『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 60

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第60話『喜助屋での反省会』
冷小路と備前屋の処刑から、数日が過ぎた。
江戸の町から、娘が消えるという恐ろしい噂は消え去り、秋の穏やかな日常が戻ってきていた。
保護された娘たちも、心に傷は負ったものの、無事にそれぞれの親元へと帰り、家族との再会を果たしたという。
その夜。
『宵闇(よいやみ)そば』の屋台からは、珍しく賑やかな笑い声が漏れていた。
「……っぷはー! 今夜の蕎麦は一段と美味いね!」
早乙女蘭が、空になった丼を置いて、満面の笑みを浮かべる。
その隣では、青田赤太が目を輝かせて、蘭の話を聞いていた。
「すげえよ蘭姉ちゃん! 本当にあの公家を蹴っ飛ばしたの!?」
「蹴っ飛ばしたどころじゃないよ! こう、助走をつけてドーン! ってね!」
蘭は、身振り手振りで、あの「魂の金的」を再現して見せる。
「あいつの顔ったらなかったね。白目剥いて、泡吹いてさ。……ざまあみろってんだ!」
「……お前な、あんまりデカい声で言うなよ」
向かいの席で、雪之丞が呆れたように熱燗を啜る。
「……相手は一応、元・勅使様だぞ? ……ったく、俺はヒヤヒヤしたぜ。外交問題になって、俺たちの首が飛ぶうんじゃねえかって」
「へっ。心配性だねえ、雪の旦那は」
カウンターの向こうで、喜助が天ぷらを揚げながら皮肉る。
「……結果オーライだろ。……あのまま野放しにしてりゃ、もっと多くの娘が海を渡らされてた。……御奉行の『荒療治』がなきゃ、止まらなかったさ」
喜助の視線が、一番端の席に向けられた。
そこには、坂上真一が静かに座っていた。
手元には、以前のものより少し無骨だが、丁寧に作られた新しい『竹水筒』がある。
「……真さん、その水筒、調子どう?」
赤太が、照れくさそうに尋ねる。
実はこれ、壊れてしまった先代の代わりに、赤太が道場の裏の竹林から切り出し、一生懸命加工してプレゼントしたものだ。
坂上は、蓋を開け、湯気の立つコーヒーを一口飲んだ。
まだ青い竹の香りと、コーヒーの苦味が混ざり合う。
「……悪くない」
坂上は、短く答えた。
「……保温性は前のに劣るが、手触りは良い」
「へへっ! よかった!」
赤太が嬉しそうに笑う。
坂上は、水筒を置き、夜空を見上げたような遠い目をした。
(……特権階級。身分。権威)
(……それらは、人が作った幻想に過ぎない)
(……悪の前では、そんなものは紙切れ同然だ)
J-5時代、政治の壁に阻まれ、何もできなかった自分。
だが、この江戸では違う。
守るべきもののために、拳を振るい、壁を壊すことができる。
そして、それを支えてくれる、馬鹿で愛すべき仲間たちがいる。
「……それにしても」
坂上が、ふと口を開いた。
視線は、蘭に向けられている。
「……ん? 何ですか、御奉行?」
坂上は、真顔で言った。
「……あの時の、蹴り」
「……?」
「……腰が入っていた。重心の移動、インパクトの瞬間……完璧なフォームだった。……北辰一刀流の足技としても、参考になる」
店が一瞬、シーンとなった。
雪之丞が吹き出しそうになり、喜助がニヤリと笑う。
蘭の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「……なっ……!」
「……そこを、真顔で褒めるんじゃないよォォォッ!!」
蘭の絶叫が、秋の夜空に響き渡る。
「……乙女の必死の抵抗を、武術の分析しないでくださいよ! もう!」
「……ははは!」
「……違いねえ!」
赤太も、雪之丞も、喜助も、そして最後には坂上も。
全員の笑い声が重なり、屋台の温かい湯気と共に、江戸の夜へと溶けていった。
悪を裁く仁王の目は、今夜だけは、仲間たちを見守る優しい父親のような穏やかさを湛えていた。
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