38 / 40
第三十八話 芽生える心
しおりを挟む第三十八話 芽生える心
「離婚する~~~~!」
「落ち着いて!瑶華ちゃん、お願いだから落ち着いて~~~!」
「きゃあああっ!」
第一皇女と第六王子が、ひらひらと宙を舞う枕や掛け布団を慌てて避けながら部屋をぐるぐると逃げ回る。さっきまではふて寝していた瑶華が突然枕を掴み、まるで怒れる虎のように暴れ出したのだ。
「ちょ、ちょっと!本気で投げてるよ!?」
「心がこもってるわね……痛いほどに!!」
散乱した寝具の中、部屋はすっかり戦場の様相を呈していた。しかし、次第に投擲は止まり――ハァ……ハァ……と、肩で息をしながら瑶華が寝台にぺたりと座り込む。
しんとした空気。
(落ち着いた……のか?)
(今なら話せるかも……?)
二人はおそるおそる寝台に近づいた。
「瑶華ちゃ~ん……?そろそろお菓子食べる?あれ、冷めちゃうと美味しくないしさ?」
「そうそう、あの梨の花のやつ、あれ君のお気に入りだったよね……?」
だが――
瑶華は、ばっ!と勢いよく立ち上がった。ぼさぼさの髪を気にする様子もなく、顔は無表情。そして無言のまま、風呂敷を手に取り、何かを包み始めた。
「え……?なにそれ?」
「ふ、風呂敷……!?荷造り!?引っ越すの!?」
心の中で警報が鳴り響く二人。こっそり覗き込むと、瑶華は机の引き出しから何かを次々に取り出している。手紙、小箱、小説、細々した品々……。
「瑶華ちゃん?ね?どうしたのかな?何をしてるのかな?」
「ほ、ほら~、ねえ、こんなことしても将軍きっと泣くよ~?」
だが彼女は一切の反応を見せず、黙々と荷造りを続けている。その沈黙が、かえって怖い。さっきの怒りの方がまだマシだったかもしれない……。
「ね?落ち着いて?触らな――」
「触らないで」
ピシャリと、冷たい声が響いた。まるで氷柱が背中に這うような冷たさ。王子がそっと手を引っ込めた。
「ご、ごめん……」
空気が一変する。さっきのコミカルな怒りとは違う。今の瑶華は――本気で傷ついている。その様子をそっと見守っていた明蘭が、おずおずと近寄った。
「奥様……お包みになっているのは、頂いた小説たち……?」
その問いに、瑶華の手がほんの一瞬止まる。だが、顔は動かさず、小さく呟いた。
「……触られたくないの……」
ぽつりと落ちたその言葉に、明蘭は目を伏せる。
風呂敷をしっかりと結び終えると、瑶華はそれを持ち上げて、長持ちの奥にしまい込んだ。鍵を閉めようとする瑶華に、明蘭が慌てて声をかける。
「そ、それでは、すぐに取り出せませんよ?」
すると、背中越しに聞こえた、かすれた声。
「……で……い……く……」
「奥様、何と……?」
耳を寄せた明蘭の顔が強張った。
「出ていくの!! 出てく!! 離婚する~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!」
部屋が揺れるような叫び声に、第一皇女も王子もぎょっとして飛び上がる。
「り、離婚!?」
「うそでしょ!?話が飛びすぎてて……理解が追いつかないんだけど!?」
明蘭はそっと草盈に耳打ちする。
「……今は、まずいです。お茶、至急、冷たいのを……」
草盈がうなずき、急ぎ廊下へ走っていく。部屋の中では、瑶華の怒りがまだくすぶっていた。
