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最終話 忘却という贈り物
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「……あ」
話すことに夢中になっていた、女性が突然我に返ったように声をあげた。
――――ヤバそうな、笑いを止めてくれてよかった……!!
「どうかしましたか?」
その散々な内心を全く感じさせない、優しく心配そうな声音で店主は女性に問いかける。
「あの私……忘却ブレンドを飲もうとしてるのに否定するようなことを言ってしまって……」
「ああ……」
女性は忘却ブレンドを目当てに来店している自分が今、矛盾した発言をしてしまったことに気付いたのだろう。それで困ったような申し訳なさそうな表情をしていた。
――――普通は無理か……本当ならそれでいいハズなのになんでこの珈琲は存在しちゃってるのかねー。
「忘却ブレンドは普通の存在ではありませんからね。そのまま話しを続けて下さい」
――――そして続けて欲しくも無い話の続きを促さなきゃならない、俺の心のやるせなさったらないぜ……はぁ。
店主の言葉に安心したように頷いた女性は、再び話し始めた。
「はい、それであの時の私ったら彼の言葉を本気で受け取っちゃって……お恥ずかしい話し自分が何を言ったかは覚えていないのですが彼が言ったことだけは妙に覚えていて……『お前に忘れられることは確かに辛い、だけどお前が俺を理由に死ぬのはもっと辛い……だから全部忘れてくれ』確かに彼はそう言いました」
そこまで言うと、女性はどこか遠くを見るような目をしてから一度目を閉じた。
――――ああ完全にこれがきっかけだな……でも気持ちは分からないでもないし、普通はこんなものが存在するなんて知らないハズだから非はなんてないんだけどな……それでも俺は自分勝手に思うぞ、彼氏め余計なことを言いやがって。
深呼吸をして目を開いた女性は、先程よりか細い声で続けた。
「ただその時の私には彼の言葉をちゃんと聞く余裕なんてなくて……怒りと悲しみでそのまま病室を飛び出してしまったんです。そうして何となくお見舞いにも行かなくなっている内に彼の容体が悪化して亡くなりました……」
終わりになるにつれ声の震えを抑えるようにゆっくり言葉を紡いだ彼女は、なんとか区切りを付けると大きなため息をついてうつむいた。
――――あーあー、本当に人間はつまらない理由で取り返しの付かないことをしでかすよな……。
「それを知った時点で本当はもう死ぬつもりだったんです……なのに私の中で、彼の自分のこと忘れてもいいから私に生きていて欲しいという言葉が甦って……死にたくて仕方ないけど、そこまで言ってくれた彼の気持ちも無視したくはなくて……私はどうすればいいか分からなくなりました」
うつむいたままの女性は、もはや泣き出しそうな声で話す。
――――オジさん的にはとりあえず自殺はやめて、彼氏の死も忘れないまま、最初はツラくても普通の生活に戻るのがいいんじゃなかと思うんだけど……きっとそれは散々考えて無理だったっていうことなんだろうな。こっちまで気が滅入るわ……。
すっと顔をあげて女性が店主の方をみた、やはり彼女はどこか焦点の合ってない暗い目をしていた。
「そうしてどうにか踏みとどまったものの、それから毎日が生きてることが、ツラくて苦しくて……死にたくて仕方ないのに死んではいけないって気もして……」
彼女は苦しそうに顔をゆがめ、なかば無理矢理絞り出したような痛々しい声で言った。
「そんな時ここの……記憶を消してくれる珈琲の噂を耳にしたんです。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、私はいつの間にか必死になって店を探すようになりました……そして今日ここに辿り着いたんです」
――――そんなに必死に探してもらって店主としては喜ばなきゃいけないところなんだろうけど……正直しんどいわ。俺的にはたまたま見つける隠れ家的な喫茶店としてやって来たいと思ってるわけで、そういう必死さとか欲しくないわけよ……はぁ。
一通り話を聞き終えた、店主は深々と頷いた。
――――しかし、これは駄目だな……話を聞きながらどうにかする方法があればなんて思ったけど、そんなのてんで見当たらない、まぁ自分が誰かを思い直させた試しなんて一度もないけどな。
「つらつらと勝手に話してしまいましたが、これでよろしかったでしょうか?」
「ええ、構いません……では最後に改めて確認したいのですが、お客様が忘れたい記憶を簡潔にお願いいたします」
――――また、この台詞を言わなきゃならないのか一体もう何回言っただろうか。何度言いたくないと思いながら……。
「私が忘れたいのは彼への想いと彼と過ごした思い出全てです……」
――――本当にいいのか? それはきっと、ねーちゃんにとって何よりも大切に思ってきた彼との記憶まで含まれているんだぞ……それまで無かったことにするつもりか?
