リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

文字の大きさ
上 下
77 / 80
After.花図鑑

Aft7.赤薔薇 ★

しおりを挟む
 窓から射し込む薄明かりに誘われるようにして、リアはゆっくりと目を覚ました。
 ぼんやりとした目で壁掛け時計に目を遣るとちょうど朝の四時で、リアは己の体内時計の正確さに笑い声を漏らした。エルフに生まれ変わったとしても、朝四時に起きるという生活習慣は変わらない。登庁までにあれをしなければ、これをしなければと素早く思考を巡らせつつ、リアはぼやける目を擦った。

(……寒い)

 早朝の冷え切った空気にリアは小さく身震いをした。秋が深まるにつれ寒さは厳しいものとなっていき、寝室は肌を刺すような冷気で満たされている。隣で寝ている夫が風邪でも引いたら堪らないと、リアは魔法で部屋を暖めようとした。

 起き上がろうとしたその時、リアは黒い腕に強く抱き寄せられた。

「リア」

 低く掠れた声が耳元に落ちる。リアは夫のさらさらとした黒髪を梳きながら、小さな声で話しかけた。

「ごめんなさい、起こしてしまった?」

「いや、君が起きる前から起きていたよ。……それにしても寒いな」

 リアの小さな身体が、ゼルドリックの大きな身体にぎゅうと抱きしめられる。
 体温が高くしっとりとした肌に包まれ、リアは冷えた身体が温められていくのを感じた。
 ゼルドリックはリアの背中に手を這わせつつ、豊かな胸に顔を埋めた。ぬくいと呟きながら自分の胸に顔を押し付ける夫に、リアはくすくすと笑い声を上げた。

「甘えたいの?」

「ああ」

 愛しい妻の体温を確かめるように、ゼルドリックの手がゆっくりとリアの肌の上を這う。優しくも逃れられないような力で抱きしめられ、リアはそっと身を捩らせた。

「ねえゼル。まず火をつけさせてちょうだい。あなたが風邪を引いたら大変だから」

「いやだ」

 ゼルドリックは即答し、リアをなお強く抱きしめた。

「ちょっと……ゼル」

 ゼルドリックはリアを優しく仰向けに寝かせ、ふわふわとした赤い髪を撫でながら掠れた声でまだここにいようと囁いた。ゼルドリックの顔が落ちてくる。甘く蕩けた表情には何か訴えかけてくるものがあって、リアはぱちりと目を瞬かせ夫の顔をじっと見つめた。

「あなた……。もしかして、したいと思ってる?」

 ゼルドリックは何も言わず微笑んだ。
 リアは眉を寄せ、ゼルドリックの高い鷲鼻をちょんとつついた。

「はあ、まさか今日も起き抜けに求められるとは思ってなかったわ。昨日あれだけしたのに!」

「悪いな。でも君に触れていないとおかしくなりそうなんだ。なあリア、炎の魔法はいいから洗浄魔法をかけてくれ」

 契りの薔薇を介してリアの胸に甘い甘い痺れが走る。

 したい、触れたい、好き、大好き、愛している。
 薔薇が伝えてくるゼルドリックの想いに、リアは苦笑しながらも目を潤ませた。

「あはは……ずるいわね、ゼル。まだご飯も食べてないし、朝は忙しいから駄目って言おうとしたのに。こんなに強く愛されたら文句も言えないわ」

 薄暗い部屋の中できらきらと輝く青い瞳には、はっきりとしたリアへの情欲が宿っている。ゼルドリックの黒い手に優しく乳房を捏ねられ、リアは色を含んだ声で囁いた。

「ふふっ、性欲旺盛なあなたに付き合えるのは私だけね?」

「君を満足させられるのも俺だけだ。なあ、俺の胸にも伝わってるぞ? 君もしたいと思ってるって」

「……ええ、そうね」

 リアの肌の上にはゼルドリックが散らした赤い花びらがびっしりと付いている。
 そしてゼルドリックの黒い肌の上にもまた、リアによる鬱血痕が大量に付いていた。

 リアは夫の胸に咲かせた花びらを愛おしそうに撫でながら、彼と自分の身体に洗浄の魔法を施した。
 体液で汚れたお互いの身体が魔法で清められていき、リアの内に放たれた大量の子種も消えていく。それが寂しいと思いながらも、リアは口角を上げた。

(また何度でも王子様に注いでもらえばいいのだわ)

 起き抜けに睦み合うのはいつものことだった。最初は仕事に響くから一回だけという約束だったのに、今では何度も何度も身体を重ね合わせている。今まで会えなかった時間を埋めるように、二人の朝の触れ合いは回数を増していった。

 リアはゼルドリックの背に腕を回し、甘く柔らかな声で誘惑した。

「来て、王子様。今日も私にあなたを刻みつけて」

 ゼルドリックは微笑むリアを嬉しそうに見つめ、妻の小さな手に指を絡ませた。

「リア。俺の愛しい姫君……」

 ゼルドリックの唇がリアの肌に落とされる。
 リアは目を閉じ、夫の体温にゆっくりと溺れていった。


 ――――――――――


 ゼルドリックには長年の習慣があった。

 きっかり朝の四時に目を覚まし、壁に貼られた家族の写真を一枚一枚眺めながら身支度を整え、珈琲を飲んだ後に外に出る。妻の墓石を隅々まで磨き、墓の傍らに植えた赤い薔薇の世話をする。その後は鍛冶場の手入れをし、青銅製の看板を丁寧に磨き、畑の野菜に水をやる。

 それがリアを喪ってからの、ゼルドリックの朝の儀式だった。

 妻の帰還を待ち続けるために、せめて規則正しく健やかに過ごそうと決めたゼルドリックが己に課した制約だったが、彼はこの朝の儀式を行う度に心が拉げるような思いをした。

 朝、リアが隣にいないことが耐えきれなかった。
 彼女の墓石を見る度、愛おしい妻の喪失をはっきりと感じて後を追いたくなった。

 子どもたちの存在とリアとの約束がゼルドリックを引き止めたが、彼はリアを喪ってから喜びらしい喜びを感じたことがなかった。
 ゼルドリックは寂しさを振り払うように町長の仕事に精を出した。しかし食欲が湧かず、彼の屈強な身体からはどんどんと筋肉が失われていった。

 背が高く、痩せぎすで真面目な男。
 仕事熱心だが、どこか無気力で寂しそうに過ごす男。
 それがゼルドリックに対する町民からの評価だった。



 リアの帰還からおよそ三ヶ月。
 ゼルドリックの朝の儀式は形を変えた。


 起き抜けにリアとたっぷり触れ合った後は、大盛りのパンとスープを平らげしっかりと腹を満たす。
 リアと会話をしながら、腹ごなしに高台をゆっくりと散歩する。
 時には共に薔薇の剪定をしたり、鍛冶場で道具を作るリアを見守ったり、墓石を磨きながら過去の思い出話に花を咲かせる。
 あるいは中央政府の役人として働くリアと戦闘訓練をしたり、筋肉をつけるためにひたすら身体を鍛える。

 辛かった朝の訪れは、リアが戻ってきてからどこまでも愛おしい時間へと変わった。
 ゼルドリックはいつも朝早くに役場で仕事をしていたが、リアを迎えてからはできるだけ彼女と共に過ごしたいと、始業時刻ぎりぎりに役場を訪れるようになった。


 ゼルドリックは冷たい秋風が吹く中、役場までの道を大急ぎで駆けた。リアとの思い出が詰まった噴水を見遣り、幸せそうな顔をしながら役場に駆け込む。息を荒げながら滑り込んできた町長に、役場の者達は面白そうな視線を向けた。

「はあっ、危なかった! 何とか間に合ったな」

 ゼルドリックが苦笑いしながら椅子に座ると、顔馴染みの青年が茶を持ってきた。

「おはようございます、町長」

「ああ、おはよう」

「始業まであと少しですよ! そのうち遅刻するんじゃないかってはらはらします」

「くくっ、俺もそれが怖い。遅刻したら役場の奴らに怒られるからな」

 青年は幸せそうに微笑むゼルドリックを見つめた。

 ゼルドリックが着ている紺色のシャツからは、太い腕の線がはっきりと見える。薄かった肩や腹も厚みを増しており、青年は町長がこんなに筋肉質な男だったかと首を傾げた。
 何だかまた大きくなりましたねと青年が呟くと、ゼルドリックは得意そうに唇の片端を上げた。

「そうだろう? しっかり食ってしっかり鍛えているからな! 元の体型に戻るために頑張っているのだ」

「昔は逞しかったんでしたっけ? 僕は痩せた町長しか見たことがないから何だか不思議な感じがしますが……もう充分筋肉がついたのでは?」

「いいや、まだだ。以前の俺はこんなものではなかった! 腕だってこの二倍は太かったのだぞ」

 もっと鍛えなければと呟くゼルドリックに、青年は随分と熱心ですねと苦笑いをした。

「いざという時に家族を守れるようにできるだけ鍛えておきたいのだ。それにリア……戻ってきた妻に格好良いところを見せたいからな」

 ゼルドリックは白い歯を出して朗らかに笑った。彼は青年が差し出した茶に口を付けながら、そわそわとした様子で仕事に取り組み始めた。ゼルドリックの中には、大量の仕事を片付けて一刻も早くリアに会いたいという気持ちしかなかった。

 役場で働く女たちはゼルドリックを見てひそひそと話をした。

「……ねえ、町長ったら段々と太っていってるわよね? お昼もすごい量のご飯を食べてるし……」

「ちょっと、あれは太ったんじゃないわ。筋肉で盛り上がってるのよ! 見てあの腕、丸太みたい!」

「今日も顔がにやけてるわ。きっと奥さんのことを考えてるのね」

「本っ当、幸せそうね」

 ゼルドリックが迎えた後妻は町民の噂の種だった。町民たちは馴染みのエルフの変わりように驚きつつも、明るい顔をするようになったゼルドリックを見てほっとした気持ちを抱いた。

 パルシファーの綿毛のような赤い髪を持つエルフの女。彼女は長年を共に過ごした夫婦のようにゼルドリックと仲が良く、そしてこの町にも詳しかった。後妻オフィーリアは町の住民に喜んで迎え入れられすぐに馴染んだ。

 痩せぎすでどこか無気力な男だったゼルドリックは、妻を迎えてから気力漲る男に変わった。彼は周囲に、死に別れた妻が同族に生まれ変わって戻ってきたのだと言ったが、ゼルドリックの言葉を信じる者は殆どいなかった。

 ゼルドリックの身体は日々屈強なものへと変わっていく。
 彼のはちきれそうなシャツを見て、役場の者たちはそっと笑った。


 ――――――――――


 陽は沈み、物静かな秋の夜が訪れる。夜鳥が美しい鳴き声を上げる頃になってもリアは帰ってこなかった。ゼルドリックは暖炉に薪を焚べながら、早く愛しの妻が帰ってくるようにと願った。
 テーブルにはゼルドリックが作った豪華な料理が並べられている。リアが好むココアとチーズもしっかりと用意し、彼は妻を迎えるための完璧な準備をした。

「……ああ、遅い。まだか? まだなのか? せっかく早く仕事を片付けて、君の好きなものばかり用意したのに! 君が帰ってこなければ何にもならないではないか!」

 ぱちぱちと爆ぜる暖炉の火を見つめながら、ゼルドリックは切なげに息を吐いた。

「夜は特に冷える。リアが寒い思いをしていなければいいが……。くそ、オリヴァーめ。リアの仕事量に気を遣えとあやつにしつこく言ってやらないと! 俺がどれだけリアのことを心配しているか分かっているだろうに!」

「はあ……リア。本当は君を中央政府なんかに行かせたくない。ずっと俺の傍にいてほしい! 君は強いから危険な任務ばかり任されているのだろう? ……怖いのだ、怖くて堪らない。君をまた喪ったらどうしよう、帰ってこなかったらどうしようと……そんなことばかり考えてしまう」

 何よりも大切な妻が死ぬ想像をし、ゼルドリックは胸が酷く軋むのを感じた。

「っ……。君がいないと不安でおかしくなりそうになる」

 ゼルドリックはふらふらと椅子に座り込み、痛む胸を押さえた。

(……駄目だ)

 老いて動けなくなったリア。暗い地下牢の中で自死を試みるリア。痩せ細り死を待つだけのリア。
 横たわるリアの姿が次々と溢れ出てきて、ゼルドリックは不安に胸がどくどくと跳ねるのを感じた。

(俺のこの気持ちはリアに伝わっている。こんなことを想像しては、いたずらにリアを苦しめてしまう)

 奇跡が起こり、赤い髪の姫君が再び自分の前に現れた。
 そしてその胸から契りの薔薇を創り出すほどに、リアは深く深く自分を愛してくれている。
 幸せだ。心から幸せだ。
 だからこそ、この幸せが失われることが怖くて堪らない。

(……ああ、まただ。……またもう一人の俺が囁いてくる)

 ――罪人の首枷を引き千切れ。そしてリアの魂を今度こそ精神世界に閉じ込めてしまえ。

(俺はまた怖ろしいことを考えている)

 ――リアがもう死ぬことがないように、禁呪でも何でも使って永遠に縛り付けてしまえばいい。精神世界に用意した玉座にリアを座らせ、赤い髪の姫君を自分だけのものにするのだ。

(駄目だ、こんなこと考えるな)

 ――躊躇している間にリアが死んでしまったらどうする? リアのことが何よりも大切ならば、今すぐにそうするべきではないか?

(……枷を外すのは重罪だ。家族を裏切る訳にはいかない)

 ――弱くなった自分に愛想を尽かし、リアが逃げ出そうとしたらどうする? 決して自分から逃げられないようにしておくべきではないか?

(リアは俺を愛してくれている。俺はリアを信じている……)

 ――いっそ、リアをこの手にかけてしまおうか。あの柔らかな肌を噛んで、血肉を味わい、同一の存在となってしまおうか。

(やめろ)

 ――こうして座っている間にもリアは危険な目に遭っているだろう。自分の手の届かないところで、その命を潰えさせるようなことがあったらどうするのだ?

 ――奇跡はそう何度も起きない。今すぐに首枷を千切って、リアの全てを俺のものにしてしまえ!

(……俺は)

 背徳的な想像が止まらない。リアが欲しくて堪らない。

 リアがどこまでも愛おしいのに、リアの全てを手にしたのに、リアが心を寄せてくれたのに。

 それでもまだ足りない。
 赤い髪の姫君を徹底的に食い散らかそうとしてしまう。

(俺は……まだ狂っている)

 罪の誘惑が胸に込み上げる。
 甘い甘い誘惑。抗いがたい誘惑。

 ゼルドリックは罪人の首枷にゆっくりと指を這わせた。

(何でこんなことを思ってしまうんだ? 俺は我儘で弱い男だ……! リアが傍にいないだけで不安になって、また罪を犯そうとしてしまう)

 ゼルドリックはリアから贈られた赤い契りの薔薇のことを想った。あれはリアの魂を削って創り出されたものであり、そして自分への恋情の結晶。自分たちはお互いに薔薇を贈り合い、相手の魂を手にした。それ以上の幸せはないというのに、いつまでも不安は消えず、なお苦しみは強くなっていく。

 リアが死んだらどうしよう。
 リアが自分から離れたらどうしようと。

(駄目だ、駄目だ……。ここで同じことを繰り返したら、またリアを傷付ける。子供たちの信頼も失う……!)

