翠眼の魔道士

桜乃華

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第二十話 枯れた水と宿の女将クルバ 2/2

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 こんなものしかなくてごめんね、と悲し気に眉を下げるクルバが出したのは最初に泊った時に提供された鶏肉のシチューとパンだった。セシリヤは両手を合わせて「いただきます」と告げてスプーンでシチューを掬った。客足の少ない宿には当然収入も少ない。そんな中では提供できるものも限られるだろう。それにもかかわらずクルバは嬉しそうに笑い、貴重なソーセージを分けてくれた。クエストに向かうセシリヤへ腹の足しに、と日保ちするパンとささ身の燻製を持たせてくれた彼女の優しさが素直に嬉しかった。あれがなければ空腹でアンディーンとの戦闘で負けていたかもしれない。空腹は最大の敵だ、と師匠の家で読んだ本に書いてあった気がする……。
セシリヤは「いいえ」と首を左右に振るとシチューを口に運んでゆっくりと味わう。頬を緩めて「美味しいです」と笑みを向けた。

 「クルバさん、そんな顔しないでください。十分に美味しいです。それにクエスト前に持たせてくれたパンも燻製も美味しかったです。ありがとうございました」

 お礼をまだ言っていなかったですね、と付け足したセシリヤに息を呑んだクルバは一度後ろを向いて涙を拭いた。

 (あんた、この宿を続けていて良かったよ……)

 クルバは今は亡き夫の笑顔を思い浮かべた。正直に言えば続けるかどうか迷っていたのだ。経営どころか生活さえ危うくなっていた中、セシリヤともう一人の客が訪れた。もう一人は一泊だけですぐに出て行ってしまったが、セシリヤは数泊分の宿代を支払っていた。彼女が出て行ったら宿を畳もうと考えていたクルバは最後の客がセシリヤで良かったと心の底から思った。

 「どういたしまして」

 セシリヤの方を向いたクルバは満面の笑みを見せた。



♦♦♦



 入浴を済ませたセシリヤは久しぶりのベッドに大の字になった。ピー助も枕もとで跳ねている。地面とは異なり反発する枕に興味津々と言った様子だ。近くのテーブルに置かれたティルラが「ねー」と声を掛けた。

 「なーに?」

 「明日は朝から途絶えた水の調査に行くの?」

 ティルラの問いにセシリヤは体を起こして首を左右に振った。セシリヤの反応にティルラが疑問符を浮かべる。てっきり朝から調査に向かうのだと思っていたからだ。

 「調査の前に先にクエスト管理協会の支部に行かないと……」

 眠いのかセシリヤの瞼は落ちかけている。欠伸をしながら伸びをしたセシリヤはベッドに横になる。ポスン、と枕に頭を預けた勢いにピー助が驚いて飛び上がった。

 「支部に?」

 「そう……支部、に……報告しておかな、い、と……うるさ、く……て」

 それを最後にセシリヤは寝息を立ててしまった。
 ピー助がセシリヤの頬を嘴で軽く突いても起きる気配を見せない。完全に熟睡している。無理もない。パンディオンに続き、汚染されたアンディーンとの戦闘を連日行い、魔力の供給そして徒歩で帰ってきたのだ。疲労も蓄積していたに違いない。それでも「疲れた」と一言も零さなかったセシリヤにティルラは「お疲れ様、セシリヤ。おやすみなさい」と夢の中へと旅立った相手に声を掛けた。

 「いい夢を」
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