初恋の香りに誘われて

雪白ぐみ

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第四話〜理由〜

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 連絡先を交換したのに、一週間経っても二週間経っても、青山君からの連絡は一向に来る気配がない。

 別に連絡が来るのを心待ちにしていたわけではないけど、なんとなく、ただなんとなくスマホから目が離せなくて、出来る限り目の届くところに置いておいた。

 でも例え連絡が来たとして、私達は今更一体何を話すのだろうか。
 そんな風に思いながらも、やはり心のどこかでは期待していたのかもしれない。

 彼の名前が通知される日を――






 ある日、借りた本を返しに構内の図書館に向かう途中で、背後から名前を呼ばれた。

 この声はもしかして。

 振り返るとその声の主は予想通りの人物で。


「何で連絡くれないの? 俺ずっと待ってたのに」

「ごめんね、特に用もないのに連絡して良いのか分からなくて」

 何でって、何でこっちこそ謝ってるんだろう。
 連絡先を聞いた方から先に連絡すればいいじゃない……喉まで出掛かった言葉はすぐに飲み込んだ。

 目の前にいる彼が、寂しさを隠して拗ねている子供のように私には映ったから。


「いや、謝らなくて大丈夫。本当は俺から連絡しようかとも思ったんだけど……」

 私から出た言葉が予想外だったのだろうか、青山君はバツが悪そうに目を伏せた。

 そもそも、青山君は何を考えて私と連絡先を交換したのだろう。
 今更私と連絡を取り合って、思い出話に花でも咲かせるつもりなの?
 今のところ、全く彼の意図が掴めない。


「小澤、今日この後って時間ある?」

「今日? この後?」

 緊張していたとは言え、なんだこのただのオウム返しは。

「うん、俺小澤に」

 ちょうど良い時に、彼のスマホが鳴った。

 ごめん出るね、と言うのでどうぞ、と手を前に差し出すジェスチャーを送る。
 今のうちに何て言って断るか、角の立たない断り方を考えておこう。
 と思ったのも束の間――
 少し離れた場所で手短に要件を済ませると、彼は早々と電話を切りこちらへ向かって小走りで戻って来た。


「ごめん、話の途中で」

「ううん、大丈夫」

「で、さっきの続きだけど」

「ごめん! 今日は夕方バイトなの!」

 嘘も方便とはまさにこの事。
 一瞬、彼が傷ついたような顔を見せた気がして、胸がチクッと痛む。
 だって、彼が何をしたいのかは分からないけど、何をするにしても心の準備が全然出来ていない。
 この間再会したばかりで、顔を見て話すのだってやっとなのだから。


「そーなんだ残念。俺小澤に返すものあったんだけど」

「え? それって――」

「今日はいいよ、また連絡する。じゃあね」

 気になる言葉だけを残し、彼は足早に去って行った。




『返すもの』

 それが何なのか、聞かなくても私は分かる。

 実を言うと、それはここ数年で最大の気がかりでもあったから。

 まだ持っていてくれたんだ。
 とっくに捨てたかと思っていた。

 もしかして、彼なりにずっとその事が引っかかっていたから、あの時に勇気を出して声をかけてくれたのかもしれない。
 そう思うと、少しだけ肩の力が抜けたような気がして楽になった。


 その日を境に、青山君とはあの頃のように連絡を取り合うようになる。
 と言っても、メッセージのやり取りのみだけど。

 一日の終わりに、彼から今日何してた? とか、バイトどうだった? とか、そんな風に他愛のない事を少しだけ。
 
 スマホの通知音が鳴る度に、胸の奥がほんの少しだけくすぐったいような、ざわざわして落ち着かないような、変な気分になるのはどうしてだろう。
 



『小澤って実家から通ってるの?』

『そうだよ』

『県内とは言え、あそこからだとけっこうかかるよね?』

『電車と自転車で、二時間とまでは言わないけど、一時間半以上はかかる』

『うわー大変だな』

『そうかな? 割と普通かと思ってた。青山君は?』

『俺は学校の近くにアパート借りてる。一人暮らしして親の有り難みを感じてこいとか何とか親に言われてさ』


 一人暮らし……そうだったんだ。
 通りで同じ大学のわりに、最寄りの駅で一度も見かけないと思ってた。


 学部が違うと、構内で顔を合わせない事もしばしば。
 構内で会えない代わりに、そのやり取りが私達の三年間を少しずつ埋めていく気がした。


『今度お昼一緒にどう?』

『分かった、華奈ちゃんにも声掛けるね』

『いや二人で』


 正直言うと、これにはかなり返答に迷った。


『じゃあ今度学食で』

 ここなら二人と言っても周りにいっぱい学生がいるから緊張しないだろう、我ながら良い返答だ。
 
『外出てもいいよ、近くのタイ料理は? 行った事ある?』

『行った事あるよ。あそこ安くて美味しいんだよね』

『じゃあそこにしよう』

 困った。
 いつの間にか約束してる。

 でも仕方ない。
 どのみち彼には会わなくてはならないんだ。

 あの日私が彼の部屋に落としたもの。

 あの時の私の一番の宝物だった、ピンク色のヘアゴムを返してもらわなくては。
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