余命宣告を受けた僕が、異世界の記憶を持つ人達に救われるまで。

桐山じゃろ

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最終章 異世界の記憶を持つものたち

28 首都圏某所にて

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*****



 俺を心配そうに覗き込んでいる妻と目が合った。
「っ! ヨシヒデさんっ!!」
「パパ!? パパ!」
 娘の声も聞こえる。
 どちらも目は泣き腫らして真っ赤になっており、俺を呼ぶ声も掠れていた。
 随分と心配をかけてしまったようだ。

 一方、俺は自分でも驚くほど冷静だった。
 まず、今いる状況を整理した。
 見慣れない天井に、少し硬いベッド。シーツ類は白で統一されていて、左腕には点滴の針が刺さっている。
 病院で間違いないだろう。
「今、何月何日だ?」
 身体を起こして尋ねたかったが、妻と娘の二人がかりで上半身に縋りつかれていて、それを跳ね除ける気にはなれない。
 俺が問いかけても、妻は嗚咽が邪魔をしてなかなか答えられなかった。
「ぐすっ、いま、今日はね」

 俺はデリムに感謝した。
 あいつ、日時の調整は難しいとか言っておきながら……。
 妻が口にしたのは、俺があの世界へ突然転移させられた夜の次の日だった。

「何があったか覚えてる? 貴方路上で倒れてたのよ。争ったり、何かを盗られた形跡はないし、精密検査でも何もないって言われたけど……」
 さらに辻褄も合っている。
 デリムに感謝が言えないのが辛い……いや、元はと言えばあいつが俺をあの世界へ転移させなければ……と、過ぎたことはもうどうだっていい。
 俺はちゃんと、元の世界へ戻ってこれたのだ。
「そうか。特に思い当たる節はないが、知らないうちに疲れでも溜まってたのかな」
 ようやく俺から体を離した二人を交互に見て、心配ないと言うつもりで笑ってみせた。

 念のためにという名目で病院にもう一泊し、翌日の午前中には退院した。

 夜、病室で一人になった時に色々と試してみた。
 身体におかしな箇所はなかったし、記憶や思考も正常だ。
 ただし、あの世界で得た不思議な力は、綺麗さっぱり消えてしまっていた。
 どうやって使っていたのかも思い出せない。
 勝手に消えたのか、デリムが消してくれたのか。なんとなく前者じゃないかと感じる。
 この世界じゃ無用の力だ。むしろ、有ったら困る。


「パパ、もう大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「ほんと?」
「本当だ」
 退院してしばらくの間、娘は大事を取って会社を休んでいる俺に、べったりとくっつきっぱなしだった。
 こんな会話を何度もしているのだが、娘は納得しない。
 ふと俺から離れたかと思ったら、娘用のお菓子を持ってきて食わせようとしてくるし、俺が立ち上がれば「どこいくの?」と行き先を聞くまで放してくれない。頼むからトイレの前で待つのはやめてくれ。
 俺は諦めて、リビングでテレビを観るだけのおっさんと化した。

 入院二日、有給三日に土日とたっぷり休んだというのに、月曜日に出社しようとしたら、妻まで止めようとしてきたのには参った。
「しばらくは残業しないようにするから」
「でも……」
「パパ、休んで」
「そういうわけにはいかない」
 結局ギリギリの時間まで二人に粘られ、遅刻しかけた。

 会社でも暫くの間、俺を特別待遇する話になっていた。
「当面残業禁止。有給残ってるんだから存分に使え。昼もしっかり食え」
 上司たちからは口々にこう言われ、同僚は皆して俺に飯を奢ろうとし、後輩にまで気を使われて細かい仕事を持っていかれた。
「検査結果は異常なしでしたし、十分休みました。だから……」
「お前、他のやつが会社帰りにぶっ倒れたらどうしてる? これはな、前例を作るという意味もあるんだ」
 ここまで言われてしまっては、返す言葉もない。

 特別待遇は、ひと月を過ぎる頃には殆どなくなった。
 残業は全体的に控えめになったが、逆に会社全体の業績が上がるという効果をもたらした。
 怪我の功名と言うには強烈な出来事だった。

 あの世界の記憶は、まだしっかりと残っている。
 楽しかったかと問われれば、口を濁すような記憶だが、特に忘れる努力もしていない。
 まさしく「別世界の夢を見た」気分だ。
 幼い頃の記憶が曖昧なように、時間が経てば自然と忘れるだろうと楽観的に考えていた。



 この世界に帰還してから三ヶ月が経った。
 先方の仕事待ちで久しぶりに長々と残業をし、日付をまたぐギリギリの時間になって、家路についていた。

「よう」

 家の前にデリムがいた。

「……」
 何をどう言っていいのか分からず俺が黙っていると、デリム――何故かこの世界のビジネススーツを着ている――が俺に近づいてくる。
「俺のことを忘れたか?」
 デリムは記憶のままの、何を考えているかわからない表情をわずかに曇らせて、俺に問いかけてきた。
「覚えてる。何しに来た? ていうかこっちの世界に来れるのかよ」
「そう警戒するな。ただ様子を見に来ただけだ」
「様子を見に?」
 デリムが、ぱちん、と指を鳴らすと、俺は見知らぬ場所に立っていた。
 あの世界の、貴族の館にあった庭のような場所だ。
 真夏の真夜中だったはずなのに、春の昼間のような天候と時間帯になっている。
「!? お、おいっ!」
「安心してくれ、ここの世界の一時間は、元の世界での数分だ。それに、一時間も拘束するつもりはない」
 目の前にはいつのまにか白いテーブルと椅子があり、テーブルの上には白く華奢なティーセットと洋菓子が並んでいる。
「拘束って……で、何しに来た」
「言っただろう、様子を見に来ただけだ。ヨシヒデに不調はないか? 他に何か問題は起きていないか?」
 デリムは真剣な表情をしていて、本気で問いかけていることが察せられる。
「特に何も。そっちの世界へ行く前と変わらない、平和な日常を過ごしてる。強いて言うなら会社の業績が少し上向いたかな」
 この三ヶ月の間に、会社の俺のいる部署の全員が昇給した。と言っても一~五%と微々たるものだが。
「ふむ。その程度なら確かに問題なさそうだな」
 デリムはテーブルの上の茶を口にしながら、何度か頷いた。
「どうしてこっちのことを気にするんだ? あっちでまた何かあったのか?」
 俺も椅子には座ったが、テーブルの上のものは口にしなかった。緑茶と和菓子なら食べていたかも知れないが。
「いや、何もない。だからこそ、こちらで何か起きてないかと心配になってな」
 中身を飲み干したカップをテーブルに戻したデリムは、俺の顔を正面からじっと見据えた。
「様子を見に来ただけだと言ったが、世界を跨いだ転移魔法がちゃんと発動するか、実験もしたかったんだ。今後、研究が進めば俺とあとひとりふたりくらいは、自由に行き来できるようになる」
 俺は特に何も言わず、肯定も否定もしなかった。
 そんな俺の様子に、デリムは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「もうあっちの世界へ無理矢理喚んだり、転移させたりなんてしない。約束する。ただ、俺は……関わった人間のその後の人生を、見守る義務があると思うんだ」
「気にしなくていい。忘れたいほど酷い記憶じゃないが、あまり思い出したくはないんだ」
 我ながら矛盾した気持ちだが、本心だった。
 あの世界は、この世界と違いすぎる。
 魔物がいて、魔力があって、その他不思議な力や現象が犇めいていて……。
 ファンタジーはフィクションの中だけで十分だ。
「そうか。じゃあ様子を見に来るときは、こっそり来ることにするよ。ただな、カナメが」
 高校生にしては童顔の、人懐っこい男の顔が思い浮かぶ。
「カナメがどうした」
「たまにヨシヒデに会いたそうにしているからな」
「? そういやカナメはどうしたんだ?」
「こちらの……ここから言えばあちらの世界に残ることを選択したから、望み通りにしてやった」
 カナメはおそらく同じ世界、同じ国から召喚されたのだから、もしかしたら会えるかもしれないと考えていた。
 帰ってきていないとは思わなかった。
「あちらの世界に残ると決めたことについては後悔していない様子だが、世話になった人間に再会したいと思うのは、我儘と言うには可愛すぎるだろう?」
「確かに。カナメと一緒なら、来ても構わないぞ」
 デリムはクククと笑い、立ち上がった。
「承知した。突然来てすまなかったな。次からは先触れを出すようにする。方法はまだ未定だが、この世界やヨシヒデに迷惑はかけない」
「わかった」



 また唐突に風景が変わり、俺は家の近くの路地に立っていた。
 スマホで時間を確認すれば、時間は殆ど経っていない。
 しかし、あの不思議な空間での出来事は鮮明に思い出せる。

「フィクションがこんな身近にやってくるとはなぁ……」

 俺は頭をボリボリ掻きながら、愛する妻子の待つ家へと急いだ。
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