨拶をすると、ミーミスは尻尾を振った。
「私たちと同じエルフに生まれ変わって戻ってくるとは。長きを生きてきたが、このような奇跡を目にしたのは初めてだ」
ミーミスはソファに飛び乗り、リアの膝の上で丸まった。
「記憶と姿かたちを引き継いで生まれてくる。何とも不思議なことだ、君はオーレリアの祝福を受けたのだね」
リアはミーミスの言葉に、冥府の河から現れた女神の姿を思い出した。
――仔よ。胸に花を宿した仔よ。
女神の奇怪な声と、神聖さとはかけ離れた冒涜的な、根源的な恐怖が蘇る。リアはそっと契りの薔薇が宿る己の胸に手を当てた。リアのその手に、ミーミスの長い尻尾が柔らかくくっつけられる。
「ふむ、ゼルドリックと交わした契り。あれは魂を縛り付けるものだからね。ゼルドリックがこの世に生きている限り君は別世界には行けない。そういうことなのだろうか?」
ミーミスはさわさわと尻尾でリアの手を撫でながらそう言った。
「契りの薔薇の魔法によって、私は生まれ変わったのですか?」
「ああ、そうかもね。契りの薔薇はいにしえの魔法。そして編み出した者は我々の祖、オーレリアだ。君は、彼女が持つ神秘の力でこの世に呼び戻されたのかもしれない」
(女神、オーレリアが……)
リアは目を閉じた。
――妾は母。闇の太母。全ての命、そして夜の淵源よ。
灰色の肌と冥府の河よりも昏い目の、蜘蛛を思わせる複腕の女神。美しき石膏像とはかけ離れた、怖ろしさを感じさせる姿。
――蜜の集め仔。汝、花を咲かせよ。妾に甘美な蜜を味わわせよ。
金属が擦れ合うような、低音と高温が重なるような異質な声。女神は冥府の河にてそう自分に語りかけた。
あれは果たして祝福だろうか、とリアは思った。
女神から感じたのは深い闇だった。
死、運命、眠り、苦悩、復讐、愛欲、争い、欺瞞、狂気、殺戮、偏執、破滅。
人や闇に見出す怖れや、人が苦しめられる感情の動きというものを、あの女神からは強く感じた。
そして漠然と思う。
女神は己に祝福を与えたのではなく、何かをさせるためにこの世界に自分を送り出したのだろうと。ゼルドリックの祈りに応えたのも、もしかしたら何か目的あってのことだったのではないだろうか……。
「リア?」
ミーミスが黙りこくったリアを見つめ、首を傾げる。
リアは胸にこみ上げた闇を振り払うように誤魔化しの微笑みを浮かべ、女神様に感謝をと呟いた。
「ところでだ、綿毛女」
オリヴァーはひとつ咳払いをし、腕を組みながらリアを見つめた。
「貴様、ゼルドリックの元には戻らんのか? あやつは酷く寂しがっているぞ」
「……あ」
――リア、リア……寂しい、苦しい……。君に会いたい。君のいない世界で生きるのが辛いんだ……。
写真を見て啜り泣く夫の後ろ姿を思い出す。
(……ゼル)
リアは目を潤ませ俯いた。記憶を取り戻してから、彼の抱える大きな悲しみや苦悩が自分の心に流れ込むようになった。リアは胸の痛みを堪え、絞り出すように答えた。
「もちろん戻りたいと思っています。ですが、まだゼルの元へ戻る訳にはいかないのです」
「なぜだ」
「オリヴァー様。私は一年前の……あの襲撃の生き残りです」
その言葉にメルローは息を呑み、オリヴァーは目を見開いた。
「まさか、リアちゃん……!」
「そうか。オフィーリア。オフィーリア=オルフィアン。武勇に優れた北部出身者という評価以外で、どこかで聞いたことがあると思った。三十四人の見習いが殺害されたあの事件。貴様が、あの血塗られた襲撃の唯一の生き残りであったか。……辛い目に遭ったのだな」
オリヴァーは沈痛を堪えるような顔をリアに向けた。
「私はあの襲撃で親友を喪いました。南部の主席、ハーフオークのマイム。強くて、優しくて、穏やかで……。善き魔術師でした。ですが、私が弱いせいで彼を死なせてしまった。私はあの襲撃の日、強くなくては大切な者を守れないのだと痛感したのです」
かつて自分を「フー」と呼んだ彼の朗らかな声を思い出し、リアは涙をひとつ流した。
杭を打ち込まれ、血の海に沈むマイム。
そしてその姿は、段々愛しい夫へと変わりゆく。
絶命したマイム、赤に染まるゼルドリックの姿。
それが、リアを酷く苦しませる。
リアの背が震えていることに気が付いたメルローは、小さな背をそっと摩った。
「もう死なせたくない。大切な者を、愛する者を絶対に死なせたくない。ですから決めました、誰よりも強くなると。ゼルを見守りつつ、彼が私と出会った歳……百二十七まではひたすら力を磨き続けようと。ゼルに追いつきたい。ゼルを追い越したい……!」
