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本編
第十九話 割れたティーポット
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はっきりとグジル様の妄言に取り合うつもりはありませんとお伝えすると、薄ら笑いを浮かべていたグジル様のお顔から表情が削ぎ落とされました。
「それは困る。父上が俺を跡目から外す算段もあると言ってるんだ。アルメリアがいないと、俺は侯爵になれないかもしれない。そんなこと、あっていいはずないだろう?」
「それはホータラン侯爵様がお決めになられることです。そのことにご不満があるのであれば、直接お話しになればよろしいでしょう?」
「だから、その交渉を有利に進めるために婚約をやり直してほしいんだ!」
「それが無理なことくらい、おわかりになるでしょう!? 第一、私は今、アクシズ殿下との縁談のお話が進んでいるのです。どうあってもグジル様の要求を受け入れることはできません!」
何を言っても自分の都合しかお話しにならないグジル様に対し、もうどうしようもなくて縁談のことを口にしました。
アクシズ殿下との縁談と言えば、名前を出さずとも陛下のご采配が関わっているとご理解いただけるでしょう。そうすればグジル様も退いてくださるはず。
そう思ってのことでしたが、グジル様は縁談と聞かれた途端、眉間に皺を寄せられました。
「縁談……ああ、そうだ。今日、アルメリアがアクシズ殿下と縁談をすると聞いて王宮へ来たんだ。アルメリア、お前は王妃になる気なのか?」
「現段階でははっきりしたことは申し上げられませんが、陛下やアクシズ殿下がそうお求めになられるのであれば、お答えする所存ではあります」
それがシアーガーデン公爵の娘としての務めであれば、私はそうなれるよう努力いたします。
グジル様との婚約だって、そう求められたから応じましたし、アクシズ殿下がお相手でも同様に──。
──ふと、先程の花園でおはなししたアクシズ殿下のお顔が浮かびました。
なんでしょう。この感じは。
緊張や恐怖からくるものとは違う、大きな心音が聞こえたような……。
「……けるな」
「え?」
心にある何かに触れかけた意識が、グジル様の声に引き戻されました。
「ふざけるな! 俺はずっと侯爵になるためだけに生きてきたんだぞ? なのにそれを失いかけているのに、お前は王妃になるというのか? 家柄だけで選ばれて、王妃になるために何もしてこなかったお前が選ばれて、たくさん努力も我慢もしてきた俺がなんでこんなことになっている!?」
「それはグジル様が不義をなさったからでしょう!」
「それはお前が俺に愛される努力をしなかったからだ!」
「確かに貴族同士の結婚に愛などは不要と考えていたことは認めます。けれど、私なりに歩み寄りの姿勢は見せていたつもりですし、どんな理由であっても不義を働いていいわけありません! それに愛される努力と仰いましたけれど、グジル様は私を愛する努力をしてくださっていたのですか!? そのように感じたことは一度もありませんでしたが!」
「それはお前が男爵令嬢と偽ってたからだ!」
「偽ってません! それに理由になってません!」
激昂されたグジル様に気持ちが負けないようにと、どんどん声が大きくなっていきます。
それでも男性に怒鳴られることは怖くて、ティーポットを持つ手が震えていました。天敵が近くにいる小動物のように、カチャカチャとティーポットの蓋が鳴る些細な音すら大きく聞こえるくらい神経が研ぎ澄まされていました。
グジル様は自分が置かれている状況が受け入れられないのでしょう。誰かのせいにしたくて、そのためにたまたま都合がよかったのが私で、だから利用してもいいし、当たり散らしてもいいと思っているのでしょうか。
今、私は人生で一番の屈辱を味わっているのかもしれません。ですが、それ以上にそんな相手に怯えている自分が嫌でした。
「いいから俺と来るんだ!」
「いやっ、近づかないでください!」
グジル様が大股で一気に近づいてきて、体が強張りました。
手にしていたティーポットが地面に落ちて、けたたましい音を立てて割れました。
大きな破片と小さな破片。それが私とグジル様の足元に広がっています。
「……」
「グジル様、何を──」
屈まれたグジル様が、大きな破片をひとつ手に取られました。
鋭い破片の先は短刀の切っ先のようにも見えました。
次にグジル様が何をされるかを想像して、ふらつきながら後退します。
「アルメリア……」
破片を持ったまま、グジル様が私の名前を呼びました。
「来ないでください。手に持っているそれを、捨ててください」
引き攣る喉を無理矢理動かして、慎重に声を掛けました。
「……」
「……来ないでください」
それでも破片を手放さず、グジル様は近づいてきます。
こんな時に足も喉も震えていて、うまく動かせません。
──もう、駄目かもしれません。
絶望的な未来を想像してぎゅっと目を閉じた時、誰かが走ってくる足音と共に私を呼ぶ声がしました。
