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三十四、最後の風魔 六 (完結)
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何百年もの間、人間の負の感情を思う存分貪り、さらに巨大な混沌たらんと欲していた茶家見川の主。近山の母親は、その急所を記録して近山に託した。自分の両親は、桐塚の策略を阻止するために死んだ。桐塚は、ついに茶家見川の主について知らないまま、主に身心を売り渡して死んだ。
近山が、真言を唱え終わった。
茶家見川で船頭をしている自分が、主に終焉をもたらす。我ながら、大それている。にもかかわらず、不思議と武者震いにはならなかった。
日ノ本全体の行く末は、当然ながら一大事だ。が、龍左衛門にとって、両親の死を乗りこえる、これほどの機会は二度とない。
龍左衛門が、最後の真言を唱え終わった直後。霧が晴れ、月が空から消えた。とうに日没なのに、太陽が地上を照らし、時ならぬ白昼が現出した。
「見てよ。川がっ」
河童が指さすまでもなく、龍左衛門は、茶家見川を食いいるように見つめた。
川の中央が、まるで魚を背開きにするように二つに割れ、両端から川底に向けて延々と滝が生まれた。
むきだしになった川底が隆起し、伝承そのままの巨大な鮫が浮かび上がった。しかし、背びれがそっくりなくなっている。
鮫は、弱々しく尻尾を振ったものの、陸にも海にも進めなかった。強烈な陽射しが、鮫をめがけて集中的に注がれ、肌も肉も、骨もはらわたもどろどらに溶けて行った。やがて、鮫は一筋の煙となって消えうせ、川もまた元通りとなる。太陽も空からいなくなり、夜空に月が復した。
「茶家見川の主、成敗」
近山が宣言した。
龍左衛門は、肩で大きく息をついた。数百年来の因縁が終わり、自分の仕事もまた半ばは片づいたのが、嫌でも実感させられた。
「お仕事完遂、おめでとうございます」
台詞とは裏腹に、櫛田は厳しい顔つきを崩さなかった。
「ありがとう。それで、君と……」
「私はまず、実家に帰らねばなりません」
龍左衛門は、心の中でほっとした。どのみち、舟で鯉志に帰らねばならないのだから、そこまでは櫛田と近山を乗せても構わないだろう。近山の台詞を遮ったことだけが気がかりだが。
「当然、そうした方がいいね。それで、君と……」
「まず、私は家族に謝ります。世間知らずの、愚かな判断で散々迷惑をかけました」
「立派な心がけだし、ご家族も快く許すだろう。それで、君と……」
「謝罪が終わったら、また家を出ます」
「なるほど、自分を見つめなおすために、あえて環境を変えるというのも一策だろう。それで、君と……」
「祝言を上げますからお家の場所を教えて下さい」
「うっ……」
近山は、ここに来て初めて絶句した。
「まさか、自分のお母様がのっぺらぼうだからとか、公儀の隠密だとか、そんなつまらない理由で破談にするおつもりだったのではないでしょうね」
櫛田の右手は、脇差の柄にかかっている。
「い、い、いや、もちろん、そんなことはない」
「ならば問題ございません。既に、祝言の資金と日取りと招待客の名簿は私の頭の中で仕上がっております」
「うわぁ、頼もしいお相手だなぁ」
にやにやしながら、河童は面白がった。
「当然、河童も左右冠者も龍左衛門もおふみも招待する」
「え……おふみさんも」
「龍左衛門、私が気づいてないとでも思っていたか」
櫛田は、もはや向かうところ敵なしだった。
「な、何をですか」
嫌な予感しかしない。
「龍左衛門の秘めた気持ち。他人の私からしても、恥ずかしくなるくらい露骨だったぞ」
「あ、あー……そうだったんですか」
「そうだったんだ。ふだんなら、そんなことを喋るほど無神経なことはしない。しかし、こういう時こそお裾分けしておかねば」
「お裾分け……」
「心配するな。おふみさんの気持ちは、お前が鯉志で舟の支度をしている時に聞いておいた」
「え……ええーっ」
女子同士の話は、かくも素早く鋭い。
「めでたいな、お互い」
半ば自暴自棄気味に近山が語り、龍左衛門は笑っていいのか泣いていいのか分からなくなる。
「とにかく、帰りましょう。わしらは、霧も晴れたことですし、一度失礼致します」
「ありがとう、左右冠者。本当に世話になった」
櫛田ばかりでなく、龍左衛門も近山も頭を下げた。
「おいらも疲れたし、帰るよ。相撲は今度にしといてやるから」
「河童……お前には感謝の言葉もない」
龍左衛門は、河童がいなければ死んでいた。
「いいっていいって」
「私からも、礼をいう」
「かたじけない」
櫛田と近山が、河童にも丁重に敬意を表した。
「さて、桟橋に行きますか」
龍左衛門は、船頭として名残りを区切らねばならなかった。
「ああ。行こう」
「そういえば、線香は上げてくの」
「いや……もういらない」
河童に答える櫛田は、夜中でも晴れ晴れした笑顔になっていた。
終わり
近山が、真言を唱え終わった。
茶家見川で船頭をしている自分が、主に終焉をもたらす。我ながら、大それている。にもかかわらず、不思議と武者震いにはならなかった。
日ノ本全体の行く末は、当然ながら一大事だ。が、龍左衛門にとって、両親の死を乗りこえる、これほどの機会は二度とない。
龍左衛門が、最後の真言を唱え終わった直後。霧が晴れ、月が空から消えた。とうに日没なのに、太陽が地上を照らし、時ならぬ白昼が現出した。
「見てよ。川がっ」
河童が指さすまでもなく、龍左衛門は、茶家見川を食いいるように見つめた。
川の中央が、まるで魚を背開きにするように二つに割れ、両端から川底に向けて延々と滝が生まれた。
むきだしになった川底が隆起し、伝承そのままの巨大な鮫が浮かび上がった。しかし、背びれがそっくりなくなっている。
鮫は、弱々しく尻尾を振ったものの、陸にも海にも進めなかった。強烈な陽射しが、鮫をめがけて集中的に注がれ、肌も肉も、骨もはらわたもどろどらに溶けて行った。やがて、鮫は一筋の煙となって消えうせ、川もまた元通りとなる。太陽も空からいなくなり、夜空に月が復した。
「茶家見川の主、成敗」
近山が宣言した。
龍左衛門は、肩で大きく息をついた。数百年来の因縁が終わり、自分の仕事もまた半ばは片づいたのが、嫌でも実感させられた。
「お仕事完遂、おめでとうございます」
台詞とは裏腹に、櫛田は厳しい顔つきを崩さなかった。
「ありがとう。それで、君と……」
「私はまず、実家に帰らねばなりません」
龍左衛門は、心の中でほっとした。どのみち、舟で鯉志に帰らねばならないのだから、そこまでは櫛田と近山を乗せても構わないだろう。近山の台詞を遮ったことだけが気がかりだが。
「当然、そうした方がいいね。それで、君と……」
「まず、私は家族に謝ります。世間知らずの、愚かな判断で散々迷惑をかけました」
「立派な心がけだし、ご家族も快く許すだろう。それで、君と……」
「謝罪が終わったら、また家を出ます」
「なるほど、自分を見つめなおすために、あえて環境を変えるというのも一策だろう。それで、君と……」
「祝言を上げますからお家の場所を教えて下さい」
「うっ……」
近山は、ここに来て初めて絶句した。
「まさか、自分のお母様がのっぺらぼうだからとか、公儀の隠密だとか、そんなつまらない理由で破談にするおつもりだったのではないでしょうね」
櫛田の右手は、脇差の柄にかかっている。
「い、い、いや、もちろん、そんなことはない」
「ならば問題ございません。既に、祝言の資金と日取りと招待客の名簿は私の頭の中で仕上がっております」
「うわぁ、頼もしいお相手だなぁ」
にやにやしながら、河童は面白がった。
「当然、河童も左右冠者も龍左衛門もおふみも招待する」
「え……おふみさんも」
「龍左衛門、私が気づいてないとでも思っていたか」
櫛田は、もはや向かうところ敵なしだった。
「な、何をですか」
嫌な予感しかしない。
「龍左衛門の秘めた気持ち。他人の私からしても、恥ずかしくなるくらい露骨だったぞ」
「あ、あー……そうだったんですか」
「そうだったんだ。ふだんなら、そんなことを喋るほど無神経なことはしない。しかし、こういう時こそお裾分けしておかねば」
「お裾分け……」
「心配するな。おふみさんの気持ちは、お前が鯉志で舟の支度をしている時に聞いておいた」
「え……ええーっ」
女子同士の話は、かくも素早く鋭い。
「めでたいな、お互い」
半ば自暴自棄気味に近山が語り、龍左衛門は笑っていいのか泣いていいのか分からなくなる。
「とにかく、帰りましょう。わしらは、霧も晴れたことですし、一度失礼致します」
「ありがとう、左右冠者。本当に世話になった」
櫛田ばかりでなく、龍左衛門も近山も頭を下げた。
「おいらも疲れたし、帰るよ。相撲は今度にしといてやるから」
「河童……お前には感謝の言葉もない」
龍左衛門は、河童がいなければ死んでいた。
「いいっていいって」
「私からも、礼をいう」
「かたじけない」
櫛田と近山が、河童にも丁重に敬意を表した。
「さて、桟橋に行きますか」
龍左衛門は、船頭として名残りを区切らねばならなかった。
「ああ。行こう」
「そういえば、線香は上げてくの」
「いや……もういらない」
河童に答える櫛田は、夜中でも晴れ晴れした笑顔になっていた。
終わり
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