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第19話 にゃーん
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姉ちゃんの見送りは失敗に終わった。
宮殿の一室。俺の前には、しょぼくれたフェミル姉ちゃんと、イシュタリオンさんが、悪戯をして叱られる子供のように床へと正座して、俯いていた。
「おふたりに聞きます。さっきの醜態はいったいなんでしょう?」
「本能への反逆なのです……」
要するに、俺離れできないのである。このふたりは。
「カ、カルマくんにも責任はあります! 『お姉ちゃん行かないで!』なんて声をかけるから、後ろ髪を引かれるのです!」
「そうだそうだ!」
「言ってないです。濡れ衣です。もしくは幻聴です。――なあ、フォルカス」
「はい、言っておりませんでした。――ですよね、ルリさん?」
「ええ」
リレー方式で、事実確認をする俺たち。ぐうの音も出ないふたりは、バツが悪そうな表情で俯いてしまう。
こうなったら仕方がない。最終手段である。俺は、でかい溜息をついて――告げる。
「しょうがない。ふたりの記憶から、俺を消そう」
「へ……?」
「なん……だと……?」
フォルカスの精神魔法で記憶を操作する。世界が平和になるまでおさらばだ。ここまでしなければ、ふたりは安心して旅に出ることはできまい。そのことを説明すると、予想通り大反論が飛んでくる。
「バカげている! そんなもの無意味かつ無価値ッ! カルマとの思い出を削除するなど、このイシュタリオン、断固として拒否するッ!」
「削除ではなく、封印です」と、フォルカスも説明してくれる。
「絶対にダメです! 勇者は、ピンチに陥った時こそ、家族を思い出して真の力を発揮できるのです! 覚醒トリガーとしてカルマくんは必須です!」
「今がそのピンチなんだよ!」
俺は、必死に説明する。――このままでは、世界が終わると。おまえらのアホな自己満足のせいで滅びると。何百万単位の人の命が消えると。がんばったのはわかる。けど、細胞が拒否するのなら、心の根っこからなんとかするしかない。
「……カルマ様は、おふたりの苦しむ姿を見たくないのです」
ルリが、ふとつぶやいた。
「カルマ様は、おふたりのコトが大好きなんです。――リストラされたのも、カルマ様を想ってこそのことだと理解しているんです。カルマ様もつらいのです。けど、それでも世界のために……断腸の思いで、おっしゃられているだけなんです」
「そ、そうなのですか、カルマくん……?」
ナイスだ、ルリ。俺もその方向性で行こう。
「そうだ……。俺だって、姉ちゃんやイシュタリオンさんと別れたくない……けど……。もう、これしか方法が……」
「カルマさん……」
フォルカスが俺の肩にポンと手を置いた。どうやら、精神魔法を使ってくれたらしい。俺の中の悲しみの感情を増幅させてくれる。ナイスタイミングだ。自然と涙がこぼれ落ちてきた。
「……フェミル」と、憐憫の込められたイシュタリオンさんのつぶやき。
「――どうやら、カルマを苦しめていたのは私たちの方だったらしい」
「そう……ですね……」
☆
「本当に、いいんですね?」
フォルカスの問いかけに、カルマはこくりと頷いた。
「これも、世界のためだ」
さすがに元魔王軍四天王のフォルカスとはいえ緊張する。カルマたちの絆は痛いほどよくわかっている。バカバカしく甘々しいが、彼女たちの愛は本物。愛とは決して絶やしてはいけない感情――それを、一時的にでも消すのは、さすがに忍びなかった。
けど、フォルカスは彼女たちに恩がある。魔王軍にいた頃よりも今の方が幸せだ。カルマや他の召使いと楽しく過ごして、美味しいご飯も食べさせてもらえる。争いごとだってない。その恩に報いるためにも、カルマの要求には応えたい。
「仕方なし……。このイシュタリオン、おまえの力を借りることにする」
「リストラすべきは、カルマくん自身ではなく、私の心の中のカルマくんでした……フォルカスさん、よろしくお願いします」
ふたりは椅子に深々と腰掛けて並ぶ。見守るカルマとルリ。
