国民の監察医（こくみんのかんさつい）

きりしまつかさ

文字の大きさ

大中小

394 / 776

0400

第0431話前奏

しおりを挟む

侯楽家はポケットに手を突っ込み、雨光村の村民組合事務所前で待機しながら、小さな雨光村全体を見回していた。

密告防止のため地元住民には連絡せず、派出所の警察と同行し現地で人集めを行った。

「村民組合」という組織は現在ほとんど使われないが、実質的には旧生産小隊と同じもので、通常は自然村や屯（むら）といった名前を持つ。

国家が認める村単位は行政村であり、その下に複数の自然村がある。

かつて行政村は生産大隊、自然村は生産小隊と呼ばれていた。

行政村の責任者は生産大队长で相当な権限を持っていた。

雨光村のある甲原郷には16の行政村があり、200から300程度の雨光村のような自然村が存在する。

麗寿河上流に屍体を捨てた可能性がある地域は少なくとも三～四町村で、約1000の自然村があった。

最も単純な行方不明者調査後、無名死体122号事件は停滞した。

侯楽家は死者が外地から来たと仮定すれば、なおさら希望が薄いと考えた。

実際雨光村も十分に遠く、麗寿河最寄りの河岸までは山を越える必要があり、おそらく屍体を捨てられた可能性が高い。

ただし、犯人が被害者を連れて川辺まで移動して殺害した可能性もあるかもしれない。

「侯大隊長。

こちらは雨光村の村長張学傑です」

同行した派出所警官が50代前半の男性を連れてきた。

50代前半は村民の中では若い部類で、張学傑も精悍な印象だったが、少し緊張している様子だった。

侯楽家に近づき「どのくらいの規模の事件ですか？」

と尋ねた。

彼は3人以上の警察が来たのは2村の喧嘩で重傷者が出た時以来だと記憶していた。

今回は警車数台が目立っていた。

侯楽家はその質問には答えず、隣の警官が写真を提示し「この人は知っていますか？」

と尋ねた。

「これは……私の視力が悪いので……」張学傑は写真を遠ざけ見ると「これが張旅家の妻李芳さんですね。

あなたたちが見つけてくれましたか？」

彼は周囲の警察を見て眉をひそめた。

「良いことではないのですね？」

「張旅さんは家にいますか？村の中にいるですか？」

侯楽家は先頭で質問しながら、次に尋ねた。

「おそらくですね。

前日もいたはずです。

彼ら家にはバイクがあって、時々山下りして市場へ行くことがある。

私も何度か乗せてもらったことがあります」

「彼の家に行きましょう」侯楽家が先導し、同時に尋ねた。

「張旅さんの家は現在何人で住んでいますか？」

「二人です。

妻が逃げ出したので、彼と息子だけですねY」

「李芳さんが逃げ出したというのはどういうことですか？」

「服やアクセサリーをまとめておいて、旦那と子供は家に置いておくから、それこそ逃げたんだろう。

」張学傑は特に気にしないように言った。

「彼の子は小学校に通っている。

家にはあまり金がないし、近所の中学校で学んでいるんだ。

張旅は仕事に行きたくないと言っていた。

村で農作業を手伝うだけだ。

今の田舎では農作業なんて高収入じゃない。

我々のような老人がやるもんだよ。

奥さんが騒ぎ立てて、出て行ったんだろう。

」

「こういうケースは多いですか？」

侯楽家が尋ねた。

「どういうことだ？」

「妻が逃げ出すケースです。

」

「結婚できない男の数の方が多くないですか。

結婚したとしても、何年か経ったら離婚して出て行くんだよ。

どこにでも行ったり、良い家庭を見つけて出ていくんだ。

子供を連れて出ていくのはダメだ。

婆家が娘の実家に問題を起こすからね。

」張学傑は村の状況について嘆息した。

話をここまで聞いた時点で侯楽家の警笛は鳴り響いた。

さらに確認するため、侯楽家は尋ねた。

「李芳の旦那はどう言っている？彼女を探しているのか？」

「逃げたと言っている。

逃げたなら探す必要はないんだよ。

我々のようなケースは多いんだから、探しても意味ないさ。

」張学傑は少し冗談めかして続けた。

侯楽家は意図的に尋ねた。

「彼が『逃げた』と言った？离婚したのかな？」

「離婚するなんて暴力を恐れているんだろうよ。

そんなわけないだろ。

今は結婚費用が高いんだから、誰も離婚なんかしないさ。

」張学傑は少し間を置いて続けた。

「田舎で暮らす若い夫婦なら、ちょっとしたことで離婚するけど、張旅は村に住んでいるから同意しないだろうよ。

」

「それじゃ李芳の連絡先は？」

「電話も繋がらないし、我々は『良い家庭を見つけたんだろう』と想像していたんだ……」張学傑は状況がおかしいことに気付いて声を小さくした。

侯楽家は質問を続けながら、刑事たちが張旅の家に到着した。

彼らはその建物を取り囲み、次々とドアを叩き始めた。

張旅の住む細長い建物は外装材一つ欠けていた。

4階建てで、外壁にはタイルすらなく、赤い塗料も剥がれかけている。

ドアを開けたのは目をこすりながらぼろぼろの格好の中年男性だった。

「張旅さんですか？」

刑事が尋ねた。

「何か用ですか？」

「何だよ？」

男はまだ混乱していたようだった。

「あなたは張旅さんですよね？」

