61 / 70
EP 61
しおりを挟む
『赤い月の夜、辻斬りの影』
その夜、江戸の空には、血のように赤い月が浮かんでいた。
本所(ほんじょ)の裏通り。
無外流(むがいりゅう)の免許を持つという、腕利きの浪人が、酒瓶を下げて千鳥足で歩いていた。
「……ヒック。……世知辛え世の中だぜ……」
ふと、浪人は足を止めた。
背筋に、冷たいものが走ったからだ。
夜風が止まっている。虫の音も消えている。
あるのは、異様なほど濃密な「死」の気配だけ。
「……誰だ」
浪人は酔いが一瞬で覚め、刀の柄(つか)に手をかけた。
街灯の届かぬ闇の奥から、一人の侍が、音もなく歩いてきた。
顔には、不気味な「鬼の面」。
そして、その手には、鞘(さや)から抜かれた刀が握られている。
「……追剥(おいはぎ)か? ……俺に構うと怪我するぞ」
浪人が抜刀し、正眼(せいがん)に構える。
鬼面の侍は、答えなかった。
ただ、ゆらり、と身体を揺らした。
(……来る!)
浪人が、迎撃の太刀を振り上げようとした、その刹那。
ヒュン。
風を切る音すら、しなかった。
赤い月の光を浴びて、侍の刀が、妖(あや)しく、赤く煌(きら)めいたように見えた。
「……あ、れ……?」
浪人の視界が、上下にズレた。
自分の下半身が、まだ立っているのが見えた。
そして、激痛を感じる間もなく、浪人の上半身は石畳に転がり落ちた。
「……ぬるい」
鬼面の奥から、陶酔(とうすい)したような低い声が漏れた。
「……もっとだ。……もっと、血を……」
翌朝。
現場には、早乙女蘭と、顔を青ざめさせた平上雪之丞がいた。
そして、その惨状を冷徹な目で見下ろす、北町奉行・坂上真一の姿があった。
「……ひどいもんだ」
雪之丞が、手ぬぐいで口元を覆う。
「……一太刀ですよ、御奉行。……しかも、まるで豆腐でも切るみたいに、人間を両断してやがる」
坂上(中身50歳)は、竹水筒のコーヒーを一口含み、遺体の切断面を検分(スキャン)した。
(……切断角度、深度、骨の断面……)
(……異常な切れ味(シャープネス)だ)
坂上は、現代の知識で分析する。
日本刀は「切る」武器だが、人間の胴体を骨ごと両断するには、凄まじい筋力と、何より刀自体の強度が不可欠だ。
並の刀なら、骨に当たった時点で刃こぼれするか、曲がる。
だが、この傷口は、恐ろしいほど滑らかだった。
「……蘭。目撃者は」
「……遠くから見てた夜鷹(よたか)が一人」
蘭が、震える声で報告する。
「……『鬼のような面』をつけた侍だったって。……それに、刀が……『赤く光っていた』って……」
「……赤く、光る刀か」
「……御奉行」
雪之丞が、声を潜めた。
「……江戸じゃあ、もっぱらの噂ですぜ。……『妖刀(ようとう)』が出たってね」
「……妖刀?」
「徳川家に仇(あだ)なす、呪われた刀……『村正(むらまさ)』ですよ」
坂上の目が、スッと細められた。
村正。
その名は、21世紀の歴史知識としても知っている。
かつて徳川家康の祖父や父を傷つけ、家康自身も怪我を負ったことから、「徳川に祟(たた)る妖刀」として忌避(きひ)された名刀。
(……呪い、か)
坂上は、非科学的なオカルトを信じない。
だが、「名刀」と呼ばれる武器が持つ、使い手の精神を蝕(むしば)むほどの「切れ味」と「美しさ」が、人を狂わせることはあり得る。
J-5時代、高性能すぎる兵器が、現場の指揮官に過剰な攻撃性を与える事例(ケース)を、彼は知っていた。
「……ただの辻斬りではないな」
坂上は、現場に残る冷たい殺気を感じ取っていた。
「……この手口。金目当てでも、怨恨でもない。……純粋な『試し斬り』だ」
