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涙が出ない悲しさもある
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「お顔をご覧になりますか」
「大神官様がいらっしゃれば、棺の蓋は閉じてしまうのでしょう? ならば今お別れをしたいわ」
お茶を頂いた後、喪を表す黒いドレスの上に遺族である証の白のローブを重ね着た私は、屋敷の敷地内にある小神殿に足を運びました。
王都には中央大神殿の他、東西南北それぞれに大きな神殿があります。
これらは全て貴族向けで、平民用にはその五つの神殿の近くに小さなものが建てられています。
大神殿に行くのは何かの式典等のみで、通常上級貴族はそれぞれの屋敷に小神殿を建て祈りを捧げているのです。
「お義父様達は来られませんから、せめて私だけでも夫に直接お別れをしなければ夫が悲しむでしょう。辛いですけれど」
涙を浮かべ弱々しい微笑みでそう言えば、神官は頷きながら私を石棺の前に誘導しました。
ドレスの上に羽織った白いローブの裾が、少し土埃で汚れているのが視界に入りました。
喪のドレスの上に纏うこれは、私がこの家に嫁いで初めて着るものでした。
葬儀の際この国では黒い服を着るのが常識ですが、白は喪を表す色として遺族が纏うものですから、義両親が健在な今初めて着るのは当然です。
でも、まさかその初めてが夫の葬儀になるとは思いませんでした。
「お顔の右側には酷い怪我をされている為、仮面を付けてございます」
「そう、怪我は酷かったの?」
石棺の前にいた小神殿の管理者達が棺を覆っていた白い布を外すのを見守りながら、この小神殿に常駐している神官に尋ねました。
命を狙われることが多かった私ですが、怪我等の出血を間近に見る機会はありませんでした。
「入棺時お召し物を整える際に見た限りでは、お顔と右腕に大きな怪我をされているようです」
「そう。彼は即死だったと聞いているわ、あまり苦しむことなくいたのかしら」
不安気な表情を作り尋ねると、神官は痛ましそうな顔で私を見た後で頷きました。
「旦那様は即死だったそうです。旦那様が子供を庇った為子供は無事だった様ですが、不幸にも女性は馬車の外に投げ出されその上に、旦那様と子供が乗ったままの馬車が倒れたそうです」
神官の話に、私は血の気が引くのを感じました。
どういう状況だったのか分かりませんが、夫が使っていた馬車は侯爵家で所有するものの中では一番大きく丈夫な長距離の旅行用で、とても大きく重量もあるのです。
それが女性の体の上に倒れたと言うのでしょうか。
「それで」
「はい、女性は下半身が馬車に潰されましたが、暫く息があった様で治療院に運ばれました。ですが治療魔法が効く状態ではなく、かなりの苦しみだったかと」
「そうでしたか」
あの馬車が倒れる程の衝撃では、自分の身を守るだけで精一杯だった筈です。なのに夫は、とっさに子を庇ったというのでしょうか。
「大神官様はあと半刻程でいらっしゃいますので、それまで私共は外で控えております」
「ええ」
俯いてしまった私を気遣ったのでしょう、神官達は外へ出ていきました。
「奥様」
「あなた達は周囲を見ていて」
石棺に近付き夫の顔を見下ろしながら、メイナ達に指示しました。
「目を閉じているのを初めて見ました。このような顔をされていたのですね」
顔の右側だけ覆う仮面をつけ目を閉じる夫は、顔色こそよくありませんが今にも動き出しそうです。
そっと頬に触れると、何とも言えない冷たさが指先に伝わりました。
「あなたは私には何の感情も無かった。いいえ憎んでいたのよね」
勘違いとはいえ、私との結婚がこの人と恋人の未来を奪ったのは事実です。
私にはどうでもいい結婚で、結婚しようしまいがどうでも良かった結婚でした。
ただ私には、お父様の決定に拒否する権利が無かったから従ったまで。それだけなのです。
「お互い不幸な結婚だったわね」
指先を滑らせて閉じた左の瞼の、長いまつ毛に触れました。
結婚して五年も妻としていたというのに、こんな風に触れたのは初めてでした。
冷めた政略結婚の夫婦でも、それなりに上手く行っていると思っていましたが、本当はそれなりですらなかったのでしょう。
私は夫について、何も知らなかったのでしょう。
「下手な小細工をするくらいなら、相談してくれたら良かったのに」
凡庸な小心者のくせに、無理をするから。
そう心の中で呟けば「お前に何がわかる」と不機嫌そうなな夫の声が聞こえた気がしました。
「あなたが上手くやらないから、私は未亡人になってしまいました」
実家に戻るのだろうと考えていましたが、夫の顔を見ている内にある可能性を思いつきました。
この国では、結婚について悪趣味ともいえる制度があります。
夫と死別した妻は、両家の親が望めば夫の男兄弟と結婚させることが出来るのです。
男兄弟が独身である事と、その者が家を継ぐ者となることが条件です。
結婚が当人達ではなく、家の問題であるからこそある制度なのでしょう。
「最近ではあまり聞いたことが無い古臭い行いだけれど、父なら選びそうね……誰っ!」
私達と夫以外いないはずの場所に、小さな足音が響き振り返りました。
「あ、あの」
白い服、小さな体、夫をそのまま幼くした様な……顔。
「あなたは」
グラグラと世界が揺れました。
これはなに? なにが、なんで?
