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華麗過ぎた着地

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「迷惑・・・・・・ですか? ライが私を?」

 私が問い直すと、女の子は眉を潜めて低い声で言いました。

「気づいてなかったんですか?」

「煙たがられているとは思っていましたが」

「ヴェクオール君はカロミナさんのこと、本当に迷惑に思っています!」

 何ということでしょう。
 この子の言うことが事実なら、私はライに迷惑を掛けていたということになります。それなら、ライのあの態度にも納得がいきます。自分に迷惑を掛けてくる相手に好意的に接することの出来る人なんてほんの僅かでしょうから。
 とは言え、私、ここ最近はライとほとんど話していませんよ?
 昔は意外と仲良かったのですが、気づいたらあんな態度を取られるようになってしまって。
 ということは何かしらのきっかけが?
 え!? 何でしょう?

「あ、あの、ライは私のどんなところが迷惑だと・・・・・・?」

「ヴェクオール君のことをあんなにしておいて、よく訊けますね。ヴェクオール君、いっつも言ってましたよ。カロミナさんは嫌味な女だ、お高くとまってて鼻につくって。ヴェクオール君のこと何にもわかってない馬鹿な女たちがカロミナさんの話を出す度にいつも辛そうで──私にはわかるんです! ヴェクオール君の気持ちが! だから、これ以上ヴェクオール君に近づかないでください!」

 怒濤の勢いで絶え間ない言葉を浴びせられ、私は思わず気圧されてしまいました。
 嫌味、お高くとまっている──そんなつもりは毛頭ないのですが、ライの目には私がそんな風に映っていたのですか・・・・・・。

「・・・・・・そうですか。それがライの気持ちなら、私も考え直さなくてはいけないかもしれませんね」

 私とライの間にいつの間にか出来ていた溝の要因。
 その原因が私にもあるのなら、ライと話し合って少しでも改善出来るかもしれません。

「教えてくださったありがとうございます。ライとはちゃんと話をしてみますね」

 彼女には近づかないでと言われましたが、婚約者である以上、それは無理です。
 家同士の交流で顔を合わせますし、相手が目に余る行動をしていたら注意します。それが婚約者の役割です。
 私は極当たり前のことを言ったつもりでしたが、彼女は不服のようで、顔を真っ赤にして激昂してしまいました。

「近づかないでくださいって言ってるじゃないですかっ!」

「婚約者という立場上、そういう訳には──」

 不味いです。彼女はかなり興奮されている様子。
 ここは階段ですし、心の乱れで足を踏み外そうものなら大惨事になりかねません。
 とにかく、落ち着かせることが先決ですね。
 そう思い、なるべく言葉を選んだのですが、焼け石に水でした。後々考えてみると、私の言葉はどんな言葉でも彼女の神経を逆撫でしたのでしょう。

「少し落ち着きましょう。ああ! そんなに身を乗り出してはいけません! 落ちて──」

「貴女がいるからヴェクオール君はいつまで経っても、私と一緒になれないんです! どうして邪魔するのよ! 消えてっ!」

 彼女の顔が悪魔のように見えて、怖い顔が迫って来て、手が伸びてきて──。
 その手が私の肩を押しました。

「──え?」

 足の裏から感触が失くなりました。
 ふわりと、背中に感じる空気抵抗。
 傾く視界。
 怖い顔がみるみる真っ青になって、悲鳴が遠くに聞こえました。
 ──あ。私、落下してますね。
 他人事のようにそう思い、どうしたものかと僅かな時間で考えていると、急いた靴音と共に落雷のような激声が私の名前を呼びました。

「エレイン!!!!!」

 フォルテです。
 目を見開いて、汗だらけの白い顔がこちらへ向かって走ってきました。
 そこで、私のぼんやりとした意識はようやく体の中に帰還した気がしました。
 大変です! このままではフォルテが下敷きに!
 そう考え至り、私は慌てて階段の手摺を掴み、ぐっと下に向けて力を込め、体を浮かび上がらせました。

「へ? え!!?」

 フォルテが先程の焦燥混じりとは別の驚き九割の声を発します。
 その間、私の体はフォルテの頭上を舞い、階下へ向かって落ちて行き、

 タンッ!

 両足を揃えてその場で着地することが出来ました。が。

「エレ──へぶっ!」

「フォルテ!?」

 私を受け止めようと前のめりに走っていたフォルテが、予想が狂ったためか転んで階段の角に頭をぶつけてしまいました! 何てこと!

「フォルテ! フォルテ!? 大丈夫ですか? 息してますか!? 死なないでください! フォルテ!」

「エレ、イン・・・・・・」

 気が動転しつつも、フォルテを抱き起こして呼び掛けると、意識は飛んでないようで返事をしてくれました。
 ああフォルテ、そんな、顔の真ん中に真っ赤な太線が──

「大丈夫ですか!?」

「めっちゃいたい・・・・・・」

「当たり前です!!!」

 あれだけの勢いで転んだんですから、痛いどころの騒ぎじゃないでしょう。

「泣かなくて偉いですね。けれど、泣いていいんですよ?」

「女の子の前で泣けないよ。それより、エレインは怪我してない?」

「無傷です」

「うん、よかった。凄い綺麗な着地だったもんね」

 ひとまず、会話が出来るのなら一安心ですが、保健室へ連れていった方がいいでしょう。
 私はフォルテに肩を貸して起こすと、階上へと視線を向けました。
 私を突き落とした彼女はもういない。本人も驚いていたので、きっと体が勝手に動いてのことでしょう。──けれど、今のは許されることではありません。

「名前、訊くの忘れました・・・・・・」

 自身の失態を悔やみつつも、私は炎症で赤くなったフォルテの顔を見て、とても申し訳ない気持ちになりました。
 私の問題ごとに巻き込んだ上に、怪我までさせてしまうなんて──。

「フォルテ、ごめんなさい」

「また謝った。言ったでしょ? 悪くないのに謝っちゃ駄目だって。この怪我は俺が慌て過ぎただけだよ。それにしても転ぶなんてカッコ悪いな・・・・・・」

「私のために走ってくれたんでしょう? なら、十分格好良かったですよ。私ももう謝らないので、代わりにフォルテも自分のことをそんな風に言わないでくださいね」

 フォルテが怪我をしてしまったことにはやっぱり胸が痛みますが、それでも私のために駆けつけてくれたことは嬉しかったです。
 素直に気持ちを伝えると、フォルテは恥ずかしいのか鼻頭を掻いて「いててっ」と呻いていました。

「そういえば、フォルテ。何故ここに?」

 中庭で写生をしていた筈では?

「スケッチブック使いきっちゃって、新しいの教室に取りに戻ろうとしたら靴箱からエレインの姿が見えたんだよ」

「なるほど。そういうことでしたか。して、進捗如何です?」

「うっ」

 返答に窮するフォルテの様子に、ああ、まだ描けていないのだなと思いつつ、私たちは保健室へと向かいました。
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