同時刻。江戸藩邸、最奥の間。
薄暗い部屋の中で、一人の男が、刀の手入れをしていた。
男の名は、松平定兼(まつだいら さだかね)。
徳川将軍家に連なる名門中の名門。
若くして100万石に迫る領地と権威を持つ、大大名である。
「……ふふ」
「……ふふふふ……」
定兼は、白布(はくふ)で刀身を拭(ぬぐ)いながら、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべていた。
その刀こそ、昨夜、浪人を両断した『村正』であった。
刃紋(はもん)が、生き物のように妖しく揺らめいている。
「……見事だ。……実に見事だ、村正」
定兼の瞳孔は開ききっていた。
彼にとって、領民も、家臣も、江戸の民も、すべてはこの美しい刀の「切れ味」を試すための「材料」に過ぎなかった。
「……昨夜の浪人は、骨が硬すぎた」
「……もっと、柔らかく、それでいて斬りごたえのある肉が欲しいのう……」
定兼は、刀を鞘に納めた。
カチン、と澄んだ音が、部屋に響く。
だが、鞘に収まってもなお、刀からはどす黒い瘴気(しょうき)が溢れ出し、定兼の精神を侵食し続けていた。
「……夜が待ち遠しい」
「……次は、誰を喰らわせてやろうか……」
100万石の権力と、伝説の妖刀。
江戸の町に、かつてない最悪の「災厄」が解き放たれようとしていた。
その夜、江戸の空には、血のように赤い月が浮かんでいた。
本所(ほんじょ)の裏通り。
無外流(むがいりゅう)の免許を持つという、腕利きの浪人が、酒瓶を下げて千鳥足で歩いていた。
「……ヒック。……世知辛え世の中だぜ……」
ふと、浪人は足を止めた。
背筋に、冷たいものが走ったからだ。
夜風が止まっている。虫の音も消えている。
あるのは、異様なほど濃密な「死」の気配だけ。
「……誰だ」
浪人は酔いが一瞬で覚め、刀の柄(つか)に手をかけた。
街灯の届かぬ闇の奥から、一人の侍が、音もなく歩いてきた。
顔には、不気味な「鬼の面」。
そして、その手には、鞘(さや)から抜かれた刀が握られている。
「……追剥(おいはぎ)か? ……俺に構うと怪我するぞ」
浪人が抜刀し、正眼(せいがん)に構える。
鬼面の侍は、答えなかった。
ただ、ゆらり、と身体を揺らした。
(……来る!)
浪人が、迎撃の太刀を振り上げようとした、その刹那。
ヒュン。
風を切る音すら、しなかった。
赤い月の光を浴びて、侍の刀が、妖(あや)しく、赤く煌(きら)めいたように見えた。
「……あ、れ……?」
浪人の視界が、上下にズレた。
自分の下半身が、まだ立っているのが見えた。
そして、激痛を感じる間もなく、浪人の上半身は石畳に転がり落ちた。
「……ぬるい」
鬼面の奥から、陶酔(とうすい)したような低い声が漏れた。
「……もっとだ。……もっと、血を……」
翌朝。
現場には、早乙女蘭と、顔を青ざめさせた平上雪之丞がいた。
そして、その惨状を冷徹な目で見下ろす、北町奉行・坂上真一の姿があった。
「……ひどいもんだ」
雪之丞が、手ぬぐいで口元を覆う。
「……一太刀ですよ、御奉行。……しかも、まるで豆腐でも切るみたいに、人間を両断してやがる」
坂上(中身50歳)は、竹水筒のコーヒーを一口含み、遺体の切断面を検分(スキャン)した。
(……切断角度、深度、骨の断面……)
(……異常な切れ味(シャープネス)だ)
坂上は、現代の知識で分析する。
日本刀は「切る」武器だが、人間の胴体を骨ごと両断するには、凄まじい筋力と、何より刀自体の強度が不可欠だ。
並の刀なら、骨に当たった時点で刃こぼれするか、曲がる。