「帰ってきたと伝えればゼルは喜ぶでしょう。ですが、私が中央政府の役人として危険な任務に就いていると知ったら、彼はそれを許さない。首に着けられた罪人の枷を取り外してまで、私を手元に置こうとするでしょう。私は、ゼルを再び罪人にはしたくありません」
はずれの村で暮らし始めてから、ゼルドリックは中央政府で働いていた時のことをリアや子供たちに殆ど話すことはなかった。リアにとってそれは、暗闇から妻と子を遠ざける行為のように思えた。
諜報や暗殺などの薄暗い任務に関わり続けたゼルドリックは、中央政府の暗部をよく知っている。己の夫はその暗闇に妻が飲み込まれることのないようにと、絶対に自分を縛り付けておくだろうとリアは考えた。
「ミーミス様やオリヴァー様が手を回してくださっているとはいえ、上層部が今も駒であったゼルを捜し回っているかもしれない。あるいは恨みを買っている彼のもとに、いつか刺客が放たれる可能性があるかもしれない。その時、魔力を操れないゼルは急襲に応戦できず命を落とすかもしれない……。そう考えて、私は怖くて仕方がなくなるのです」
「リアちゃん……」
メルローに頭を撫でられながら、リアは涙を流し、言葉を続けた。
「今の私は弱い。強くなるまでは、愛する家族を守る力を得るまでは、決して彼のもとには戻れません」
(そうでしょう、マイム。強くなくては誰も守れないの)
――『誰よりも強くあれ』
親友の言葉が、蘇る。
「そうか。綿毛女、貴様の考えは分かった」
オリヴァーは少しの沈黙の後、ふうっと息を吐いた。
「確かに、円卓はまだゼルドリックを追い続けている。正常な精神と魔力を失ったという報告は偽りで、本当はゼルドリックがまだ使えるのではないかと疑っている」
「……!」
「あやつほど優秀な駒もいなかった。円卓は苛々しているよ、ゼルドリックほど使い勝手の良い駒が見つからなくてな。特に近頃は危険な任務も多い。数多くの同胞が命を落としている」
「崖、白波、機工、熱砂の国との国交は回復したとはいえ、他の国とは依然緊張状態が続く。エルフが他国の者の襲撃を受け殺されることは珍しくない。齢七十を超える同胞も、以前と比べて少なくなった。中央政府は人手不足だ……」
「…………」
「ミーミス様が施した強力な幻惑術と遮蔽魔術でゼルドリックを匿っているとはいえ、あやつのもとに円卓の息の掛かった者が現れないとは言い切れん。あやつを守る力が欲しい、強くなりたいという貴様の願いは理解できる」
「うむ、そうだね」
ミーミスはリアの膝から下り変化を解いた。全裸の美女がリアの隣に現れる。リアがぽっと顔を赤らめると、ミーミスは可笑しそうに笑ってソファの上に寝転がった。
「ねえ、オリヴァー。リアの師になってやりなよ」
「先生?」
「君なら適任だろう、行政部第二課の責任者。リアのこれからの上司でもあるし、植物操作魔術にも優れる。そして何よりも、君は魔力探知の天才だ」
「先生ッ!!」
尊敬する師から天才と言われたのが嬉しかったらしく、オリヴァーは顔を輝かせながらつやつやとしたおかっぱ頭を掻いた。若草色のおかっぱ頭から突き出した耳が、興奮を伝えるようにひくひくと上下に動く。
「ふふ。リアをゼルドリックよりも強く強く鍛え上げてやったら、彼はどんな反応をするだろうね? 愛しの妻がエルフになって、しかも自分よりも強くなって帰ってきた。彼は相当びっくりするだろうね」
オリヴァーの長い耳がぴくりと動く。ミーミスは面白そうに呟いた。
「ねえ、オリヴァー。彼に勝ち逃げされたことが悔しいと君は言ったね。君が師として弟子であるリアをゼルドリックより強く育て上げることが出来たなら、それは、君がゼルドリックに勝ったのと同じではないかな……?」
「……っ!!」
オリヴァーは耳をひくつかせながら緑色の目を爛々と輝かせた。
「へー、何か面白そうじゃん! あたしもリアちゃんの師に立候補するよ! 化け術ならあたしに任しな!」
メルローはにやりと笑った。
「あいつをびっくりさせてやろうぜ! あのダークエルフの鼻を明かしてやりてえ!」
「ああ。綿毛女、貴様の師になってやろう! このオリヴァーに任せろ! 貴様をどこまでも鍛え上げてやるぞ!!」
「ふふ、やる気になったようで何よりだ。リア、私も任務の間を縫って君に遮蔽魔術を教えてやろう」
リアは三人のエルフの顔を見て、目を潤ませた。
