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EP 69
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『お白洲、折れた刃と切腹』
北町奉行所、お白洲。
張り詰めた空気の中、松平定兼が引き据えられていた。
髪は乱れ、衣服は泥にまみれ、かつての100万石の大名の威厳は見る影もない。
だが、その目だけは未だ狂気を孕み、自身の置かれた立場を認めていなかった。
「……無礼者! 放せ! 無礼者ォッ!」
定兼が、両脇を固める同心たちを振りほどこうと暴れる。
「私は松平定兼ぞ! 将軍家の血を引く者ぞ! 貴様らごとき下郎が、私を裁けるとでも思うているのか!」
「国がどうなるか分かっているのか! これは謀反だ! 謀反だぞッ!」
上段の間。
奉行・坂上真一が、静かにその狂態を見下ろしていた。
その横には、厳しい表情の雪之丞と、警固の役人たちが控えている。
「……静まれ」
坂上の低く、通る声が響いた。
「……静まるものか!」
定兼が坂上を睨みつける。
「……貴様、北町奉行だな! 即刻、私を縄目から解き放て! そして……あの男を連れてこい!」
「……あの男?」
「……あの『遊び人』だ! 私を嵌めた、あの下郎だ!」
定兼の顔が憎悪で歪む。
「……あの男が、妖術を使って私の村正を折ったのだ! 私の武名を汚したのだ! 八つ裂きにせねば気が済まぬ!」
まだ、言っている。
自分の罪を省みるどころか、敗北の屈辱を晴らすことしか頭にない。
武士としての誇りなど、そこには欠片もなかった。
坂上は、ため息交じりに言った。
「……その遊び人とは」
「……俺のことか?」
「……は?」
定兼の動きが止まった。
今、この奉行は、なんと言った?
坂上は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、おもむろに奉行の裃(かみしも)と着物に手をかけ、バサリと肌脱ぎになった。
秋の陽光が、その鍛え上げられた背中を照らす。
そこに彫り込まれた、憤怒の形相。
『仁王』の刺青が、定兼の網膜に焼き付いた。
「あ……あぁ……!?」
定兼の口が、パクパクと開閉する。
見間違えるはずがない。
あの夜、自分を見下した男。
そして今日、白昼の決闘で、自分と村正を叩き潰した、あの遊び人。
「……き、貴様……!」
「……貴様が、あの時の……!?」
定兼は、信じられないという顔で後ずさった。
「……馬鹿な……。奉行ともあろう者が……武士のくせに、あんな真似を……!」
「……武士、か」
坂上の顔から、奉行の仮面が剥がれ落ちた。
そこにあるのは、江戸の悪を許さぬ、荒ぶる「真さん」の顔だった。
「――おゥ、小僧」
ドスの利いた声が、お白洲の砂利を震わせた。
「……テメェ、武士の癖(くせ)に二度も負けて、のうのうと生き残るつもりか?」
「……ひっ……!」
「……民を斬り、あまつさえ往来で暴れ、最後は負け犬のように喚き散らす……」
坂上は、仁王の眼光で、定兼を射抜いた。
「――この仁王が、黙っちゃいねえぜ!!」
坂上は、証拠品として台の上に置かれていた『折れた村正』を掴み取った。
そして、それを無造作に、定兼の足元へと放り投げた。
カラン、と乾いた音が、死刑宣告のように響く。
「……あ……村正……」
「……定兼」
坂上は、冷ややかに告げた。
「……お前は大名だ。幕府の法では、俺はお前の首を刎(は)ねられんかもしれん」
「……だが、武士としての『掟』なら、どうだ?」
坂上は、顎で折れた刀をしゃくった。
「……刀は折れた。お前の矜持(プライド)もだ」
「……武士としての最後くらい、自分で飾ってみせろ」
「……せ、切腹……せよと言うのか……」
「……この私に……」
定兼は、震える手で、折れた村正を拾い上げた。
鋸(のこぎり)のようにボロボロになった刃。
それは、今の定兼自身の姿そのものだった。
妖刀の輝きは失われ、ただの鉄屑になっている。
「……う、うう……」
定兼は、周囲を見渡した。
同心たちの冷ややかな目。
そして、上段から見下ろす、仁王のような男の絶対的な圧力。
逃げ場はない。
生き恥を晒して幽閉されるか、ここで武士として死ぬか。
「……ちくしょう……」
「……ちくしょうぅぅぅぅ……!!」
定兼は、涙と鼻水を垂れ流しながら、折れた切っ先を、自身の腹に突き立てた。
「――ぐあぁぁぁぁぁっ!!」
鮮血が噴き出す。
妖刀・村正が、最後に吸った血は、持ち主である定兼自身のものだった。
「……見事」
坂上は、短く呟いた。
定兼の体がぐらりと傾き、どうと倒れ伏す。
絶命。
「……検分(けんぶん)終了」
「……これにて、一件落着とする」
坂上は、再び衣を羽織った。
お白洲には、秋の風が吹き抜け、血の匂いを運び去っていった。
