心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香

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 いきなり空から何かにぐいっと引っ張られ地べたに落ちたような衝撃で、アンカーは目を開けた。
 自分は体を横たえていたと思う、意識が無かったといってもいいのに引きずり落とされた様な衝撃を感じたのは何だったのだろうと戸惑うアンカーの目に飛び込んできた、見慣れた、でも懐かしい光景に、戸惑いをそのままに声に出す。

「私のベッド? 私の……部屋?」

 アンカーは戸惑いを言葉にしながら、自分が寝ていたことがまずおかしいのだと気がついた。

「私どうしてここにいるの? どうして」

 ベッドに寝ころんだまま視線を動かし部屋を見渡して自分がどこに寝ていたのか確認した後で、アンカーは恐る恐る両手で自分の首に触れる。
 
「意識があるのだから当たり前だけど、首が繋がってる?」

 すりすりと、何度か確かめる様に両手で首を撫でまわしてから、そのままの体勢で目を閉じて考える。
 手を離して、今の感覚は嘘かもしれないともう一度触れる。
 首のつけ根から顎まで撫で上げて、もう一度下に戻り、今度はつけ根から耳の方に手を動かす。
 どこにもかすかな傷一つない、滑らかな皮膚で繋がっているアンカー自身の首だった。
 作り物でも夢でもない、アンカーの指先に触れているのは自分の首だと、目を閉じながら思う。
 
「どうして生きてるの、なぜここに寝ていたの?」

 ポツリと呟いた声は、アンカーしかいない部屋に響く。
 アンカーは確かに死んだはずだった。
 目を開く寸前、いいや意識が戻る寸前をアンカーは、目を閉じたまま思い浮かべる。

 跪くアンカーが見上げた二本の柱の間で、大きくて重そうな刃が揺れていた。
 
 あれが今から自分を殺すのだ、アンカーはぼんやりとそう思いながら、ぶら下がっている大きな刃を見つめ、その先にある空を見つめた。
 空は広いのだと、アンカーは生まれて初めて思った。
 外に出ることが許される時はあっても俯いてばかりいたアンカーにとって、初めて見上げる空はとても広くて広すぎて、そんな場合ではないのにアンカーはほんの一瞬だけ現実を忘れて見入っていた。
 アンカーを現実に戻したのは「これからあれがお前の首を落とすのだ」という、処刑執行人の声だった。
 王都の住人すべてが集まったのではないかと思われる、人の熱気で真冬だと言うのに暑さすら感じたあの場所で、アンカーは空から視線を戻し、今から自分の命を奪うらしいそれを見つめた。
 アンカーがそれを見るのは初めてのことだった、それも当たり前の話だ。その処刑台、断頭台と言われるそれは発明されてまだ数年しか経っていないのだと、処刑人が得意そうにアンカーに教えてくれたのだから。
 少し前までは、木製の台に罪人は頭が動かない様に固定され斧で首を切断されていたらしいが、斧の使い方が下手な死刑執行人がそれをすると一撃では首が落ちず罪人が無駄に苦痛を味わうことになるし、死刑執行人の手間もかかるし、罪人とはいえ苦痛を味わいながら死んでいく姿を見るのは尊い仕事とはいえ辛い。
 死刑執行人の手間と精神的な苦痛を解消する為に発明された画期的な処刑の道具、それが新しい断頭台だった。
 アンカーはその画期的な発明と言われた断頭台で処刑された、筈だった。
 高いところから落ちてきた恐ろしく大きく重い刃が己の首を落とした感触まではっきりと覚えているのに、アンカーは今生きている。
 なぜ生きているのかとアンカーは自分自身に問うが、答えは出なかった。 

「手が小さい。子供? それもだいぶ幼い……」

 瞼を開き、両手を天に向け伸ばして見つめる。
 小さな手は、柔らかそうな皮膚は、水仕事など一度もしたことがないような、白く愛らしい。アンカーの記憶にある傷だらけで常にどこかしら痛みがあり枯れ木の様に痩せ細った指ではない、そんな面影はどこにも無かった。
 綺麗に整えられた爪、ささくれ一つない指先、かさついたところのない手、上等な布で作られた寝間着の袖をめくっても腕に傷一つないのを見て、アンカーは震え始める。

「私はアンカー・センター。覚えているわ、この寝間着の袖口のリボン。これを着ていた頃はまだ幼かったけれど覚えている。この寝巻きはお母様が選んでくれた最後のものだもの。これを着ているということは今の私は五歳? そんな馬鹿な」

 アンカーは自分の人生を思い出しながらベッドから出て、幼い子供には豪華過ぎる鏡台の前に置かれた椅子によじ上り自分の姿を鏡に映した。
 あの頃いつもはメイドが私を抱き上げてこの椅子に座らせてくれた、それすら遠い昔の記憶だけれどアンカーはよく覚えている。
 幸せだった頃の思い出は、どんな些細なことも忘れられなかったからだ。

「やはり幼い」

 鏡に映る自分をしげしげと見てから、アンカーは膝を抱え寝間着の裾で足先まですっぽりと覆い隠したまま椅子に座り込む。
 行儀が悪いと分かっていても、小さく体を丸めるのはもはや癖になっている。それは寒い夜、体温を外に逃さない為の手段であり、なるべく自分の気配を殺すための工夫でもあった。

「なぜ生きてるの」

 疑問を口に出せば、最後の記憶が蘇って来た。
 断頭台の下、上下に分かれた二枚の木の板で首を挟まれて身動きできずに下を向くと汚れた籠が視界に入った。
 牢に閉じ込められる前からろくな手入れもされず薄汚れていた金色の髪は、惨めな程短く刈られていたから俯くと毛先が微かに見える程度だった。
 刈られた髪は今もあの薄暗い牢屋の冷たい石の床の上に散らばったままなのだろうか、アンカーがぼんやりと考えながら、籠についた黒くも赤くも見える様な染みを見つめていると「お前の頭は今からそこに落ちるのだ」と死刑執行人に教えられた。死刑執行人の声は、下品な嫌な嗤いを含んだ声だった、そんな記憶まで蘇って来た。
 しかも、一度ではない。何度も何度もそうやってアンカーは死んだのだと、すべての記憶が一度に頭の中に蘇って来てガンガンと頭が痛み始めた。
 アンカーは何度も死んだ、生まれ変わり、辛い人生を暮らしそして死んだのだ。何度も何度も。
 
「嫌な記憶程覚えているものなの? まって、でもこんなの初めてだわ」

 椅子の上で膝を抱えたまま部屋を見渡し、アンカーは絶望の息を吐く。
 豪華な部屋を使っていた記憶が死の記憶と共に蘇っても、今いるここは幼い頃の自分の部屋だと自覚しても、アンカーにはもう遠すぎる場所になり過ぎていて落ち着かない。

「私は私に生まれ変わっている、もう何度生まれ変わったのか分からないくらい。生まれ変わって、そして死んでいたのね」

 小さな手を見ながら、また生まれ変わったのだと呟きながらアンカーは今までのことを思い出す。
 それは辛い辛い記憶でしかなかった。
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