『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 21

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秋、人肌の温もり
近江屋の裁きから、ひと月。
江戸の町は、すっかり秋の気配に色づいていた。
北町奉行所の「仁王様」こと、坂上真一(奉行)の威光は、もはや江戸八百八町に知れ渡り、その指揮下にある同心たちの間には、(恐怖と畏敬による)完璧な規律が生まれていた。
……ただ一人を、除いては。
「へへ……へへへ」
秋晴れの日本橋を、一人、鼻の下を伸ばし、だらしのない顔で歩く男がいた。
同心・秋元雪之丞(30)である。
あの日、喜助の援護射撃により、山と積まれていた借金証文が消滅。
おまけに、坂上奉行の(コーヒー入で)機嫌が良い(ように見える)おかげで、最近の雪之丞は、心なしか羽振りが良かった。
だが、彼の心が(懐の暖かさとは別に)浮かれている理由は、ただ一つ。
「……菊乃さん。今日は、もう店に出てるかな……」
彼が本気で熱を上げている女がいた。
雪之丞が、足を止める。
日本橋の裏手に入った、小さな小さな路地。
そこに、目立たず、しかし、凛とした暖簾を(新しく)出した、一軒の茶屋があった。
『茶・だんご 菊の屋』。
元は吉原にいたが、数年前に年季が明け、なけなしの金(さらには借金も)をかき集め、ひと月前、ようやくこの(ささやかな)店を持った。
女主人の名は、「菊乃」。
雪之丞は、この店が(近江屋の一件で)荒れた町を見回っていた時に(偶然見つけ)、その(美しさと)団子の(素朴な)味に(一瞬で)惚れ込み、今や(貴重な給金を)叩いて通い詰める、一番の常連客となっていた。
「へへ、菊乃さん、いるかな」
雪之丞が、暖簾をくぐろうとした、その時。
「――あ!」
元気な子供の声がした。
「雪の兄ちゃん! 見ーっけ!」
角から飛び出してきたのは、青田赤太(12)だった。
「こんなとこで、油売ってんのか! 稽古か!?」
「げっ! 赤太!?」
雪之丞が、ギクリと振り向く。
「お、お前こそ、道場サボって!」
「サボってねえよ! 視察だ、しさつ!」
赤太が、胸を張る。
その、赤太の(背後の)角から、ゆらり、と(予想通りの)影が、姿を現した。
「……」
坂上真一(真さん)だった。
片手には、彼が(長屋の徳三に無理を言って作らせた)「竹製の保温機能付き水筒」が握られている。(中身は、もちろん、極上の(押収品の)コーヒーだ)
「ご、御奉行……じゃねえ、真さん!?」
雪之丞の顔が、一瞬で青ざめる。
「(……雪之丞。勤務中の、怠慢行動か)」
坂上(中身50歳)は、水筒のコーヒーを一口飲み、頭痛の(しそうな)部下を、冷たい目で見た。
「おー! 雪の兄ちゃん、デレデレしてやがる!」
赤太が、暖簾の(中の)雪之丞を、指さして笑う。
「あら、雪之丞さま。いらっしゃいませ」
暖簾から、鈴の鳴るような声がした。
菊乃だった。
雪之丞は、坂上の(視線という)銃口を背中に(感じながら)、惚れた女の前で、必死に格好をつけた。
「い、いやあ、菊乃さん! 今日は、いい天気で!」
(……デ、デレデレなんか、してねえし!)
坂上は、(任務を半ば放棄した)部下を(連れ戻すため)、仕方なく、赤太と共に、その『菊の屋』の(店先の)縁台に腰を下ろした。
「……団子と、お茶を、三つ」
「はーい!」(赤太)
「(……俺のコーヒーが、薄まる……)」(坂上)
「はい、お待たせいたしました」
菊乃が、三つのお盆を(小脇に)運んできた。
坂上(中身50歳)の目が、スッ、と細められた。
(……!)
彼女の動きは、ただの町娘のものではなかった。
お盆を三つ、同時に、しかも、その上の湯呑の茶を一滴たりとも揺らさずに運ぶ、その所作。
客(坂上たち)に、決して正面を見せず、美しい角度で(そっと)お盆を置く、その指先の動き。
雪之丞の(デレデレした)下らない冗談を、「うふふ」と(完璧な)笑顔であしらう、その(隙のない)立ち居振る舞い。
(……これは)
坂上は、かつて(21世紀で)、高級な(政治家が使う)料亭や、あるいは(外国の)賓客を(もてなす)訓練を受けた「プロ」の動きを、知っていた。
(……ただの、団子屋ではない)
(……雪之丞が惚れているのは、吉原か、それ以上の場所で、一流の訓練を受けた、プロだ)
坂上は、熱い茶を(コーヒーを飲み終えた水筒にこっそり入れながら)、雪之丞の「非合理な恋」の行く末に、微かな、しかし、確実な「懸念」を、抱き始めていた。
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