それは、江戸を騒がせた「妖刀騒動」の、あまりにも呆気なく、そして壮絶な幕切れであった。
北町奉行所、お白洲。
張り詰めた空気の中、松平定兼が引き据えられていた。
髪は乱れ、衣服は泥にまみれ、かつての100万石の大名の威厳は見る影もない。
だが、その目だけは未だ狂気を孕み、自身の置かれた立場を認めていなかった。
「……無礼者! 放せ! 無礼者ォッ!」
定兼が、両脇を固める同心たちを振りほどこうと暴れる。
「私は松平定兼ぞ! 将軍家の血を引く者ぞ! 貴様らごとき下郎が、私を裁けるとでも思うているのか!」
「国がどうなるか分かっているのか! これは謀反だ! 謀反だぞッ!」
上段の間。
奉行・坂上真一が、静かにその狂態を見下ろしていた。
その横には、厳しい表情の雪之丞と、警固の役人たちが控えている。
「……静まれ」
坂上の低く、通る声が響いた。
「……静まるものか!」
定兼が坂上を睨みつける。
「……貴様、北町奉行だな! 即刻、私を縄目から解き放て! そして……あの男を連れてこい!」
「……あの男?」
「……あの『遊び人』だ! 私を嵌めた、あの下郎だ!」
定兼の顔が憎悪で歪む。
「……あの男が、妖術を使って私の村正を折ったのだ! 私の武名を汚したのだ! 八つ裂きにせねば気が済まぬ!」
まだ、言っている。
自分の罪を省みるどころか、敗北の屈辱を晴らすことしか頭にない。
武士としての誇りなど、そこには欠片もなかった。
坂上は、ため息交じりに言った。
「……その遊び人とは」
「……俺のことか?」
「……は?」
定兼の動きが止まった。
今、この奉行は、なんと言った?
坂上は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、おもむろに奉行の裃(かみしも)と着物に手をかけ、バサリと肌脱ぎになった。
秋の陽光が、その鍛え上げられた背中を照らす。
そこに彫り込まれた、憤怒の形相。
『仁王』の刺青が、定兼の網膜に焼き付いた。
「あ……あぁ……!?」
定兼の口が、パクパクと開閉する。
見間違えるはずがない。
あの夜、自分を見下した男。
そして今日、白昼の決闘で、自分と村正を叩き潰した、あの遊び人。
「……き、貴様……!」
「……貴様が、あの時の……!?」
定兼は、信じられないという顔で後ずさった。
「……馬鹿な……。奉行ともあろう者が……武士のくせに、あんな真似を……!」
「……武士、か」
坂上の顔から、奉行の仮面が剥がれ落ちた。
そこにあるのは、江戸の悪を許さぬ、荒ぶる「真さん」の顔だった。
「――おゥ、小僧」
ドスの利いた声が、お白洲の砂利を震わせた。
「……テメェ、武士の癖(くせ)に二度も負けて、のうのうと生き残るつもりか?」
「……ひっ……!」
「……民を斬り、あまつさえ往来で暴れ、最後は負け犬のように喚き散らす……」
坂上は、仁王の眼光で、定兼を射抜いた。
「――この仁王が、黙っちゃいねえぜ!!」
坂上は、証拠品として台の上に置かれていた『折れた村正』を掴み取った。
そして、それを無造作に、定兼の足元へと放り投げた。
カラン、と乾いた音が、死刑宣告のように響く。
「……あ……村正……」
「……定兼」
坂上は、冷ややかに告げた。
「……お前は大名だ。幕府の法では、俺はお前の首を刎(は)ねられんかもしれん」
「……だが、武士としての『掟』なら、どうだ?」
坂上は、顎で折れた刀をしゃくった。
「……刀は折れた。お前の矜持(プライド)もだ」
「……武士としての最後くらい、自分で飾ってみせろ」
「……せ、切腹……せよと言うのか……」
「……この私に……」
定兼は、震える手で、折れた村正を拾い上げた。
鋸(のこぎり)のようにボロボロになった刃。
それは、今の定兼自身の姿そのものだった。
妖刀の輝きは失われ、ただの鉄屑になっている。
「……う、うう……」
定兼は、周囲を見渡した。
同心たちの冷ややかな目。
そして、上段から見下ろす、仁王のような男の絶対的な圧力。
逃げ場はない。
生き恥を晒して幽閉されるか、ここで武士として死ぬか。
「……ちくしょう……」
「……ちくしょうぅぅぅぅ……!!」
定兼は、涙と鼻水を垂れ流しながら、折れた切っ先を、自身の腹に突き立てた。
「――ぐあぁぁぁぁぁっ!!」
鮮血が噴き出す。
妖刀・村正が、最後に吸った血は、持ち主である定兼自身のものだった。
「……見事」
坂上は、短く呟いた。
定兼の体がぐらりと傾き、どうと倒れ伏す。
絶命。
「……検分(けんぶん)終了」
「……これにて、一件落着とする」
坂上は、再び衣を羽織った。
お白洲には、秋の風が吹き抜け、血の匂いを運び去っていった。
それは、江戸を騒がせた「妖刀騒動」の、あまりにも呆気なく、そして壮絶な幕切れであった。
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