 ゼルドリックは壁に貼られた家族写真をじっと見つめながら、ゆっくりと首枷から手を放した。

「頼む、リア。俺がおかしくなる前に戻ってきてくれ」

 ゼルドリックは項垂れながら、妻の帰りを待ち続けた。


 ――――――――――


 それから少しした後、玄関の扉が開く音がした。

「ただいまぁ。はああ、疲れた……」

 リアの柔らかな声が響く。ゼルドリックはぱっと顔を上げ、急いでキッチンを出た。

「あ、ゼル! 遅くなってごめんなさ――」

「リアッ! リア、リア……!」

 ゼルドリックはリアに駆け寄り、彼女を勢い良く抱きしめた。

「リア……良かった! 夜になっても帰ってこないから、君の身に何かあったのではないかと思って心配していたのだ。無事で本当に良かった……!」

 ゼルドリックは安堵の息を吐いた。彼の太い腕がリアの身体をぎりぎりと締め上げる。その力強さにリアは小さな呻き声を上げ、夫の顔を見上げた。

「……あなたの気持ちはずっと私の胸に伝わっていたわ。寂しい思いをさせてごめんなさい」

 リアがゼルドリックの頬を摩ると、彼はリアの小さな手を握り込み幸せそうに微笑んだ。

「手が冷えているな。早く暖かい部屋の中に入るといい、君の大好物もたっぷりと用意してある」

「本当? 嬉しいわ。あなたの作る料理は美味しいから今日もたくさん食べてしまいそうよ」

「存分に食べろ。君が二十皿お代わりできるくらいにシチューを作ってあるからな」

「あはは……そんなに食べたら太ってしまうわ」

「太ればいいだろうに。まるまるとした君もきっと可愛いぞ」

 ゼルドリックはリアを抱きしめたまま彼女の頭を撫でた。赤い髪を撫で梳く度、愛しい姫君の顔が綻んでいく。ゼルドリックは不安を心の奥底に押し込め、リアの手を引きながらキッチンへと向かった。




 薪の爆ぜる音に耳を傾けつつ、ゼルドリックとリアは食事を進めた。テーブルの上に乗せられていた大盛りのパンやシチューはすぐ空になり、リアは腹を摩りながらうっとりとした笑みをゼルドリックに向けた。

「美味しかったあ……。ゼル、あなたの料理は最高ね! お腹を空かせて来た甲斐があったわ。今日はね、忙しすぎてお昼ご飯を食べられなかったのよ。ずっと一人で聞き込みしたり戦い続けたりしていたの。全く、行政部ってやることが多くて大変よね……」

 リアの言葉にゼルドリックは眉を寄せた。

「なあリア。前から思っていたが君の負担が大きすぎる! いつもそんな調子だろう? 共に討伐任務に向かう奴はいないのか?」

「いないのよ。今は隣の国との諍いが激しくて役人がどんどん亡くなっている。中央政府は人手不足だわ、だから私も一人で任務に行くしかないの……オリヴァー様が気遣ってくださるから何とかやっていけてるけどね」

 リアはココアを飲みながらそう溢した。ゼルドリックの心に再び不安が込み上げてくる。ゼルドリックはカップを乱暴に置き、硬い声で言った。

「君を中央政府なんかで働かせたくない」

「……ゼル?」

「中央政府は腐っている。エルフを国の兵器としか見做していない! 君はこれからも危険な任務ばかり割り当てられるだろう。君が大怪我をしたらどうする? 死んでしまったらどうするのだ!? やっと……やっともう一度逢えたのに!」

 ゼルドリックの青い目が潤んでいく。
 暖炉の火に照らされてゆらゆらと揺れる瞳を、リアはじっと見つめた。

「ゼル。私は精神世界を創り上げるだけの力があるし、あなたと同じくらい武器の扱いだって得意よ。ゼルが毎朝鍛えてくれるから私はもっと強くなれた。安心して、あなたを独りにはしない。私は絶対に死なないわ」

「……だが」

「あなたに心配を掛けていることは分かっている。私だってずっとあなたの傍にいたい。でも役人になってから、私は色々な人にお世話になった。その恩を返さなければならないわ。この国に安寧がもたらされるまで、私は中央政府で働かなければいけない。オリヴァー様やアンジェロ様が頑張っているように、私も家族が安心して暮らせるような場所を作っていきたいの」

「…………」

「ゼル、私もあなたを精神世界の中にずっと閉じ込めておきたいけれど、あなたも町長の仕事があるでしょう。私と約束したわね? 町長の仕事を役場の人たちに引き継いで、首からその枷を外されるまでは、お互いにやらなければいけないことをしっかりやっていきましょうと」

「……ああ」

 ゼルドリックは目を閉じ、込み上げる不安を何とか心の奥底に押し込めようと努めた。

「そんな顔をしないで、ゼル。私は必ずあなたの傍に戻ってくる。私が役人としての仕事を全うし、あなたが罪を償い終えた時には……共に精神世界で暮らしましょう」

 リアはゼルドリックに向けて笑んだ。
 妻の笑みに、ゼルドリックは胸が切なく締め付けられるような感覚がした。


 ――――――――――


 夜の寒い空気に晒されて、湯浴みで温まった肌が忽ち冷えていく。リアはゼルドリックの温もりを求めるように寝台に潜り込み、夫の逞しい身体を抱きしめた。

「ゼル」

 夫の長い耳を甘噛みするとゼルドリックは口から小さく声を漏らし、尖った耳をひくひくと動かした。唇に伝わる耳の動きを楽しみつつ、リアはねっとりと彼の耳を舐め上げた。

「ね、しましょう? 私だって寂しかったのよ……」

 リアの裸体が、仄かな光に照らされて白く輝く。
 ゼルドリックは蠱惑的に微笑むリアに手を伸ばし、柔らかな身体を抱き寄せた。

「リア。可愛いリア……そんなことを言われたら我慢できないだろう。俺もずっとずっと君に触れたかったんだ」

 お互いの心が触れ合える喜びに満たされていく。ゼルドリックがリアの背を撫でると、彼女は嬉しそうに笑い声を漏らした。

 ゼルドリックの手が、優しくリアの両頬に添えられる。リアはうっとりとした心地で彼の唇を受け入れた。

「ん、ちゅっ……リア、リア」

「ふっ、ん、あぁっ……ぜる……」

 唇を柔らかく重ね合わせるだけのキスを、何度も何度も繰り返す。リアがゼルドリックの首に腕を回すと、ゼルドリックは嬉しそうにリアの唇をべろりと舐めた。

 二人の口づけは少しずつ深くなっていった。リアが誘うように唇を開くと、ゼルドリックの分厚い舌が腔内に入り込んでくる。ゼルドリックに唾液を啜られ、敏感な唇から上顎までをなぞりあげられ、リアは切ない官能の声を漏らした。

「は、ああっ……ん、んんっ……、ぜ、るうっ、ふあっ」

「あむっ、はあ、……り、あ……かわいい、な……」

 舌の横側をそっと舐められたり、先端を柔らかく絡ませあう度にリアの内が切なく疼く。股の間からとろりとしたものが溢れ出るのを感じて、リアはぽっと顔を赤くした。

(私……ゼルとキスするだけでこうなってしまうわ)

 愛している王子の傍に戻ってから四ヶ月。リアは干涸らびていた自分の内側が、ゼルドリックによって日々潤いを取り戻していくのを感じた。大好きな王子様と触れ合うのは気持ちがいい。何度身体を合わせても飽きることはなく、魂が喜びに満ちていく気がする。

 リアが感じる歓喜が胸に伝わったのか、ゼルドリックもまた幸福に目を潤ませた。

 ゼルドリックはリアの様子を見て口の端を上げた。舌で愛撫する度にびくびくと身体を震わせ、足をすり合わせるリアが可愛くてたまらなかった。

「気持ちよさそうだな、リア……」

「あぁっ、う、んっ……」

 リアの唇の端から、飲みきれなかった唾液が溢れていく。ゼルドリックはそれを舐め取り、リアの首から頬までをゆっくりと舌でなぞった。

「ここ、薄くなってる」

 白い首に刻んだ所有の証。リアの首に付けた鬱血痕が薄くなっていることに気がついたゼルドリックは、上書きするように彼女の首を吸い上げた。ゼルドリックが赤い花びらを散らしていく度に甘い痺れが走る。リアはゼルドリックに抱きしめられながら、びくびくと小さな身体を震わせた。

「ひう、あああっ! んっ、ぜるっ……!」

「ちゅ、んむっ……ははっ、綺麗に付いた。リア、君が俺のものだという徴はいつも付けておかないとな」

「あ、あぁ……あ、んんっ……ぜる、もっと、もっとつけて……」

 ゼルドリックからの執着の証。リアはそれが嬉しかった。自分の肌に咲いたであろう赤い花を想像し顔を綻ばせると、ゼルドリックはまたリアの唇を奪った。

 甘いキスと肌への愛撫を繰り返されながらリアは少しずつ快楽に溺れていった。
 ゼルドリックの唇がリアの身体に落とされていく。首、肩、腕、胸から腹、そして腿まで赤い所有印をいくつもいくつも刻みつけられる。ゼルドリックはリアの足を開かせ、ゆっくりと口角を上げた。

「リア、君は段々と敏感になっていくな。口づけただけでこんなに濡らすとは。漏らしたみたいになっているぞ?」

「やっ……見な、いで」

「いいや、見せてくれ。俺は君のここを見るのが大好きなんだ」

 変態、とリアが呟くとゼルドリックは嬉しそうに笑った。リアの秘部からはとろとろとした雫が溢れ出ている。ゼルドリックはリアの愛液を指に絡ませ、尖った陰核にそっと指を当てた。