「あ、ありがとう……ありがとうございます。私頑張ります、絶対にゼルよりも強くなります!」
リアは自分の手を見つめた。
指から伸びる黄色い糸は、それぞれオリヴァー、メルロー、ミーミスへと繋がっている。金糸雀の尾のような美しい黄色い糸に、リアは親しみの籠もった息を吐いた。
(ああ、そうか……)
リアは三人への感謝を胸に、目を瞑った。
(オリヴァー様、メルローちゃん、そしてミーミス様。黄色い糸はきっと友情を表しているんだ。この糸の先にいる人たちは、私を見守り、そして支えになってくれる……)
リアは彼らに向けて微笑んだ。
そうして、リアは行政部第二課所属の役人として働きつつも、三人の素晴らしきエルフたちから教えを受ける日々を送った。
「リアちゃん、駄目だ! 首から下は上手く鶏に化けてるけど、顔だけリアちゃんになってんぞ!!」
「ええ、何でよもう……! 化け術って本当に難しいなあ……」
「文句言わない! ゼルドリックのおっさんの間抜け面を見たいんだろ? 口をあんぐりと開けるところを見たいんだろ!?」
「見たいっ!!」
「良い返事だ! 人に化けられるまで頑張りな!」
リアは苦手な化け術の習得に随分と苦労をしたが、メルローの激励と指導を受け、何とか動物に化けられるようになった。
そして鳥に化けては時折はずれの村を訪ね、空からゼルドリックの姿を見守った。
自分の墓石を磨き、啜り泣く夫の姿を見てリアは鳥の身体で涙を流した。ゼルドリックが抱える切なく、どうしようもない悲しみが、契りの薔薇の蔓を伝って自分の魂と共鳴する。
(ゼル……ゼル。寂しい思いをさせてごめんね。私は必ず、あなたを守り通せる力を身につけるから……)
リアは任務に励みながらも、必死に自分の力を磨き続けた。そして一日の終わりには遠見の水晶球を使い、ゼルドリックと五人の子供たちの様子を確認するのだった。
ゼルドリックと子供たちへ、自分の指から橙の糸が伸びている。
オレンジ色は家族を表す色なのだろうかとひとりごちて、リアは己の小さな手をぼんやりと見つめた。
――――――――――
ある日、リアは黄色い糸の一本を辿ってある男のもとへ足を運んだ。
「アンジェロ様、お久しぶりです」
緑の国、首都正門。
帰国したばかりの外交官を出迎え、リアは優しく彼に向けて礼をした。
アンジェロは瞬きをひとつした後、平坦な声でリアに挨拶をした。ミルクティー色の波打つ髪、細く長い首、無表情、平坦な声。リアはそれらに強い懐かしさを感じた。
「オリヴァー様から話を聞いた時はまさかと驚いたが、真だったか」
アンジェロは風に揺れるふわふわとした赤い髪と、その髪から突き出た長い耳を見て微笑んだ。
「オフィーリア=オルフィアン。今までと変わらず、リローラン殿とお呼びしても?」
「勿論です」
「ありがとう。リローラン殿、互いに積もる話もあるだろう。私と話さないか?」
アンジェロの誘いに、リアは笑顔で頷いた。
ファティアナが好んだベリータルトを出す菓子店に寄り、二人はゆったりと会話を重ねた。
外交官として諸国を巡るアンジェロからは役人としての貫禄が滲み出ている。彼の口からは様々な異国の話が飛び出した。リアは目を輝かせ、彼が歩んできた大冒険の話に相槌を打った。
「リローラン殿、マルティンは大往生したよ。彼は今、白波の国の地にて安らかに眠っている」
リアは弟の話に静かに耳を傾けた。アンジェロは懐かしいものを思い出すように目を細めた。
「白波の国。青く澄んだ海、暖かな陽と美味い海の幸、そして多くのレモンの樹が植わったとても素晴らしい国だ。初めて訪れた際、そこの王に烏賊の墨に塗れた真っ黒な麺を出されてな。初めて見た時は驚いたが中々美味なものだった」
友と訪ねた美しい国を思い出し、アンジェロは柔らかく口角を上げた。
「白波の国は海賊に苦しめられていてな。緑の国との国交を回復させる上では、その海賊をどうにかしなければならなかった。マルティンは軍や漁民たちと共に果敢に戦い、奴らを追い払ったのだ。彼は白波の国の英雄だ。子は遺さなかったが、姓を持たぬ何人かの漁民が名誉あるベアクローの名を引き継いだ」
(マル……。本当に? あなた頑張ったのね。異国の英雄にまでなるなんて! 本当に、凄いことだわ……)
旅に憧れはずれの村を出ていった弟。マルティンの活躍を聞いてリアは感動に涙を流した。たっぷりとした眉と長い髭を持つ心優しい弟は、天から姉を見守ってくれているだろうかとリアは思った。
(……?)
