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EP 11
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最前線という名の「欠陥住宅」
列車を何本も乗り継ぎ、ガタガタと揺れる軍用トラックの荷台で数時間。
坂上真一が「特派員」として放り出されたのは、見渡す限り黄土色の、北支の荒涼とした大地に築かれた、粗末な前方拠点だった。
(……空気が、埃っぽい)
東京とは違う、乾燥した土埃と、何かが腐敗したような微かな悪臭。
「おい、記者先生。着いたぞ。さっさと降りろ」
兵士に乱暴に促され、坂上はトラックから飛び降りた。
目の前に広がる光景に、彼は眩暈を覚えた。
ここは「軍事拠点」ではない。
これは、ただの「欠陥住宅」だ。
(……非効率だ)
50歳のイージス艦長の目が、瞬時にこの拠点の「脆弱性(ぜいじゃくせい)マップ」を作成し始める。
* バグ①:防御レイアウト、崩壊。
入り口に積まれた土嚢(どのう)は、ただ高く積まれているだけだ。射線(しゃせん)が考慮されておらず、相互に支援(カバー)できない。敵が機関銃一丁を据えれば、この入り口は3分で制圧される。
* バグ②:警戒態勢、ゼロ。
見張り台に立つ哨兵(しょうへい)は、明らかに疲弊し、ぼんやりと遠くを眺めているだけだ。警戒ではなく「儀式」になっている。
* バグ③:兵士の士気、最低。
拠点内を歩く兵士たちの目が死んでいる。軍服は汚れ、埃まみれだ。それは戦闘による汚れではなく、規律の緩みからくる「不衛生」の証拠だった。
「チッ、また面倒ごとが増えやがって……」
案内の兵士が吐き捨てるように言った。
「帝都日報の坂上だ」
坂上が短く告げると、兵士は「ああ」とだけ言い、顎(あご)で拠点の奥を指した。
「あそこの一番奥の天幕(テント)だ。大尉閣下には、後で挨拶しとけよ」
坂上は、その「一番奥の天幕」に向かって歩きながら、監査(かんさ)を続けた。
そして、彼は最も致命的な「バグ」を発見する。
(……!)
炊事場だ。
屋外に設置された粗末な調理場で、数人の兵士が気怠そうに野菜を刻んでいる。
問題は、その衛生状態だった。
(……ハエが、ひどい)
食材が、炎天下に無造作に放置されている。
そして、何より。
(……井戸と、便所の位置が近すぎる)
風向きを考えれば、便所(ラトリン)からの汚染物質が、炊事場と井戸(水源)に直行するレイアウトだった。
(……ダメだ。これは、赤痢(せきり)の温床だ)
坂上の脳裏に、艦長時代に叩き込まれた「閉鎖空間における感染症対策マニュアル」が警報を鳴らす。
敵の銃弾より先に、この拠点は「病気」で全滅する。
その時だった。
「たるんどるッ!!」
甲高い、ヒステリックな怒鳴り声が響いた。
「貴様ら! それでも皇軍兵士か! 暑さに負けるとは、気合が足りん!」
拠点の広場で、一人の陸軍大尉が、すでに疲労困憊(こんぱい)の兵士たちに、無意味な銃剣術の訓練を強要していた。
(……出た)
坂上の目が、冷たくその男を捉えた。
浅川精工の「魂」。帝都日報の「気合」。
それらと同じ「非合理性(バグ)」の匂いが、あの男から充満していた。
大尉は、広場の端に立つ坂上に気づくと、訓練を中断し、尊大に歩み寄ってきた。
「なんだ、貴様は」
「帝都日報より特派員として派遣された、坂上真一だ」
「……ああ、貴様か」
大尉――竹下(たけした)と名乗った――は、坂上を頭の先からつま先まで舐めるように見ると、嘲(あざ)けるように笑った。
「川上中佐閣下から『面白い記者先生が来る』とは伺っていたぞ。『スパイ』の容疑あり、だとな」
あからさまな敵意。川上の暗殺指令が、すでに現場に届いている証拠だ。
「物見遊山(ものみゆさん)のつもりなら、せいぜい銃弾に当たらんことだな。ここは東京の会見室とは違う。足手まといになるなよ、記者先生」
竹下大尉は、言いたいことだけ言うと、再び兵士たちへの「気合注入」に戻っていった。
坂上は、何も言い返さなかった。
(……こいつが、この拠点の『バグ』の発生源(ソース)か)
彼は、割り当てられた薄汚い天幕に入ると、カバンを放り投げた。
そして、「記者」として、一冊のノートを開いた。
彼は、記事など一行も書かなかった。
ただ、殴り書きで、この「欠陥住宅」の脆弱性を書き連ねていった。
『防御レイアウト:再構築必須』
『衛生管理:致命的欠陥(赤痢の危険性・大)』
『指揮系統:機能不全(精神論による汚染)』
『脆弱性:最高レベル』
ガリッ、と。
彼は、東京で買い込んだ最後の黒飴を噛み砕いた。