草盈と入れ替わるように、繍慧がばたばたと駆け込んできた。その顔には安堵と、どこか興奮が混ざっている。
「ご帰還なさいました!」
その一言に、瑶華はビクッと顔を上げ、入口を鋭く睨んだ。目を細め、息を呑む。
そして――
「……ただいま戻りました……奥さま」
その声を聞いた瞬間、瑶華の体からすべての力がふっと抜けた。ピンと張っていた心の糸が切れたように、顔がくしゃりと崩れる。
「晨!……晨だ~~~~っ、わ~~~~ん!」
涙と一緒に叫びながら、勢いよく駆け寄って抱きついた。その腕は力強く、離れる気配はない。
が、すぐにパッと身を離すと、滝のような涙を流しながら、晨をぐるぐると回りながら全身を確認しはじめた。
「どこか、どこか怪我してない!? 痛いところは!? 殴られたり、刺されたりしてない!?ねえっ!」
腕を引っ張り、背中を撫で、肩をつかみ、顔を左右に傾けては確認を繰り返す瑶華。まるで高級な壺を手にした骨董商のような真剣な眼差しだ。
「奥さま……落ち着いて、大丈夫です、怪我してませんよ」
晨は困ったように微笑みながらも、どこか優しい声音で続けた。
「第六王子が匿ってくれたおかげです」
「……よ、良かったぁぁぁぁ……顔を、顔を見せて……」
今度は両手で晨の頬を包み込むと、右に左に首を動かしながら、念入りに殴られた跡がないか確認。晨は戸惑いながらも、優しく瑶華の手を取り、頬からそっと外した。
「本当に無事ですよ」と、いつもの穏やかな笑顔で言ったその瞬間――
「晨~~~~!」
またしても、瑶華は力いっぱい飛びついた。
「姉さま……」
ぽつりと晨が呟いたその声は、幼い頃の記憶を思わせるようにか細く、あたたかかった。成長した今ではすっかり背が伸びた彼の胸に、すっぽりと瑶華が収まる。その小さな頭に、晨はそっと頬を寄せ、目を閉じた。
――長い長い旅の果てに、いつも迎えてくれたのはこの人だった。瑶華さえ無事なら、自分の命など惜しくないと思うほど。それほどまでに、彼女はかけがえのない存在だった。
「ごほん……」
不意に、場違いな咳払いが響いた。現実へと引き戻されるふたり。
「感動の再会のところ申し訳ないけど、ね?一旦座ろうか」
第一皇女が苦笑しながら声をかけると、晨が優しく瑶華の涙を布巾で拭い、手を引いて椅子へと促した。瑶華は素直にそれに従う。
ちょうどその頃、草盈がお茶を持って戻ってきた。配膳しながら晨の肩にそっと手を置き、安堵の眼差しを送る。晨も深く頷いた。明蘭も繍慧も、無言でうなずき合う――それは、主従を超えた「家族の絆」のようだった。
晨には血のつながった家族はもういない。けれど瑶華と、その周囲の人々が、自分に新しい家族を与えてくれた。この恩をどう返せばいいのか――この気持ちをどう言葉にすればいいのか。それでも、瑶華がそっと手を握り、慈しむように微笑んでくれるだけで、すべて報われる気がした。
だがその微笑みの中でも、涙は止まらない。
「奥さま……そんなに泣いたら、目が溶けてしまいます」
晨が苦笑しながらも丁寧に涙を拭う。
「うっ……うっ……だって……どれだけ……心配したか……」
「兄さまのケガの手当てしても、晨が帰ってこないから……」
「ふっくっ……ずっと……怖かったんだから……」
嗚咽混じりに訴える瑶華の姿に、皆が目を伏せる。そんな彼女が、突然――
「それもこれも……ぜ~~~~んぶ第六王子が悪いんだ~~~~っ!」
ばしっ!