ふと、指に括り付けられた糸が震えた気がした。
リアが目を凝らして糸を見ると、それは橙が混じったまだらな白の糸だった。
(橙の糸は家族の糸。もしかして……)
まだらな色の糸は三本あった。それは真っ直ぐに天へと伸びている。弟であるマルティン、人間の父、ドワーフの母。リアは彼らに思い当たり、そして目頭を押さえた。
白い糸はおそらく死者との繋がりで、リアは死に別れた家族たちと今も繋がっていることを心から嬉しく思った。
涙を流すリアに布を差し出し、アンジェロは天を見上げた。
「命は廻ると聞く。あなたほどすぐには戻ってこないかもしれないが、それでも何百年か、あるいは何千年後かに、彼も生まれ変わってくるかもしれないな。その時はまた、マルティンと一緒に旅をするつもりだ」
アンジェロは青空を見上げながら朗らかに笑った。
友を懐かしむような彼の笑みに、リアは泣きながらも笑みを返した。
マイムを守れなかった悔しさは日毎に強くなる。リアは焦燥感の中、血の滲むような思いをしながらひたすら鍛錬に励んだ。中央政府より下される任務は、危険なものであっても全て成功させてみせた。
背の低いエルフらしからぬ外見。しかし熱心かつ厳格であり、魔力操作術に特に秀でた役人。北部の誇り、オフィーリア=オルフィアンの名は若くして注目を集めた。
そして二年間の時が過ぎたのち、リアは各地の視察と汚職調査等を行う行政部へと配属されることになった。
(行政部。各地の視察か……。かつてゼルが行っていた仕事を私がやることになるとは)
かつての高慢なダークエルフの役人の姿を思い出し、リアは口角を上げた。
(今度は私が役人としてあちこちの町や村に行くのね。それはそれで楽しそうだけれど、高慢な振る舞いをしないように心掛けなくてはね)
リアは思考しながら、行政部の第二課を目指して中央政府の長い廊下を歩き続けた。
(はあ、まさか私がエルフになるなんて。何だかとても不思議なことのような気がする。記憶を取り戻してからは特にそう感じるわ。この中央政府の制服だって未だに着慣れない。そして、私の指から伸びるこの糸は一体何なのかしら?)
リアは目を凝らして自分の手を見つめた。その手には、色とりどりの糸が絡みついている。リアは首を傾げ、まじまじとその糸を見た。
(赤は愛情だって分かったけど、黒や黄や緑や青に白、橙や桃もあるわ。様々な色の糸が私の指から伸びている。この糸たちは、どこへ繋がっているのだろう?)
ふと、リアは一本の黄色い糸に引っ張られた。リアが顔を上げると、そこは目的地である行政部第二課の扉の前だった。
(黄色? ここに、黄色い糸の先があるの?)
リアはエルフ様式の、美しい装飾が施された第二課の扉を見た。こくりと唾を飲み込み、リアは丁寧に第二課の豪奢な扉を叩いた。
「うむ! そこで待たれよ新人! 今、そちらまで行くのでな!!」
快活な、廊下までよく響き渡る大きな声。耳を塞ぎたくなるほどの声量。
リアはその声の持ち主に心当たりがあった。
(まさか、この声は……)
勢いよく扉が開かれる。
リアの前に、若草色のおかっぱ頭を持つエルフの男が笑顔で飛び出してきた。
「会えて嬉しいぞ、北部の新入り! 貴様は非常に仕事熱心な者だと聞く! そのような素晴らしき者をこの第二課に迎えられて何よりだ! 私は緑葉のオリヴァー! オリヴァー=ブラッ――」
オリヴァーは石のように固まった。
そしてゆっくりとゆっくりと顔を下げ、目の前にいる背丈の低い女をまじまじと見つめた。
「お久しぶりです、オリヴァー様」
リアは丁寧なエルフ式の挨拶をしたが、オリヴァーはそれに応えることなくわなわなと身体を震わせた。
「なっ……なっ、なっ……な、ななな、なっ……!?」
オリヴァーは吃った。彼は上手く声が出せないようだった。震える指でリアの顔を指差し、口と細い目を限界まで開いた。
「なっ、き、貴様! なぜここに!? なぜここに!! なぜっ……なぜ!?」
取り乱すオリヴァーに向け、リアは安心させる意味合いを込めて微笑みを向けたが、それはオリヴァーの困惑をより一層強くさせるものだった。
己に突き立てられた指に目を向け、リアは溜息混じりに言った。
「落ち着いて下さい」
「おっ、落ち着けるものか! わっ……わたげっ! なぜここに貴様がいる!? 貴様は天に旅立っただろう! 綿毛女!!」
オリヴァーの大声に周囲のエルフたちが何事かと集まってくる。
リアは彼に向けて淡々と自己紹介をした。
「私は綿毛女ではありません。オフィーリアと申します」
「その返事! やはり綿毛女だな! もしやアンデッドか? 貴様、墓場から蘇ったのか!!」
幽霊は大の苦手なのだとオリヴァーはリアの頭目掛けて不死者祓いの魔法を放った。だがその聖なる白い光は、リアの頭の上でぴかぴかと光っただけだった。リアは頭上に放たれた光の眩しさに目を眇めつつも、頭を輝かせながら再度落ち着くようにオリヴァーに言った。
