国民の監察医(こくみんのかんさつい)

きりしま つかさ

文字の大きさ
66 / 776
0000

第0066話「浮き屍」

しおりを挟む
月曜日。

激しい雨が降り注ぐ。

江遠は父のランドクルーザーで渋々出勤し、水没した道路を進んでいた。

警視庁の駐車場に着くと普段より半分空いていた。

やはり誰も父親から車を借りる勇気はないのだろう。

雨の中走りながら事務室に入ると、いつものように吴軍が電熱器で暖を取りながら茶をすすんでいた。

「早いね」江遠は驚きを隠せない。

「まさか君まで遅刻すると思ってた」

吴軍はうんと頷いてから尋ねる。

「雨傘持った?」

「いや、傘で十分だった。

短い距離だから……」

「今日は全てが不吉だ。

何か起こりそうよ」吴軍は江遠に雨具を投げつけた。

「置いておけ。

最近梅雨だから。

いつか死体が出るかもしれないわ」

「えっ……」江遠は驚いた。

「落水事故の心配?」

「あり得ないこともないわ。

どんな人間もいるし。

涵洞で溺れる、下水道で溺れる、山崩れで溺れる、道路で溺れるなんてことまであるのよ」吴軍がため息をついてから続けた。

「雨天はみんな鬱になるの。

田舎ならまだマシだけど、長陽市みたいに都会だと高所からの飛び降りも日常茶飯事。

どうしてみんな同じようなことを考えるのかしら」

江遠も電熱器のそばで暖を取るようになり、自分自身に言い聞かせ始めた。

窓外では雨粒がガラスを叩きつける音と同時に、視界は20メートル先までしか見えない。

激しい雨が朝方まで降り続いた。

昼頃には少し小雨になったものの誰も外出する気にならない。

江遠はドアを閉め切り、電熱器の上で炒飯を作り、カップ麺を温めた。

二人で一口ずつ交互に食べ始めた。

まだ半分残っていると電話が鳴った。

「台河に死体流れてるわ」吴軍が立ち上がり、表情を変えずに言った。

「本当に来たのかしら」

「えっ……」江遠は驚きの声を上げた。

「毎年必ず来るんだって?」

「早かれ遅かれ来るのは当然よ。

寧台県でなくても上流域の都市ならどこかで起こるわ。

みんな大雨が降ると死ぬのは自分じゃないと思ってるのよ」

江遠は慌てて最後の一粒を口に運び、スープを二口飲んだ。

熱さに舌を鳴らしながら箸とフォークを置き、雨具を着始めた。

即座に現場に行くのが法医学者にとって最も苦痛なことだ。

何よりもその臭いよりは、死体が腐敗する前に回収しなければならないという義務感が辛い。

特に年配の法医学者ほどその点で我慢できないのに、どうしようもない。

江遠の雨具は少し小さかったが、とりあえず着けておけば中身は乾いていた。

台河岸。

高速道路橋の下。

急カーブと同時に河幅が広がり流れも緩やかになる場所に到達した。

高速道路橋が作り出した平地だけが暴風雨から守られていた。

「まだ水の中に浮かんでるわ、我々で引き上げるのは危ないのよ」現場には派出所の二人組しかいなかった。

「そっち側を見て」

**

河岸の曲がりくねった部分に、水草で覆われた白い死体が浮かんでいた。

下半身は水に浸かり、上半身は芦苇(わらわい)と絡み合っていた。

流れが緩やかなため、その位置は比較的安定していた。

「釣り人が発見したんだ。

すぐ警察に通報したらしい」派出所の警官がSUVを指さす。

車の後ろで二人の男が肩組んでいた。

一人が顔を拭いながら言う。

「俺は老婆と約束してたんだよ、風雨だろうと雪だろうと来ないと」

「釣れるわけないだろ」警官がため息をつく。

「たまに釣れるさ」

「釣れなくても来るんだよ」

二人の答えは揃いものだった。

警官が首を傾げる間、死体の上半身だけが水から顔を出す。

腹部は完全に切り離され、内臓は洗い流されていた。

風が吹き付けた瞬間、腐敗臭が鼻孔を突いた。

二人の釣り人が目を丸くして車に戻る。

「釣竿は返せねえよ」

「本当に?さっきまで『この釣竿だけは死んでも持ってた』って言ってたじゃねーか」

警官も距離を取った。

江遠と吴軍がゴム手袋で死体の上半身を支える。

「切痕があるな」二人が顔を見合わせる。

「黄隊長に連絡する」吴軍が電話をかけながら風上へ移動した。

江遠は新しい手袋で写真撮影を始める。

「非正常死亡と殺人事件の違いは明確だよ。

この雨風じゃ、水位が上がるかもしれない」

数分後、黄隊長率いる捜査陣が到着した。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

処理中です...