「スチルのまんまじゃない」
訳のわからない言葉が勝手に口に出て、私は衝撃に耐えきれず倒れ込みました。
まさか、まさかそんな。
私ゲームの世界に転生してる?
遠ざかる意識の中で、私はとんでもないものを思い出し始めていました。。
「大神官様がいらっしゃれば、棺の蓋は閉じてしまうのでしょう? ならば今お別れをしたいわ」
お茶を頂いた後、喪を表す黒いドレスの上に遺族である証の白のローブを重ね着た私は、屋敷の敷地内にある小神殿に足を運びました。
王都には中央大神殿の他、東西南北それぞれに大きな神殿があります。
これらは全て貴族向けで、平民用にはその五つの神殿の近くに小さなものが建てられています。
大神殿に行くのは何かの式典等のみで、通常上級貴族はそれぞれの屋敷に小神殿を建て祈りを捧げているのです。
「お義父様達は来られませんから、せめて私だけでも夫に直接お別れをしなければ夫が悲しむでしょう。辛いですけれど」
涙を浮かべ弱々しい微笑みでそう言えば、神官は頷きながら私を石棺の前に誘導しました。
ドレスの上に羽織った白いローブの裾が、少し土埃で汚れているのが視界に入りました。
喪のドレスの上に纏うこれは、私がこの家に嫁いで初めて着るものでした。
葬儀の際この国では黒い服を着るのが常識ですが、白は喪を表す色として遺族が纏うものですから、義両親が健在な今初めて着るのは当然です。
でも、まさかその初めてが夫の葬儀になるとは思いませんでした。
「お顔の右側には酷い怪我をされている為、仮面を付けてございます」
「そう、怪我は酷かったの?」
石棺の前にいた小神殿の管理者達が棺を覆っていた白い布を外すのを見守りながら、この小神殿に常駐している神官に尋ねました。
命を狙われることが多かった私ですが、怪我等の出血を間近に見る機会はありませんでした。
「入棺時お召し物を整える際に見た限りでは、お顔と右腕に大きな怪我をされているようです」
「そう。彼は即死だったと聞いているわ、あまり苦しむことなくいたのかしら」
不安気な表情を作り尋ねると、神官は痛ましそうな顔で私を見た後で頷きました。
「旦那様は即死だったそうです。旦那様が子供を庇った為子供は無事だった様ですが、不幸にも女性は馬車の外に投げ出されその上に、旦那様と子供が乗ったままの馬車が倒れたそうです」
神官の話に、私は血の気が引くのを感じました。
どういう状況だったのか分かりませんが、夫が使っていた馬車は侯爵家で所有するものの中では一番大きく丈夫な長距離の旅行用で、とても大きく重量もあるのです。
それが女性の体の上に倒れたと言うのでしょうか。
「それで」
「はい、女性は下半身が馬車に潰されましたが、暫く息があった様で治療院に運ばれました。ですが治療魔法が効く状態ではなく、かなりの苦しみだったかと」
「そうでしたか」
あの馬車が倒れる程の衝撃では、自分の身を守るだけで精一杯だった筈です。なのに夫は、とっさに子を庇ったというのでしょうか。
「大神官様はあと半刻程でいらっしゃいますので、それまで私共は外で控えております」
「ええ」
俯いてしまった私を気遣ったのでしょう、神官達は外へ出ていきました。
「奥様」
「あなた達は周囲を見ていて」
石棺に近付き夫の顔を見下ろしながら、メイナ達に指示しました。
「目を閉じているのを初めて見ました。このような顔をされていたのですね」
顔の右側だけ覆う仮面をつけ目を閉じる夫は、顔色こそよくありませんが今にも動き出しそうです。
そっと頬に触れると、何とも言えない冷たさが指先に伝わりました。
「あなたは私には何の感情も無かった。いいえ憎んでいたのよね」
勘違いとはいえ、私との結婚がこの人と恋人の未来を奪ったのは事実です。
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ただ私には、お父様の決定に拒否する権利が無かったから従ったまで。それだけなのです。
「お互い不幸な結婚だったわね」
指先を滑らせて閉じた左の瞼の、長いまつ毛に触れました。
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冷めた政略結婚の夫婦でも、それなりに上手く行っていると思っていましたが、本当はそれなりですらなかったのでしょう。
私は夫について、何も知らなかったのでしょう。
「下手な小細工をするくらいなら、相談してくれたら良かったのに」
凡庸な小心者のくせに、無理をするから。
そう心の中で呟けば「お前に何がわかる」と不機嫌そうなな夫の声が聞こえた気がしました。
「あなたが上手くやらないから、私は未亡人になってしまいました」
実家に戻るのだろうと考えていましたが、夫の顔を見ている内にある可能性を思いつきました。
この国では、結婚について悪趣味ともいえる制度があります。
夫と死別した妻は、両家の親が望めば夫の男兄弟と結婚させることが出来るのです。
男兄弟が独身である事と、その者が家を継ぐ者となることが条件です。
結婚が当人達ではなく、家の問題であるからこそある制度なのでしょう。
「最近ではあまり聞いたことが無い古臭い行いだけれど、父なら選びそうね……誰っ!」
私達と夫以外いないはずの場所に、小さな足音が響き振り返りました。
「あ、あの」
白い服、小さな体、夫をそのまま幼くした様な……顔。
「あなたは」
グラグラと世界が揺れました。
これはなに? なにが、なんで?
「スチルのまんまじゃない」
訳のわからない言葉が勝手に口に出て、私は衝撃に耐えきれず倒れ込みました。
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