だが、この傷口は、恐ろしいほど滑らかだった。
「……蘭。目撃者は」
「……遠くから見てた夜鷹(よたか)が一人」
蘭が、震える声で報告する。
「……『鬼のような面』をつけた侍だったって。……それに、刀が……『赤く光っていた』って……」
「……赤く、光る刀か」
「……御奉行」
雪之丞が、声を潜めた。
「……江戸じゃあ、もっぱらの噂ですぜ。……『妖刀(ようとう)』が出たってね」
「……妖刀?」
「徳川家に仇(あだ)なす、呪われた刀……『村正(むらまさ)』ですよ」
坂上の目が、スッと細められた。
村正。
その名は、21世紀の歴史知識としても知っている。
かつて徳川家康の祖父や父を傷つけ、家康自身も怪我を負ったことから、「徳川に祟(たた)る妖刀」として忌避(きひ)された名刀。
(……呪い、か)
坂上は、非科学的なオカルトを信じない。
だが、「名刀」と呼ばれる武器が持つ、使い手の精神を蝕(むしば)むほどの「切れ味」と「美しさ」が、人を狂わせることはあり得る。
J-5時代、高性能すぎる兵器が、現場の指揮官に過剰な攻撃性を与える事例(ケース)を、彼は知っていた。
「……ただの辻斬りではないな」
坂上は、現場に残る冷たい殺気を感じ取っていた。
「……この手口。金目当てでも、怨恨でもない。……純粋な『試し斬り』だ」
同時刻。江戸藩邸、最奥の間。
薄暗い部屋の中で、一人の男が、刀の手入れをしていた。
男の名は、松平定兼(まつだいら さだかね)。
徳川将軍家に連なる名門中の名門。
若くして100万石に迫る領地と権威を持つ、大大名である。
「……ふふ」
「……ふふふふ……」
定兼は、白布(はくふ)で刀身を拭(ぬぐ)いながら、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべていた。
その刀こそ、昨夜、浪人を両断した『村正』であった。
刃紋(はもん)が、生き物のように妖しく揺らめいている。
「……見事だ。……実に見事だ、村正」
定兼の瞳孔は開ききっていた。
彼にとって、領民も、家臣も、江戸の民も、すべてはこの美しい刀の「切れ味」を試すための「材料」に過ぎなかった。
「……昨夜の浪人は、骨が硬すぎた」
「……もっと、柔らかく、それでいて斬りごたえのある肉が欲しいのう……」
定兼は、刀を鞘に納めた。
カチン、と澄んだ音が、部屋に響く。
だが、鞘に収まってもなお、刀からはどす黒い瘴気(しょうき)が溢れ出し、定兼の精神を侵食し続けていた。
「……夜が待ち遠しい」
「……次は、誰を喰らわせてやろうか……」
100万石の権力と、伝説の妖刀。
江戸の町に、かつてない最悪の「災厄」が解き放たれようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
幻影の艦隊
竹本田重朗
歴史・時代
「ワレ幻影艦隊ナリ。コレヨリ貴軍ヒイテハ大日本帝国ヲタスケン」
ミッドウェー海戦より史実の道を踏み外す。第一機動艦隊が空襲を受けるところで謎の艦隊が出現した。彼らは発光信号を送ってくると直ちに行動を開始する。それは日本が歩むだろう破滅と没落の道を栄光へ修正する神の見えざる手だ。必要な時に現れては助けてくれるが戦いが終わるとフッと消えていく。幻たちは陸軍から内地まで至る所に浸透して修正を開始した。
※何度おなじ話を書くんだと思われますがご容赦ください
※案の定、色々とツッコミどころ多いですが御愛嬌
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる