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EP 6
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最初の「魔改造」(小さなカタルシス)
浅川精工から叩き出された坂上は、埃まみれの姿で帝都日報の編集局に戻った。
ガリッ、と噛み砕いた黒飴の甘さが、神経を逆撫でする。
(……ダメだ。このままでは俺の精神(システム)が持たない)
この非効率な「沼」の中で、何か一つでも「合理的な秩序」を打ち立てなければ、21世紀のイージス艦長の精神は、この昭和の狂気に摩耗し尽くされてしまう。
彼の視線が、編集局の一角――経済部の「集計係」に向けられた。
夕方。締め切りが近いのか、その一角は地獄の様相を呈していた。
「合わん! 5銭ずれてる!」
「こっちの株価表、どこだ!」
「局長! まだか!」
数人の係員が、巨大な帳簿と、夥(おびただ)しい数の伝票に埋もれ、そろばんを凄まじい勢いで弾いている。
坂上は、監査官の目で、その「作業工程」を5分間観察した。
(……非効率の極みだ)
彼が見抜いた「バグ」は単純だった。
* バグ①(入力): 複数の帳簿から数字を拾う順番が、作業員ごとにバラバラだ。
* バグ②(処理): 検算(チェック)のルールが存在しない。
* バグ③(出力): 最終的な集計表のフォーマットが古く、無駄な書き写し(コピー&ペースト)が多発している。
(……これなら、俺にも『修正』できる)
坂上は、その夜、全員が帰ったのを見計らって編集局に残った。
彼は、経理部から未使用の大きな帳簿を数冊拝借すると、定規とインクで、徹夜で「線」を引いていった。
それは、21世紀のビジネスマンなら誰もが知る「クロス集計表(スプレッドシート)」の原型だった。
タテ軸に「企業名」、ヨコ軸に「日付」。
さらに、別の帳簿には「作業手順書(マニュアル)」――どの帳簿からどの数字を、どの順番で書き写し、どこで検算するか――を、艦長命令(オペレーション・オーダー)さながらの簡潔な言葉で書き連ねた。
翌朝。
集計係の主任が、自分のデスクに置かれた「奇妙な線だらけの帳簿」と「手順書」を見て、首を傾げた。
「……なんだこりゃ? 誰のイタズラだ?」
そこへ、坂上が黒飴を口に放り込みながら、冷ややかに言った。
「イタズラではない。マニュアルだ。その『手順書』に書かれた通りに、その『集計表』を埋めてみろ。非効率が改善される」
「はあ? 坂上記者、アンタ経済部のくせに何を……」
「いいからやれ」
坂上の、50歳の指揮官としての有無を言わせぬ圧力に、主任は気圧された。
「……わ、分かったよ。やってみるだけだ」
半信半疑のまま、集計係たちは、坂上の「新システム」に従って作業を開始した。
すると、奇妙なことが起きた。
いつもなら怒号が飛び交うその場所が、静まり返っている。
ただ、紙をめくる音と、そろばんを弾く音だけが、規則正しく響く。
そして、昼過ぎ。
いつもなら夕方の締め切りまでかかる作業が、
「……お、終わった」
主任が、呆然と呟いた。
「検算も、一発で合った……」
いつもは3時間以上かかる集計作業が、わずか30分で、完璧に完了していた。
係員たちが、坂上を「魔法使い」か「化け物」でも見るような目で振り返る。
「坂上さん……あんた、一体……」
坂上は、小さく息をついた。
(……よし。小さな『バグ』は潰した)
不味いコーヒーと黒飴で荒れた胃が、わずかにスッとする、小さな「カタルシス」だった。
そこへ、編集局長の田中が、腹を揺らしながらやってきた。
「どうした! 終わったのか! ……なんだ貴様ら、サボってるのか!」
「ち、違います局長! 作業が終わったんです! 坂上記者が作ったこの『仕組み』のおかげで……」
田中は、坂上が作った「集計表」を、眉間にシワを寄せて睨みつけた。
「……フン」
田中は、その帳簿を、まるで汚物でも払うかのようにデスクに放った。
「小賢(こざか)しい真似を!」
「え?」
「いいか、坂上!」
田中は、坂上の胸を指さした。
「記者の仕事は、こんな紙の上で『線』を引くことじゃない! 足で稼ぎ、『勘』を磨き、『気合』で記事を掴んでくることだ! 分かったか!」
(……)
坂上は、もはや反論する気も失せた。
(ダメだ。この『バグ』は、組織の深層(カーネル)にこびりついている)
せっかくの「業務改善」を「小賢しい」と一蹴された坂上のストレスは、解消されるどころか、別のベクトルで再蓄積していく。
田中は、苛立たしげに続けた。
「貴様、そんなに『数字』だの『効率』だのが好きなら、ちょうどいい仕事をやろう」
「……何です?」
「明日の陸軍省の定例会見だ。一番退屈で、誰も行きたがらん『お役所仕事』だ。貴様が行ってこい!」
それは、経済部の坂上にとっては、明らかな「懲罰人事」だった。
だが、坂上の目は、冷たく光っていた。
(……陸軍省。川上鷹司)
昨日の浅川精工の件といい、この国の「非合理性」の中枢。
(好都合だ。その『バグ』の発生源を、この目で監査(チェック)してやる)
浅川精工から叩き出された坂上は、埃まみれの姿で帝都日報の編集局に戻った。
ガリッ、と噛み砕いた黒飴の甘さが、神経を逆撫でする。
(……ダメだ。このままでは俺の精神(システム)が持たない)
この非効率な「沼」の中で、何か一つでも「合理的な秩序」を打ち立てなければ、21世紀のイージス艦長の精神は、この昭和の狂気に摩耗し尽くされてしまう。
彼の視線が、編集局の一角――経済部の「集計係」に向けられた。
夕方。締め切りが近いのか、その一角は地獄の様相を呈していた。
「合わん! 5銭ずれてる!」
「こっちの株価表、どこだ!」
「局長! まだか!」
数人の係員が、巨大な帳簿と、夥(おびただ)しい数の伝票に埋もれ、そろばんを凄まじい勢いで弾いている。
坂上は、監査官の目で、その「作業工程」を5分間観察した。
(……非効率の極みだ)
彼が見抜いた「バグ」は単純だった。
* バグ①(入力): 複数の帳簿から数字を拾う順番が、作業員ごとにバラバラだ。
* バグ②(処理): 検算(チェック)のルールが存在しない。
* バグ③(出力): 最終的な集計表のフォーマットが古く、無駄な書き写し(コピー&ペースト)が多発している。
(……これなら、俺にも『修正』できる)
坂上は、その夜、全員が帰ったのを見計らって編集局に残った。
彼は、経理部から未使用の大きな帳簿を数冊拝借すると、定規とインクで、徹夜で「線」を引いていった。
それは、21世紀のビジネスマンなら誰もが知る「クロス集計表(スプレッドシート)」の原型だった。
タテ軸に「企業名」、ヨコ軸に「日付」。
さらに、別の帳簿には「作業手順書(マニュアル)」――どの帳簿からどの数字を、どの順番で書き写し、どこで検算するか――を、艦長命令(オペレーション・オーダー)さながらの簡潔な言葉で書き連ねた。
翌朝。
集計係の主任が、自分のデスクに置かれた「奇妙な線だらけの帳簿」と「手順書」を見て、首を傾げた。
「……なんだこりゃ? 誰のイタズラだ?」
そこへ、坂上が黒飴を口に放り込みながら、冷ややかに言った。
「イタズラではない。マニュアルだ。その『手順書』に書かれた通りに、その『集計表』を埋めてみろ。非効率が改善される」
「はあ? 坂上記者、アンタ経済部のくせに何を……」
「いいからやれ」
坂上の、50歳の指揮官としての有無を言わせぬ圧力に、主任は気圧された。
「……わ、分かったよ。やってみるだけだ」
半信半疑のまま、集計係たちは、坂上の「新システム」に従って作業を開始した。
すると、奇妙なことが起きた。
いつもなら怒号が飛び交うその場所が、静まり返っている。
ただ、紙をめくる音と、そろばんを弾く音だけが、規則正しく響く。
そして、昼過ぎ。
いつもなら夕方の締め切りまでかかる作業が、
「……お、終わった」
主任が、呆然と呟いた。
「検算も、一発で合った……」
いつもは3時間以上かかる集計作業が、わずか30分で、完璧に完了していた。
係員たちが、坂上を「魔法使い」か「化け物」でも見るような目で振り返る。
「坂上さん……あんた、一体……」
坂上は、小さく息をついた。
(……よし。小さな『バグ』は潰した)
不味いコーヒーと黒飴で荒れた胃が、わずかにスッとする、小さな「カタルシス」だった。
そこへ、編集局長の田中が、腹を揺らしながらやってきた。
「どうした! 終わったのか! ……なんだ貴様ら、サボってるのか!」
「ち、違います局長! 作業が終わったんです! 坂上記者が作ったこの『仕組み』のおかげで……」
田中は、坂上が作った「集計表」を、眉間にシワを寄せて睨みつけた。
「……フン」
田中は、その帳簿を、まるで汚物でも払うかのようにデスクに放った。
「小賢(こざか)しい真似を!」
「え?」
「いいか、坂上!」
田中は、坂上の胸を指さした。
「記者の仕事は、こんな紙の上で『線』を引くことじゃない! 足で稼ぎ、『勘』を磨き、『気合』で記事を掴んでくることだ! 分かったか!」
(……)
坂上は、もはや反論する気も失せた。
(ダメだ。この『バグ』は、組織の深層(カーネル)にこびりついている)
せっかくの「業務改善」を「小賢しい」と一蹴された坂上のストレスは、解消されるどころか、別のベクトルで再蓄積していく。
田中は、苛立たしげに続けた。
「貴様、そんなに『数字』だの『効率』だのが好きなら、ちょうどいい仕事をやろう」
「……何です?」
「明日の陸軍省の定例会見だ。一番退屈で、誰も行きたがらん『お役所仕事』だ。貴様が行ってこい!」
それは、経済部の坂上にとっては、明らかな「懲罰人事」だった。
だが、坂上の目は、冷たく光っていた。
(……陸軍省。川上鷹司)
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