失敗作は蜜の味

橙乃紅瑚

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初恋を自覚してしまいました - 4

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 試合開始から二十分後。
 
 箒にまたがったまま、ルクレーシャがうとうとと船を漕ぐ。高度を失う彼女を慌ててフローリアンが持ち上げると、ルクレーシャははっとした顔で目を開けた。

「ごっ、ごめん! 天気がぽかぽかで、つい」

「いいですよ、少し寝てても。ルクレーシャ先輩がお昼寝していたことは誰にも言いません。敵が来たらちゃんと起こしますから」

 フローリアンがにっこりと笑う。眼鏡の奥の瞳は柔らかく細められていて、全く毒気を感じない。人好きのする少年の笑みに、ルクレーシャは彼が男女双方から好かれている理由が何となく分かった気がした。

 この少年は親しみやすい。
 ルクレーシャが礼を言うと、フローリアンは可愛らしく頷いた。

「攻撃ポジションのメンバーが全員出払ってますからね。先輩の言う通り、暇といえば暇です。おねむになっちゃうのも仕方のないことですよ」

「ふふっ、フローリアンくんって優しいんだね。私のクラスメイトなら『なぜ授業中に寝るんだ、真面目にやれ!』って頭を小突いてくるわよ」

 ライバルの顔を想像しながらルクレーシャが笑うと、フローリアンは首を傾げた。

「それって黒いあく――いえ、ダリル先輩のことですよね」

 ダリルのことを知っているのかと訊ねると、フローリアンはぶんぶんと首を縦に振った。

「はい、はい。ダリル先輩のことはよーく知っていますよ! なんてったって、ダリル先輩はルクレーシャ先輩のファンクラブを荒らし回った人ですからね! とっ、ところで先輩。あの時は大丈夫でしたか? 僕のせいで大変な目に遭いませんでしたか」

「あの時? ああ、ダリルに無理やり連れて行かれた時のことね。大丈夫よ、あいつにちょっかいを出されただけだから」

「ちょっかい?」

「ダリルったら、いつも私にべたべた触ってくるの。頭を撫でてきたり、手を繋いできたり。あとは……」

 抱きしめてきたり、キスしてきたり。

 ――耳まで赤いぞ。まるでトマトみたいだな。

 木陰で交わした口付けを思い出し、ルクレーシャはぽっと顔を赤くした。

 ほんのりと色づいた女の頬。ダリル、と動く桃色の唇。フローリアンはそれを見て何か勘付いたようで、眼鏡をくいっと上げながら胸元に手を忍ばせた。

「何やらただならぬ雰囲気を感じますね。ルクレーシャ先輩、詳しく聞かせてくださいよ」

 フローリアンが胸から取り出したものは、繊細な花模様が施された香水瓶だった。彼が蓋を開けると、瓶の口からもくもくと白色の煙が立ち上る。
 
 この特徴的な煙は「沈黙の霧」だ。なぜこんなものを忍ばせているのかとルクレーシャが目を瞬くと、フローリアンは笑って誤魔化した。

「はい。これで僕たちの声は誰にも聞こえません。試合は攻撃ポジションのメンバーに任せて、僕たちはのんびりしましょ。……ところでルクレーシャ先輩、もしかしてダリル先輩のことがスキです?」

「うえっ!? いっ、いいいいきなりなに言い出すの!?」

 ルクレーシャは分かりやすく慌てた。あわあわと口を開閉させる顔は、ダリルのことが好きなのだとはっきり物語っている。慌てすぎるあまり地面に落ちそうになるルクレーシャを掴みながら、フローリアンはふうと息を吐いた。

「わあ、これはまた随分と分かりやすい。あの、僕はルクレーシャ先輩のファンだから、先輩の恋路は応援したいんですが……。ほっ、本当にダリル先輩でいいんですか? あの人に恋して、先輩が後悔しませんか」

「え、それってどういう意味? ダリルとは身分差があるからやめておけってこと……?」

 ルクレーシャが眉を下げると、フローリアンは信じられないといった顔で大声を上げた。

「身分の差なんて! ダリル先輩はそんなもの気にしないし、たとえ障壁があっても飛び越えてきますよ! 僕が心配しているのはダリル先輩の気質です。ここだけの話、あの人はおすすめできませんっ!!」

 フローリアンはルクレーシャの手をがっと掴み、大きな目をうるうると潤ませた。

「あの人ヤバいんです。ルクレーシャ先輩のファンクラブを、目障りだからという理由で片っ端から潰してまわったんですよ! 先輩のブロマイドを持っていたら没収、先輩に話しかけようとしたら制裁、先輩に告白しようとしたメンバーは死ぬほど怖ろしい目に遭わされて……! あまりの暴挙に、ルクレーシャ先輩を応援していると公表するメンバーはほぼいなくなりました。陰であの人が何と呼ばれているか知ってますか? 『黒い悪魔』ですよ!」

 早口でまくし立てられる。フローリアンは可愛らしい顔を歪め、一生懸命ルクレーシャに訴えた。

「僕だって、何度あの黒い悪魔に追いかけられたことか! お陰ですっかりトラウマです。彼はルクレーシャ先輩のことで頭がいっぱいで、それ以外のことは心底どうでもいいと思ってるんです! あの人に捕まったら、ルクレーシャ先輩は二度と外に出られなくなりますよ。ああ、先輩。僕たちのカワイイ女神……。光の中にいるあなたは知らないんです、ダリル先輩がどんなに恐れられているか!!」

「えっ、……え?」

「ダリル先輩のねちっこさは殆どの男子生徒が知ってます。あの人はルクレーシャ先輩を囲い込んで、一生離さないつもりですよ! あんな怖ろしい男に捕まったら終わりです、故郷にも帰れないかもしれません。だめです先輩、いつまでも僕たちの光でいてください。アイドルには、いつだって笑顔でいてほしいんですッ!」

 フローリアンはルクレーシャの手の甲を撫で回しながら、ぐすぐすと鼻を啜り始めた。少年の顔からは純粋な気遣いと心配の色のみが滲み出ている。彼が嘘を吐いているとは到底思えない。

 ルクレーシャは首を傾げ、今しがた聞いたばかりの言葉を反芻した。
 
「ダリルが私のファンクラブを潰す? 私を捕まえて外に出さないつもり? うーん。よく分からないわ。どうしてそんなことを?」

 ……そういえば、自分に話しかけてくる男性はダリルを除いて殆どいなかった気がする。あまり気にしていなかったが、会話を交わすのもクラスメイトの男子くらいだったし、その時には必ずダリルが近くにいた。

 フローリアンの言葉が本当ならば、ファンクラブのメンバーはたくさんいて、その中には自分に告白したいと思ってくれた人間もいたらしい。

 自分は恋愛にからっきし縁がないと思っていた。でもそれは、ダリルのせいだったのか。

「……ダリル、私のことが嫌いなのかな」
 
 そう呟いたルクレーシャに、フローリアンは箒から落ちそうになった。

「ほっ、ほほ、本気で言ってるんですかぁ!? 逆です逆! ルクレーシャ先輩のことがスキだからですよ!」

 ずり落ちた眼鏡を掛け直し、フローリアンは頓狂な声を上げた。
 
 僕が望む望まないに拘らず、ふたりは両想いだ。フローリアンはそう説明したが、肝心のルクレーシャは悲しそうに俯いた。

「ダリルが私を好き? そうだったらいいなって思うけど。……でもそれは、あり得ないわよ」

「どうしてです? ダリル先輩があんなにアピールしているのに! 彼とルクレーシャ先輩が一緒に過ごしているところは何度も見かけましたよ。ふたりの掛け合いは、この錬金術学校の名物じゃないですか!」

