婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。

夢草 蝶

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3.踏み潰された薔薇

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「何か勘違いをされているようですけど、私たち初対面ですよね? 貴方と結婚した覚えはないのですが?」

 ずきずきと痛む頭を押さえて、シェーラは努めて冷静に事実を並べる。

「何を訳の分からないことを言っている。いいから、早くこの離縁状に署名しろ!」

 ヘンドリックは頭に血が登り、シェーラの声が聞こえていないのか、シェーラの手首を軋みそうな程強く掴み、離縁状を押しつけてくる。

「──いたっ! ちょっ、放して──」

「シェーラ様を放せ!」

 守衛がヘンドリックの背に張り付き、羽交い締めにして引き離そうとしているが、なかなか上手くいっていないようだ。
 シェーラは痛みに顔を顰め、持っていた薔薇を地面に落としてしまう。
 パサッと地面に落ちた薔薇は、花弁を舞い散らせながら扇子の様に広がり──

 ──グシャリ!

 その一部をヘンドリックが踏みつけた。
 美しく咲いていた薔薇は潰れ、割れた硝子のように無惨な姿で横たわっている。あれほど鮮やかだった花弁には靴裏の土が付き、汚れてしまった。

「──」

 大事に大事に育てた、薔薇。
 我が子のように慈しんでいた存在を踏み潰され、それを目の当たりにしたシェーラの中で、何かが切れる音がした。

「──っの、いい加減にしなさいよ!!!!!」

「ぐはァッ!」

 怒り心頭に発したシェーラは、飛び上がると容赦のない頭突きをヘンドリックの顔面に食らわせた。
 ゴッと重い音が響き、頭上でヘンドリックの苦悶の声がしたが、知ったことではない。
 ヘンドリックは勢いのあまり、そのまま後ろへと倒れ込んだ。
 背後にはヘンドリックを押さえたままの守衛がいたが、己の危機を察知したのか、守衛は「あ、やべ」と短く呟くと素早くヘンドリックの背を離れ難を逃れた。

「お、お前──夫である俺にこんな真似をして許されると思っているのか!?」

 シェーラにやり返されたことが屈辱のようで、ヘンドリックは顔をトマトのように真っ赤にして怒鳴った。
 その態度にシェーラはまだ言うかと、冷ややかな目でヘンドリックを見下ろした。

「だからそもそも、貴方誰? 人の家に押し入って、初対面の相手を妻呼ばわりして、挙げ句離縁しろ? 頭がおかしいの? そもそも離れる縁もないわよ。変な妄想に巻き込まないで」

 年上だと思い、一応取り繕っておいた礼儀もかなぐり捨て、シェーラは汚物を見るような目できっぱりとヘンドリックに言い切った。

「な──な──!」

 いまだ地べたに尻餅をついているヘンドリックがぶるぶると震えている。

「お引き取り下さる? そしてもう、二度と視界に入って来ないで」

 そう言うと、シェーラはもう見たくもないとばかりにヘンドリックから視線を逸らし、膝を折ってしゃがみ込み、落ちた薔薇を拾い集めた。
 無事なものもあるが、ヘンドリックに踏まれたものは茎が折れ、花が潰れ、傷だらけになっており、その姿を見たシェーラは胸が傷んだ。

(・・・・・・ごめんなさい)

「シェーラ様、申し訳ございませんでした!」

「・・・・・・貴方も不運だったとは思うけれど、謝罪の前に早くお帰りいただいてくれるかしら?」

 深々と頭を下げる守衛に、婉曲にヘンドリックをとっとと追い出せと指示する。
 守衛といえども、このような招かれざる客人の相手をする機会は少ないだろうとはいえ、侯爵邸への侵入を許し、あまつさえシェーラと接触させてしまったのは守衛側の落ち度だった。

「はっ、直ちに!」

 これ以上の失態は犯せないと、守衛は敬礼すると、ヘンドリックの腕を掴み、立ち上がらせた。

「ほら、立て。暴れるなよ」

「──っ、いいやまだだ! 離縁状に署名を貰うまでは帰らないぞ!」

「だ・か・ら! そもそも婚姻状を出してないっつってんでしょうが・・・・・・!」

 完全に話を聞いていないヘンドリックに、シェーラはつい握りしめた拳を叩きつけたい衝動に駆られる。

「ちょっとちょっと、騒がしいけど何してるんだ?」

 外の騒ぎに気づいたのか、邸の中から一人の青年がひょこりと顔を出した。
 シェーラの九つ年上の長兄であるキースだ。
 キースは不機嫌そうな妹と、守衛に引っ張られている見覚えのない青年を交互に見ると、シェーラに訊ねた。

「誰?」

「不審者」

 シェーラはそう言い捨てた。

「夫を不審者とはなんだ!?」

「夫じゃないって何度言わせる気!?」

「落ち着いて。どういうことだ?」

 興奮するシェーラの肩を押さえ、どうどうと落ち着かせるとキースは事情を訊いた。

「この男がいきなり入ってきて、私を妻と呼んで、離縁状に署名しろと言ってきたんです」

 シェーラの説明に、キースはきょとんとした。
 何年も邸に籠りきりの末妹がいつ結婚したというのか。そもそも可愛い妹を嫁にだした覚えはない。

「はぁ? 何それ──って、シェーラ。この手、どうしたの?」

 話を飲み込めずにいると、シェーラの手首に出来た痣が目に入った。
 シェーラは気づいていなかったらしく、痣を確認すると、眉間に皺を寄せて、その痣を擦った。

「げ、最悪。気づかなかった・・・・・・これは多分、掴まれた時に──」

「──へぇ」

 それを聞いた瞬間、キースの周辺の気温が一気に下がったような気がした。
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