あらざらむ

松澤 康廣

文字の大きさ
8 / 21

しおりを挟む
 油断があったのかもしれない。
 何故、夜襲を防げなかったのか。
 篝火かがりびをたいて、警戒はしていたはずなのに……。
 何日も戦闘がなかったので、警備の兵が居眠りでもしていたに違いない。
 圧倒的なときの声に、三郎も河井もすぐに目が覚めた。何が起きたかはすぐに察した。
 敵は次々と崖を越えてきた。三郎に恐怖が襲った。河井も同様だった。
 河井は大刀だけは腰につけ、他は何も持たず、武具もつけずにすぐに逃げた。
 三郎は赤革の腰巻きだけを身につけ大刀を持ち河井の後を追った。
 幸運だった。二人は崖から一番遠い地に寝ていた。敵はまだ遠かった。
 河井は走りながら、大刀も捨てた。三郎も腰巻きを捨て、大刀も捨てた。
 身が軽くなった。それにより、敵との距離が広がったが、そのかわり、若し、一人にでも追いつかれたら、終わりだ。しかし、その可能性は高くなかった。
 夜が明けていない。暗がりにまぎれることこそが唯一の助かる手段だった。味方の兵は四方八方に逃げた。河井は転がり落ちるように、山を下っていった。三郎も従う。この先に何が待っているかは分からなかった。今追ってくる上杉の兵から逃れるのが全てだった。 
 上杉の兵が二人を追ってくることは無かった。そのことに気づくのにそれほど時間はかからなかった。兵の声は遠くに聞こえるだけになった。
 彼ら全ては権現山を目指していた。
 山を下り終わるとそこは断崖だった。
 海が広がっていた。
 時折白波がたった。頭上の三日月が僅かな光を放っていた。
 左手に海を見ながら、どこかにあるだろう砂浜を目指して、必死に崖を伝った。
 太陽が水平線を上がりきるころに、眼前に砂浜を見つけた。
 長閑のどかな浜辺だった。敵の姿はなかった。
 砂浜に下り、裸足はだしで走った。
 敵に会わないことだけを祈った。どこで、敵に会うかわからない。
 そこで初めて、三郎は死の恐怖を感じた。
 砂浜を駆け上がり村に出た。
 日が頭上高く昇る頃、荷車を引く農民に会った。もう、敵と遭遇する危険は無かった。敵とったとしても、兵と見られる心配はない。
 鎌倉はどちらかと河井は尋ねた。鎌倉は誰でも知っている、それに、どの道も鎌倉に向かっていると思ったからだ。男は何も言わず方向を手で示した。河井は礼を言った。
 そのうちに戸塚を知っている者に出会った。着ている小袖も袴もぼろぼろに破れ、さらに泥だらけの足を見て、不審に思ったのか、農民は「戸塚に何の用事だ?」と訊いた。
 河井は「帰るのだ」と答えた。
 教えられた道を歩く。
 戸塚に着くと、境川はどこかと聞いた。誰もが知っていた。しかし、どれだけ歩いてもなかなか境川に着かなかった。農民に会うたびに河井は同じ質問をぶつけた。
 ようやく境川に辿たどり着くと、あとは川に沿ってとぼとぼと歩いた。
 日が暮れる寸前に、何とか河井の家に着いた。
 河井も三郎も何も言わずに、上がりがまちにへばった。
 二人の倒れこむ音に気づいたのか、奥から奥方が出てきた。寿々も出てきた。
 奥方は言った。
「武士のするようなことはしないと言ったのに。それが約束でしたのに。もう夫をなくす経験はしたくない……」
 奥方はいっぱい泣いた。
 寿々も言った。
「何で武士の真似事なんてするの。武士は捨てて。このままでいい。何も不満は無い」
 寿々は河井に向けていた眼を三郎にも向けた。
刺すような鋭い眼だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

処理中です...