(……まずは、どこから「修正(デバッグ)」するべきか)
不味いコーヒーすら手に入らないこの最前線で、坂上の「本当の戦い」が始まろうとしていた。
列車を何本も乗り継ぎ、ガタガタと揺れる軍用トラックの荷台で数時間。
坂上真一が「特派員」として放り出されたのは、見渡す限り黄土色の、北支の荒涼とした大地に築かれた、粗末な前方拠点だった。
(……空気が、埃っぽい)
東京とは違う、乾燥した土埃と、何かが腐敗したような微かな悪臭。
「おい、記者先生。着いたぞ。さっさと降りろ」
兵士に乱暴に促され、坂上はトラックから飛び降りた。
目の前に広がる光景に、彼は眩暈を覚えた。
ここは「軍事拠点」ではない。
これは、ただの「欠陥住宅」だ。
(……非効率だ)
50歳のイージス艦長の目が、瞬時にこの拠点の「脆弱性(ぜいじゃくせい)マップ」を作成し始める。
* バグ①:防御レイアウト、崩壊。
入り口に積まれた土嚢(どのう)は、ただ高く積まれているだけだ。射線(しゃせん)が考慮されておらず、相互に支援(カバー)できない。敵が機関銃一丁を据えれば、この入り口は3分で制圧される。
* バグ②:警戒態勢、ゼロ。
見張り台に立つ哨兵(しょうへい)は、明らかに疲弊し、ぼんやりと遠くを眺めているだけだ。警戒ではなく「儀式」になっている。
* バグ③:兵士の士気、最低。
拠点内を歩く兵士たちの目が死んでいる。軍服は汚れ、埃まみれだ。それは戦闘による汚れではなく、規律の緩みからくる「不衛生」の証拠だった。
「チッ、また面倒ごとが増えやがって……」
案内の兵士が吐き捨てるように言った。
「帝都日報の坂上だ」
坂上が短く告げると、兵士は「ああ」とだけ言い、顎(あご)で拠点の奥を指した。
「あそこの一番奥の天幕(テント)だ。大尉閣下には、後で挨拶しとけよ」
坂上は、その「一番奥の天幕」に向かって歩きながら、監査(かんさ)を続けた。
そして、彼は最も致命的な「バグ」を発見する。
(……!)
炊事場だ。
屋外に設置された粗末な調理場で、数人の兵士が気怠そうに野菜を刻んでいる。
問題は、その衛生状態だった。
(……ハエが、ひどい)
食材が、炎天下に無造作に放置されている。
そして、何より。
(……井戸と、便所の位置が近すぎる)
風向きを考えれば、便所(ラトリン)からの汚染物質が、炊事場と井戸(水源)に直行するレイアウトだった。
(……ダメだ。これは、赤痢(せきり)の温床だ)
坂上の脳裏に、艦長時代に叩き込まれた「閉鎖空間における感染症対策マニュアル」が警報を鳴らす。
敵の銃弾より先に、この拠点は「病気」で全滅する。
その時だった。
「たるんどるッ!!」
甲高い、ヒステリックな怒鳴り声が響いた。
「貴様ら! それでも皇軍兵士か! 暑さに負けるとは、気合が足りん!」
拠点の広場で、一人の陸軍大尉が、すでに疲労困憊(こんぱい)の兵士たちに、無意味な銃剣術の訓練を強要していた。
(……出た)
坂上の目が、冷たくその男を捉えた。
浅川精工の「魂」。帝都日報の「気合」。
それらと同じ「非合理性(バグ)」の匂いが、あの男から充満していた。
大尉は、広場の端に立つ坂上に気づくと、訓練を中断し、尊大に歩み寄ってきた。
「なんだ、貴様は」
「帝都日報より特派員として派遣された、坂上真一だ」
「……ああ、貴様か」
大尉――竹下(たけした)と名乗った――は、坂上を頭の先からつま先まで舐めるように見ると、嘲(あざ)けるように笑った。
「川上中佐閣下から『面白い記者先生が来る』とは伺っていたぞ。『スパイ』の容疑あり、だとな」
あからさまな敵意。川上の暗殺指令が、すでに現場に届いている証拠だ。
「物見遊山(ものみゆさん)のつもりなら、せいぜい銃弾に当たらんことだな。ここは東京の会見室とは違う。足手まといになるなよ、記者先生」
竹下大尉は、言いたいことだけ言うと、再び兵士たちへの「気合注入」に戻っていった。
坂上は、何も言い返さなかった。
(……こいつが、この拠点の『バグ』の発生源(ソース)か)
彼は、割り当てられた薄汚い天幕に入ると、カバンを放り投げた。
そして、「記者」として、一冊のノートを開いた。
彼は、記事など一行も書かなかった。
ただ、殴り書きで、この「欠陥住宅」の脆弱性を書き連ねていった。
『防御レイアウト:再構築必須』
『衛生管理:致命的欠陥(赤痢の危険性・大)』
『指揮系統:機能不全(精神論による汚染)』
『脆弱性:最高レベル』
ガリッ、と。
彼は、東京で買い込んだ最後の黒飴を噛み砕いた。
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