「わかりました。それでは……イシュタリオンお姉様から始めましょう。心を解放してください。魔法防御力を意識して下げてください。瞑想の要領です。難しいのであれば、眠ってしまっても構いません」
「うむ」
瞳を閉じるイシュタリオン。すると、そのまま寝息が聞こえてきた。さすがだとフォルカスは思った。魔法防御力も低下している。彼女クラスの能力を持っていれば、常時魔力が身体を保護しているものだ。意識的に下げるのも凄いが、そのまま眠ってしまえるのも凄い。
フォルカスは、イシュタリオンの額へと掌を当てる。――その時だった。イシュタリオンが眠ったまま、ガタンと立ち上がった。
「えッ?」
フォルカスの狐耳がピンと跳ね上がる。思わず後退してしまう。その刹那。イシュタリオンの右ストレートがが撃ち放たれる。フォルカスはかろうじて回避。
「ひゃあぁぁ!」
拳が大理石の壁を貫く。魔力の波動は感じられない。敵意も感じられない。本当に眠ったままだ。身体が動いたのは、防衛本能か。カルマの記憶を消されたくないという歪な愛が、彼女を突き動かしたのだろうか。
拳を引き抜くイシュタリオン。破片がパラパラと落ちる。そして、殺気を漂わせながら鼻ちょうちんを膨らませる。
――殺される、と、思った。
目の前にいるのは滅殺人形《マーダードール》だ。これ以上続けたら、条件反射で殺されるだろう。動けない。触れない。続けられない。
「ちょ、ちょっとイシュタリオンさん! お、落ち着いて」
カルマが、イシュタリオンを引っ張って再度着席させてくれる。カルマが触れると、なぜか彼女は満足げな表情(寝たまま)をするのだった。
「むう、軟弱な。自制できないなど、イシュタリオンは修行が足りません」
ぷんすか怒るフェミル。いや、普通に凄いとフォルカスは思った。寝ていても外敵から身を守るなんて、サバイバルに置いては最高のスキルだろう。
「え、えっと……そ、それじゃあ、イシュタリオンお姉様は後回しにして、フェミル様から先に記憶を消しますね」
「……わかりました」
イシュタリオンは、あとでロープで縛ってから施術をしよう。
「では、始めます」
「はい」と、瞳を閉じる勇者フェミル。彼女は寝ていないようだった。だが、完全に意識は無だ。瞑想状態。さすがは勇者。仙人のようなことを容易くやってしまう。なんで、これほど優秀かつ達観しているのに、カルマのことになるとアホになるのだろう。煩悩ぐらい才能でどうにかできないのだろうか。
掌を頭部に当てる。精神に介入する。
――その時だった。
『ッ!』
瞬間。フォルカスの周囲が暗闇に落ちる。
『え……フェミル様……? ルリ? カ、カルマ様……?』
消えた? いや、違う。これは、フォルカスが移動したのだ。
――勇者フェミルの精神世界に。
喪心魔法を極めたフォルカスだからこそ理解できる。だが、その極めたフォルカスが、対象者相手に引き込まれるなどあってはならない。というか、あり得ない。
例えるなら、釣り人が魚に引きずり込まれるようなもの。しかも、相手は魔法防御を0まで下げているのだ。魚というよりもメダカ。いや、それ以下。釣り針になんの魚も付いていない状況で、フォルカスという精神魔法のバケモノを引きずり込んだのである。
フォルカスの頬を、ツゥと冷や汗が伝う。
――漆黒の世界。なにも見えない。そして、何が起こるのかもフォルカスにはわからなかった。
「にゃーん」
猫の鳴き声? 身体をビクつかせるフォルカス。振り向くと、そこにはフェミルの生首があった。
「ふぇ、フェミル様……?」
「にゃーん」と、鳴くフェミル。
次の瞬間、彼女の身体が闇からフェードインしてくる。その姿を見て、フォルカスは絶叫した。
「ひぃいぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!」
身体はアルパカ。頭だけがフェミルの顔をしている。身体にはドラゴンの翼。尻尾は蛇。見たこともないバケモノ。ほのかに笑みを浮かべたフェミルが「にゃーん」と鳴いている。
「ば、ばけもの……」
「にゃぁあぁあぁぁぁぁぁん!」
