16 / 32
おまけ 2人のその後
彼の様子が変です
しおりを挟む
私は、家に帰るとまずシャワーを浴びた。
以前、ハンドクリームを買ったときに、彼は私に「匂いが違う」と言って怒った。
匂いのせいで怒ったというよりかはハンドマッサージを受けたことに怒った、の方が適切なのかもしれないが、何にせよ不穏分子は取り除いていた方がいい。
あの時の彼といったら、こちらの言い分を聞かないで無言でひたすらに人の手を洗うので怖かった。
まあ、あの頃は、私もまだ、彼に簡単にものを言えなかったので色々と誤解されても仕方なかったかもしれない。
同棲当初と比べれば、私たちは随分と話せるようになった。
そうしみじみと思いながら、浴室から出ると、濡れた体を拭き、部屋着に着替えた。
彼は何時くらいに帰ってくるだろうか。
もうそろそろ帰ってきてもおかしくはないけれど、残業はあるのかな。
夕ご飯はどうしよう。
とりとめのない思考を頭の中で回らせながら、脱衣所から出る。
「…………」
「…………」
「……ただいま」
「え、あ、おかえりなさい」
するとそこには黙って立ち尽くしている彼の姿があって、驚いて何も言えなかった。
しかも彼の右手には、はさみが握られていた。
唖然としながらも彼の様子を見守る。
彼の左手は、固く握られていた。
私は首を傾げた。
はさみの用途には、思い当たる節があるが、まさか、という気持ちだ。
「もしかして、髪を切る用のはさみを買って来たんですか」
彼は、こくりと頷いた。
「もう、切っちゃいましたよ」
私は思わず笑った。
「これから練習する」
彼は、何となく面白くなさそうだ。
「どうやって練習するんですか……マネキンなんて買ってきてないですよね」
言いながらも彼ならそれくらいやってのけそうだと思って、戦慄した。
本当にマネキン何十体とか買ってきていたらどうしよう。こわい。
彼は静かに首を振って、知り合いの髪を切るのだと数人の名前を挙げた。
それってただただ迷惑なのでは、と心の内で思いながらも、彼はなかなか頑固なところがあるので言い出したからにはやるのだと思う……私は練習台になる人々に密かに合掌した。
会話に一区切りついたのだが、彼は動かなかった。
まだ言い足りないことがあるのだろうか。
しかし彼は一度沈黙すればなかなか口を開くことがない。
仕方ないので、私は先に自分のやりたいことをさせてもらうことにした。
「私、今日、ハンドマッサージのコツ、教えてもらったんです」
だから、してあげます。そう言って、私は彼の手首を掴むとリビングまで移動させて、ソファに座らせた。
それから、コツが書いてあるメモを取り出そうとバッグに手を突っ込んだ。
がさごそと中を漁る。
だが、ない。
「あれ……あれ?」
バッグをひっくり返して中の物を全て出したが、やっぱりない。
「ご、ごめんなさい。コツ、書いてもらったんですけど、メモ、なくしちゃったみたいで」
そう謝る私に、彼は首を振った。
「……コツなんか分からなくても、問題ないだろう」
問題ないらしい。
私は、ではクリームを取ってきます、と寝室へ向かった。
メモは、どこかで落としたのだろうか。
記憶にない。
せっかく書いてもらったのだから、その通りにして彼に喜んでもらいたかったなあ。
メモを無くしたことが悔やまれるが、彼がいいと言ってくれたのでよしとしよう。
ずっと眠っていたハンドクリームを取り出して、一階へ戻る。
やっと使えるねえ、と心の内で話しかける。
ウレシイヨーとハンドクリームの返事が聞こえてくるようだ。
リビングには、彼が全く同じ姿勢のまま座っている。
私は、彼の右隣に座ると、彼の右手を取った。
「いつまではさみ、持ってるんですか」
私はまた笑った。
そんなに私の髪を切りたかったのだろうか。
彼からはさみを取り上げると、彼は思っていたより随分あっさりと手放した。
しかし、視線はいつまでも私の持つはさみを追っている。
何となく、彼の様子が変だ。
「どうか、しましたか」
「……また、あの店に」
あの店、と言われて、私ははっとした。
「ああ!えっと、行くつもりなはなかったんですけど、イケメ……店員さんが、私のことを覚えてくれていて、ハンドクリームは全然使ってなかったので、買わなかったんですけど、コツを書いたメモを貰ったんです、なくしちゃったけど」
もちろん、マッサージは受けてないですよ、そう言って彼を安心させるように笑いかけると、彼はようやくはさみから目を離した。
するとその視線は腕を辿って私の目に移り、じい、と見つめられる。
「……どこか、触れられなかったか?」
そう、真剣に問われてドキリとする。
私は、いいえ、と答えそうになったが、肩を抱かれて少々強引に店に入れられたことを思い出した。
思わず、右肩を確認するように首を右に向けてしまう。
それから、あれ、もしかして彼は怒っていたりするのかしら、と不安に思った。
恐る恐る、彼の方へ向き直る。
彼は、私の右肩を凝視していた。
何か言わなければ、と口を開こうとしたのと、彼が私のTシャツの袖をずり下ろしたのは、ほぼ同時だった。
右肩が露わになる。
お風呂から上がったばかりの肌が、外気の冷たさに触れて小さく震えた。
以前、ハンドクリームを買ったときに、彼は私に「匂いが違う」と言って怒った。
匂いのせいで怒ったというよりかはハンドマッサージを受けたことに怒った、の方が適切なのかもしれないが、何にせよ不穏分子は取り除いていた方がいい。
あの時の彼といったら、こちらの言い分を聞かないで無言でひたすらに人の手を洗うので怖かった。
まあ、あの頃は、私もまだ、彼に簡単にものを言えなかったので色々と誤解されても仕方なかったかもしれない。
同棲当初と比べれば、私たちは随分と話せるようになった。
そうしみじみと思いながら、浴室から出ると、濡れた体を拭き、部屋着に着替えた。
彼は何時くらいに帰ってくるだろうか。
もうそろそろ帰ってきてもおかしくはないけれど、残業はあるのかな。
夕ご飯はどうしよう。
とりとめのない思考を頭の中で回らせながら、脱衣所から出る。
「…………」
「…………」
「……ただいま」
「え、あ、おかえりなさい」
するとそこには黙って立ち尽くしている彼の姿があって、驚いて何も言えなかった。
しかも彼の右手には、はさみが握られていた。
唖然としながらも彼の様子を見守る。
彼の左手は、固く握られていた。
私は首を傾げた。
はさみの用途には、思い当たる節があるが、まさか、という気持ちだ。
「もしかして、髪を切る用のはさみを買って来たんですか」
彼は、こくりと頷いた。
「もう、切っちゃいましたよ」
私は思わず笑った。
「これから練習する」
彼は、何となく面白くなさそうだ。
「どうやって練習するんですか……マネキンなんて買ってきてないですよね」
言いながらも彼ならそれくらいやってのけそうだと思って、戦慄した。
本当にマネキン何十体とか買ってきていたらどうしよう。こわい。
彼は静かに首を振って、知り合いの髪を切るのだと数人の名前を挙げた。
それってただただ迷惑なのでは、と心の内で思いながらも、彼はなかなか頑固なところがあるので言い出したからにはやるのだと思う……私は練習台になる人々に密かに合掌した。
会話に一区切りついたのだが、彼は動かなかった。
まだ言い足りないことがあるのだろうか。
しかし彼は一度沈黙すればなかなか口を開くことがない。
仕方ないので、私は先に自分のやりたいことをさせてもらうことにした。
「私、今日、ハンドマッサージのコツ、教えてもらったんです」
だから、してあげます。そう言って、私は彼の手首を掴むとリビングまで移動させて、ソファに座らせた。
それから、コツが書いてあるメモを取り出そうとバッグに手を突っ込んだ。
がさごそと中を漁る。
だが、ない。
「あれ……あれ?」
バッグをひっくり返して中の物を全て出したが、やっぱりない。
「ご、ごめんなさい。コツ、書いてもらったんですけど、メモ、なくしちゃったみたいで」
そう謝る私に、彼は首を振った。
「……コツなんか分からなくても、問題ないだろう」
問題ないらしい。
私は、ではクリームを取ってきます、と寝室へ向かった。
メモは、どこかで落としたのだろうか。
記憶にない。
せっかく書いてもらったのだから、その通りにして彼に喜んでもらいたかったなあ。
メモを無くしたことが悔やまれるが、彼がいいと言ってくれたのでよしとしよう。
ずっと眠っていたハンドクリームを取り出して、一階へ戻る。
やっと使えるねえ、と心の内で話しかける。
ウレシイヨーとハンドクリームの返事が聞こえてくるようだ。
リビングには、彼が全く同じ姿勢のまま座っている。
私は、彼の右隣に座ると、彼の右手を取った。
「いつまではさみ、持ってるんですか」
私はまた笑った。
そんなに私の髪を切りたかったのだろうか。
彼からはさみを取り上げると、彼は思っていたより随分あっさりと手放した。
しかし、視線はいつまでも私の持つはさみを追っている。
何となく、彼の様子が変だ。
「どうか、しましたか」
「……また、あの店に」
あの店、と言われて、私ははっとした。