「私は生きています。不死者祓いの法は効きません」
「う、うそだっ……何もかも同じ!……こ、こんなことが……!!」
オリヴァーは驚愕に震えながら目の前の女を見た。赤い髪と目、そばかす、低い背丈、胸部と臀部の肉付きが良い体型。かつてのライバルであった男の妻であるリアに、目の前のオフィーリアはそっくりだった。
赤い髪から突き出た、白く長い耳にオリヴァーはさっと視線を向けた。
同胞の耳。同族が持つ、尖った長い耳。
リアはその長い耳をひとつ動かし、彼に向けてにやりと笑った。
「あああああああああああああああっ!!」
オリヴァーは驚きから叫び声を上げた。
外にまで響き渡るほどの絶叫。近くの木の枝からばさばさと葉が落ち、鳥が飛び立つ。周囲のエルフたちはびくりと肩を震わせ、急いで耳を塞いだ。オリヴァーの魔力が漏れ出た叫びは、廊下中の窓をがたがたと震わせ、棚から本を落とし、机の上にうず高く積み上げられていた書類の山を崩していく。リアは第二課の扉の向こうで、エルフたちが耳を塞ぎながら、雪崩れてきそうな書類の山を必死に押さえるのを見た。
「来い! どういうことなのか聞かせてもらおうか!!」
リアはオリヴァーにがっしりと両腕を掴まれ、彼専用の広く豪奢な執務室へと連れ込まれた。
「何者だ貴様! 本当に、本当にあの綿毛女なのか! 墓場から生き返ったのか!?」
「生き返ったのではありません。生まれ変わったのです」
「エルフにか!!」
「はい。エルフにです」
何度目かの問いに、リアは疲労からふうと深い息を吐いた。執務室に連れ込まれてからというもの、リアはソファに座らされずっと質問攻めにあっていた。オリヴァーは糸目をかっ開き、リアの顔をまじまじと見た。
「こんなことがあるのか? ハーフドワーフの女がエルフになって戻ってくるなど信じられん……!」
「ええ、こんなことがあるのですね。大いなる奇跡に感謝を」
リアが穏やかな微笑みを浮かべると、オリヴァーは頭を抱えた。
リアがこれ以上どうやって釈明をしようかと悩んでいたその時、執務室の扉が乱暴に叩かれた。ノックの返事も待たず扉が勢いよく開かれる。一人の女が扉を蹴り上げた後、ずかずかとオリヴァーに近づいた。
「おいおっさん、朝からうるせえぞ! あんたの叫び声のせいで書類に珈琲を溢しちまったじゃねえか! あんたはいっつも声がデカすぎんだよ、ちったあ静かにしやがれ! 静かにできねえなら、あたしが弾ブチ込んでやろうか!!」
色とりどりの鋲が打ち込まれた派手な制服がじゃらじゃらと音を立てる。メルローは二丁の魔法銃を構えながらオリヴァーに向かってがなり立てたが、オリヴァーは頭を抱えたままリアを指差した。
「メルロー。緊急事態だ」
「あん? 一体何だってんだ?」
メルローはオリヴァーの指差す方向に顔を向け、そして固まった。
「え」
「こんにちは、メルローちゃん!」
死に別れた親友が、自分に向けて手を振っている。
「おっ、おいおいおいおいおい……何だ!? あたしはおかしくなっちまったのか!? リアちゃんが見える!」
メルローはごしごしと自分の目を擦ったが、何度擦っても見えるものは同じだった。若返った親友が自分の目の前にいて、満面の笑みを向けている。
そしてメルローは、真っ赤な髪から突き出した長い耳を見た。
「久しぶりね! 私よ、リアよ! この世に戻ってきたわよ!」
リアは横に振る手と連動するように耳をひくりひくりと上下に動かした。メルローは目線を上下に動かしながら、ぼんやりとした様子でその動く耳を見つめた。長い耳。それは目の前の親友が、尖り耳の一族であることをはっきりと示していた。
「はっ……嘘だろ? おいおっさん、何か言えよ……」
メルローは半笑いでオリヴァーを見たが、オリヴァーは難しい顔をしてメルローを見るばかりだった。
――――――――――
その後、事態を飲み込んだメルローに涙ながらに抱き締められたまま、リアは執務室のソファで過ごしていた。慌ただしく部屋を後にしたオリヴァーが、腕に何かを抱えて再び部屋に戻ってくる。
彼の腕の中から、猫の鳴き声が聞こえた。
「いやあ、リア。久しぶりだね。君は北部の誇りと呼ばれているらしいじゃないか? 同郷から優秀な者が出て嬉しいよ」
ミーミスはふわふわとした前足を上げ、リアに向けて挨拶をした。猫はするりとオリヴァーの腕から抜け出し、彼の整頓されていない机の上に飛び乗った。
真っ白い腹に窓から差すぽかぽかとした陽光を当て、ミーミスは紫色の猫目をぱちぱちと瞬いた。
「オリヴァーに大声で呼ばれて何かと思って来てみれば、まさかまた君に出会えるとはね」
「ミーミス様、お久しぶりです。お元気そうで」
リアが丁寧な挨拶をすると、ミーミスは尻尾を振った。
「私たちと同じエルフに生まれ変わって戻ってくるとは。長きを生きてきたが、このような奇跡を目にしたのは初めてだ」
ミーミスはソファに飛び乗り、リアの膝の上で丸まった。
「記憶と姿かたちを引き継いで生まれてくる。何とも不思議なことだ、君はオーレリアの祝福を受けたのだね」
リアはミーミスの言葉に、冥府の河から現れた女神の姿を思い出した。
――仔よ。胸に花を宿した仔よ。
女神の奇怪な声と、神聖さとはかけ離れた冒涜的な、根源的な恐怖が蘇る。リアはそっと契りの薔薇が宿る己の胸に手を当てた。リアのその手に、ミーミスの長い尻尾が柔らかくくっつけられる。
「ふむ、ゼルドリックと交わした契り。あれは魂を縛り付けるものだからね。ゼルドリックがこの世に生きている限り君は別世界には行けない。そういうことなのだろうか?」
ミーミスはさわさわと尻尾でリアの手を撫でながらそう言った。
「契りの薔薇の魔法によって、私は生まれ変わったのですか?」
「ああ、そうかもね。契りの薔薇はいにしえの魔法。そして編み出した者は我々の祖、オーレリアだ。君は、彼女が持つ神秘の力でこの世に呼び戻されたのかもしれない」
(女神、オーレリアが……)
リアは目を閉じた。
――妾は母。闇の太母。全ての命、そして夜の淵源よ。
灰色の肌と冥府の河よりも昏い目の、蜘蛛を思わせる複腕の女神。美しき石膏像とはかけ離れた、怖ろしさを感じさせる姿。
――蜜の集め仔。汝、花を咲かせよ。妾に甘美な蜜を味わわせよ。
金属が擦れ合うような、低音と高温が重なるような異質な声。女神は冥府の河にてそう自分に語りかけた。
あれは果たして祝福だろうか、とリアは思った。
女神から感じたのは深い闇だった。
死、運命、眠り、苦悩、復讐、愛欲、争い、欺瞞、狂気、殺戮、偏執、破滅。
人や闇に見出す怖れや、人が苦しめられる感情の動きというものを、あの女神からは強く感じた。
そして漠然と思う。
女神は己に祝福を与えたのではなく、何かをさせるためにこの世界に自分を送り出したのだろうと。ゼルドリックの祈りに応えたのも、もしかしたら何か目的あってのことだったのではないだろうか……。
「リア?」
ミーミスが黙りこくったリアを見つめ、首を傾げる。
リアは胸にこみ上げた闇を振り払うように誤魔化しの微笑みを浮かべ、女神様に感謝をと呟いた。
「ところでだ、綿毛女」
オリヴァーはひとつ咳払いをし、腕を組みながらリアを見つめた。
「貴様、ゼルドリックの元には戻らんのか? あやつは酷く寂しがっているぞ」
「……あ」
――リア、リア……寂しい、苦しい……。君に会いたい。君のいない世界で生きるのが辛いんだ……。
写真を見て啜り泣く夫の後ろ姿を思い出す。
(……ゼル)
リアは目を潤ませ俯いた。記憶を取り戻してから、彼の抱える大きな悲しみや苦悩が自分の心に流れ込むようになった。リアは胸の痛みを堪え、絞り出すように答えた。
「もちろん戻りたいと思っています。ですが、まだゼルの元へ戻る訳にはいかないのです」
「なぜだ」
「オリヴァー様。私は一年前の……あの襲撃の生き残りです」
その言葉にメルローは息を呑み、オリヴァーは目を見開いた。
「まさか、リアちゃん……!」
「そうか。オフィーリア。オフィーリア=オルフィアン。武勇に優れた北部出身者という評価以外で、どこかで聞いたことがあると思った。三十四人の見習いが殺害されたあの事件。貴様が、あの血塗られた襲撃の唯一の生き残りであったか。……辛い目に遭ったのだな」
オリヴァーは沈痛を堪えるような顔をリアに向けた。
「私はあの襲撃で親友を喪いました。南部の主席、ハーフオークのマイム。強くて、優しくて、穏やかで……。善き魔術師でした。ですが、私が弱いせいで彼を死なせてしまった。私はあの襲撃の日、強くなくては大切な者を守れないのだと痛感したのです」
かつて自分を「フー」と呼んだ彼の朗らかな声を思い出し、リアは涙をひとつ流した。
杭を打ち込まれ、血の海に沈むマイム。
そしてその姿は、段々愛しい夫へと変わりゆく。
絶命したマイム、赤に染まるゼルドリックの姿。
それが、リアを酷く苦しませる。
リアの背が震えていることに気が付いたメルローは、小さな背をそっと摩った。
「もう死なせたくない。大切な者を、愛する者を絶対に死なせたくない。ですから決めました、誰よりも強くなると。ゼルを見守りつつ、彼が私と出会った歳……百二十七まではひたすら力を磨き続けようと。ゼルに追いつきたい。ゼルを追い越したい……!」
「帰ってきたと伝えればゼルは喜ぶでしょう。ですが、私が中央政府の役人として危険な任務に就いていると知ったら、彼はそれを許さない。首に着けられた罪人の枷を取り外してまで、私を手元に置こうとするでしょう。私は、ゼルを再び罪人にはしたくありません」
はずれの村で暮らし始めてから、ゼルドリックは中央政府で働いていた時のことをリアや子供たちに殆ど話すことはなかった。リアにとってそれは、暗闇から妻と子を遠ざける行為のように思えた。
諜報や暗殺などの薄暗い任務に関わり続けたゼルドリックは、中央政府の暗部をよく知っている。己の夫はその暗闇に妻が飲み込まれることのないようにと、絶対に自分を縛り付けておくだろうとリアは考えた。
「ミーミス様やオリヴァー様が手を回してくださっているとはいえ、上層部が今も駒であったゼルを捜し回っているかもしれない。あるいは恨みを買っている彼のもとに、いつか刺客が放たれる可能性があるかもしれない。その時、魔力を操れないゼルは急襲に応戦できず命を落とすかもしれない……。そう考えて、私は怖くて仕方がなくなるのです」
「リアちゃん……」
メルローに頭を撫でられながら、リアは涙を流し、言葉を続けた。
「今の私は弱い。強くなるまでは、愛する家族を守る力を得るまでは、決して彼のもとには戻れません」
(そうでしょう、マイム。強くなくては誰も守れないの)
――『誰よりも強くあれ』
親友の言葉が、蘇る。
「そうか。綿毛女、貴様の考えは分かった」
オリヴァーは少しの沈黙の後、ふうっと息を吐いた。
「確かに、円卓はまだゼルドリックを追い続けている。正常な精神と魔力を失ったという報告は偽りで、本当はゼルドリックがまだ使えるのではないかと疑っている」
「……!」
「あやつほど優秀な駒もいなかった。円卓は苛々しているよ、ゼルドリックほど使い勝手の良い駒が見つからなくてな。特に近頃は危険な任務も多い。数多くの同胞が命を落としている」
「崖、白波、機工、熱砂の国との国交は回復したとはいえ、他の国とは依然緊張状態が続く。エルフが他国の者の襲撃を受け殺されることは珍しくない。齢七十を超える同胞も、以前と比べて少なくなった。中央政府は人手不足だ……」
「…………」
「ミーミス様が施した強力な幻惑術と遮蔽魔術でゼルドリックを匿っているとはいえ、あやつのもとに円卓の息の掛かった者が現れないとは言い切れん。あやつを守る力が欲しい、強くなりたいという貴様の願いは理解できる」
「うむ、そうだね」
ミーミスはリアの膝から下り変化を解いた。全裸の美女がリアの隣に現れる。リアがぽっと顔を赤らめると、ミーミスは可笑しそうに笑ってソファの上に寝転がった。
「ねえ、オリヴァー。リアの師になってやりなよ」
「先生?」
「君なら適任だろう、行政部第二課の責任者。リアのこれからの上司でもあるし、植物操作魔術にも優れる。そして何よりも、君は魔力探知の天才だ」
「先生ッ!!」
尊敬する師から天才と言われたのが嬉しかったらしく、オリヴァーは顔を輝かせながらつやつやとしたおかっぱ頭を掻いた。若草色のおかっぱ頭から突き出した耳が、興奮を伝えるようにひくひくと上下に動く。
「ふふ。リアをゼルドリックよりも強く強く鍛え上げてやったら、彼はどんな反応をするだろうね? 愛しの妻がエルフになって、しかも自分よりも強くなって帰ってきた。彼は相当びっくりするだろうね」
オリヴァーの長い耳がぴくりと動く。ミーミスは面白そうに呟いた。
「ねえ、オリヴァー。彼に勝ち逃げされたことが悔しいと君は言ったね。君が師として弟子であるリアをゼルドリックより強く育て上げることが出来たなら、それは、君がゼルドリックに勝ったのと同じではないかな……?」
「……っ!!」
オリヴァーは耳をひくつかせながら緑色の目を爛々と輝かせた。
「へー、何か面白そうじゃん! あたしもリアちゃんの師に立候補するよ! 化け術ならあたしに任しな!」
メルローはにやりと笑った。
「あいつをびっくりさせてやろうぜ! あのダークエルフの鼻を明かしてやりてえ!」
「ああ。綿毛女、貴様の師になってやろう! このオリヴァーに任せろ! 貴様をどこまでも鍛え上げてやるぞ!!」
「ふふ、やる気になったようで何よりだ。リア、私も任務の間を縫って君に遮蔽魔術を教えてやろう」
リアは三人のエルフの顔を見て、目を潤ませた。
「あ、ありがとう……ありがとうございます。私頑張ります、絶対にゼルよりも強くなります!」
リアは自分の手を見つめた。
指から伸びる黄色い糸は、それぞれオリヴァー、メルロー、ミーミスへと繋がっている。金糸雀の尾のような美しい黄色い糸に、リアは親しみの籠もった息を吐いた。
(ああ、そうか……)
リアは三人への感謝を胸に、目を瞑った。
(オリヴァー様、メルローちゃん、そしてミーミス様。黄色い糸はきっと友情を表しているんだ。この糸の先にいる人たちは、私を見守り、そして支えになってくれる……)
リアは彼らに向けて微笑んだ。
そうして、リアは行政部第二課所属の役人として働きつつも、三人の素晴らしきエルフたちから教えを受ける日々を送った。
「リアちゃん、駄目だ! 首から下は上手く鶏に化けてるけど、顔だけリアちゃんになってんぞ!!」
「ええ、何でよもう……! 化け術って本当に難しいなあ……」
「文句言わない! ゼルドリックのおっさんの間抜け面を見たいんだろ? 口をあんぐりと開けるところを見たいんだろ!?」
「見たいっ!!」
「良い返事だ! 人に化けられるまで頑張りな!」
リアは苦手な化け術の習得に随分と苦労をしたが、メルローの激励と指導を受け、何とか動物に化けられるようになった。
そして鳥に化けては時折はずれの村を訪ね、空からゼルドリックの姿を見守った。
自分の墓石を磨き、啜り泣く夫の姿を見てリアは鳥の身体で涙を流した。ゼルドリックが抱える切なく、どうしようもない悲しみが、契りの薔薇の蔓を伝って自分の魂と共鳴する。
(ゼル……ゼル。寂しい思いをさせてごめんね。私は必ず、あなたを守り通せる力を身につけるから……)
リアは任務に励みながらも、必死に自分の力を磨き続けた。そして一日の終わりには遠見の水晶球を使い、ゼルドリックと五人の子供たちの様子を確認するのだった。
ゼルドリックと子供たちへ、自分の指から橙の糸が伸びている。
オレンジ色は家族を表す色なのだろうかとひとりごちて、リアは己の小さな手をぼんやりと見つめた。
――――――――――
ある日、リアは黄色い糸の一本を辿ってある男のもとへ足を運んだ。
「アンジェロ様、お久しぶりです」
緑の国、首都正門。
帰国したばかりの外交官を出迎え、リアは優しく彼に向けて礼をした。
アンジェロは瞬きをひとつした後、平坦な声でリアに挨拶をした。ミルクティー色の波打つ髪、細く長い首、無表情、平坦な声。リアはそれらに強い懐かしさを感じた。
「オリヴァー様から話を聞いた時はまさかと驚いたが、真だったか」
アンジェロは風に揺れるふわふわとした赤い髪と、その髪から突き出た長い耳を見て微笑んだ。
「オフィーリア=オルフィアン。今までと変わらず、リローラン殿とお呼びしても?」
「勿論です」
「ありがとう。リローラン殿、互いに積もる話もあるだろう。私と話さないか?」
アンジェロの誘いに、リアは笑顔で頷いた。
ファティアナが好んだベリータルトを出す菓子店に寄り、二人はゆったりと会話を重ねた。
外交官として諸国を巡るアンジェロからは役人としての貫禄が滲み出ている。彼の口からは様々な異国の話が飛び出した。リアは目を輝かせ、彼が歩んできた大冒険の話に相槌を打った。
「リローラン殿、マルティンは大往生したよ。彼は今、白波の国の地にて安らかに眠っている」
リアは弟の話に静かに耳を傾けた。アンジェロは懐かしいものを思い出すように目を細めた。
「白波の国。青く澄んだ海、暖かな陽と美味い海の幸、そして多くのレモンの樹が植わったとても素晴らしい国だ。初めて訪れた際、そこの王に烏賊の墨に塗れた真っ黒な麺を出されてな。初めて見た時は驚いたが中々美味なものだった」
友と訪ねた美しい国を思い出し、アンジェロは柔らかく口角を上げた。
「白波の国は海賊に苦しめられていてな。緑の国との国交を回復させる上では、その海賊をどうにかしなければならなかった。マルティンは軍や漁民たちと共に果敢に戦い、奴らを追い払ったのだ。彼は白波の国の英雄だ。子は遺さなかったが、姓を持たぬ何人かの漁民が名誉あるベアクローの名を引き継いだ」
(マル……。本当に? あなた頑張ったのね。異国の英雄にまでなるなんて! 本当に、凄いことだわ……)
旅に憧れはずれの村を出ていった弟。マルティンの活躍を聞いてリアは感動に涙を流した。たっぷりとした眉と長い髭を持つ心優しい弟は、天から姉を見守ってくれているだろうかとリアは思った。
(……?)
ふと、指に括り付けられた糸が震えた気がした。
リアが目を凝らして糸を見ると、それは橙が混じったまだらな白の糸だった。
(橙の糸は家族の糸。もしかして……)
まだらな色の糸は三本あった。それは真っ直ぐに天へと伸びている。弟であるマルティン、人間の父、ドワーフの母。リアは彼らに思い当たり、そして目頭を押さえた。
白い糸はおそらく死者との繋がりで、リアは死に別れた家族たちと今も繋がっていることを心から嬉しく思った。
涙を流すリアに布を差し出し、アンジェロは天を見上げた。
「命は廻ると聞く。あなたほどすぐには戻ってこないかもしれないが、それでも何百年か、あるいは何千年後かに、彼も生まれ変わってくるかもしれないな。その時はまた、マルティンと一緒に旅をするつもりだ」
アンジェロは青空を見上げながら朗らかに笑った。
友を懐かしむような彼の笑みに、リアは泣きながらも笑みを返した。
0
あなたにおすすめの小説
ホストな彼と別れようとしたお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレ男子に捕まるお話です。
あるいは最終的にお互いに溺れていくお話です。
御都合主義のハッピーエンドのSSです。
小説家になろう様でも投稿しています。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日7時•19時に更新予定です。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
【全16話+後日談5話:日月水金20:00更新】
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる