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EP 12
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青田源之が嵐のように去った後、坂上真一(中身50)は、再び執務室の静寂(と、頭痛)の中に取り残された。
天井裏の気配は、いつの間にか消えている。
(……逃げたか。あの12歳の小僧)
坂上は、赤太の問題を「脅威レベル低し」として、思考から一時的に切り捨てた。
今、対処すべき最優先事項は、別にある。
ズキン。
こめかみが、抗議の警報を鳴らす。
(……限界だ)
このままカフェイン欠乏が続けば、指揮官としての判断力に支障をきたす。
それは、組織にとって最大のリスクだ。
坂上は、決意した。
「――個人的な任務を、発動する」
彼は、奉行の羽織を脱ぎ捨てると、あの「真さん」の縞の着流しに着替え始めた。
「御奉行様!? いったい、どちらへ!」
控えていた蘭と雪之丞が、目を丸くする。
「……規律状況の視察だ」
坂上は、50歳の真顔で、25歳の姿で、そう言い放った。
「俺の『目』で、市井の空気を直接確認する必要がある。二人は、奉行所の通常業務を続行しろ」
「ええっ!? し、しかし『真さん』の姿で……」
雪之丞が慌てる。
「奉行の姿では、真の『情報』は得られん」
(……コーヒー豆の、な)
坂上は、そう言い残すと、誰の返事も待たず、さっさと裏門から江戸の町へと消えていった。
「……行っちゃった」
蘭は、呆然と、その背中を見送るしかなかった。
だが、坂上の背後、数十間を離れて。
電柱……いや、火の見櫓の陰から、コソコソと後をつけてくる小さな影があった。
青田赤太(12)だ。
(……しめしめ。父ちゃんは奉行所に怒鳴り込んだけど、真さんは俺を叱らなかった)
赤太は、竹刀を背中に背負い直し、目を輝かせた。
(これが、『真さんの弟子』としての、最初の修行に違いない! あの「仁王の秘密」を探ってやる!)
少年は、天才剣士のフットワークで、気取られることなく、坂上の尾行を開始した。
一方、坂上(真さん)は、深刻な顔で、日本橋から京橋にかけての「大店」を、片端からしらみ潰しにしていた。
「……『豆』は、あるか」
「へい? 豆でございますか。旦那、そちらの『豆屋』へ」
(違う)
「『南蛮渡来』の『焦げた』『苦い』豆だ」
「はあ……? なんばん? 旦那、もしや『納豆』のことかい?」
(殺意すら覚える)
「黒くて、硬くて、飲むものだ」
「ああ! それなら、『黒豆茶』だねぃ! 目にいいって評判で……」
(……頭痛が、悪化する)
坂上は、苛立ちを隠せないまま、町を彷徨った。
(……情報が、無さすぎる。この時代、『珈琲』という戦術用語は、流通していないのか……!?)
尾行している赤太もまた、混乱していた。
(……なんだ? 真さん、さっきから『豆屋』ばっかり巡ってるぞ)
(これが、あの「仁王の力」の秘密……? 『豆』を食うと、強くなるのか……?)
苛立ちが最高潮に達した坂上は、大通りを外れ、静かな路地裏へと入っていった。
(……頭を冷やせ。戦略の練り直しだ)
その時。
坂上の耳に、江戸の「音」が飛び込んできた。
カン、カン、カン……!
小気味よい、金属を打つ音。
トントン、トントン……!
木を削る、リズミカルな音。
(……職人長屋か)
それは、21世紀の横須賀では聞くことのなかった、手仕事の「生活音」だった。
非合理だが、なぜか、坂上の荒んだ神経を、わずかに宥める音だった。
(……この町は、こうして動いているのか)
彼が、音のする方へ、ふらり、と足(あし)を向けた、その瞬間。
「――いい加減にしろ、徳ジジイ!」
汚い、怒声が響いた。
「この長屋を、俺たち『近江屋』様が買い取ってやるってんだ! いつまでゴネてやがる!」
坂上が、路地の角を曲がる。
尾行していた赤太も、慌てて壁に隠れる。
坂上の目に、新たな「脅威」が映った。
一軒の小さな作業場の前で、強面の男たちが、三人。
銀色の髪をした、痩せた老人の職人一人を、取り囲んでいた。
「わ、わしは……わしは、ここを動く気はねえ。ここは、先代から受け継いだ、わしの『城』だ」
「ああ!? 聞こえねえな!」
男の一人が、老人の胸を突き飛ばした。
老人は、よろめき、大事な道具箱の上に倒れ込んだ。
「……!」
坂上の目が、氷の温度に(スウッと)下がった。
(……民間人への、不当な暴力行為。確認)
壁の陰の赤太も、息を呑んだ。
(……な、なんだよ、あいつら! じいちゃんが、可哀想じゃねえか!)
コーヒー探索という「私的任務」は、今、北町奉行としての「公的任務」へと、静かに切り替わろうとしていた。
天井裏の気配は、いつの間にか消えている。
(……逃げたか。あの12歳の小僧)
坂上は、赤太の問題を「脅威レベル低し」として、思考から一時的に切り捨てた。
今、対処すべき最優先事項は、別にある。
ズキン。
こめかみが、抗議の警報を鳴らす。
(……限界だ)
このままカフェイン欠乏が続けば、指揮官としての判断力に支障をきたす。
それは、組織にとって最大のリスクだ。
坂上は、決意した。
「――個人的な任務を、発動する」
彼は、奉行の羽織を脱ぎ捨てると、あの「真さん」の縞の着流しに着替え始めた。
「御奉行様!? いったい、どちらへ!」
控えていた蘭と雪之丞が、目を丸くする。
「……規律状況の視察だ」
坂上は、50歳の真顔で、25歳の姿で、そう言い放った。
「俺の『目』で、市井の空気を直接確認する必要がある。二人は、奉行所の通常業務を続行しろ」
「ええっ!? し、しかし『真さん』の姿で……」
雪之丞が慌てる。
「奉行の姿では、真の『情報』は得られん」
(……コーヒー豆の、な)
坂上は、そう言い残すと、誰の返事も待たず、さっさと裏門から江戸の町へと消えていった。
「……行っちゃった」
蘭は、呆然と、その背中を見送るしかなかった。
だが、坂上の背後、数十間を離れて。
電柱……いや、火の見櫓の陰から、コソコソと後をつけてくる小さな影があった。
青田赤太(12)だ。
(……しめしめ。父ちゃんは奉行所に怒鳴り込んだけど、真さんは俺を叱らなかった)
赤太は、竹刀を背中に背負い直し、目を輝かせた。
(これが、『真さんの弟子』としての、最初の修行に違いない! あの「仁王の秘密」を探ってやる!)
少年は、天才剣士のフットワークで、気取られることなく、坂上の尾行を開始した。
一方、坂上(真さん)は、深刻な顔で、日本橋から京橋にかけての「大店」を、片端からしらみ潰しにしていた。
「……『豆』は、あるか」
「へい? 豆でございますか。旦那、そちらの『豆屋』へ」
(違う)
「『南蛮渡来』の『焦げた』『苦い』豆だ」
「はあ……? なんばん? 旦那、もしや『納豆』のことかい?」
(殺意すら覚える)
「黒くて、硬くて、飲むものだ」
「ああ! それなら、『黒豆茶』だねぃ! 目にいいって評判で……」
(……頭痛が、悪化する)
坂上は、苛立ちを隠せないまま、町を彷徨った。
(……情報が、無さすぎる。この時代、『珈琲』という戦術用語は、流通していないのか……!?)
尾行している赤太もまた、混乱していた。
(……なんだ? 真さん、さっきから『豆屋』ばっかり巡ってるぞ)
(これが、あの「仁王の力」の秘密……? 『豆』を食うと、強くなるのか……?)
苛立ちが最高潮に達した坂上は、大通りを外れ、静かな路地裏へと入っていった。
(……頭を冷やせ。戦略の練り直しだ)
その時。
坂上の耳に、江戸の「音」が飛び込んできた。
カン、カン、カン……!
小気味よい、金属を打つ音。
トントン、トントン……!
木を削る、リズミカルな音。
(……職人長屋か)
それは、21世紀の横須賀では聞くことのなかった、手仕事の「生活音」だった。
非合理だが、なぜか、坂上の荒んだ神経を、わずかに宥める音だった。
(……この町は、こうして動いているのか)
彼が、音のする方へ、ふらり、と足(あし)を向けた、その瞬間。
「――いい加減にしろ、徳ジジイ!」
汚い、怒声が響いた。
「この長屋を、俺たち『近江屋』様が買い取ってやるってんだ! いつまでゴネてやがる!」
坂上が、路地の角を曲がる。
尾行していた赤太も、慌てて壁に隠れる。
坂上の目に、新たな「脅威」が映った。
一軒の小さな作業場の前で、強面の男たちが、三人。
銀色の髪をした、痩せた老人の職人一人を、取り囲んでいた。
「わ、わしは……わしは、ここを動く気はねえ。ここは、先代から受け継いだ、わしの『城』だ」
「ああ!? 聞こえねえな!」
男の一人が、老人の胸を突き飛ばした。
老人は、よろめき、大事な道具箱の上に倒れ込んだ。
「……!」
坂上の目が、氷の温度に(スウッと)下がった。
(……民間人への、不当な暴力行為。確認)
壁の陰の赤太も、息を呑んだ。
(……な、なんだよ、あいつら! じいちゃんが、可哀想じゃねえか!)
コーヒー探索という「私的任務」は、今、北町奉行としての「公的任務」へと、静かに切り替わろうとしていた。
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