本当は問いかけたい疑問が店主の喉の先まで出かかっていたが、それを口にすることはなかった。それで説得出来ないことも分かっているし、何より求められれば最終的に珈琲を出さなくてはいけない自分には、そんなことを問いかける資格がないと分かっているからだ。
「……確かに聞き届けました」
店主が出来上がった珈琲をカップに注いで女性の前に差し出す。
「これが忘却ブレンド……」
女性が目をわずかに大きく開いて忘却ブレンドを見つめる。
香ばしい珈琲の良い香りがした、カップを満たす黒い液体は一見して普通の珈琲で特別な部分など見当たらない。何も言わずに普通の珈琲として出されてたら、店主を含め誰も気付くことができないだろう。
「はい、これを飲めばお客様にお話し頂いた忘れたい記憶が綺麗サッパリ消えるでしょう……やはり止めますか?」
そんな問いかけが無駄であることは店主自身よく分かっていた。だけどこの珈琲を嫌っている彼にとって、最後にこのような問いかけをすることは絶対に必要だった。
なぜなら彼は絶対に忘却ブレンドの存在を肯定しないと決めているから。
――――今からでもいい、どうにか急に気が変わってくれればいいのに……。
叶わないと分かっていながら彼はそう思う。
「いえ、飲みます……もう決めたことなので」
――――ああ、やっぱり駄目だったか……。ホントに俺は役立たずだなぁ……嫌になっちまうくらいに。
店主は心で自分の無力さを自嘲しながら、彼にとっては最後の言葉を述べる。
「そうですか、それではお召し上がり下さい」
女性がおそるおそる珈琲に口を付ける、程無くして彼女が珈琲を飲み込んだようで喉が静かに動いた。
「いかがでしょうか……?」
「ええ、この珈琲はとても美味しいですね」
先程までとは打って変わって、穏やかで明るい表情に変わった女性は答えた。
その様子は先程までの悩みなど消え失せてしまったように見える。
その変わりように店主は顔をしかめたくなる気持ちを抑えて問いかけた。
「……ところでお客様、最近なにか悲しいことなどはありませんでしたか」
店主がそう聞くと、女性は何故そんなこと聞くのかとでも言いたげな不思議そう顔で首を振った。
「いいえ、何もありませんよ」
――――ああ、今回も消えたか……この行為を嫌いながら、何も出来ない俺の前で綺麗サッパリと……。
「そうですか、それは結構なことです……」
そうして女性は珈琲を飲み終えると会計を済ませて店を出ていった。
そこには店に入ってきた時の思いつめた表情など欠片ものない。きっと婚約者は元から無かったことのように全て忘れたのだろう。
女性が出ていった扉を見つめていた店主はやや間を置いて、大きな溜め息を付いた。
「なんで俺はこんなことをしなければならないのかね……」
――――確かにあの女性の命は救われたかも知れない、だけど大切な記憶を消してしまうのは時に死ぬよりも残酷なことではないのか……?
そう思いながらも彼はどちらが正しいのか、その結論が出ないこと知っている。それにこれは彼女自身の選択の結果でもある。
だからこそ彼は割り切れないまま自分の仕事を続ける他なかった。
「いっそ辞められるなら辞めてしまいたいものだけどな……」
そう嘯きながらも彼がこの仕事を止めないのは、これが彼に与えられた役割であり決して逃れられないものだからだ。
――――確かにツラい出来事を自然に忘れるまでを耐えられない人間はいる……そんな人間のために神のような存在が、気まぐれと哀れみをもって作り出した忘却を与える珈琲……それは果たして正しいのだろうか?