フェミル(アルパカ)が叫んだ。すると、それに呼応するかのように、あちこちから「にゃーん」という鳴き声が聞こえた。
次に現れたのは馬だ。フェミルの顔をした馬の群れが、怒濤の勢いで押し寄せる。空中からは、巨大なコンドルの群れ。それもフェミルの顔をしていた。どれも、鳴き声は「にゃーん」だ。
「うわぁぁあぁぁぁぁん!」
あまりの恐怖に、フォルカスは一心不乱で逃げ出す。漆黒の世界。どこへ行って良いのかわからないけど、とにもかくにもバケモノの集団から逃れたかった。頭がおかしくなりそうだった。
すると、ドンと何かにぶつかった。尻餅をつくフォルカス。恐る恐る見上げると、そこにはカルマがいた。
「か、カルマ様……?」
部族のような格好をしたカルマ。手には松明を持っていた。だが、安心したのも束の間だ。
「にゃーん」と、カルマは鳴いた。
「ひッ!」
よく見れば、カルマではなかった。『カルマのお面』を被っているフェミルだ。頭は見事にピンク色をしている。豊満な胸もくっついていたわこんちくしょう。
尻餅をつきながら、フォルカスが後退する。部族のようなフェミル軍団が、さらにフェードインしてきた。彼女たちは「にゃーん!」と鳴きながら、ズンドコズンドコという謎の太鼓の音に合わせて、フォルカスの周囲をグルグルと踊り狂うのだった――。
☆
フォルカスが魔法をかけ始めてから30分が経過した。さすがに心配になってくる俺。喪心魔法というのは、かくも時間がかかるものなのか。いや、勇者フェミルが相手ともなれば、一筋縄ではいかないのだろう。
だが、先程からフォルカスの様子がおかしい。身体が小刻みに震え、目からは滝のような涙。額からは大河のような汗。口からは氷柱のような涎。股下からは……え、ええ! も、漏らしてないか?
気がつけば、銀色の髪も、色あせた灰色へと変わっているような気がする。狐耳もペタンとして元気がない。起こした方がいいのか? 邪魔したら悪いかな?
いや、体中から汁という汁が溢れ出ているし、このままだと脱水症状で死んでしまいそうなので、少し声をかけてみる。ポンと、肩に手を置き――。
「フォルカス」
瞬間、びくんと身体を震わせる。体中の汁が部屋に飛び散った。プルンと狐耳が動いた。竜巻の如く、俺の方を向き直ると――。
「にゃぁあぁああぁぁんッ! か、カルマ様ぁぁぁあぁぁぁッ」
瞬間、カルマに抱きついて胸にほおを押しつけた。大号泣の阿鼻叫喚だった。
「な、なにがあったんだ?」
同時に、姉ちゃんもぱちりと覚醒する。よくわからないが、こいつが諸悪の根源だろう。
「おい、姉ちゃん! フォルカスになにをした!」
「へ? な、なんのことです? ――ッ! なんで私のカルマくんに抱きついているんですか! 離れてください!」
「にぎゃぁああぁあぁッ!」
姉ちゃんの声を聞いて、さらに怯えるフォルカス。よっぽど怖い目に遭ったのだろう。彼女の抱きしめる力がさらに強くなる。こいつはヤバいと感じた。
「おい、姉ちゃん! 説明しろ! これはどういうことだ!」
「お姉ちゃんこそ、知りたいです! っていうか、カルマくんの記憶が消えてません!」
「ぎにゃぁあぁあぁぁぁん!」
「フォルカスが怯えているじゃないか!」
「濡れ衣です!」
混迷極める宮殿の一室。俺はとりあえずフォルカスが心配なので、医務室へと運ぶことにした。
☆
俺は、お姫様抱っこでフォルカスを運ぶ。廊下の途中で、彼女は目を覚ました。
「カル……マ……様……」
腕の中で、彼女は俺の名前を呼んだ。
「目が覚めたか」
「……わ、私はいったい……」
「よくわからないけど、たぶん姉ちゃんが悪いんだろう……とりあえず、このままベッドに運ぶから、しっかりと休んでくれ」
「ありがとう……ございます……」
憔悴しきった彼女は、安堵の表情を浮かべた。ふと、白い猫がやってくる。宮殿で飼っているのだろう。それがトコトコやってきた。餌が欲しいのだろうか。
「にゃーん」
「ぎにゃあぁぁあぁああぁぁぁッ!」
フォルカスは絶叫したかと思うと、すぐさま泡を吹いて気絶してしまうのだった。
「フォルカス……? フォルカァァァァァスッ!」
