裏長屋のあやかし(お江戸あやかし賞受賞作)

堅他不願@お江戸あやかし賞受賞

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七、時ならぬ窮鳥 一 

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 挨拶をすませて店をあとにした銅吉は、その足で、亡霊がでるとやらいう墓地へとむかった。太助から貰った地図もあるし、まずは現場を抑えておかねばならない。詳しく検分したとしても、夕方までには往復できる場所にあるのは幸いだった。

『今も昔も、人間のやることって変わらないね』
「うわぁっ」

 いきなり猫又から話しかけられ、銅吉は路上で大声を投げだしてしまった。道端の老若男女からじろじろ見られ、非常に気まずくなる。黙って目的地へ歩くしかない。

『ど、どこにいるんだい』
『あたしなら、右手の家の屋根』

 足を止めて、指定された方に頭をむけると、たしかに猫又がいた。こうしていると、平凡な三毛猫にしか思えない。

『盗み聞きとは趣味が悪いよ』
『退屈しのぎといってほしいね。ほら、早く歩いて』

 猫又に促され、銅吉はふたたび進みはじめた。猫又も、屋根伝いに肉球をへこませてついていく。

 初めての道のりということもあり、往路はずいぶんと長く感じた。

 墓場が近づくほどに、潮の香りが濃く薄く道を包むようになってきた。海苔のりを干すよしが浜辺にならび、穏やかな春の陽射しを浴びている。今年もそろそろ収穫の終わるころだろう。

 海苔といえば、道に面した建物は宿屋ばかりとなり、旅姿の人々を呼びこもうと飯盛女達が声を張りあげていた。猫又も、ときおりたちどまっては宿屋から流れる煙の香りを嗅いでいる。余計な出費は慎まねばならないので、足に力をこめた。

 一連の宿屋から離れると、道の北側に木がまばらに生えた場所があった。さらに、質素な祠があり、地蔵が安置されている。どういうわけでか、地蔵の唇には紅が塗られていた。これが、目印の決め手となる。

 道から外れ、木々の間に入ると、しばらくして二つの墓石がならぶ場所にきた。夏でもないのに雑草が茂り、そのくせ妙に薄ら寒い。

 一瞬、銅吉は引き返そうかと後ろをむいた。木が何本かあるくらいで、道は見えない。もちろん、迷うほどのものではない。ただ、ここにいるかぎり、人のいる世界とは隔たっていることをそこはかとなく感じさせる。

 顔をもどすと、また墓石が目に映った。いずれもこけむし、すり減って誰を葬っているのかも分からない。大きさも、銅吉の胸くらいまでしかない。ただ、赤茶けた色あいだけが歳月を感じさせた。

『いるね』

 突然、足元で猫又が語りかけた。

「うわぁっ」
『お前、あたしに驚くのが趣味なの』
『い、いつもいきなり声をかけるからだろ』
『さっきまで一緒にいたし』
『離れてついてきてたじゃないか』
『今はすぐそば』
『そういう話じゃない』

 そんな押し問答をしていると、墓石の裏側からガサゴソ音がした。まとわりつく雑草がゆらゆら揺れる。

『気をつけな』
『き、気をつけたからって……』

 鬼がでてきたら、銭でも渡して見逃してもらうか。地獄の沙汰も金次第とはこのことだ。しかし、話の通じない化け物なら意味がない。これがあの十両の帰結か。

 銅吉は、逃げだしてもよかった。しかし、三槌屋との打ちあわせが頭の中でよみがえり、ここで引いたら新作の構想が台なしになると悟った。一度臆病風に吹かれてしまえば、それが作品に悪影響を及ぼすに違いないとも思った。

 猫又は、味方としてまったくあてにならない。そもそも銅吉の死体を食べたくてついているのだから。むしろ、化け物とともに銅吉を攻撃しかねない。

 震えそうになる足をしかと踏んばって、銅吉は墓石に視線を据えた。

 今一度、雑草が揺れた。そして、一人の少女が現れた。

「おみなちゃん……」

 呆けた顔で、銅吉は彼女の名を告げた。

 二の句を告げられないでいる銅吉に対し、おみなは、ふらふらと左右に揺れながら彼に近づいた。ただでさえ細い身体が余計に危なっかしくなり、銅吉は慌てて支えようとした。あの時の影はどこにもない。そこだけは、かすかな希望に思えた。