「ああ!えっと、行くつもりなはなかったんですけど、イケメ……店員さんが、私のことを覚えてくれていて、ハンドクリームは全然使ってなかったので、買わなかったんですけど、コツを書いたメモを貰ったんです、なくしちゃったけど」
もちろん、マッサージは受けてないですよ、そう言って彼を安心させるように笑いかけると、彼はようやくはさみから目を離した。
するとその視線は腕を辿って私の目に移り、じい、と見つめられる。
「……どこか、触れられなかったか?」
そう、真剣に問われてドキリとする。
私は、いいえ、と答えそうになったが、肩を抱かれて少々強引に店に入れられたことを思い出した。
思わず、右肩を確認するように首を右に向けてしまう。
それから、あれ、もしかして彼は怒っていたりするのかしら、と不安に思った。
恐る恐る、彼の方へ向き直る。
彼は、私の右肩を凝視していた。
何か言わなければ、と口を開こうとしたのと、彼が私のTシャツの袖をずり下ろしたのは、ほぼ同時だった。
右肩が露わになる。
お風呂から上がったばかりの肌が、外気の冷たさに触れて小さく震えた。
52
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
心が読める私に一目惚れした彼の溺愛はややヤンデレ気味です。
三月べに
恋愛
古川七羽(こがわななは)は、自分のあか抜けない子どもっぽいところがコンプレックスだった。
新たに人の心を読める能力が開花してしまったが、それなりに上手く生きていたつもり。
ひょんなことから出会った竜ヶ崎数斗(りゅうがざきかずと)は、紳士的で優しいのだが、心の中で一目惚れしたと言っていて、七羽にグイグイとくる!
実は御曹司でもあるハイスペックイケメンの彼に押し負ける形で、彼の親友である田中新一(たなかしんいち)と戸田真樹(とだまき)と楽しく過ごしていく。
新一と真樹は、七羽を天使と称して、妹分として可愛がってくれて、数斗も大切にしてくれる。
しかし、起きる修羅場に、数斗の心の声はなかなか物騒。
ややヤンデレな心の声!?
それでも――――。
七羽だけに向けられるのは、いつも優しい声だった。
『俺、失恋で、死んじゃうな……』
自分とは釣り合わないとわかりきっていても、キッパリと拒めない。二の足を踏む、じれじれな恋愛模様。
傷だらけの天使だなんて呼ばれちゃう心が読める能力を密かに持つ七羽は、ややヤンデレ気味に溺愛してくる数斗の優しい愛に癒される?
【心が読める私に一目惚れした彼の溺愛はややヤンデレ気味です。】『なろうにも掲載』
ゆるふわな可愛い系男子の旦那様は怒らせてはいけません
下菊みこと
恋愛
年下のゆるふわ可愛い系男子な旦那様と、そんな旦那様に愛されて心を癒した奥様のイチャイチャのお話。
旦那様はちょっとだけ裏表が激しいけど愛情は本物です。
ご都合主義の短いSSで、ちょっとだけざまぁもあるかも?
小説家になろう様でも投稿しています。
婚約破棄歴八年、すっかり飲んだくれになった私をシスコン義弟が宰相に成り上がって迎えにきた
鳥羽ミワ
恋愛
ロゼ=ローラン、二十四歳。十六歳の頃に最初の婚約が破棄されて以来、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの婚約破棄を経験している。
幸い両親であるローラン伯爵夫妻はありあまる愛情でロゼを受け入れてくれているし、お酒はおいしいけれど、このままではかわいい義弟のエドガーの婚姻に支障が出てしまうかもしれない。彼はもう二十を過ぎているのに、いまだ縁談のひとつも来ていないのだ。
焦ったロゼはどこでもいいから嫁ごうとするものの、行く先々にエドガーが現れる。
このままでは義弟が姉離れできないと強い危機感を覚えるロゼに、男として迫るエドガー。気づかないロゼ。構わず迫るエドガー。
エドガーはありとあらゆるギリギリ世間の許容範囲(の外)の方法で外堀を埋めていく。
「パーティーのパートナーは俺だけだよ。俺以外の男の手を取るなんて許さない」
「お茶会に行くんだったら、ロゼはこのドレスを着てね。古いのは全部処分しておいたから」
「アクセサリー選びは任せて。俺の瞳の色だけで綺麗に飾ってあげるし、もちろん俺のネクタイもロゼの瞳の色だよ」
ちょっと抜けてる真面目酒カス令嬢が、シスコン義弟に溺愛される話。
※この話はカクヨム様、アルファポリス様、エブリスタ様にも掲載されています。
※レーティングをつけるほどではないと判断しましたが、作中性的ないやがらせ、暴行の描写、ないしはそれらを想起させる描写があります。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる