執事が〇〇だなんて聞いてない!

一花八華

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ヒロインにはなれない

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 胸の奥がヒュッと凍りつく。その意味を知って。お義兄様の意図を理解して。
 王子との婚約を逃れる方法。ソレ・・は私が一ヶ月前に、クラウスに行おうとしたコト・・だから。

 王族との婚姻は、処女でなければならない。それを盾に、私は婚姻者候補から降りるつもりだった。断罪されたくないからだと自身を誤魔化し、クラウスに夜這いをかけた。
 本当は、クラウスと離れたくなかっただけ。クラウスに抱かれたかった……それが本心なのだと今ではわかる。居なくなってから気付くなんて……

「お前の心は、あの男のモノなのが気に食わないが……」

 ひんやりとしたお義兄様の指先が、私の顎を持ち上げた。

「それもいずれ……どうとでもなる。心は身体に引き摺られるモノだからな……」

 そうやって微笑するお義兄様。ああ、やっぱりこの人は狂ってる。そして、お義兄様を狂わせたのは私。私がちゃんと悪役の務めを果たしていれば、今頃ヒロインに癒され、こんな風に静かに狂気を宿す事なんて無かった。

「ごめんなさい。お義兄様」
 
 心優しいヒロインなら、今の貴方を放って置けないだろう。それ程今のお義兄様は、追い詰められ、壊れかけている。美しく苛烈なお義兄様に、壊れる程強く求められれば、多くの女性はきっと虜になり堕ちていく。
 でも、私は貴方の運命の相手ヒロインにはなれない。貴方も私の愛する人クラウスじゃない。

 お義兄様の頬にそっと手を添える。

「お義兄様……」
「……セリーナ」

 私の呼びかけに、嬉しそうに頬を緩めるお義兄様。私も覚悟を決めるわ。

「お義兄様……ごめん!」

──ドゥッフ!

 鈍い音と共に、崩れ落ちるお義兄様。蹲り、口からうぐぐと呻き声を漏らしている。それ見つめ私は思う。ハンナの言った通りだったわ。男の方ってそこ・・が弱いのね……

「セ……セリーナ……おまっえ」
「ごめんなさい。お義兄様。私、貴方のヒロインにはなれないの。ヤンデレも監禁も束縛もごめんだわ。それに、初めても最期も……抱かれるのはクラウスがいい。だから、私の事は諦めて!」

 言葉にならない呪詛を吐くお義兄様。私は、慌ててお義兄様から離れ駆け出す。捕まってはイケナイ。捕まったら終わりだ。その先には間違いなく、【メリーバッドエンド】が待っている。
 
 バタバタと廊下を転げるように抜け、自室に飛び込み、震える手で扉に鍵をかける。ああ、それでどうしよう。ここに篭っていれば大丈夫?いえ、今夜はお父様はご帰宅なさらない。あの様子のお義兄様なら、扉を破壊してでも私を捕らえるだろう。あんな仄暗い瞳を浮かべたお義兄様に捕まったら、私……

 想像して、背筋が凍りつく。どんなに愛を囁かれ、泥沼のように愛されたとしても、其処に幸せはない。私は私が愛する人と結ばれたい。

「──あぁっ。やだ、止まって。しっかりしなきゃ。これは、私の撒いた種。護身術じゃどうにもならないのは、クラウスとの一件でわかってるわ。捕まっちゃだめ。捕まらない為には、どうしたらいいか……」   
 
 ガクガクと震える手と足。パァンと頬を叩き、自分を叱咤する。扉は破壊される可能性がある。机にベッドに鏡台。それに洋服の掛かったクローゼットがあるだけ。隠れる場所なんてないし、扉を塞ぐ大きな家具もない。あったとしても、細腕の私じゃ動かせない。

「落ち着いて……落ち着いて。考えるのよ。セリーナ」

 はくはくと波打つ鼓動を抑え、肩で大きく呼吸を繰り返す。此処は2階。私の部屋にはバルコニーがある。窓辺の傍に植えられた木に乗り移って、家から離れるのは?夜の街にでるのは、危険で怖いけれど……お義兄様に掴まるよりいい……。
 
「こんな時、クラウスがいてくれたら……」

 言葉にして、首を振る。クラウスと過ごした三年間が胸に過ぎる。私が辛い時、クラウスはいつも傍に居てくれた。困っている時はそっと手を差し伸べてくれ、間違っている時は厳しく正してくれた。

 今、この場にクラウスが居てくれたら。どんなに心強いだろう。

「聞きたい……」

 クラウスの声が。触れたい。傍にいて欲しい。震える肩を、ギュッと掴み、その場に座り込む。この手が、クラウスならいいのに。白く長く節くれだつ、クラウスの手だったら……

「セリーナ……そこにいるんだろう?」

 その声に心臓が凍りつく。あっ……あ……お義兄様。もう、来てしまったの?

「……セリーナ。先程は悪かった。お前を怖がらせて……お前を想うあまり、気持ちが暴走してしまったんだ」

 ドア越しに聞こえるお義兄様の声。それは、普段の落ち着きを取り戻しているように感じる。

「セリーナ。返事をしてくれ。俺が悪かった……反省している。だから、此処・・を開けてくれ」

 刹那げな声に、ズキリと胸が痛む。君に雪ぐ初恋乙女ゲームのお義兄様は、ここまで苛烈で病んではいなかった。ドロドロと融けるような愛で包み、意地悪く言葉で攻めながらずぶずぶと堕とし絡めとっていく。ヒロインが愛を向け受け入れる限り、その愛は甘く、恋人に注ぐモノだった。

 でも、今のお義兄様は壊れかけてる。あの光を失った瞳。クラウスに向けられ殺意。私の唇を荒々しく奪ったお義兄様。切れた唇の端を舐め上げ、私に劣情を向けたお義兄様の顔。そのどれもが、私には怖い・・

「セリーナ……何故なんだ。どうして……」

 そう呟く声が聞こえる。それでも私は、返事ができない。

──ガチャ
──ガチャガチャガチャ  
──ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ

 ドアノブが勢いよく音を立てる。あっ。ああ。いや……嫌ぁっ

「セリーナ。セリーナ。セリーナ。セリーナ。あぁ、待っていろ。すぐ、其処に、行くから。大丈夫。優しくする。傷付けたりしない。セリーナを傷付けていいのは、俺、だけだ。その髪も、瞳も、肌も、声も、吐息も、涙の一欠片さえ愛してる。セリーナ。愛しい、俺のセリーナ。開けて。開けて。開けるんだ。怒らないから。セリーナ。セリーナ」

──ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ

「あぁ、この扉が邪魔だな。俺とセリーナを隔てるモノなど、壊れてしまえばいいのに……」

 開かない扉に、苛立つ声が聞こえる。壊れたのはお義兄様だわ。怖い。怖い。誰か助けて。このままじゃ私、お義兄様に……
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