刑事が質問する間に、他の二人は彼を横切ってドアを押さえつけ、逃走防止のためドアを閉じないようにしていた。

「はい。

」中年男性は眉をひそめたが、目の前の多くの警察官に怯えて硬直したように答えた。

「家には誰か他人いますか？」

刑事たちが室内に入り始めた。

「いない」

「あなたの子供はどこですか？」

「学校に行っている」

「親戚はいるか？誰か来てもらう手配をしよう。

」侯楽家は眉をひそめた。

これは複雑な状況だ。

張旅は数秒間迷った後、「どうするんですか？」

と尋ねた。

「隆利県刑事部隊の者です。

あなたに何が必要なのか知っていますか？」

先頭の刑事が張旅の怯んだ様子を見て突然質問した。

張旅は頭が痛くて目を開けたまま、鍋の蓋を閉めたような圧力を感じていた。

事前に練習した会話も、相手の真剣な表情と整った制服、厳しい声調に押されて言葉が出ない。

もう一年近く経った頃合いだ。

張旅はその間ずっと神経を張り詰めていたが、今は緩んだ。

再び緊張するのも苦しい。

电磁炉の火が最大で、煮立つ音がした。

白濁したスープは骨付き肉鍋よりずっと清潔だった。

時々浮かぶ豚の腸と脂肪は大きな粒で完全に形を保っていた。

解剖室と同じ型の電磁炉は葉法医が十数年前に購入したもので、未だに壊れなかったため、自宅や義父・両親の家にも増設し、さらに自分の事務所にも導入した。

電磁炉には簡単なボタンがあり、鍋を置くと自動的に沸騰させた。

侯小勇は豚腸と肉のスープに白菜と大根を入れ、すぐに煮えたぎる山葵や昆布苗を投入した。

翟法医が何か心配事を抱えているようでも、食べ進めると体が温かくなり快適だった。

地下室は少し冷たかったが、空調があるとはいえ、生きた骨と煮えた骨の違いは感じられず、長時間いると身動きが取りづらかった。

翟法医が豚腸を二口食べた頃、満腹になった彼は箸を置き、「先ほど三つの頭蓋骨復元を作業したが、他の二つはどのような事件だったのか」と尋ねた。

「二人とも長陽市の事件です。

崖から落ちたと見られますが身分不明で…」江遠は簡潔に説明し続けた。

「約一年間氷棺に保管されています。

隆利県のケースと状況が似ていたため、こちらが順調だと連絡があったのでしょう」

江遠の積案対策班の半数は長陽市から引き抜いた人材で、そろそろ彼らにも案件を回す時期だ。

省庁都市である長陽市の未解決事件は全省一だが、江遠が以前手掛けたのは全て確定した犯罪だった。

今回の依頼はそれが犯罪かどうかの判断が必要だった。

崖から落ち死んだ場合、転落事故か自殺か人間関係による可能性も考えられる。

二人同時に崖から落ちたという特殊な状況だが、一人がもう一人を引きずり込んだ可能性も否定できないため、長陽市は身元不明のまま氷棺に保存した。

翟法医は事件そのことに興味を持たなかった。

彼の関心は頭蓋骨復元術だった。

先ほど見た中間図を見直すと、翟法医は手が伸びそうになった。

「もしよければ手伝ってもいいですか？」

「えぇ…構わないです」江遠は少し渋った。

翟法医は年齢的に魔法の勉強や頭蓋骨復元術を習得する時期を超えている。

また、何かをゼロから学ぶことは可能でも、頭蓋骨復元術をゼロから学ぶのは少々無理があるように感じた。

頭蓋骨復元術の前置スキル要件は別として、LV1の技術は実際にはあまり役に立たない。

写真から被害者の顔が判然としない場合、事件解決後に「似ている」と気づくような技術では、現場での応用価値は低い。

翟法医をLV3やLV2まで昇格させようとするなら、単なる頭蓋骨復元術への軽視ではなく、桂華と苗河県の犯罪者たちが犠牲になったことへの侮辱そのものだ。

「私は頭蓋骨復元術もあまり行わないし、自由に扱えるほど習得できていません。

一緒にやるなら私のペースでお願いします」江遠は優しく言い含めた。

翟法医は即座に同意し、「隆利県でやりますか？」

と尋ねた。

長陽市案件を隆利県で処理するというのは奇妙な気がした。

「まずはいくつかケースをやって、その後移動設備を整えましょう」江遠が一呼吸置いて続けた。

「もし何か不都合があれば……」

「特に問題ないですよ。

老侯とも親しいですからね。

彼は確かに小気味が悪いけど、時々馬鹿なこともするし、判断力もあまりありません。

でも……捜査中はちゃんと従いますよ」翟法医は率直に評価した。

肥腸豚足鶏の囲みで酒を酌み交わす人々、特に隆利県警の面々が頷き合った。

侯小勇も例外ではない。

「では始めましょうか？まずは何から？」

翟法医はそもそも腹減らしに来ていたわけではない。

彼が頭蓋骨復元術を習得するわけでもなく、ただその本質を理解することで、今後の作業に役立つと判断しただけだ。

江遠はその積極性に驚き、高級法医への吸引力を過小評価していたことに気付いた。

考えを巡らせた末、江遠が言った。

「まずは私が過去の写真をご覧になってください。

それから後の作業につなげられます。

今日は午後も別の用事があるかもしれませんので、明日正式に始めましょうか？」

「構わないですよ。

寝ないででも追いつきます」翟法医は年老いたが学習への熱意は衰えていない。

そして……その夜、翟法医は本当に睡眠を取らなかった。

しおりを挟む