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悪魔の微笑み
しおりを挟む「ねぇ、これ本当に……大丈夫かなぁ」
顎髭を丁寧に撫でながら、今にも泣きそうな顔で国王 ジークニクス・アルフェルド・グラファニア、五二歳は、傍らに立つ宰相ニルフェルム・ライグリッサに問いかけた。
ニルフェルムはふむ、と藍色の双眸を細めるものの、手元の書類から視線を外さないまま、適当に返す。
「大丈夫じゃないですかね」
「恨まれたり……いや、刺されたりしないよね?」
「陛下は国王ですから、護衛官がいますし、大丈夫なんじゃないですかね?」
「お前、適当すぎる!! 失敗したらどうなるかわかってるだろう!?」
顔を青ざめさせたジークニクスが必死に詰め寄るが、ニルフェルムは相も変わらず、どうでもよさそうに一瞥をくれるだけ。
そして、何事もなかったように視線を再び書類へ戻した。
「もう少し真剣に取り合ってくれないかな?」
「……と、いいますと?」
「だってあれだよ。もし君が、自分で一生懸命積み上げてきたものを、難癖つけられて掻っ攫われたらどうする?」
「そいつを完膚なきまでに叩きのめし、生きてきたことを後悔させますが、何か?」
「ダヨネー……」
ジークニクスは引きつる頬をそのままに、微かに頷いた。
手元の資料には、魔術具の射影機で写し取られた、一人の少女の顔が映し出されている。
きりっとした吊り目の美人で、口をへの字に結び、むっつりと押し黙ってはいるが、年頃の艶が見て取れる。
あと二年もすれば、さらに華やかさを増し、求婚の贈り物と手紙を携えた貴族の子弟が押し寄せるのは想像に難くない。
とはいえ、騎士団に属する平民の彼女を妻に迎えようとする奇特な若者など、そうそういるまい。
そう思いつつ、二枚目の用紙を捲った、その時だった。
コンコン。
訪問を知らせる音が響き、秘書官レスターが客人の到着を告げる。
「どうした、レスター?」
レスターは一度咳払いをし、無駄に流れる空気を断ち切るようにして答えた。
「ユリウス・アルヴェント様でございます」
「いないって言って!!」
ジークニクスは悲鳴のような声を上げながら、椅子から飛び降り、机の中に身を隠そうとする――
が、その瞬間。
頭上から冷徹な声が降り注いだ。
「陛下。ご機嫌麗しゅう」
――最悪だ。
誰かなどと問う必要もない。圧倒的な美貌を誇る人物がすぐ目の前にいる。
正直、妻より美人だし、そこいらの貴婦人の数倍は見目麗しい。
けれど、その性格が外見に反して史上最悪であることを知る者は少ない。
ジークニクスは心の底から悲鳴を上げたくなったが、なんとか顔を出す。
目の前には冷たい瞳でこちらを見下ろす、絶世の男、がいた。
貴婦人には甘い顔を見せると言われているが、それはとんでもないデマだ。
この稀代の魔導師が微笑むのは、たった一人の女性に関する時だけなのである。
常日頃は滅多に表情を変えず、まるで虫けらを見下すように人々を扱い、宰相と一緒にジークニクスの政策にあれこれ難癖をつけながら、面倒だとばかりに何もかも放り投げようとするのに、どうして世間は彼を「有能」で、「女性に甘い言葉を囁く」「美形の魔導師」と勘違いしているのだろう。
確かに百歩、いや千歩以上譲って、顔だけは傾国級の美貌と言ってもいいかもしれないが、その内面は最悪そのもの。史上最も冷酷で、最も悪辣で、最凶で、最恐だ。
だからこそ、この彼が「たった一人の運命の人を見つけた、結婚したい」と言い出したとき、世界が崩壊すると思ったし、王国は滅亡するのだと思った。
だが幸いにも、現時点では彼は王国を滅ぼす気も、世界をどうこうする気もないらしい。打ち明けられて数年、穏やかな日々が流れている。
ジークニクスはゆっくりと椅子に座り直し、宰相の方をじろりと見やり、助け舟を出してくれと視線で訴えた。しかし、宰相は「会計資料をまとめないと」と言い、あっさり部屋を出て行ってしまった。
またしても、悪魔、いや「魔王」と向き合わなければならないのか、と気分が沈んだそのとき、ユリウスがまるで事前に予測していたかのように、応接用のソファにゆったりと腰を掛けた。
「ねえ、王様。あの件、どうなってる?」
「あの件?」
「またまたぁ! とぼけちゃって! 私を妨害して、隣国に使者として送ったでしょ? そろそろあの時の借りを返してって、この間話をしたじゃないか。まだ若いのに、もう耄碌したの?」
「あのねぇ、ユリウス。仮にも、僕は国王なんだけど」
「知ってるけど、私の方が偉いよね?」
「階級的にも職業的にも君は私の部下のはずなんだけど」
ユリウスはにやりと笑い、少しも怯む様子を見せずに、腕を組んで言った。
「……ねぇ王様。もう一度言わないといけないの?」
ユリウスの目がさらに鋭くなり、彼のその迫力にジークニクスは思わず胃の辺りを抑える。早く結論を出せ、と片手を差し出しながら、ユリウスは容赦ない微笑みを浮かべた。目の奥に見える狂気に、ジークニクスは冷や汗をかく。
ジークニクスはため息をつき、諦めたように手元にあった資料を彼の方に差し出す。すると、呪文を唱えることもなく、紙がふわりふわりとユリウスの手の中に収まっていく。
いつものように謎すぎる魔法だが、我が国の魔導師殿は、まるで息をするように高等な魔法を使いこなす。
「準備は万端、ということでいいんだよね」
ユリウスは資料の中の女性の顔に指をそっと触れ、嬉しそうに微笑んだ。
「君、そんなことばっかりしてると、本当に一番大切な時に全部失っちゃうよ?」
「ご忠告どうも、国王陛下。でも、せっかく見つけた運命の相手を、私は絶対に手放したくないので。――約束は覚えていますよね?」
両手を組み、泰然自若とした表情で微笑むユリウスに、ジークニクスは全く話が通じていないと感じ、諦めの表情で肩をすくめる。今にどうなっても知らない、と思いながら、もう一度彼に言葉を投げかけたその瞬間、クシャリと紙が手で握り潰される音が響く。ジークニクスは驚いて顔を上げた。
それまで穏やかで貴公子然とした表情を浮かべていたユリウスの顔が、一瞬で冷徹なものに変わった。手に持っていた二枚目の顔写真を見た途端、その顔には不愉快そのものという感情が浮かび、隠すことなくそのまま指先でパンとそれを弾いた。
そして、一瞬瞳を閉じたかと思うと再びゆっくりと瞳を開け、ジークニクスをじっと見据えた。その視線には一切の躊躇がなく、まるで鋭い刃物のようにジークニクスを貫く。
「陛下。追加でお願いしたいことがあるんだけど、もちろんいいよね?」
その言葉に、ジークニクスは心の中で反論したい気持ちを押し殺し、言葉を飲み込む。いいわけないでしょうが、と言いたいところをぐっとこらえ、目的を達成するためには仕方がないと渋々承諾するしかなかった。
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