宮殿の一室。俺の前には、しょぼくれたフェミル姉ちゃんと、イシュタリオンさんが、悪戯をして叱られる子供のように床へと正座して、俯いていた。
「おふたりに聞きます。さっきの醜態はいったいなんでしょう?」
「本能への反逆なのです……」
要するに、俺離れできないのである。このふたりは。
「カ、カルマくんにも責任はあります! 『お姉ちゃん行かないで!』なんて声をかけるから、後ろ髪を引かれるのです!」
「そうだそうだ!」
「言ってないです。濡れ衣です。もしくは幻聴です。――なあ、フォルカス」
「はい、言っておりませんでした。――ですよね、ルリさん?」
「ええ」
リレー方式で、事実確認をする俺たち。ぐうの音も出ないふたりは、バツが悪そうな表情で俯いてしまう。
こうなったら仕方がない。最終手段である。俺は、でかい溜息をついて――告げる。
「しょうがない。ふたりの記憶から、俺を消そう」
「へ……?」
「なん……だと……?」
フォルカスの精神魔法で記憶を操作する。世界が平和になるまでおさらばだ。ここまでしなければ、ふたりは安心して旅に出ることはできまい。そのことを説明すると、予想通り大反論が飛んでくる。
「バカげている! そんなもの無意味かつ無価値ッ! カルマとの思い出を削除するなど、このイシュタリオン、断固として拒否するッ!」
「削除ではなく、封印です」と、フォルカスも説明してくれる。
「絶対にダメです! 勇者は、ピンチに陥った時こそ、家族を思い出して真の力を発揮できるのです! 覚醒トリガーとしてカルマくんは必須です!」
「今がそのピンチなんだよ!」
俺は、必死に説明する。――このままでは、世界が終わると。おまえらのアホな自己満足のせいで滅びると。何百万単位の人の命が消えると。がんばったのはわかる。けど、細胞が拒否するのなら、心の根っこからなんとかするしかない。
「……カルマ様は、おふたりの苦しむ姿を見たくないのです」
ルリが、ふとつぶやいた。
「カルマ様は、おふたりのコトが大好きなんです。――リストラされたのも、カルマ様を想ってこそのことだと理解しているんです。カルマ様もつらいのです。けど、それでも世界のために……断腸の思いで、おっしゃられているだけなんです」
「そ、そうなのですか、カルマくん……?」
ナイスだ、ルリ。俺もその方向性で行こう。
「そうだ……。俺だって、姉ちゃんやイシュタリオンさんと別れたくない……けど……。もう、これしか方法が……」
「カルマさん……」
フォルカスが俺の肩にポンと手を置いた。どうやら、精神魔法を使ってくれたらしい。俺の中の悲しみの感情を増幅させてくれる。ナイスタイミングだ。自然と涙がこぼれ落ちてきた。
「……フェミル」と、憐憫の込められたイシュタリオンさんのつぶやき。
「――どうやら、カルマを苦しめていたのは私たちの方だったらしい」
「そう……ですね……」
☆
「本当に、いいんですね?」
フォルカスの問いかけに、カルマはこくりと頷いた。
「これも、世界のためだ」
さすがに元魔王軍四天王のフォルカスとはいえ緊張する。カルマたちの絆は痛いほどよくわかっている。バカバカしく甘々しいが、彼女たちの愛は本物。愛とは決して絶やしてはいけない感情――それを、一時的にでも消すのは、さすがに忍びなかった。
けど、フォルカスは彼女たちに恩がある。魔王軍にいた頃よりも今の方が幸せだ。カルマや他の召使いと楽しく過ごして、美味しいご飯も食べさせてもらえる。争いごとだってない。その恩に報いるためにも、カルマの要求には応えたい。
「仕方なし……。このイシュタリオン、おまえの力を借りることにする」
「リストラすべきは、カルマくん自身ではなく、私の心の中のカルマくんでした……フォルカスさん、よろしくお願いします」
ふたりは椅子に深々と腰掛けて並ぶ。見守るカルマとルリ。
「わかりました。それでは……イシュタリオンお姉様から始めましょう。心を解放してください。魔法防御力を意識して下げてください。瞑想の要領です。難しいのであれば、眠ってしまっても構いません」
「うむ」
瞳を閉じるイシュタリオン。すると、そのまま寝息が聞こえてきた。さすがだとフォルカスは思った。魔法防御力も低下している。彼女クラスの能力を持っていれば、常時魔力が身体を保護しているものだ。意識的に下げるのも凄いが、そのまま眠ってしまえるのも凄い。
フォルカスは、イシュタリオンの額へと掌を当てる。――その時だった。イシュタリオンが眠ったまま、ガタンと立ち上がった。
「えッ?」
フォルカスの狐耳がピンと跳ね上がる。思わず後退してしまう。その刹那。イシュタリオンの右ストレートがが撃ち放たれる。フォルカスはかろうじて回避。
「ひゃあぁぁ!」
拳が大理石の壁を貫く。魔力の波動は感じられない。敵意も感じられない。本当に眠ったままだ。身体が動いたのは、防衛本能か。カルマの記憶を消されたくないという歪な愛が、彼女を突き動かしたのだろうか。
拳を引き抜くイシュタリオン。破片がパラパラと落ちる。そして、殺気を漂わせながら鼻ちょうちんを膨らませる。
――殺される、と、思った。
目の前にいるのは滅殺人形《マーダードール》だ。これ以上続けたら、条件反射で殺されるだろう。動けない。触れない。続けられない。
「ちょ、ちょっとイシュタリオンさん! お、落ち着いて」
カルマが、イシュタリオンを引っ張って再度着席させてくれる。カルマが触れると、なぜか彼女は満足げな表情(寝たまま)をするのだった。
「むう、軟弱な。自制できないなど、イシュタリオンは修行が足りません」
ぷんすか怒るフェミル。いや、普通に凄いとフォルカスは思った。寝ていても外敵から身を守るなんて、サバイバルに置いては最高のスキルだろう。
「え、えっと……そ、それじゃあ、イシュタリオンお姉様は後回しにして、フェミル様から先に記憶を消しますね」
「……わかりました」
イシュタリオンは、あとでロープで縛ってから施術をしよう。
「では、始めます」
「はい」と、瞳を閉じる勇者フェミル。彼女は寝ていないようだった。だが、完全に意識は無だ。瞑想状態。さすがは勇者。仙人のようなことを容易くやってしまう。なんで、これほど優秀かつ達観しているのに、カルマのことになるとアホになるのだろう。煩悩ぐらい才能でどうにかできないのだろうか。
掌を頭部に当てる。精神に介入する。
――その時だった。
『ッ!』
瞬間。フォルカスの周囲が暗闇に落ちる。
『え……フェミル様……? ルリ? カ、カルマ様……?』
消えた? いや、違う。これは、フォルカスが移動したのだ。
――勇者フェミルの精神世界に。
喪心魔法を極めたフォルカスだからこそ理解できる。だが、その極めたフォルカスが、対象者相手に引き込まれるなどあってはならない。というか、あり得ない。
例えるなら、釣り人が魚に引きずり込まれるようなもの。しかも、相手は魔法防御を0まで下げているのだ。魚というよりもメダカ。いや、それ以下。釣り針になんの魚も付いていない状況で、フォルカスという精神魔法のバケモノを引きずり込んだのである。
フォルカスの頬を、ツゥと冷や汗が伝う。
――漆黒の世界。なにも見えない。そして、何が起こるのかもフォルカスにはわからなかった。
「にゃーん」
猫の鳴き声? 身体をビクつかせるフォルカス。振り向くと、そこにはフェミルの生首があった。
「ふぇ、フェミル様……?」
「にゃーん」と、鳴くフェミル。
次の瞬間、彼女の身体が闇からフェードインしてくる。その姿を見て、フォルカスは絶叫した。
「ひぃいぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!」
身体はアルパカ。頭だけがフェミルの顔をしている。身体にはドラゴンの翼。尻尾は蛇。見たこともないバケモノ。ほのかに笑みを浮かべたフェミルが「にゃーん」と鳴いている。
「ば、ばけもの……」
「にゃぁあぁあぁぁぁぁぁん!」
フェミル(アルパカ)が叫んだ。すると、それに呼応するかのように、あちこちから「にゃーん」という鳴き声が聞こえた。
次に現れたのは馬だ。フェミルの顔をした馬の群れが、怒濤の勢いで押し寄せる。空中からは、巨大なコンドルの群れ。それもフェミルの顔をしていた。どれも、鳴き声は「にゃーん」だ。
「うわぁぁあぁぁぁぁん!」
あまりの恐怖に、フォルカスは一心不乱で逃げ出す。漆黒の世界。どこへ行って良いのかわからないけど、とにもかくにもバケモノの集団から逃れたかった。頭がおかしくなりそうだった。
すると、ドンと何かにぶつかった。尻餅をつくフォルカス。恐る恐る見上げると、そこにはカルマがいた。
「か、カルマ様……?」
部族のような格好をしたカルマ。手には松明を持っていた。だが、安心したのも束の間だ。
「にゃーん」と、カルマは鳴いた。
「ひッ!」
よく見れば、カルマではなかった。『カルマのお面』を被っているフェミルだ。頭は見事にピンク色をしている。豊満な胸もくっついていたわこんちくしょう。
尻餅をつきながら、フォルカスが後退する。部族のようなフェミル軍団が、さらにフェードインしてきた。彼女たちは「にゃーん!」と鳴きながら、ズンドコズンドコという謎の太鼓の音に合わせて、フォルカスの周囲をグルグルと踊り狂うのだった――。
☆
フォルカスが魔法をかけ始めてから30分が経過した。さすがに心配になってくる俺。喪心魔法というのは、かくも時間がかかるものなのか。いや、勇者フェミルが相手ともなれば、一筋縄ではいかないのだろう。
だが、先程からフォルカスの様子がおかしい。身体が小刻みに震え、目からは滝のような涙。額からは大河のような汗。口からは氷柱のような涎。股下からは……え、ええ! も、漏らしてないか?
気がつけば、銀色の髪も、色あせた灰色へと変わっているような気がする。狐耳もペタンとして元気がない。起こした方がいいのか? 邪魔したら悪いかな?
いや、体中から汁という汁が溢れ出ているし、このままだと脱水症状で死んでしまいそうなので、少し声をかけてみる。ポンと、肩に手を置き――。
「フォルカス」
瞬間、びくんと身体を震わせる。体中の汁が部屋に飛び散った。プルンと狐耳が動いた。竜巻の如く、俺の方を向き直ると――。
「にゃぁあぁああぁぁんッ! か、カルマ様ぁぁぁあぁぁぁッ」
瞬間、カルマに抱きついて胸にほおを押しつけた。大号泣の阿鼻叫喚だった。
「な、なにがあったんだ?」
同時に、姉ちゃんもぱちりと覚醒する。よくわからないが、こいつが諸悪の根源だろう。
「おい、姉ちゃん! フォルカスになにをした!」
「へ? な、なんのことです? ――ッ! なんで私のカルマくんに抱きついているんですか! 離れてください!」
「にぎゃぁああぁあぁッ!」
姉ちゃんの声を聞いて、さらに怯えるフォルカス。よっぽど怖い目に遭ったのだろう。彼女の抱きしめる力がさらに強くなる。こいつはヤバいと感じた。
「おい、姉ちゃん! 説明しろ! これはどういうことだ!」
「お姉ちゃんこそ、知りたいです! っていうか、カルマくんの記憶が消えてません!」
「ぎにゃぁあぁあぁぁぁん!」
「フォルカスが怯えているじゃないか!」
「濡れ衣です!」
混迷極める宮殿の一室。俺はとりあえずフォルカスが心配なので、医務室へと運ぶことにした。
☆
俺は、お姫様抱っこでフォルカスを運ぶ。廊下の途中で、彼女は目を覚ました。
「カル……マ……様……」
腕の中で、彼女は俺の名前を呼んだ。
「目が覚めたか」
「……わ、私はいったい……」
「よくわからないけど、たぶん姉ちゃんが悪いんだろう……とりあえず、このままベッドに運ぶから、しっかりと休んでくれ」
「ありがとう……ございます……」
憔悴しきった彼女は、安堵の表情を浮かべた。ふと、白い猫がやってくる。宮殿で飼っているのだろう。それがトコトコやってきた。餌が欲しいのだろうか。
「にゃーん」
「ぎにゃあぁぁあぁああぁぁぁッ!」
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「フォルカス……? フォルカァァァァァスッ!」
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代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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