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第二章 恋のレッスンまだですか?

傷を舐めてもいいですか?

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 ジェイドが来てくれた!

 信じられない思いだった。
 絶体絶命と思われた瞬間に現れるなんて、ジェイドはまさしくヒーローと思える登場だった。

 強く優しい私のヒーローは、あっという間に男をねじ伏せた。

 なんて、なんて、かっこいいの!

 こんなに素敵な人には、二度と会えないだろうと私は思った。


 ......だけど、ジェイドは激しく興奮しているみたいで。

 押し倒した男を、殺してしまいそうな勢いだ。男の顔に手を伸ばしたジェイドに、私は危機感を覚えた。

(いけない、犯罪者とはいえ、人を殺してはいけないわ)

 私の前世での人権意識もあるけれど、それよりも、人間を殺してしまった奴隷がどういうことになるのか、私はとても心配だった。

 ジェイドを止めようとしたその時ーー


 ドシュッ!

 一本の矢が、ジェイドの背中を貫いた。
 私は自分の目を疑った。

(な、何?! 何が起きたのーー)

 混乱していると、私たちの後方に、騎士団の救助隊が来ていた。

「熊が出現したのですね! まずは熊から駆除します。もう一度矢を放ちますから、皆さん離れてください!」

 救助隊の司令官らしき人が叫んだのを聞いて、私はジェイドの命が狙われていることを理解した。

 その司令官は、矢を持った数人の騎士たちに「構え」を命じている。

 私はいてもたってもいられず、ジェイドの方へ叫びながら走った。

「ダメーーーーっ! この人は熊じゃないからぁ......!」

 ジェイドが私を止めるけど、それで止まれるはずがない。
 誰よりも、恋しくて愛しい人。
 絶対失いたくない大切な人。

 だから私は走った。
 間に合ってと祈りながら、私はジェイドの背を目指す。

 精一杯両腕を広げ、ジェイドに矢が当たらないようにしながら。


「ジェイドを殺さないでーーーーっ!」

 私がジェイドの背に辿り着くのと、「打て!」の号令はほぼ一緒だったと思う。

(お願い、小さな身体だけど、当たるなら私の方に当たって)

 カバーし切れない大きな背中に縋りつき、私はギュッと目を閉じた。


 カン、カン、カツーン......。

 矢は、壁にでも当たったような音を立て、私たちの少し後で地面に落ちた。


「ふぅ。間に合って良かった」

 私を庇おうと、向きをかえ私を抱き込んだジェイドと私は目の前に来た人を見た。

「神父様」

 ブラン神父様は、ため息をつきながら私に言った。

「なるほど。子爵様の話は本当のようですね。きみはか弱そうなのに、案外無鉄砲な所があるようです。詠唱なしの魔法を発動させたのは久しぶりでしたが、ちゃんと防げて良かった」

 どうやら私たちは、神父様の防御魔法によって矢の脅威から逃れられたらしい。

 その間にも騎士団の救助隊たちは、夜盗たちを捕らえるため素早く方々に散らばっていた。
 そんな中、司令官と思しき騎士が私たちの元へ駆け寄って来た。

「大丈夫ですか? 済みません、私たちは人間が熊に襲われているのかと思いまして......」

 深々と頭を下げるその騎士に、悪気はなかったのだと思いつつ、私は大切なジェイドが殺されていたらと思うとすぐに赦しの言葉を紡げなかった。それにすでに、ジェイドの背には一本の矢が刺さってしまっているのだ。

 私は今更思い出したようにハッとして、ジェイドに声をかけた。

「ジェイド! 大丈夫?! 矢が......矢が......」

「ああ、急所は外れたからなんとか」

 ジェイドはそう言うけど痛そうだ。早く病院に連れて行って取ってあげないと......。

 そう思っていると、騎士の方がすまなそうに言った。

「すぐに病院へ搬送します。担架を持って来ますので待っていてください」

「いや、その必要はない」

 騎士の方に向かって、ブラン神父様は言った。

「何言ってんですか! 早くジェイドの治療を受けさせてください!」

 私はカッとなって神父様に怒りをぶつけた。
 けれど神父様は「まあまあ」と私をあやすように宥めた。

 そして。

「ジェイドくん。私はまず、きみに謝らなければならない。まいさんにそう言われているから」

 ジェイドの治療を早くして欲しいのに、神父様は今、ジェイドに先日の悪口を言ったことを謝っている。

 ジェイドは少し面食らったようになりながらも、「ああ、別に気にしてないです」と答えていた。

 すると神父様はもう一度深々と頭を下げた。

「それと......、この分は、今からやることの謝罪だ。きみは丈夫そうだし、大丈夫だろう」

 そう言うと、なんと、ジェイドに刺さっていた矢を勝手に引き抜いた。

「ぐっ!」

 ジェイドが痛みに声を漏らした。

「なっ、何するんですか! こんなことしたら、出血してしまうではないですか!!」

 私が怒りに任せて叫んでるのに、神父様は更にすごい勢いで私に言った。

「早く! ジェイドくんの傷を舐めろ!」

「え」

 私は呆気にとられて絶句した。

「早く! ジェイドくんが死んでしまうぞ?!」

 冷静に考えたら、すぐに死んでしまうなんてあり得ない。
 まずは出血口を圧迫止血するべきだったのに、「死んでしまうぞ」の言葉に踊らされた私は、涙目になりながらジェイドに言った。

「ジェイド、ごめんなさい......傷を舐めていいですか?」

「ふぉわっ?!」

 ジェイドが変な声で焦っている。だけど、私は返事を待てなくて、もう一度謝った。

「気持ち悪かったら、ごめんなさい......だけど私、ジェイドが好きでたまらないから失いたくない......」

 そして、血が滲んだ背中に、そっと舌を這わせた。
 傷を舐めていたら、また、涙まで溢れてきた。

 ーー好き。

 ジェイドへの想いが溢れる。

 やっぱり私、ジェイドを諦めるなんてできないよ。
 たとえ、偽善者と言われても、ジェイドに無理をさせてたとしても一緒にいたい。

 だって、私はもう、ジェイドに「恋」してしまっているから。



 私の唾液と涙が、ジェイドの身体に染みていったーー。






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