「……もっと気持ちよくしてやるからな」

「あっ、ゼルぅ……」

 ゼルドリックの青い目が複雑な煌めきを宿す。熱を持ち、自分への愛しさに溢れた蕩ける目。仄暗く、真っ直ぐな情欲が渦巻く目。彼のその目にリアはどっと愛液を溢れさせた。今夜もゼルドリックによって何度も絶頂させられる。切ない痺れを植え付けられる。彼から離れられなくなってしまう……。甘い期待と羞恥に、リアはそっと目を伏せた。

 ゼルドリックはリアの秘部にそっと中指を挿れ、彼女の様子を伺いながらゆっくりと動かし始めた。親指で陰核をこねるように刺激すると、リアの腹がびくびくと痙攣する。リアの顔を食い入るように見つめながら、ゼルドリックは妻の上げる美しい喘ぎ声を愉しんだ。

「あ、ひゅ、あああっ、ぜる! んあぁぁっ……そこ、そこはだめっ」

「くくっ、可愛いリア……君は根元を弄るとすぐに駄目になってしまうんだよな?」

 ゼルドリックが親指で優しく陰核を潰すと、リアは切羽詰まった声を上げ身を捩らせた。リアを押さえつけながらくるくると愛液をまぶすように指を動かせば、彼女の身体が汗ばみ桃色に染まっていく。ゼルドリックは妻の淫らな姿を満足そうに見つめ、なおリアを苛んだ。

「ほおら、堪らないだろう? 根元から先っぽまでをゆっくりなぞってやって……」

「ふ、ううっ……んんんんっ!」

「……ああ、君は先の方も酷く敏感だったな?」

「っひ!? あぁぁっ! あついっ、だめぇ……んぁあああ!」

 最も敏感な陰核の先端を扱かれ、リアは目を大きく見開いた。ゼルドリックが親指を速く動かすたびに鋭い快楽がリアを襲う。優しくも耐え難い快楽を与えられ、リアはあっという間に絶頂を迎えた。

「ふ、ふやああっ、んっ……ぁぁぁああああっ!」

 きゅうきゅうとゼルドリックの指が優しく締め付けられる。ゼルドリックは膣の収縮を楽しみながら、一本、二本と内に挿れる指を増やしていった。

「あ、あっ、あぁっ、はっ……ひ、くうぅぅ!」

 ゼルドリックが僅かに指を曲げ蜜を掻き出すように動かすと、リアは彼の腕に縋り付き、甘く切ない声を上げた。ゼルドリックの指がばらばらに動き、リアの秘部に快楽を与えていく。ざらざらとした天井を撫で擦れば、リアは仰け反り大きな嬌声を上げた。

 リアはゼルドリックに擦られ続けているところがぼうっと熱を持ったのを感じた。むずむずとした絶頂感が股間を襲う。リアが力無く声を上げてしまうと、ゼルドリックは嬉しそうに微笑み、リアになお快楽を与えるように責めの手を強めた。彼の指の動きに合わせてぐじゅ、ぐじゅと粘り気のある水音が響く。泡立ってきたとゼルドリックが呟くと、リアは顔を真っ赤にして逃げるように目を瞑った。

「んっ、あ、ああっ、っ……あっあぁぁぁ……んんんっっ」

「こら、リア。目を閉じるな。達する時は俺の目を見ろと言ったな?」

「あ、ぜるっ……ぜるぅ……」

 リアの赤い目がゼルドリックに向けられる。紅玉のように美しく光る赤い目を見つめ、ゼルドリックは甘い声で囁いた。

「……可愛いリア」

「んうっ、ひあっ……! ああぁぁぁぁああっ!」

 びくびくとリアの身体が跳ねる。
 ゼルドリックはぎゅっと妻を抱きしめ、桃色の唇に優しくキスをした。

「はあっ、はあ、あ、ああぁ……」

 リアは荒い息を吐き、ゼルドリックに甘えるように擦り寄った。逞しい腕が、黒い胸がリアをすっぽりと包み込む。お互いの体温に浸りながら、二人はキスをしたり、肌を優しく撫であった。

 リアは自分の息を落ち着かせると、ゼルドリックをそっと押し倒した。

「ね、ゼル。私もあなたを気持ちよくしたいわ」

「……リア」

 ゼルドリックの目が歓喜に細められる。リアは彼の盛り上がった眉間に口づけ、ゼルドリックがしたように彼の身体にも所有印を刻みつけていった。首、肩、硬い腕に割れた腹、そして太い腿まで。
 痩せていたゼルドリックの身体は、自分の帰還によってかつての力強さを取り戻しつつある。彼が健やかになっていくことが嬉しいと思いつつ、リアは勃ちあがった陰茎にそっと指を這わせた。

「うふふ……待っててね、今舐めてあげるから」

 ゼルドリックの男根は期待にぴくぴくと震えている。リアは太い血管が走る黒いそれに顔を近づけ、柔らかく口付けをした。やや塩辛いような何ともいえない味がリアの口に広がる。リアは舌を伸ばし、敏感な先の部分を腔内に含んだ。

「あ、あっ…リア、り……あ!」

「あむ、れろっ……んっふ……おい、しいわ……」

 リアはゼルドリックの男根を下から上へ、ねっとりとなぞりあげた。ゼルドリックのぬるついた先走りがじわりじわりと溢れ、リアの口を汚していく。リアは彼の味を、熱を心から愛おしいと思った。

「はあっ、ああ、あ……リア、気持ちいい……」

「ちゅ……ふ、うっ、ふふっ……」

 リアは微笑んだ。上目遣いでゼルドリックを見つめると、彼は顔を赤らめながら快楽に耐えるように眉を寄せた。
 黒く長い耳が、リアの舌の動きに合わせてひく、ひくと動く。エルフの耳は素直なものだと思いつつ、リアはゼルドリックの陰茎に手を添えて刺激を与えるように擦った。

「あっ……リア、リア……だめ……だ……もう……!」

(うふふ……ゼル、あなたのその顔、ずっと見ていたいわ)

 たっぷりと唾液を乗せた舌で、柔らかな袋から敏感な裏筋、亀頭までを柔らかくなぞる。ゼルドリックは潤んだ目でリアを見つめ、大きな身体を小刻みに震わせた。

「ああっ……う…うう……! ……リア、リア……!」

 唇をすぼめながらゼルドリックの陰茎に刺激を与えると、彼はリアの頭を掴み絶頂した。

「あっ、あぁぁぁ……」

「んんっ、んくっ……んんんっ……は、ああっ……」

 リアの口の中にゼルドリックの白濁が放たれる。リアは存分にそれを味わった後、淫らな笑みを浮かべ飲み込んだ。こくりと喉を鳴らしたリアをじっと見つめ、ゼルドリックは恐る恐る問いかけた。

「……おい、飲んだのか?」

「ええ。あなたの何もかもが欲しいから」

 涼しい顔でそう言ったリアに、ゼルドリックは申し訳なさそうに彼女の頭を撫でた。だがリアの言葉に反応したように、ゼルドリックの陰茎がまた硬さを取り戻していく。ゼルドリックは荒く息を吐きながらリアを優しく横たえ、その上に伸し掛かった。

「……もう我慢出来ない。良いか?」

「ふふっ……きて、ゼル……」

 リアの赤い髪が、寝台の上に薔薇のように広がる。
 ゼルドリックはそれを心から美しいと思いながら、ゆっくりと彼女の中に己のものを沈めていった。

「リア……リアっ……」

「あっ……あああああああぁぁぁっ……」

「リア、気持ちがいい、な……。君の中は、温かくて……柔らかくて……!」

 ゼルドリックはリアのうつろの感触を愉しむようにゆっくりと腰を動かし始めた。彼の律動に合わせてぐぷ、ぐぷと水音が鳴る。揺れるリアの豊かな乳房に手を伸ばし、ゼルドリックはぽってりと腫れ上がったリアの乳首をくにくにと捏ねた。

「あっぁぁ、んんっ! ぜるぅ……むね、だめえっ……」

「ははっ、何が駄目なんだ? 今の君はすごくよさそうな顔をしているぞ……!」

「んっ、きもち、よすぎてぇっ……ふあっ!? ああああっ、だめ、そこずりずりしないでっ……!」

 敏感な腹の裏側を勢い良く擦られ、リアは快楽の涙を溢れさせた。ゼルドリックが腰を動かす度に、勝手に声が漏れ出てしまう。深く包み込まれるような、落ちてしまうような快楽に、リアは必死にゼルドリックの背に腕を回した。

「はあっ、あっ、ああっ、はあんっ! ぜる、ぜる……ゼルぅっ!」

「リア、リア……リア……!」

 垂れ下がったゼルドリックの髪が頬を撫でる。リアは彼を抱き寄せ、大好きと囁いた。

「はっ、はあ……俺もだ、リア……俺の愛しい姫君……!」

「あ、ああっ、あぁぁっ! ああああっ……」

 ぐちゅぐちゅという水音、お互いの肉が柔らかくぶつかり合う音が響く。リアは朦朧とする意識の中、自分のうつろに熱が放たれたのを感じた。リアの膣が絶頂に収縮し、ゼルドリックの陰茎を柔らかく刺激する。ゼルドリックはリアの額にキスを落とし、彼女の小さな手をきゅっと握った。

「はっ……あ、うぅ、ああっ……リア……」

「あ、あああ……ぜ、る……」

「好きだ……好き、大好き……」

 愛の言葉を囁かれ強く抱きしめられる。ぴったりと寄せ合った身体が汗ばみ、熱を持つ。秋の夜の寒さは、もう全く気にならなかった。ゼルドリックから与えられる熱に溺れながら、リアは幸せそうに笑った。

「……もっと。もっとして、王子様……」

 胸に宿る契りの薔薇が、ゼルドリックの愛情を真っ直ぐに伝えてくる。リアがゼルドリックの愛に応えるように強く強く彼を想うと、ゼルドリックはリアの愛情に顔をうっとりと顔を蕩けさせた。

「リア……愛してる、リア……」

 それからも二人は重なり合った。
 リアが与えられる快楽に溺れ、意識を失うまで睦み合いは続いた。


 ――――――――――


「…………」

 ゼルドリックは寝息を立てるリアを見つめた。彼女を起こさないようにそっと起き上がり、サイドテーブルの上に置いてあるカメラでリアを撮影する。
 満ち足りたような寝顔から体液に汚れた身体、鬱血痕だらけの肌、そして己の白濁を溢す秘所まで、全てをカメラに収めていく。

 カメラには紐と、そしていくつもの鍵が付けられている。ゼルドリックはその鍵で寝室と繋がる扉を開け、部屋の中にあるものを見て心を満たした。

 子供たちが「開かずの扉」と呼んだその向こう側。
 魂の伴侶にかかわるものを納めた聖室。

「リア……」

 一分の隙間もなく壁と天井にぎっしりと貼ったリアの写真。微笑み、怒り顔、泣き顔、憂う顔。
 ゼルドリックはリアが映った一枚一枚の写真をじっくりと見つめながら、部屋の奥へと進んだ。

 天井から吊り下げたリアの古着。箱に納めたリアにかかわるいくつもの品々。机の上に並べたリアの観察記録。

 集めても集めても、まだ心が満たされない。

 ゼルドリックは溜息を吐き、その場にうずくまった。

「……この部屋は、精神世界へと行けなくなった俺が君の喪失に耐えるために作った部屋だった。君がいなくなった後も生きていけるように、俺は君との思い出を全て、この部屋に閉じ込めようとしたのだ」

「辛い時はこの部屋の中で過ごした。寂しくて仕方ない時はこの部屋で愛を遂げた。……君が戻ってきてくれたから、俺はこの部屋に依存しなくて済むと思った。なのに……」

 ゼルドリックはひとつ涙を流した。

「飢えが収まらない。心の空虚が消えない。君にかかわる何もかもを、そして君自身を……俺以外の目に触れさせないように閉じ込めてしまいたい。そんな欲望がずっと込み上げてきて止まらないんだっ……」

 ――罪人の首枷を引き千切れ。そしてリアの魂を今度こそ精神世界に閉じ込めてしまえ。

「どんなに触れ合ってもまだ足りないと思ってしまう。愛しい君を喰らえばこの空虚は消えるのだろうか……?」

 ――いっそ、リアをこの手にかけてしまおうか。あの柔らかな肌を噛んで、血肉を味わい、同一の存在となってしまおうか。

「怖い。俺は怖くて堪らない。君が戻ってきてくれたのに。君は俺に魂を捧げてくれたのに。それ以上を求めてしまうんだ! 俺はまだ狂っている! 君を傷付けて、壊して、永遠に俺の傍から離れられないようにしたいと思ってしまう……!」

 ゼルドリックは顔を覆った。

「駄目だ、駄目だ……。自分の欲望のまま振る舞って、俺はリアをどうした……?」

 リアとの対話から逃げ続け、彼女との繋がりを失いそうになった。
 リアを監禁して手酷い陵辱を加え、彼女の肉体と精神を著しく傷つけた。
 そしてリアの拠り所を全て奪い、自死を選ぶほどまで追い詰めた。

「っ……そうだ、本来なら俺は君の隣にいる資格はない。君と契り、子供を持って、そしてまた君が俺のもとへと戻ってきてくれた。それ以上の幸せはないはずだろう? 今の生活が、この生活こそが幸せだろう? ……なのにどうして俺は満足できないんだ!?」

 絶望の息を荒く吐きながら、ゼルドリックは跳ねる胸に手を当てた。

「……俺は……俺は君を再び喪うのが怖いのだ。君が亡くなった日、俺は自分の魂がはっきりと欠けたのを感じた。もうあんな思いはしたくない!」

 ――リアがもう死ぬことがないように、禁呪でも何でも使って永遠に縛り付けてしまえばいい。精神世界に用意した玉座にリアを座らせ、赤い髪の姫君を自分だけのものにするのだ。

 ――躊躇している間にリアが死んでしまったらどうする? リアのことが何よりも大切ならば、今すぐにそうするべきではないか?

 ――弱くなった自分に愛想を尽かし、リアが逃げ出そうとしたらどうする? 決して自分から逃げられないようにしておくべきではないか?

 ――奇跡はそう何度も起きない。今すぐに首枷を千切って、リアの全てを俺のものにしてしまえ!

「……………………」

 リアの死を想像し、ゼルドリックはぼたぼたと涙を流した。

「リア、リア……リア……」

 己の狂気に侵されないように、必死に自分を保つ。

「女神よ、どうか俺を見守ってください。リアをもう傷つけないように、あなたが巡り逢わせてくれた姫君を、このまま穏やかに愛していけるように……」

 かつて狂愛の薔薇を生みだした胸。
 魂によって編まれた契りの薔薇を根付かせた胸。
 その胸から、もう一人の自分が絶えず悪の言葉を囁いてくる。

 枷を千切り、リアを閉じ込めてしまえと。

「……苦しい」

 胸を押さえながら、ゼルドリックは暗い部屋の中で必死に女神へ祈り続けた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

僕のずっと大事な人

BL / 連載中 24h.ポイント:1,199pt お気に入り:35

腹黒王子は、食べ頃を待っている

恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:970

夏の終わりに、きみを見失って

BL / 連載中 24h.ポイント:362pt お気に入り:3

【R18】甘い毒に溺れる小鳥

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:75

処理中です...