『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 62

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『触れられぬ「聖域」』
「……嘘だろ、喜助」
北町奉行所の密室。
同心・雪之丞が、顔面を蒼白にして呻(うめ)いた。
蘭もまた、信じられないという顔で、喜助が持ち帰った報告書を見つめている。
「……嘘なら良かったんだがな」
喜助は、いつになく深刻な表情で、腕を組んだ。
「……目撃証言の『鬼面』の特徴。……そして、犯行現場に残された、高貴な香の匂い。……すべての線が、一本に繋がっちまった」
喜助は、その名前を口にするのを躊躇(ためら)うように、声を低くした。
「……辻斬りの正体は、松平定兼(まつだいら さだかね)公だ」
部屋の空気が、凍りついた。
松平定兼。
将軍家の親戚筋にあたり、数カ国を領有する大大名。
その石高(こくだか)は100万石にも迫ると言われる、幕府内でも別格の「重鎮」である。
「……100万石の大名が、夜な夜な辻斬りだと?」
坂上真一(中身50歳)は、竹水筒を握りしめたまま、静かに問うた。
「……動機はなんだ」
「……『試し斬り』ですよ」
喜助が吐き捨てるように言った。
「……奴は、骨董(こっとう)狂いで有名だ。最近、とんでもない『名刀』を手に入れたって噂がある。……その切れ味を試すためだけに、民を……」
「……ふざけるな!」
蘭が叫んだ。
「大名だからって、人を虫けらみたいに斬っていいわけがない! 今すぐ捕まえに行こうよ!」
「……無理だ」
雪之丞が、力なく首を振った。
「……相手は『御三家(ごさんけ)』にも匹敵する血筋だぞ。……俺たち町方が手を出せば、それだけで『謀反(むほん)』扱いだ。……幕府がひっくり返るぞ」
坂上は、J-5(統合幕僚監部)時代の苦い記憶を噛み締めていた。
法を超越した「特権階級」。
組織の論理、政治のバランス、国の安定。
それらが、たった一人の殺人鬼を守るための強固な「聖域(サンクチュアリ)」となっている。
「……奉行所(おもて)からは、手が出せんな」
坂上は、冷徹に結論を下した。
「……証拠を突きつけたところで、老中たちが揉み消す。……あるいは、我々の方が消されるか」
「そんな……!」
蘭が絶望に唇を噛む。
その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、与力(よりき)が顔を出した。
「……奉行! またです! 今度は上野(うえの)で、商人が斬られました!」
「……!」
その夜。
松平定兼の屋敷。
広大な日本庭園の奥にある、定兼の寝所には、血の匂いが充満していた。
「……ふぅ……ふぅ……」
定兼は、またしても血を吸った『村正』を、愛おしそうに眺めていた。
今夜の獲物は、肉付きの良い商人だった。
骨ごと断ち切った感触が、まだ手に残っている。
「……素晴らしい。……実に素晴らしいぞ、村正」
定兼の目は、常人のそれではなくなっていた。
瞳孔が開ききり、口元には涎(よだれ)が垂れている。
妖刀の瘴気(しょうき)は、彼の精神を完全に蝕(むしば)み、理性を食い尽くしていた。
「……殿」
障子の外から、側近の家老が、震える声で声をかけた。
「……これ以上は、お控えください。……町では『鬼面の辻斬り』の噂が広まっております。……もし、殿の御名(おな)に傷がつては……」
「……うるさい!」
定兼が一喝した。
「……私は松平定兼ぞ! 天下人の血を引く者ぞ! ……下郎どもが何人死のうと、この国の『土』が減る程度の話ではないか!」
定兼は、ギラリと光る村正を、障子に向けた。
「……それとも、貴様がこの村正の『餌』になるか?」
「……ひっ! 滅相もございませぬ!」
家老は逃げるように立ち去った。
定兼は、クククと喉を鳴らした。
「……誰も、私を裁けぬ」
「……私は『法』そのものなのだからな」
北町奉行所。
坂上は、被害者の報告書を前に、沈黙していた。
法では裁けない。
権力でも止められない。
このままでは、江戸の闇は、あの大名の「狩り場」と化す。
(……ならば)
坂上は、竹水筒のコーヒーを一気に飲み干した。
苦味が、脳を覚醒させる。
(……奴の『急所』はどこだ?)
(……権力? 財力? いや、違う)
坂上は、定兼のプロファイル(人物像)を分析した。
名門の血筋。骨董狂い。そして、自ら刀を振るうという異常性。
そこにあるのは、肥大化した「自尊心(プライド)」と、武芸者としての歪んだ「矜持(きょうじ)」だ。
(……法で捕まれば、奴は権力を盾にする)
(……だが、一人の『剣客』として、道端の『遊び人』に敗北したとしたら?)
坂上は立ち上がり、奉行の羽織に手をかけた。
バサリ。
衣が床に落ちる。
露わになったのは、着流し姿の「真さん」。
その背中の仁王が、静かに怒りの炎を燃やしている。
「……雪之丞。蘭」
坂上の声は、氷のように冷たく、そして熱かった。
「……化け物の相手は、鬼(俺)がしてやる」
「……御奉行?」
「……奴の『聖域』をぶっ壊す。……まずは、その鼻っ柱をへし折ってやる」
坂上は、懐に愛刀『同田貫(どうだぬき)』を差した。
妖刀・村正VS剛刀・同田貫。
そして、狂気の大名VS最強の遊び人。
「……行くぞ。今夜は、俺たちが『狩る』番だ」
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