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第42話 アンチェイン

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 ――ここは、どこだろうか? 
 パーティ会場? スピネイルの屋敷?

 昨晩、ベッドに倒れてからの記憶が、テスラにはなかった。たった一杯のワインで、まさか倒れるとは思わなかった。気がつけば鬱蒼とした、石造りの巨大ホール。その正面の壁だけは巨大な一枚のガラスがピッシリと張られていた。まるで、研究室だ。

 そして、そのホールの中心で、テスラは椅子に座らされている。極太の鎖でぐるぐる巻きにされて――。

「おい! 誰かいるか!?」

 叫んでみる。だが、広いホールに、テスラの言葉が反響するだけだった。

「――ようやくお目覚めですか、テスラ」

 ガラスの向こう側。いけ好かない笑みを浮かべたスピネイルが、ゆっくりと登場した。

「スピネイル……これはどういうことだ」

「はは、死んでないことに驚きだ。ドラゴンでもぐっすりの特製睡眠薬をワインに混ぜるよう言ったのですがね」

 ガラス越しに会話できるということは、魔法を使ってそういう環境を構築しているのだろう。うん、それにしても原因は睡眠薬だったか。よかった。アルコールを大量に添加されていたら死んでいた。

「ほう? ということは、これは貴殿の悪意と捉えていいわけだ」

 ぎろりと睨むテスラ。そして、鎖を引きちぎろうと全身に力を込める。だが、壊れそうになかった。

「その鎖は人工オリハルコン。ドラゴンをも抑えつけられる、最硬の人工物質ですよ。さすがのあなたでも壊せないでしょう」

 忌々しげにあきらめるテスラ。ふてくされるように「目的はなんだ?」と、問いを投げかける。

「あなたが気に入りません。なので、まあ屈服するか死んでもらうかしてもらいたいわけです」

「それほど恨みを買っていたとは思わなかったな」

「実際のところ、あなたは上手くやっている。統治も素晴らしい。国王陛下からの信頼も厚い。だけど、民と資源は有限だ。誰かが潤えば、誰かが衰退する。そうなると、困るのは近隣諸侯だ。テスラひとりを太らせるよりも、多くに分配した方がいい。貴方がいなくなることを、諸侯たちも望んでいますよ」

「浅はかにもほどがあるな」

「個人的にも気に入りません。昨晩は、よくも魔物産業のことを議題に出してくれましたね。おかげでバルトランドに目を付けられてしまいました」

 自業自得と言いたいが、スピネイルになにを言っても無駄だろう。呆れてため息のひとつも出る。

「鎖を外せ。いまなら許してやる」

「その状況で『許す』とは?」

「これが最後の忠告だ。冗談で済ませてやるのはここまでだと言っている」

「くくっ……冗談を言っているのはそちらでしょう? あなたの選択肢はふたつだ。ひとつは服従するか。もうひとつは死ぬか。今頃、バニンガが、あなたに近しい者を捕らえていることでしょう。ソレを人質に、あなたが永遠の忠誠を誓うというのであれば、生かしておいてもいいですが――」

「人質……?」

 屋敷のものか、あるいはミトリか。しかし、テスラには関係なかった。町のことはリークに任せてある。もし、万が一誘拐でもされていたとしても、確実にリークが助けてくれているだろう。

「忠誠を誓い、完全服従など……ありえんな」

「じゃあ、死ぬしかありませんね」

 スピネイルが、壁のレバーを操作した。すると、テスラ側の石壁が、ゆっくりとせり上がっていった。

「グガァアアァァァア!」

 竜だ。テスラの屋敷ぐらい巨大。長い首に荘厳な翼。尾を床にたたきつけると、けたたましい音が鳴り響く。

「レッドドラゴン。マグマ付近に住む火竜ですね。ギルドのS級ハンターでも勝てるかどうか」

「S級如きと比較されても困るがな」

「しかし、テスラ様は拘束されていらっしゃるでしょう?」

「あ、そうだった」

 ドラゴンがテスラを睨む。そして、威嚇するように吠える。

「どうやら、あなたを敵と認識したようですね。それだけでも立派です」

 相手が獲物であれば、竜は威嚇などしない。少なくとも、目の前の人間が、自分の敵――障害だと思っているようだ。――いや。

「違うな。……人間が嫌いなのか」

 レッドドラゴンの瞳の奥には憎しみが見える。思い出した。こいつは魔物園にいたドラゴンだ。狭い檻の中で、おとなしくさせられていたあいつだ。嗚呼、要するに、こいつは人間が憎くて仕方がないわけだ。ドラゴンというのは、他の魔物と比べ知能もプライドも高い。管理されて生きるのが嫌だったのだろう。

「まあ、私には関係のないことか。目の前に立ちはだかるのであれガッ――ハッ!」

 竜の尾が振るわれた。それに打ちのめされ、壁へと叩きつけられるテスラ。ズル、と、床に落下する。

「死にました?」

 とぼけたように問いかけるスピネイル。

「こ……この程度で死ぬものか」

「はは、よかった。――いやあ、実を言うとあなたの身体に興味があったのですよ。どうやれば、人間はこれほど強靱になれるのかと」

「じょ、丈夫なのはこの壁の方だ。私が叩きつけられたというのに、壊れないとはな」

「くくっ、その強気がいつまで持ちますかな」

 ――さすがに、拘束されたままというのはまずいか。腕が使えないのは厳しい。

 レッドドラゴンが天を仰ぐ。室内の温度が急上昇した。

「ちっ! 火炎かッ?」

 先手を打つ。跳躍して、竜の顔面を思い切り蹴る。奴はのけぞりながらも、尾を振り回した。それによって、テスラは地面にたたき伏せられる。さらに、竜は顎をぶつけてきた。さらに、巨大な足で踏みつけてくる

「ぐあッ――はッ!」

 この場所での火炎はマズい。なにがマズいかというと、炎の逃げ場がない。密閉されているであろうこの空間で炎を使ったら、大気中の酸素は一瞬で消滅する。要するに窒息する。テスラもドラゴンも。

「グルルルル……」

「ふ……くくくっ。まだだ!」

 強がりの笑みを浮かべ、テスラは全身に力を込める。全力で。さっきよりも強く。――すると、人工オリハルコンの鎖がはじけ飛んだ。

「まさか……そんな馬鹿な! 砕けるわけがない!」

 自由になった四肢を、確かめるように動かすテスラ。

「ドラゴンの攻撃は、わざと食らってやっていたのだ。こいつの力を利用すれば、この人工オリハルコンとやらも無事では済むまい。案の定、私の力で砕けるぐらいにヒビが入ってくれたようだな」

 テスラが動いた。弾丸の如くドラゴンに接近。腹部に拳を叩き込んで、壁まで吹っ飛ばす。

「グギャアァアァオ!」

 体勢を立て直し、尾を叩きつけてくる。その尾を受け止めて掴む。思い切り引き寄せ、さらには振り回す。壁や床へ幾度も叩きつける。ズガン、ゴガンと。やがて、ホウ酸団子を食らったゴキブリのようにピクピクと動かなくなった。

「馬鹿な……」

「さすがに、このクラスの敵を相手にすると疲れるな」

 やれやれと肩を回すテスラ。ゆっくりとガラスの壁に近づいていく。

「次はおまえの番だな、スピネイル」

「は、はは……! しかし、このガラスは強化ミスリルガラス! 堅いだけでなく、魔法によって強化されているゆえ、硬さは壁の比では――」

 テスラは、全力でガラスを殴りつける。すると透明だったはずのガラスが、一瞬にして真っ白になって、一斉に砕け散った。幾万の透明な破片が、煌びやかに降り注ぐ。

「う、嘘だ……」

「いいや、真実だ。私を……私の民を……私の国を愚弄した罪は重いぞ、スピネイル」

 ここからは容赦しない。売られた喧嘩だ。足腰立たなくなるぐらいにはさせてもらう。

「殺すつもりだったのだろう?。ならば、殺される覚悟もできてるな? まあ、できていなくても、勝手にぶちのめさせてもらうが」

 テスラの拳が放たれる。弾丸よりも早く、鉄よりも重い一撃。だが、スピネイルはそれを掌でバシンと受け止める。

「な――」

「驚いているのか? だとしたら、あまりにも私を舐めすぎです。我が名はスピネイル・クラージュ。このクランバルジュを統べる者。魔侯爵と呼ばれる大魔法使いでもあるのですよッ!」

 スピネイルが爆裂魔法を放つ。その威力は凄まじく、テスラを派手に吹っ飛ばした。背後の壁を砕く。何枚も何枚も。どこにあるやもわからない建物から、豪快に排出される。

「がッ――はッ――!」

 数百メートルは飛んだか。気がつけば、荒野で仰向けになっていた。青い空が、テスラの視界を迎えた。

「ごほっ……なんだ、奴の強さは……」

 テスラのパンチを素手で受け止めるなどありえない。さらには魔法――テスラでなければ、肉体が粉々になっていただろう。

「こ……ここは……どこだ?」

 屋敷の地下だと思っていたが、どうやら違うらしい。荒れた大地。そして、さっきまでいたところには黒塗りの禍々しい城がある。まるで魔王城。スピネイルの奴は、隠れてあのような施設をつくっていたのか。

「テスラぁああぁぁぁぁッ!」

 上空から、降ってくるように現れるスピネイル。着地と同時にテスラの腹部へと膝蹴りを叩き込んでくる。

「ぐがはッ!」

「自慢の肉体も、私の魔力の前では無意味のようですねえ!」

「ぐ……貴様、その力は……」

 馬乗りになったまま、クラージュは胸元を開《はだ》けさせる。すると、みぞおちの部分に、巨大でグロテスクな『瞳』があった。

「そ、それはまさか……」

「ええ、魔王の瞳です!」

 各領主が、身命を賭して守るべきハズの魔王のパーツのひとつ。それが身体の一部として埋め込まれているのだ。

「本来なら、こいつは絶対に身体に埋め込むことなどできない。だが、クラージュ家の血と魔力が勝った! 魔王の凄まじい力を、体内に宿すことができた! 我が魔法は魔王すらもコントロールできるようになった! 貴様如きには遅れを取らん――!」
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