 ダリル先輩に嫌われてるだなんて、それこそあり得ない。そう小鼻を膨らませるフローリアンに、ルクレーシャはぽつぽつと呟いた。

「だって。好きな子にはとことん優しくするものでしょ? お父さんもお母さんもそう言ってたもの」

 ルクレーシャは故郷の村を出た時のことを思い出した。
 
 こちらを貶すようなことを言う男は相手にせず、自分を一番に考えてくれる優しい男の人と付き合いなさい。両親は子供の自分に、何度も何度もそう言い聞かせてきたのだ。

「男の子は、好きな女の子を尊重して大切に扱うものなんでしょ? 愛する女性には、甘くて優しい言葉を掛けずにはいられないんでしょ。私はお父さんからそう聞いたわよ」

「そ、それは……。人によるというか。ダリル先輩が素直じゃないというか……」

「ダリルは私のこと好きじゃないと思うの。私、あいつからいっぱい意地悪なことを言われてきたわ。がさつ女とか、じゃじゃ馬とか、田舎者のちんちくりんとか! 私のことが好きだったら、そんな酷いこと言わないでしょう?」

 あいつは私のことをからかっているだけなのよと憤慨するルクレーシャに、フローリアンは頭を抱えたくなった。鈍感なルクレーシャを見ていると疲労感がどっと押し寄せてくる。

「はあぁぁ……。先輩って、にぶちんですねえ。ダリル先輩の気持ちはオタクの僕にだって分かるのに」

 ルクレーシャには聞こえないくらいの声でそう呟き、フローリアンはフィールドの向こうをぼんやりと見つめた。

「ところで、ダリル先輩はどうしてあんなに怒ってたんでしょう? 僕、ヒヤヒヤしたんです。ルクレーシャ先輩と話していた時、凄い目で睨まれたから! 先輩、あの人と喧嘩でもしたんですか?」

「…………」

 ルクレーシャは口を噤んだ。
 喧嘩したのかと訊かれても、なぜダリルが怒ったのか分からないのだ。

「えっと、ね。話すと長くなるんだけど」
 
 ダリルに可愛いと思ってもらうためにお洒落をしたこと、彼を見習って調合のやり方を変えたこと。心映しの薬がピンク色に染まったこと。そこから更に遡って、ダリルに好きな男がいると勘違いされていること。
 
 それらをかいつまんで話すと、フローリアンははっと息を呑んだ。

「……それだ」
 
 ダリルが怒った理由が手に取るように分かる。あの黒い悪魔はおそらく、好きな女が他の男のためにお洒落をしたと勘違いしたのだろう。彼は今頃、強烈な嫉妬心に苦しめられているはずだ。

 沈んだ様子のルクレーシャに、フローリアンは何と声をかけるべきか考えあぐねた。

 鈍いルクレーシャにダリルの想いを伝え、恋の成就を手伝うべきか。しかしそれは、怖ろしい男に彼女が捕まってしまうことを意味する。
 
 ルクレーシャは知らないのだ、ダリルの執念深さを。男から強い執着を向けられ、アイドルの笑顔がくすむところは見たくない……。
 
 フローリアンは悩んだ末、何も言わないことにした。

(それにしても、あの人も案外にぶちんだ。ルクレーシャ先輩って、こんなに分かりやすい人なのに)

 鈍いふたりのすれ違い。彼らの恋がこれからどうなっていくのかは分からないが、自分のアイドルが悲しい思いをしないよう、密かに見守っていこうとフローリアンは決意した。
 
「ルクレーシャ先輩も変わってますね。よりにもよって、あんな怖ろしい人を好きになるなんて。いったいダリル先輩のどこが好きなんです?」

「全部」

「わっ……」

「正確にはほぼ全部、かな? 馬鹿にしてきたり、私にだけ意地悪なところは嫌だわ。でも……努力家で、いつも一生懸命で、真っ直ぐ錬金術に取り組むところは大好き。とんでもなく嫌味ったらしいやつだけど、試験前はいつも勉強を教えてくれるのよ。いいところもたくさんあるんだから!」

 照れ笑いをするルクレーシャにつられ、フローリアンは小さく吹き出した。

「ダリルのことが好きだってはっきり自覚したのは、つい最近のことよ。でも私はずっと前から、あいつのことが好きだったんだと思うわ。ダリルが他の女の子と話してるところを見ると、いつも胸がもやもやしたから」

 今も女の子に囲まれてるんだろうなあと寂しそうに呟くルクレーシャに、フローリアンはぐすりと鼻を啜った。

「うぅ。うっ、うぅ……」

「フローリアンくん? どうしたの?」

「ううぅっ。ルクレーシャ先輩、なんて純粋で、なんて健気なんだ! ぼく……先輩の想いに胸を打たれました。でも、複雑ですねえ。応援し続けてきたアイドルのガチ恋を見る羽目になるなんて」

「が、ガチ恋って」

「しかも相手は黒い悪魔! ルクレーシャ先輩があの人にベタ惚れしてるなんて、なんだかすっごく変な気持ちです! でも僕はオタクの鑑ですからね、アイドルの意志は尊重しなくちゃ。素直に応援はできないけれど、いつだって見守り続けていますよ。忘れないでください、先輩にはたくさんのオタクがついてるんですからね」

 困った時はいつでも話を聞きますよ。そう言いながら手を撫で回してくる後輩に、ルクレーシャは微笑みながら頷いた。

「ありがと、フローリアンくん。またこうやってお話しようね」

 握手を交わしながら笑い合う。
 穏やかな時間を楽しんでいた二人の間を、一陣の風が切り裂いた。

「るうぅぅぅぅぅくぅぅぅぅううすぅぅぅぅううっっ!!! その男から離れろおおおおおおおおおおお!!」

 男の怒声が雷のように降り落ちる。
 草葉を巻き上げる強烈な風に、ルクレーシャもフローリアンもはっと顔を上げた。

 ダリルだ。遥か高いところから、彗星の如き速さでゴールネットに突っ込んでくる。
 
 魔力によって引き起こされる旋風を纏いながら超スピードで迫りくるライバルに、ルクレーシャは驚き声を上げた。

「うえっ、だ、ダリルぅ!? まっ、待ってよ。攻撃ポジションのメンバーは!? まさか……。全員倒したの!?」

「その通りだルクス! 俺を阻む奴は全員スライムボールの餌食にしてやった!」

 ダリルは怖ろしい形相をしながら高笑いした。

「油断したなルクスっ、君のチームはもはや泥船だ。覚悟しろ!!」

 魔法の箒を急旋回させ、ダリルはゴールネットの前で突風を巻き起こした。フローリアンが出した沈黙の霧はすっかり掻き消え、代わりに大量のスライムボールが降ってくる。
 
 ルクレーシャはネットにスライムを入れさせまいと臨戦態勢を取ったが、ダリルに怯えるフローリアンは、情けない声を上げてルクレーシャの背後に隠れた。

「ひえええええええええっ、あくまぁぁあああっ! こわいいいいいいいいいい」

「お、落ち着いてフローリアンくん! 大丈夫だから!」
 
 叫び声を上げる後輩を庇いながら、ルクレーシャは慌ててスライムボールを叩き落とした。

「あっ、わわ。ちょ、っちょっと! いきなり攻め込んでこないでよ! こっちは楽しくお話してたのに!」

「なんだと!? 俺との試合中に随分浮かれた真似をするじゃないか! 許さん、許さんぞルクス。沈黙の霧まで出してっ、何をこそこそ話していたんだ!!」

「な、何って。ひみつ」

「っ、また秘密だと!? いい加減にしろよじゃじゃ馬女がああッ!! 俺は秘密が何よりも嫌いだ!!」

 ダリルがぐしゃりとスライムボールを握りつぶす。眉間に皺を寄せた彼は、怒りをぶつけるようにゴールネットに向けてスライムの弾丸を放った。

「顔を赤くして、どうせ恋の話でもしていたんだろうが!! いい加減に吐け、君の好きな男をッ!! なんだ、このクラスの中にいるのか!? それとも下級生か! どこの馬の骨だか知らんが、そいつをスライム塗れにして二度と動けないようにしてやるッ!!」

「ひええええええこわいいいいいいいいい」

 ダリルの怒声とフローリアンの泣き声が重なる。
 ルクレーシャの背後に隠れる少年をぎっと睨みつけ、ダリルはフローリアンに向けてスライムボールを投げつけた。

「男をっ、庇うなあああぁぁぁぁぁああああッッ!!」

「ちょっとやめて、後輩をいじめないでよ! 可哀想でしょ!?」

 ルクレーシャは箒からずり落ちそうになるフローリアンをぎゅっと抱きかかえた。小柄な少年の顔が、彼女の胸に深く埋められる。
 
 突然の接触に、フローリアンは白目を剥いて仰け反った。

「アッ、ファンサービスすごい」

「あれ? ふ、フローリアンくん!? 大丈夫!?」

 失神している。
 ルクレーシャは彼の肩を掴みながらがくがくと体を揺さぶったが、フローリアンは意識を取り戻さなかった。

(くっ、私一人であいつと戦わなくちゃいけないってことね。いいじゃない、一騎討ち上等よ!)

 気を失ったフローリアンを背負い、因縁のライバルと向き合う。ルクレーシャがダリルを見据えると、彼は怒りと悲しみが入り混じった、複雑な表情を浮かべた。

「俺に話せないことを、その男には言ったのか」

「そうよ。フローリアンくんはあなたと違って、嫌味なことを一つも言ってこないもの! 大体何なのよあなた、いきなり不機嫌になったり、無言で私を睨みつけてきたり! もう訳が分からないのよっ、変な行動をして私を振り回さないで!!」

 ルクレーシャは手に持ったスライムボールを勢い良くダリルに投げつけた。だが渾身の一球はあっさりと躱され、ダリルの接近を許してしまう。彼は手に持ったスライムボールを見せつけながら、わざと緩慢な動きをしてルクレーシャを苛立たせた。

「君こそっ、変な行動をして俺を振り回してばかりじゃないか! 君のせいで俺はすっかり不眠症だ!! ほら、悔しかったら一発当ててみろよルクス。どうした? 今日はやけにコントロールが悪いじゃないか。腕が鈍ったのか!」

「うっさいわよ! フローリアンくんを背負ったままだとっ、うまく腕が動かせないの! ああもう、ちょこまか動いてほんっとムカつくわ! 大人しく当たっておきなさいよ!!」

 あなたなんかに負けないんだからと叫び、ルクレーシャは必死にスライムを投げつけた。ひょいひょいと軽やかに球を避けるライバルの姿を見るうちに、良からぬ想像が顔を出す。

(ダリルって、本当に王子様みたい)

 さらさらと風に靡く黒髪。爽やかに流れる汗。スライムボールを握る大きな手。好きな男の魅力を意識してしまうと、途端に胸の動悸が速くなる。

 自分はこんな格好いい男の子とキスをしたり、それ以上の恥ずかしいこともしてしまった。

 ダリルが欲しい。またいじめられたい。
 優しく抱いてほしい。いっぱいキスしたい。
 
 好きだって言いたい。好きだって言ってほしい。

 彼への欲望と愛情が止まらなくなって、ルクレーシャは呻き声を上げながらスライムを放り投げた。

「うぅっ」

 急に攻撃の手を止めたルクレーシャに、ダリルは訝しげな視線を送った。

「おい。どうした? 降伏宣言でもするのか?」

「うぅ、だめ。それ以上近づかないで。私が危ないから」

 ダリルが格好良すぎる。
 それ以上近づかれたら、自分の目が焼けてしまう。

 顔を覆いながらじりじりと後方に下がるルクレーシャに、ダリルは首を傾げた。

「危ない? 何を言ってるんだ。……もしかして、体調が悪いのか?」

 心配そうな様子でダリルが近づいてくる。
 手首を柔らかく掴まれたルクレーシャは、悲鳴を上げながらダリルを突き飛ばした。

「いやああああああ、やっぱり無理!! フローリアンくんっ、逃げるわよ!」

「あっ!? ま、待て!」

 限界に達したルクレーシャは後輩を背負い直し、その場から勢い良く飛び去った。ダリルの制止を振り切り、そのままフィールドの向こうを目指して駆け抜ける。
  
 ゴールネットの前に一人残されたダリルは、ルクレーシャの後ろ姿を見つめながら呆然と呟いた。

「て、敵前逃亡だと? あの負けず嫌いの女が……?」

 守備がゴールネットを放棄する。
 前代未聞の勝負結果に、ダリルはしばらく事態を飲み込むことができなかった。

 
 *


「お、おい。ルクス――」

「うわあああああああっ!」

 その後の五限、六限、そして放課後も。ルクレーシャはダリルとまともに話すことができなかった。フローリアンにダリルへの恋心を打ち明けたことが原因なのか、彼をいつもより過剰に意識してしまう。
 
 大声を上げながら逃げ回る女と、それを凄まじい形相で見つめる男。クラスメイトたちはままならない二人の姿を見ながら、ひそひそと会話を交わした。

「なあ。レーシャのあれって」

「いわゆる好き避けってやつだろ。鈍いあいつも、やっとダリルのことを意識したのか」

 早くダリルが素直になればいいのに。
 鈍感なルクレーシャが、早く相手の気持ちに気付けばいいのに。
 
 ずっとそう思ってきたクラスメイトたちは、二人の変化を敏感に感じ取っていた。

「……ね、ねえ。ダリル君ってば、誰か殺しそうな顔してるんだけど」

 ルクレーシャに無視されたダリルが、拳を握りしめながら立ち尽くしている。ぎりぎりと歯を食いしばる彼を見て、クラスメイトたちは顔を見合わせた。

「あいつ、何か勘違いしてね?」


 ……ダリルが暴れなければいいが。


 *


 ――喜べルクレーシャ。貧乏な田舎者のお前を、貴族の俺様が貰ってやろう!

 ――え? やだよ。ダリルくんってなんか乱暴だし、お貴族様とは話が合わないだろうし……。

 好きだ。大好きだ。君と仲良くなりたい。衝動的な恋に突き動かされた初めての告白は、呆気なく拒絶されてしまった。

 幼い花の妖精が逃げ回る。
 胸の痛みを堪えながら必死に追いかけるうちに、自分も彼女も姿を変えていく。

「逃げるなルクス! 頼む、俺から離れないでくれ!」

 美しく成長したルクレーシャを追いかける。どんなに追いかけても、彼女は立ち止まることなく逃げていく。

 あの頃の自分は馬鹿だった。
 君を虐めて、酷い言葉を言って、なんとかその気を引こうとした。
 
 ルクレーシャの泣き顔は可愛い。可愛すぎるその顔が、俺の言葉によって変化するところを見たい。君に俺の存在を刻みつけたくて、何度も何度もからかいの言葉をかけた。

 逃げないでくれ。
 君が逃げれば逃げるほど、俺の心がおかしくなるんだ。

 もっとからかっていじめて嫌味を言って振り回して泣かせてやりたくなる。君のことが好きなのに、君が俺のせいで傷付くと胸がすく。自分で自分が分からない、どうしてこんな行動を取ってしまうのだろう?

 俺は馬鹿だ。
 大人になった今もずっと同じことを繰り返している、どうしようもない馬鹿だ……。

 ――あっちに行って。意地悪陰険腹黒ダリルに構ってる暇なんてないの!

 暗闇の中、ルクレーシャが自分を睨みつけている。彼女の怒った顔も可愛い。でも、そんな顔しかしてもらえないことが苦しい。
 
 本当は、彼女の笑顔が見たいのに。

 ああ、分かってる。悪いのは俺だ。
 俺が態度を変えないと、ルクレーシャはいつまでも笑ってくれない。

 好きなんだ。好き、好き。好き。大好き。
 抱えてきた感情が溢れて止まらない。

「済まなかったルクス、君を傷つけるようなことを言って本当に済まなかった! 俺はただ、君と話したかっただけなんだ! 近くにいたかっただけなんだ……」 

 ――ふざけないでよ。私を散々傷つけるようなことばっかり言って、今更そんなことを言うの? 

 こんなに好きなのに、どうして素直になれなかったのだろう。

 告白する勇気が持てなかったから?
 また拒絶されるのが怖かったから?
 
 徹底的に拒絶されて、彼女との繋がりを失ってしまうことが怖かったから……。

  ルクレーシャが離れていく。
 こちらを見てくれないルクレーシャに、焦りと絶望が込み上げる。

 ――あなたって本当にしつこいわね。もう追いかけてこないで。

 彼女の声はぞっとするほど冷たい。強烈な焦りに、告白が口を衝いて出た。

「ルクス、君のことを愛してるんだ!」

 愛している。
 はっきり拒絶されてしまうことが怖くて、いつまでも伝えられないその言葉。
 
 遠ざかるルクレーシャに向かって叫ぶと、彼女は無表情で俺を見据えた。

 ――愛してるですって? やめてよ、気持ち悪い。

 ルクレーシャは嘲りの笑みを溢し、俺が知らない「誰か」と腕を組んだ。

 ――私は好きな人がいるの。あなたみたいに意地悪じゃなくて、いつも優しくて、絶対に私を傷つけるようなことを言わない人よ。

 黒い髪。黒い目。黒い服。
 彼女が甘えるようにもたれかかる男の顔は、暗闇に溶けて見えない。

 ――私はこの人と付き合うわ。あなたみたいな男なんて……。

 やめてくれ。
 
 お願いだ、その先の言葉だけは言わないでくれ!

 ――大っ嫌い!





「ああああああああああッ! 待ってくれルクス!」

 暗闇の中、男の叫びだけが響く。
 目を開けたダリルは、参考書が積み上がった机の上を見て荒い息を吐いた。

「っ、はあっ……。こっ、ここは……?」

 周りを見渡す。勉強用のランプ。大きなベッド。ローズクォーツのシャンデリア。
 
 よく見知った自室の風景が広がっている。

「はっ、何だよ……。夢か……」

 どうやら自分は、勉強中にそのまま寝てしまったらしい。体を起こしたダリルは暫し呆けた後、また参考書を開いた。

 近頃、ずっと不眠だ。
 ルクレーシャの恋心が気になって、よく眠れない……。

「一番にならないと、ルクスは俺を見てくれない。一番にならなければ、ライバルという繋がりさえ失われてしまう」

 心が折れそうになった時に口にしてきた言葉。呪いに似たその言葉をぶつぶつ呟きながら、ダリルはまた勉強を始めた。

「……俺は勝って、君を妻に迎えるんだ。専属錬金術士に迎えるという名目で、ずっと一緒にいる権利を勝ち取るんだ。だから、今回の試験も頑張らなくては……」

 酷い眠気に苦しめられながら文字を追う。だが、いくら集中しようとしても内容が全く頭に入ってこなくて、ダリルはとうとう参考書を閉じてしまった。

「…………」

 どん、と拳を机に振り下ろす。
 悔しさと焦りばかりが込み上げてきて、頭がおかしくなりそうだ。

「……愛しいルクレーシャ」

 ダリルが指を鳴らすと、部屋に変化が起きた。
 
 壁中に貼られた、何千枚ものルクレーシャの写真。彼女を模した大量のパペット。ルクレーシャに着せるためのドレス。彼女へ贈る装身具。その他ルクレーシャを想って作ってきた錬金術の品々が、ダリルの部屋に溢れかえる。

 いつもは魔力で巧妙に隠しているそれらをじっと見つめ、ダリルは陰鬱な溜息を吐いた。

「こんな辛い夜は、都合のいい想像をして自分を慰めるんだ。君が好きな男は、もしかしたら俺なんじゃないかって」

 黒い目、黒い髪、黒い服。彼女が作ったパペットを思い浮かべながら、ダリルはルクレーシャの写真に視線を向けた。

「でも、違うよな。君は俺がアピールしても流すし……。真っ直ぐな君ならば、好きな男にはすぐ好きだと伝えに行くはずだから」

 そうだ。ルクレーシャが愛する男は自分ではない。
 六年間近くにいたのに、一度も「好き」と言われたことのない自分は、違うのだ……。

「分かってる。意地悪なことばかり言う俺が好かれないのも。……俺じゃない。君の視線の先にいるのは、俺じゃないんだろ……。そうだろ、ルクス」

 薄暗やみの中、ランプの光に照らされてルクレーシャが微笑んでいる。彼女の唇を指でなぞりながら、ダリルは囁いた。

「……どうしたら、愛しい君と結ばれる?」

 やはり、あの手しかないのだろうか。

 ルクレーシャの写真をじっと見つめながら、ダリルは悲観的で狂気的な想像を深めていった。
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