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 「ルカ、おはよう」
 ルカを見ていると、あの夜のことを思い出す。
 顎の下をなでてあげると、ゴロゴロと甘えた音がした。

 ――連れて行くって決めたけれど、私はいつ殺されるかわからない身。この子を巻き込みたくない。
 精霊猫は、普通の猫とは違い、鳥や魚を食べたりしない。
 オリヴィアがいなくてもさして困らないだろうが、異国の地で、ただの一匹にしてしまうのは可哀相だ。
 ――ルカがカルロス陛下に懐いて、陛下もかわいがってくれたらいいけれど。
 オリヴィアは前回殺されたとき、カルロスの高い魔力に驚いた。きっと、ルカの姿も見えるはずだ。
 精霊獣を存外に扱う王族はいないが、相手は良い二つ名がない男だ。油断しないで見極めようと気を引き締めた。


 祖国からの追っ手を警戒して馬車を速めた結果、オリヴィアたちは予定より早くレオンティオ帝国の王都リオンに着いた。
 城塞都市のリオンは無骨な街で、軍人ばかりが闊歩する様子をオリヴィアは想像していたが、実際は違った。
 天まで続く高い城壁の関所を二つ超えると、華やかな街が広がっていた。
 ひしめくように建ち並ぶ店、その前をたくさんの人が往来していた。あちこちから呼び込みの声が聞こえる。活気があふれていてオリヴィアは目を見張った。

 ――すごい。人も建物も、規模が違いすぎる。
 ミディル国とは比べものにもならない。滅んだカルーデル国よりも商人や行き交う人々が多くて驚いた。
 伝え聞くレオンティオとの違いにオリヴィアは戸惑った。
 ――軍人は少なく、民ばかり。しかも見たことのない建築物や、服装が目立つ。たった数年で様変わりしたのかしら。それとも、私の勉強不足?……ミディルに正しい情報が伝わっていない? 
 馬車が停まる。考えと心の整理が整う前に馬車のドアは開かれた。

「わっ、ルカ? 待って! どこへ行くの?」
 精霊猫が、城の敷地に着くなりオリヴィアから離れ、駆け出した。宮殿の護衛兵には見えていない。彼らの前を横切り、きれいに整えられている庭の中へ姿を消してしまった。
 今すぐ追いかけて探したかったが、皇帝陛下の謁見が控えているオリヴィアは、勝手なことができなかった。
 精霊獣は気まぐれだ。しかもルカは猫の精霊。異国の地でも大丈夫と思いながらも気になって、後ろ髪を引かれる思いで建物の中へと進んだ。

 侍女のマーラと護衛騎士は外で待たされて、オリヴィアは、広い謁見の間へ案内された。膝をつき頭を下げた体勢で、この国の皇帝カルロスが来るのを待った。
 心臓はばくばくと暴れていた。カルロスの刃が自分の身体を貫く痛みと恐怖が蘇ってきて、身体が震える。
 オリヴィアはあの夜のことは思い出すなと自分に言い聞かせた。
 ――怖い。そばにルカがいてくれたら心強かったのに。

 恐怖に一人戦っていると、衛兵が王の入室を知らせた。
 ドアが開かれ、数人の足音が聞こえてきたが、オリヴィアは頭を下げたまま、耳だけで様子を探った。

「ミディル国の姫、顔を上げていいよ」
 心臓がどくんと強く脈打った。忘れもしない彼の声だ。しかし、以前聞いたときよりどこかのんきな声音だった。
 オリヴィアは、ゆっくりと顔を上げた。

 皇帝のカルロス・レオンティオは、玉座の肘掛けに片肘をつきながら、こちらを見下ろしていた。
 天窓から差し込む西日がカルロスの金色の髪をひときわ輝かせている。
 夜の月明かりで見た彼は、目は鋭く威圧的で殺意に満ちていたが、今目の前にいるカルロスからは敵意を感じられなかった。
 それでも、殺されたときの恐怖や痛みが蘇ってきて、胸の鼓動が速くなっていく。

 ――大丈夫。まだ、殺されない。落ちつこう。
 前世でシェンナが殺されたのは、寝首を掻こうとした夜だったと報告を受けている。
 オリヴィアは一度、深呼吸してからあらためてカルロスの顔を見た。
 顔立ちは堀深く、目鼻たちが整っている。金色の瞳は宝石のようにきれいで一度見たら忘れられない魅力があった。

「偉大なる皇帝陛下。オリヴィア・ミディルと申します。お初にお目にかかれて、光栄でございます」
「初めまして、オリヴィア王女。長旅ご苦労だったね。さっさと要件をすませよう。貴殿はここへ何をしに来た?」
 カルロスに、にこりとほほえみかけられて、オリヴィアは面食らった。
「両国の、平和と友誼を深めるために、レオンティオ帝国からの婚姻の申し込みを承諾すべく、参りました」
 語尾が最後、震えた。背中がじわりと汗をかく。
 ――婚姻の申し出は、建前だったのだろうか。本当に嫁いでくるとは思われていなかった?
 ミディルが断り、それをきっかけに戦争をはじめたかったのかもしれない。

「待って。俺が貴殿に婚姻を申し込んだの?」
 肘掛けにもたれていたカルロスは身を乗り出しながら訊いてきた。
「先日、打診の書簡を陛下から賜りました」
「書簡を?……それはおかしいな」
 カルロスは視線を彼の脇に控えている身なりのいい中年の男性に向けた。

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