 と、そこへ、もう一つ顔がやってきた。こちらは、吉原で芸者をしていてもおかしくなさそうな目鼻だちである。髪もしっかり結いあげ、金銀のかんざしが場違いにもまばゆい。一目でわかる美女ではあるが、彼女はおみなの右肩に顔を乗せている。銅吉からすると、おみなが新しい顔を肩から生やしたようにすら錯覚しそうになった。

 銅吉は、おみなよりはるかに背が高い。ほどなくして、『新顔』から伸びる首は一尺や二尺ではないと理解した。墓石の裏まで、えんえんと白く細長い首が宙に浮いている。

「ろ、ろくろ首っ」

 銅吉は、まさに目をむいた。猫又がいるくらいだから、ろくろ首がいてもおかしくはない。こういう形で知るとは夢想だにしていなかった。

 ろくろ首は、満面の笑みを浮かべたかと思うと、首を引っこめた。同時に、おみなは気絶して倒れかけた。

「危ない」

 銅吉は辛うじて彼女を抱きとめた。予想よりはるかに軽い。これはもう、取材どころではない。だからといって、おびえて逃げだすなど許されない。おみなを担ぎ、回れ右して走った。

 これが銭霊の警告した『危機』か。おみなにまとわりついていた影の干渉か。猫又が皮肉たっぷりに告げた『試練』か。そんなことは後回しだ。

 一度ふっきれると、宿場へもどるのはあっという間であった。なけなしの銭を出して籠かきを二台分雇い、自分達を松森寺へ送るよう頼んだ。医者に診せることも考えたが、病気とはまた異なる。銅吉が思いつける限り、こんな異常な事態を相談できるのは松森寺しかなかった。

 陽もだいぶ傾いてきた折りに、二人は松森寺についた。おみなは気絶したままだったが、構わずおんぶして境内に入る。

 この時間帯なら、輪快は、離れで孤児達にそろばんを教えている。それは、自分自身の経験から知っている。

「和尚様、申し訳ありません。急病人が……」

 濡れ縁越しに叫ぶと、輪快は筆を机に置いてから立ちあがった。もう還暦が近いというのに、背はまっすぐで、肉づきもしっかりしている。食いしばった顎の様子から、一目でただごとならない事態だと理解してくれたのが、銅吉にも伝わった。こうなると、銅吉は地面にいるのだから、輪快の方が高い位置にいるのは当然としても、ふだんよりはるかに大きな姿に見える。肉体的には、銅吉の方がずっと長身なのだが。

 輪快は、二人の女子に、おみなの両脇と足を抱えて病人用の部屋へ運ぶよう指示した。

「裏長屋の……」
「上坪殿のお嬢さんじゃろう。お父上に伝えてきなさい」
「はいっ」

 輪快と話をするのは、数年ぶりになる。にもかかわらず、一瞬で、孤児としてここで育てられた時分にもどったような錯覚を感じてしまった。

 息せき切って裏長屋までもどった銅吉は、休む暇もなく上坪家の戸を叩いた。すぐに、上坪が顔を出した。

 四捨五入すれば四十路にならんとする上坪だが、裏長屋では銅吉の次に背が高く、肩幅もある。武の輝きを失ってないのは、素人の銅吉にもわかる。とはいえ、槍も刀も役にたたない状況だ。それを、今からできるだけ簡潔に伝えねばならない。

「上……坪……さん、お嬢さ……んが、具合を……悪く……して、松森寺に……」
「すぐにいく」

 言葉とは裏腹に、一度上坪は屋内にもどった。仕事着の腹かけから小袖に着替え、脇差だけをさして戸口にやってくる。

「私もご一緒します」
「ありがたし」

 それ以上は喋らず、二人して、松森寺へ走った。

 着いたころには、昼下がりから夕方になりつつあった。

「輪快殿、この度は……」

 本堂で、輪快と顔をあわせるなり上坪はそう口にしかけた。

「まずは、ご息女のお部屋へ。銅吉も」

 輪快は軽く右手を掲げて上坪を制し、もっとも優先すべき事項を知らしめた。むろん、銅吉にも上坪にも異論はない。
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