彼の中ではとっくに答えは出ている『正しくない』と、それでも彼自身がこの仕事を辞められる日が来ない限り、そして珈琲が少なからず人を救った事実がある限り……彼の自問自答は終わることがないだろう。
そして彼は今日も、この喫茶店を訪れ忘却を望む者に特別な珈琲を差し出す。
自分の出す珈琲のもつ忘却の意義と、それを否定する方法を考えながら。
話すことに夢中になっていた、女性が突然我に返ったように声をあげた。
――――ヤバそうな、笑いを止めてくれてよかった……!!
「どうかしましたか?」
その散々な内心を全く感じさせない、優しく心配そうな声音で店主は女性に問いかける。
「あの私……忘却ブレンドを飲もうとしてるのに否定するようなことを言ってしまって……」
「ああ……」
女性は忘却ブレンドを目当てに来店している自分が今、矛盾した発言をしてしまったことに気付いたのだろう。それで困ったような申し訳なさそうな表情をしていた。
――――普通は無理か……本当ならそれでいいハズなのになんでこの珈琲は存在しちゃってるのかねー。
「忘却ブレンドは普通の存在ではありませんからね。そのまま話しを続けて下さい」
――――そして続けて欲しくも無い話の続きを促さなきゃならない、俺の心のやるせなさったらないぜ……はぁ。
店主の言葉に安心したように頷いた女性は、再び話し始めた。
「はい、それであの時の私ったら彼の言葉を本気で受け取っちゃって……お恥ずかしい話し自分が何を言ったかは覚えていないのですが彼が言ったことだけは妙に覚えていて……『お前に忘れられることは確かに辛い、だけどお前が俺を理由に死ぬのはもっと辛い……だから全部忘れてくれ』確かに彼はそう言いました」
そこまで言うと、女性はどこか遠くを見るような目をしてから一度目を閉じた。
――――ああ完全にこれがきっかけだな……でも気持ちは分からないでもないし、普通はこんなものが存在するなんて知らないハズだから非はなんてないんだけどな……それでも俺は自分勝手に思うぞ、彼氏め余計なことを言いやがって。
深呼吸をして目を開いた女性は、先程よりか細い声で続けた。
「ただその時の私には彼の言葉をちゃんと聞く余裕なんてなくて……怒りと悲しみでそのまま病室を飛び出してしまったんです。そうして何となくお見舞いにも行かなくなっている内に彼の容体が悪化して亡くなりました……」
終わりになるにつれ声の震えを抑えるようにゆっくり言葉を紡いだ彼女は、なんとか区切りを付けると大きなため息をついてうつむいた。
――――あーあー、本当に人間はつまらない理由で取り返しの付かないことをしでかすよな……。
「それを知った時点で本当はもう死ぬつもりだったんです……なのに私の中で、彼の自分のこと忘れてもいいから私に生きていて欲しいという言葉が甦って……死にたくて仕方ないけど、そこまで言ってくれた彼の気持ちも無視したくはなくて……私はどうすればいいか分からなくなりました」
うつむいたままの女性は、もはや泣き出しそうな声で話す。
――――オジさん的にはとりあえず自殺はやめて、彼氏の死も忘れないまま、最初はツラくても普通の生活に戻るのがいいんじゃなかと思うんだけど……きっとそれは散々考えて無理だったっていうことなんだろうな。こっちまで気が滅入るわ……。
すっと顔をあげて女性が店主の方をみた、やはり彼女はどこか焦点の合ってない暗い目をしていた。
「そうしてどうにか踏みとどまったものの、それから毎日が生きてることが、ツラくて苦しくて……死にたくて仕方ないのに死んではいけないって気もして……」
彼女は苦しそうに顔をゆがめ、なかば無理矢理絞り出したような痛々しい声で言った。
「そんな時ここの……記憶を消してくれる珈琲の噂を耳にしたんです。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、私はいつの間にか必死になって店を探すようになりました……そして今日ここに辿り着いたんです」
――――そんなに必死に探してもらって店主としては喜ばなきゃいけないところなんだろうけど……正直しんどいわ。俺的にはたまたま見つける隠れ家的な喫茶店としてやって来たいと思ってるわけで、そういう必死さとか欲しくないわけよ……はぁ。
一通り話を聞き終えた、店主は深々と頷いた。
――――しかし、これは駄目だな……話を聞きながらどうにかする方法があればなんて思ったけど、そんなのてんで見当たらない、まぁ自分が誰かを思い直させた試しなんて一度もないけどな。
「つらつらと勝手に話してしまいましたが、これでよろしかったでしょうか?」
「ええ、構いません……では最後に改めて確認したいのですが、お客様が忘れたい記憶を簡潔にお願いいたします」
――――また、この台詞を言わなきゃならないのか一体もう何回言っただろうか。何度言いたくないと思いながら……。
「私が忘れたいのは彼への想いと彼と過ごした思い出全てです……」
――――本当にいいのか? それはきっと、ねーちゃんにとって何よりも大切に思ってきた彼との記憶まで含まれているんだぞ……それまで無かったことにするつもりか?
本当は問いかけたい疑問が店主の喉の先まで出かかっていたが、それを口にすることはなかった。それで説得出来ないことも分かっているし、何より求められれば最終的に珈琲を出さなくてはいけない自分には、そんなことを問いかける資格がないと分かっているからだ。
「……確かに聞き届けました」
店主が出来上がった珈琲をカップに注いで女性の前に差し出す。
「これが忘却ブレンド……」
女性が目をわずかに大きく開いて忘却ブレンドを見つめる。
香ばしい珈琲の良い香りがした、カップを満たす黒い液体は一見して普通の珈琲で特別な部分など見当たらない。何も言わずに普通の珈琲として出されてたら、店主を含め誰も気付くことができないだろう。
「はい、これを飲めばお客様にお話し頂いた忘れたい記憶が綺麗サッパリ消えるでしょう……やはり止めますか?」
そんな問いかけが無駄であることは店主自身よく分かっていた。だけどこの珈琲を嫌っている彼にとって、最後にこのような問いかけをすることは絶対に必要だった。
なぜなら彼は絶対に忘却ブレンドの存在を肯定しないと決めているから。
――――今からでもいい、どうにか急に気が変わってくれればいいのに……。
叶わないと分かっていながら彼はそう思う。
「いえ、飲みます……もう決めたことなので」
――――ああ、やっぱり駄目だったか……。ホントに俺は役立たずだなぁ……嫌になっちまうくらいに。
店主は心で自分の無力さを自嘲しながら、彼にとっては最後の言葉を述べる。
「そうですか、それではお召し上がり下さい」
女性がおそるおそる珈琲に口を付ける、程無くして彼女が珈琲を飲み込んだようで喉が静かに動いた。
「いかがでしょうか……?」
「ええ、この珈琲はとても美味しいですね」
先程までとは打って変わって、穏やかで明るい表情に変わった女性は答えた。
その様子は先程までの悩みなど消え失せてしまったように見える。
その変わりように店主は顔をしかめたくなる気持ちを抑えて問いかけた。
「……ところでお客様、最近なにか悲しいことなどはありませんでしたか」
店主がそう聞くと、女性は何故そんなこと聞くのかとでも言いたげな不思議そう顔で首を振った。
「いいえ、何もありませんよ」
――――ああ、今回も消えたか……この行為を嫌いながら、何も出来ない俺の前で綺麗サッパリと……。
「そうですか、それは結構なことです……」
そうして女性は珈琲を飲み終えると会計を済ませて店を出ていった。
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女性が出ていった扉を見つめていた店主はやや間を置いて、大きな溜め息を付いた。
「なんで俺はこんなことをしなければならないのかね……」
――――確かにあの女性の命は救われたかも知れない、だけど大切な記憶を消してしまうのは時に死ぬよりも残酷なことではないのか……?
そう思いながらも彼はどちらが正しいのか、その結論が出ないこと知っている。それにこれは彼女自身の選択の結果でもある。
だからこそ彼は割り切れないまま自分の仕事を続ける他なかった。
「いっそ辞められるなら辞めてしまいたいものだけどな……」
そう嘯きながらも彼がこの仕事を止めないのは、これが彼に与えられた役割であり決して逃れられないものだからだ。
――――確かにツラい出来事を自然に忘れるまでを耐えられない人間はいる……そんな人間のために神のような存在が、気まぐれと哀れみをもって作り出した忘却を与える珈琲……それは果たして正しいのだろうか?
彼の中ではとっくに答えは出ている『正しくない』と、それでも彼自身がこの仕事を辞められる日が来ない限り、そして珈琲が少なからず人を救った事実がある限り……彼の自問自答は終わることがないだろう。
そして彼は今日も、この喫茶店を訪れ忘却を望む者に特別な珈琲を差し出す。
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