「「アルメリア!!!」」
「ライラック……アクシズ様……!」
異変に気づいて駆けつけてくださったお二人の姿を見て、眦から一滴の涙が溢れ落ちました。
「それは困る。父上が俺を跡目から外す算段もあると言ってるんだ。アルメリアがいないと、俺は侯爵になれないかもしれない。そんなこと、あっていいはずないだろう?」
「それはホータラン侯爵様がお決めになられることです。そのことにご不満があるのであれば、直接お話しになればよろしいでしょう?」
「だから、その交渉を有利に進めるために婚約をやり直してほしいんだ!」
「それが無理なことくらい、おわかりになるでしょう!? 第一、私は今、アクシズ殿下との縁談のお話が進んでいるのです。どうあってもグジル様の要求を受け入れることはできません!」
何を言っても自分の都合しかお話しにならないグジル様に対し、もうどうしようもなくて縁談のことを口にしました。
アクシズ殿下との縁談と言えば、名前を出さずとも陛下のご采配が関わっているとご理解いただけるでしょう。そうすればグジル様も退いてくださるはず。
そう思ってのことでしたが、グジル様は縁談と聞かれた途端、眉間に皺を寄せられました。
「縁談……ああ、そうだ。今日、アルメリアがアクシズ殿下と縁談をすると聞いて王宮へ来たんだ。アルメリア、お前は王妃になる気なのか?」
「現段階でははっきりしたことは申し上げられませんが、陛下やアクシズ殿下がそうお求めになられるのであれば、お答えする所存ではあります」
それがシアーガーデン公爵の娘としての務めであれば、私はそうなれるよう努力いたします。
グジル様との婚約だって、そう求められたから応じましたし、アクシズ殿下がお相手でも同様に──。
──ふと、先程の花園でおはなししたアクシズ殿下のお顔が浮かびました。
なんでしょう。この感じは。
緊張や恐怖からくるものとは違う、大きな心音が聞こえたような……。
「……けるな」
「え?」
心にある何かに触れかけた意識が、グジル様の声に引き戻されました。
「ふざけるな! 俺はずっと侯爵になるためだけに生きてきたんだぞ? なのにそれを失いかけているのに、お前は王妃になるというのか? 家柄だけで選ばれて、王妃になるために何もしてこなかったお前が選ばれて、たくさん努力も我慢もしてきた俺がなんでこんなことになっている!?」
「それはグジル様が不義をなさったからでしょう!」
「それはお前が俺に愛される努力をしなかったからだ!」
「確かに貴族同士の結婚に愛などは不要と考えていたことは認めます。けれど、私なりに歩み寄りの姿勢は見せていたつもりですし、どんな理由であっても不義を働いていいわけありません! それに愛される努力と仰いましたけれど、グジル様は私を愛する努力をしてくださっていたのですか!? そのように感じたことは一度もありませんでしたが!」
「それはお前が男爵令嬢と偽ってたからだ!」
「偽ってません! それに理由になってません!」
激昂されたグジル様に気持ちが負けないようにと、どんどん声が大きくなっていきます。
それでも男性に怒鳴られることは怖くて、ティーポットを持つ手が震えていました。天敵が近くにいる小動物のように、カチャカチャとティーポットの蓋が鳴る些細な音すら大きく聞こえるくらい神経が研ぎ澄まされていました。
グジル様は自分が置かれている状況が受け入れられないのでしょう。誰かのせいにしたくて、そのためにたまたま都合がよかったのが私で、だから利用してもいいし、当たり散らしてもいいと思っているのでしょうか。
今、私は人生で一番の屈辱を味わっているのかもしれません。ですが、それ以上にそんな相手に怯えている自分が嫌でした。
「いいから俺と来るんだ!」
「いやっ、近づかないでください!」
グジル様が大股で一気に近づいてきて、体が強張りました。
手にしていたティーポットが地面に落ちて、けたたましい音を立てて割れました。
大きな破片と小さな破片。それが私とグジル様の足元に広がっています。
「……」
「グジル様、何を──」
屈まれたグジル様が、大きな破片をひとつ手に取られました。
鋭い破片の先は短刀の切っ先のようにも見えました。
次にグジル様が何をされるかを想像して、ふらつきながら後退します。
「アルメリア……」
破片を持ったまま、グジル様が私の名前を呼びました。
「来ないでください。手に持っているそれを、捨ててください」
引き攣る喉を無理矢理動かして、慎重に声を掛けました。
「……」
「……来ないでください」
それでも破片を手放さず、グジル様は近づいてきます。
こんな時に足も喉も震えていて、うまく動かせません。
──もう、駄目かもしれません。
絶望的な未来を想像してぎゅっと目を閉じた時、誰かが走ってくる足音と共に私を呼ぶ声がしました。
「「アルメリア!!!」」
「ライラック……アクシズ様……!」
異変に気づいて駆けつけてくださったお二人の姿を見て、眦から一滴の涙が溢れ落ちました。
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