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邂逅
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私が次に目にしたのは、見慣れない部屋の床だった。かなり古い造りの家らしく、息をすると湿った木材の匂いが鼻をついた。
意識を失ってからどのくらいの時間が経ったのだろうか。考えを巡らせる頭には、強い鈍痛が響いていた。
両手は体の後ろで縛られ、両足も足首の所で強固に拘束されていた。唯一自由の利く顔を動かし周囲を見渡すが、室内に光はなくほとんどが暗闇の中に隠れてしまっていた。
私は溢れかえりそうな胸中を必死に沈め、状況を整理した。
意識を失う前、私は確かに見たのだ。
どこか雪と似ている顔つきの、男の顔を。
それが何を意味するのかを、私は理解していた。飲み込みがたい現実に、私は気が付いてしまっていた。
まるで全身が心臓になったように鼓動が大きくなり、喉の奥から大声を張り上げそうになる。なんで、どうして、そんなことがあっていいはずがない。口に張り付けてあるガムテープの隙間から、獣のような自分の呻き声が聞こえた。
「やあ、目が覚めたのですね」
背後から、少し掠れた男の声がした。
私は男を視界に収めるために体勢を変えようとした。が、それは男の足が私の背中を踏みつけにしたことで阻まれた。容赦のない荷重に私の体は痛みという形で悲鳴をあげた。声にならない音が口から漏れる。
「まだ随分と元気そうですね。それなりに力いっぱい殴ったつもりだったのですが」
男は嬉々とした口調でそう言うと、私の口に貼ってあったテープを力任せに引き剥がした。乱暴に剥がされたテープは私の唇の薄皮も巻き込み、口の端から血が流れるのを感じた。
「もう叫ぼうが何をしようが誰も来ません。落ち着いて話でもしませんか?」
男は言いながら、床に這う私の目の前にしゃがみ込んだ。その顔は紛れもなく、古屋書店で雪とぶつかった男の物と合致した。
私はおぼつかない記憶を思い起こす。「しっかりとしたお子さんですね」すれ違いざまに彼がいった言葉を反芻して、身体中が底冷えしたような寒気に襲われた。あの時から、ずっと私達は監視されていたのだ。
「……雪は?」
私は今にも消えそうな声で尋ねた。呼吸をする度、踏みつけられた背中が痛みを訴えかけてくる。
「心配しなくても、まだ車の中で寝ていますよ。それより、いつからアレはあなたの所有物になったんですか?」
よほど私の問いかけが不快だったのか、男の声が一気に低くなる。剥き出しの敵意に肌がひりついた。
「あの子は、人を殺してなんかいない。そうですよね」
私の中で、そのことに関しては既に覆りようがない答えが出ているようなものだった。しかし、ならば尚更、私は真実を知る必要がある。自分の手を伝った、確かにそこに在った命の真の最期に、私は向き合わなければならない。
「あなたの知りたいことなら聞かれずとも全て話してあげますよ。……だから、少し黙っていただけませんか?」
男から痛いほど感じる殺気に、私はそれ以上の言及を止めた。数度、私にも聞こえるほど深い呼吸をしてから、男は話を始めた。
「私の名前は立木圭。正真正銘、あなたが匿っていた立木雪の父親です」
立木はポケットから煙草を取り出して火をつけると、一吸いでその六分の一程を煙にして呑み込んだ。二口目に口をつける彼の横顔は、まるで何かの抜け殻のようだった。
「吉名さん、あなたは人を愛したことがありますか?」
白煙を宙に吐きながら、立木は私にそう訊いた。
私は彼の質問に答えられなかった。そして、その沈黙がそのまま問いかけへの答えだった。
「やっぱりそうだ。あなたは私と似ている」
立木は納得したようにそういい、半分ほど吸った煙草を床に落としてから靴底で潰した。余程水を吸っているからか、床板に煙草の火が燃え移ることはなかった。
「煙草は随分前に辞めたんです。何の得にもなりませんからね。でも、もう不利益や合理性なんて気にしないでいいですから」
煙草を踏んだ靴を床板に擦り付け、自嘲のような笑みを浮かべてから、彼は穏やかな口調で語りを再開した。
「私は、自分でいうのはなんですがそれなりの育ちの出でした。幼い頃から両親は私の教育のために大金を叩き、どこに出しても恥のない人間になるように育てられました」
「自分にとって不利益になる人間との接触は制限され、私は両親の教え通り学生時代のほとんどを誰とも関わらないように過ごしました。自ら進んで孤立するというのはなかなか堪えるものがありましたが、私にとって両親の教えは自我よりも尊重すべきものだったのです。外面の為に息子を育てる親と、その思惑に従うだけのロボットの役割を全うする私。滑稽ながら、非常によくできた共存関係でした」
「私は両親の目論見通り、医学の道へ進みました。しかし、医者の大儀であるはずの人を救うという感覚も、私にとっては単なる作業にしか思えませんでした。ただこれが自分の運命なのだと、冷めた目で自分を客観視するだけの日々でした」
「医師になって数年が経った頃、私は親の会社が吸収したがっていたある企業との仲介の為に、その会社の社長の一人娘と婚姻を結ばされました」
「その娘というのがアレの母親、砂村茉奈です」
知らない苗字ではあるものの、その名前は確かに聞いたことがあった。雪と出会ってから二日目の朝、無機質なニュースキャスターの声が彼女の名前を読み上げたのを私ははっきりと覚えていた。敢えて鮮明に思い返すことを避けていたその名前を告げられ、私は自分の脈が早まるのを感じた。
意識を失ってからどのくらいの時間が経ったのだろうか。考えを巡らせる頭には、強い鈍痛が響いていた。
両手は体の後ろで縛られ、両足も足首の所で強固に拘束されていた。唯一自由の利く顔を動かし周囲を見渡すが、室内に光はなくほとんどが暗闇の中に隠れてしまっていた。
私は溢れかえりそうな胸中を必死に沈め、状況を整理した。
意識を失う前、私は確かに見たのだ。
どこか雪と似ている顔つきの、男の顔を。
それが何を意味するのかを、私は理解していた。飲み込みがたい現実に、私は気が付いてしまっていた。
まるで全身が心臓になったように鼓動が大きくなり、喉の奥から大声を張り上げそうになる。なんで、どうして、そんなことがあっていいはずがない。口に張り付けてあるガムテープの隙間から、獣のような自分の呻き声が聞こえた。
「やあ、目が覚めたのですね」
背後から、少し掠れた男の声がした。
私は男を視界に収めるために体勢を変えようとした。が、それは男の足が私の背中を踏みつけにしたことで阻まれた。容赦のない荷重に私の体は痛みという形で悲鳴をあげた。声にならない音が口から漏れる。
「まだ随分と元気そうですね。それなりに力いっぱい殴ったつもりだったのですが」
男は嬉々とした口調でそう言うと、私の口に貼ってあったテープを力任せに引き剥がした。乱暴に剥がされたテープは私の唇の薄皮も巻き込み、口の端から血が流れるのを感じた。
「もう叫ぼうが何をしようが誰も来ません。落ち着いて話でもしませんか?」
男は言いながら、床に這う私の目の前にしゃがみ込んだ。その顔は紛れもなく、古屋書店で雪とぶつかった男の物と合致した。
私はおぼつかない記憶を思い起こす。「しっかりとしたお子さんですね」すれ違いざまに彼がいった言葉を反芻して、身体中が底冷えしたような寒気に襲われた。あの時から、ずっと私達は監視されていたのだ。
「……雪は?」
私は今にも消えそうな声で尋ねた。呼吸をする度、踏みつけられた背中が痛みを訴えかけてくる。
「心配しなくても、まだ車の中で寝ていますよ。それより、いつからアレはあなたの所有物になったんですか?」
よほど私の問いかけが不快だったのか、男の声が一気に低くなる。剥き出しの敵意に肌がひりついた。
「あの子は、人を殺してなんかいない。そうですよね」
私の中で、そのことに関しては既に覆りようがない答えが出ているようなものだった。しかし、ならば尚更、私は真実を知る必要がある。自分の手を伝った、確かにそこに在った命の真の最期に、私は向き合わなければならない。
「あなたの知りたいことなら聞かれずとも全て話してあげますよ。……だから、少し黙っていただけませんか?」
男から痛いほど感じる殺気に、私はそれ以上の言及を止めた。数度、私にも聞こえるほど深い呼吸をしてから、男は話を始めた。
「私の名前は立木圭。正真正銘、あなたが匿っていた立木雪の父親です」
立木はポケットから煙草を取り出して火をつけると、一吸いでその六分の一程を煙にして呑み込んだ。二口目に口をつける彼の横顔は、まるで何かの抜け殻のようだった。
「吉名さん、あなたは人を愛したことがありますか?」
白煙を宙に吐きながら、立木は私にそう訊いた。
私は彼の質問に答えられなかった。そして、その沈黙がそのまま問いかけへの答えだった。
「やっぱりそうだ。あなたは私と似ている」
立木は納得したようにそういい、半分ほど吸った煙草を床に落としてから靴底で潰した。余程水を吸っているからか、床板に煙草の火が燃え移ることはなかった。
「煙草は随分前に辞めたんです。何の得にもなりませんからね。でも、もう不利益や合理性なんて気にしないでいいですから」
煙草を踏んだ靴を床板に擦り付け、自嘲のような笑みを浮かべてから、彼は穏やかな口調で語りを再開した。
「私は、自分でいうのはなんですがそれなりの育ちの出でした。幼い頃から両親は私の教育のために大金を叩き、どこに出しても恥のない人間になるように育てられました」
「自分にとって不利益になる人間との接触は制限され、私は両親の教え通り学生時代のほとんどを誰とも関わらないように過ごしました。自ら進んで孤立するというのはなかなか堪えるものがありましたが、私にとって両親の教えは自我よりも尊重すべきものだったのです。外面の為に息子を育てる親と、その思惑に従うだけのロボットの役割を全うする私。滑稽ながら、非常によくできた共存関係でした」
「私は両親の目論見通り、医学の道へ進みました。しかし、医者の大儀であるはずの人を救うという感覚も、私にとっては単なる作業にしか思えませんでした。ただこれが自分の運命なのだと、冷めた目で自分を客観視するだけの日々でした」
「医師になって数年が経った頃、私は親の会社が吸収したがっていたある企業との仲介の為に、その会社の社長の一人娘と婚姻を結ばされました」
「その娘というのがアレの母親、砂村茉奈です」
知らない苗字ではあるものの、その名前は確かに聞いたことがあった。雪と出会ってから二日目の朝、無機質なニュースキャスターの声が彼女の名前を読み上げたのを私ははっきりと覚えていた。敢えて鮮明に思い返すことを避けていたその名前を告げられ、私は自分の脈が早まるのを感じた。
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