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16(執事ゲイダル視点)

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「旦那様、お茶を召し上がり少し落ち着いて下さいませ」

 うろうろと落ち着き無く部屋の中を歩き回っている旦那様に、私は熱い紅茶を入れ声を掛けました。

「ゲイダル、私はどうやって償えばいいのだろう」

 幼子の様に私を頼る旦那様は、これでも侯爵家の当主なのだから困ってしまいます。
 領地の運営は今のところ主要な部分を大旦那様がされていますが、大旦那様はお体が悪いのですからいい加減しっかりして頂かなければ将来領民が困ることになります。

「旦那様が心の底から申し訳ないと考えていらっしゃることは、奥様に十分伝わっていると存じます。幸い奥様は王女殿下とは違い思慮深いお方とお見受け致します。謝罪を繰り返されても逆に負担になるでしょうから、これから誠実に奥様へ対応なさればよろしいのではないでしょうか」
「誠実に、分かった」

 良く言えば素直な旦那様は、本来であれば当主になる方ではありませんでした。
 嫡男のナセル様が乗馬中の事故で亡くなってしまわなければ、今頃は騎士として名を上げていたことでしょう。
 旦那様の剣の腕はとても素晴らしく、その強さは神がかったものがあると言われる程でした。
 ご本人も勉強よりも剣の鍛錬の方が性に合っているから、自分は民を守る騎士になるのだと幼い頃から仰っていました。
 大旦那様も大奥様も、旦那様のその望みを頼もしく感じ応援していらっしゃいました。
 ナセル様さえ生きていらっしゃれば、それは叶う望みだったのですが、今更それを嘆いても仕方ございません。

「奥様はきっと旦那様のお気持ちを理解して下さいます。初夜の行いも協力して下さったのですから」

 さすが自国の王太子殿下と婚約していた方だけあって、初夜の旦那様の奇行に逃げ出す事も助けを呼ぶこともせずに奥様は旦那様の行いを見守って下さっていたと言います。
 普通の貴族令嬢であれば、あんな大声をあげられたら例え演技だと教えられていても、恐ろしさから二度と旦那様に近付きたくないと言い出してもおかしくはないでしょうに、そういう素振りもなくむしろ旦那様の立場を気遣い自ら毒を飲み、不遇されている妻を演じて下さったのです。

「それならありがたいが、彼女に負担を掛け過ぎているのが申し訳なくて。あんなに優しい方が私の妻になって下さるなんて。ゲイダル私は自分に都合のいい夢を見ているのでは無いだろうか。っあつっ」

 ぽやんとしたお顔で立ったまま紅茶を飲もうとして、熱さに驚き慌てている姿は、十代の頃から変わりません。

「ゲイダル熱すぎだっ」
「行儀悪くがぶ飲みなさろうとするからです。礼儀作法すらまともに身についていないと知られたら、奥様に見捨てられてしまいますよ」

 舌を火傷した様子に呆れますが、これがこの方の地なのですから奥様にはバレないようにくれぐれも注意しなければ。
 幼い頃から習ってきた礼儀作法や食事の所作を、僅かな期間騎士科に通っただけで忘れてしまうなど誰が思ったことでしょう。
 注意をしていれば何とか誤魔化せますが、ほんの少し気を抜いただけで平民の様になってしまうのです。

「それは困る。気をつける」
「どうか肝に銘じて下さいませ。奥様の美しい所作に見惚れて食器の音を立てる等なさいませんように」

 あの時は不機嫌そうな演技をしなければならず作法など頭からぬけていたのでしょうが、旦那様は婚礼の晩餐会の席で奥様の横顔に見惚れ、小さな失態を繰り返されていたのです。
 王女殿下の様な華やかさは無いものの、清らかな白百合の様な美しい奥様に見惚れるお気持ちは良く分かりますが、旦那様の失態に色んな意味で目頭が熱くなりました。
 病で王都に来られない大旦那様達があの場にいらっしゃらなくて本当に良かったと思います。

「気をつける。これ以上嫌われては困るし失望されるのも悲しい」
「はい、どうか十分お気をつけ下さいませ」

 旦那様は人からの注意をしっかりと聞いて下さる方だし、反省もされるけれど、もう少ししっかりして欲しいものです。
 こんなに素直過ぎる方も貴族では珍しいと思いますが、王女殿下の事以外今まで問題が起きなかったのは旦那様のお人柄なのお陰なのでしょうか。
 陛下を筆頭に皆さんから旦那様は可愛がられ、助けられて来たお陰で侯爵家は今も無事に存在しているのだと思います。
 普通に考えれば「頼りなさすぎて放っておけない」というのは侮辱の言葉ですが、皆様父か兄の様にそう言って旦那様を甘やかすのですから、侮辱では無く親愛なのでしょう。
 
「それにしても奥様の意識が戻られて安心致しました」
「ああ、ホッとした。本当に良かった。でも大丈夫なのか不安は残っているんだ。エイマールは大丈夫だと言ってたが」

 治癒師のエイマール様も、旦那様を甘やかす一人です。
 元々ナセル様の御学友でしたが、卒業後に神殿に入り辛い修行の末に治癒師の魔法を習得され、旦那様が当主となられてから当家専属の治癒師となられ普段は領地で大旦那様を診て下さっています。
 旦那様の婚約者が変更になると話を聞きつけて、王都に来てくださったのです。

「エイマール様が診てくださったのですから、心配はないのではありませんか」
「それはそうなんだが……はい、どうぞ」

 軽快に扉を叩く音に、旦那様は入室の許可を出しました。
 
「やあ、忙しいところすまないね。君の奥さんについて相談があるんだけれど今いいかな」
「相談? やっぱりどこか悪いのか」

 入ってきたのはエイマール様でした。
 
「悪いと言えば悪い部類になるのかな。座らせてもらうよ」

 旦那様の返事を待たずにエイマール様はソファーに腰を下ろすと、持っていた箱をテーブルの上に置き蓋を開きました。

「それは?」
「毒の見本だ。わりと一般的な毒になるかな」
「なんでそんな物騒なものを」
「君の奥さん、毒に慣れている様だから気になってね」
「なぜ慣れていると」

 エイマール様に奥様を診ていただいた時、毒を飲んだ経緯等詳しい話はしていまさせんでしたがどうして気がついたのでしょう。

「奥さんの使用人達が何だか毒の対応に慣れている様に見えたし、解毒薬があるから治癒魔法は不要だと言われたからね。解毒薬より魔法の方が確実だというのは貴族なら常識の話だがそれを拒否するんだ、理由があるだろうと分かるさ」
「そうなのか」
「でも万が一無知で拒否しているだけなら、君から言ってもらわないといけないと思ってね。あの毒は体内に蓄積するんだ解毒薬で一見元気になった様に見えて、実は毒が蓄積して体を弱らせる。これらの毒も同じだよ」

 奥様は王太子殿下の婚約者だった時に毒に体を慣らしていたそうですが、あの毒以外もそうなのでしょうか。
 テーブルの上の毒の箱を見ながら、私は華奢な奥様の姿を思い浮かべていたのです。
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