まさかの八つ当たりパンチが第六王子に炸裂した。
「いったぁっ!ちょ、待って!瑶華ちゃん!俺!がんばったよ!?陰でだいぶ!!」
「晨を匿って、将軍とこっそり打ち合わせして、悪を成敗したのにっ!」
「わ、私を騙した~~~~っ!!!」
ぷんすかと怒る瑶華。一転して怒涛の追及モード。
「わ、わ~っ!また始まっちゃった~!ごめんってば~~~~~~!」
逃げ腰の王子を追い詰めながら、部屋に再び騒がしさが戻ってくる。だがそれは、安心と幸福の象徴だった――
目を赤くしながらむうっとふくれっ面で第六王子を睨む瑶華
そんな彼女に、晨はそっと声をかける。
「……お庭に出ませんか?」
瑶華はゆっくりと頷き、二人は並んで庭へ向かった。
沈みゆく夕陽のなか、静かな東屋に腰をおろし――
ようやく、心の奥にあった想いを語り始めた。
騙されていたと知ったときの瑶華の憤りと混乱、そして――
将軍が処刑されると律から告げられたあの瞬間の、言い知れぬ心細さ。
そのすべてを、瑶華は晨に語った。
どれほど不安でも、諦めなかった。
彼の無実を信じて、何度も跪き、面談を願い出て、直訴すら覚悟した。
必死に奔走したあの日々を振り返りながら、
瑶華の言葉は次第に落ち着きを取り戻していった。
「……それでも、将軍が処刑されるって、律様に言われたとき……」
瑶華の声が震えていた。
「どれだけ、どれだけ心細かったか……。でも、私は逃げなかった。跪いて面談を懇願して、直訴の準備までして…
静かな夕暮れの庭。空は茜色に染まり、風が木々の葉を優しく揺らす。しばらく話した後
少し沈黙して、瑶華はどこか明るい口調で話し始めた。何かを振り払うように。
だが、晨はその「明るさ」の裏にあるものに気づいていた。瑶華自身、薄々感じている「予感」――それが何なのか、まだ形にはなっていない。
「……姉さま」
晨がやさしく切り出した。
「将軍のこと、少し話してもいいですか?」
瑶華のまつげがかすかに揺れる。
「僕が第六王子に匿われていた間、将軍は何もかも知っていたわけではないんです。けれど、僕の話を真剣に聞いてくれました。瑶華姉さまがどれだけ必死に守ろうとしていたか――それを聞いて、『必ず瑶華に会わせる。俺が守る』って、約束してくれたんです」
「……そんなことを」
「はい。僕は、それで信じられたんです。彼が姉さまをどう思っているのか、深く、強く伝わってきた。愛情って、こういうものかもしれないと思いました」
瑶華は、少し顔を伏せた。
「姉さまは……将軍のこと、どう思ってるんですか?」
思いがけない問いかけに、瑶華ははっとして晨の方を見た。戸惑いながら、頬を染めて口を開く。
「墨将軍は……最初、とても近寄りがたかったです。望んだ結婚ではなかったし、両親が選んだ人でもなくて。将軍として名高い方ですから、人というより……山みたいな、遠い存在に思えて」
晨は微笑んで頷いた。続きを促すように。
「でも……少しずつ距離は縮まりました。霖寅様って呼べるようにはなったけど、……それでも、まだ完全に『夫婦』って感じがしないんです」
「何か気がかりが?」
「はい……霖寅さまは、昔、私に助けられた恩があるって言ってました。それは晨と同じ。でも……私は晨のことは大好き。でもそれは、兄弟としての気持ちでしょ?恩のために結婚して……そのまま続けられるのかなって」
「じゃあ……姉さまは、愛されることに不安があるの?」
「……男の人は、結婚していても本当に好きな人が現れたら、そっちに行ける。でも、女は……難しいでしょ?だから、もし霖寅さまが他に好きな人が現れたら……私は、捨てられる側かもって……」
晨の眼差しが真剣になる。
「でも姉さまは、将軍が死ぬって聞いて――泣いた。その時、何も考えず、命を守ろうとしてたでしょ?」
瑶華は目を見開いた。
「僕たちに何かあっても、きっと姉さまは立ち上がる。でも――将軍の時は、『死ぬなんて考えられない』って、思ったんじゃない?」
「……そう、かも」
「その違いが――たぶん、愛なんじゃないかな」
沈黙が、東屋を包む。風がそっと吹いて、瑶華の髪を揺らす。
「私……」
ぽつりと瑶華が言った。
「霖寅さまが……健やかでいてくれれば、それでいいって……思った。これが“愛”かどうか、まだわからないけど――確かに、何かが芽生えてる」
瑶華は胸にそっと手を当てた。その鼓動が、静かに確かに、彼女の変化を伝えていた。
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました
織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─
定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。
─あらすじ─
美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。
前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。
そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。
番など、今さら不要である
池家乃あひる
恋愛
前作「番など、御免こうむる」の後日談です。
任務を終え、無事に国に戻ってきたセリカ。愛しいダーリンと再会し、屋敷でお茶をしている平和な一時。
その和やかな光景を壊したのは、他でもないセリカ自身であった。
「そういえば、私の番に会ったぞ」
※バカップルならぬバカ夫婦が、ただイチャイチャしているだけの話になります。
※前回は恋愛要素が低かったのでヒューマンドラマで設定いたしましたが、今回はイチャついているだけなので恋愛ジャンルで登録しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる