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EP 10
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二つの「ロックオン」
坂上が憲兵に引きずられていった後、会見室は川上鷹司の怒りの余韻で満たされていた。
彼は副官に、吐き捨てるように命じた。
「あの男、坂上真一を徹底的に洗え。だが、帝都日報の記者だ。東京(ここ)で『消す』のは面倒だ」
「……では、どうされますか」
「『記者』なのだろう? 記者には、おあつらえ向きの場所がある」
川上は、壁に貼られた北支の地図を、憎々しげに睨みつけた。
「最前線だ。『特派員』として北支に送り込め。部隊には『スパイの容疑あり』と伝達しておけ」
「……!」
副官は息を呑んだ。それは、事実上の「暗殺指令」だった。
「戦場で『事故』はつきものだ。なあ?」
川上は、坂上のあの冷え切った目を思い出し、奥歯を噛みしめた。
(あの『犬死に』という言葉……。二度と、あの男にペンを握らせるな)
これが、陸軍参謀本部・川上鷹司による、坂上真一への第一の「ロックオン(殺意)」だった。
その頃、タイピスト席。
早乙女薫は、震える指で、川上に命じられた「公式議事録」のタイプを打ち終えていた。
だが、彼女の頭の中では、坂上の言葉がリフレインしていた。
『データなき作戦は、作戦ではない』
『それは、ただの「犬死に」の強要だ』
(……スパイじゃない)
薫は、直感していた。
スパイなら、あんな公の場で、あんな「本質」を突くような馬鹿な真似はしない。
(あの人は、狂人でもない)
(あの人は……)
薫は、父が職を追われる直前に、書斎で呟いていた言葉を思い出していた。
「この国は『非合理』という病に罹(かか)っている。誰も『数字』を見ない。誰も『兵站』を語らない。このままでは……」
(……あの人は、お父様と同じ『病気』に気づいている唯一の人?)
薫は、坂上が憲兵に連れていかれた扉を、見つめた。
(そして、川上中佐は、あの人を『消す』気だ)
あの「北支」という言葉が、傍聴していた彼女の耳にも届いていた。
(あそこへ行かされたら、あの人は「事故」で死ぬ)
彼女の中で、何かが決壊した。
父を守れなかった後悔。この非合理な国への絶望。
そして、あの「犬死に」という言葉を、この国の「中枢」に叩きつけた男への、理解不能な「期待」。
(……この男を、死なせてはいけない)
薫は、上司(古賀少佐)のデスクへ向かった。
「古賀少佐。お話が」
「ん? どうしたね、早乙女君」
「以前からお話のあった、北支派遣軍司令部での『文書整理』の件ですが……」
薫は、震えを抑え、毅然(きぜん)として言った。
「私、立候補いたします」
これが、早乙女薫による、坂上真一への第二の「ロックオン(保護と監視)」だった。
一方、坂上は、陸軍省の地下室での「非効率な尋問」を終え、帝都日報の編集局長室に突き返されていた。
憲兵による尋問は、彼にとっては「児戯(じぎ)」に等しかった。
(組織(アカ)の背景、なし。思想的偏向、なし。あるのは、異常なまでの『合理主義』だけ)
憲兵たちは、この「掴みどころのない狂人」を持て余し、結局、帝都日報に「厳重注意」の上で送還するしかなかったのだ。
「……馬鹿者(バカモノ)!!!」
編集局長の田中は、憲兵が帰るや否や、灰皿を投げつけんばかりの勢いで怒鳴った。
「貴様、我が社を潰す気か! 陸軍から、どれだけ電話が来たと思っている!」
「事実を質問したまでです」
坂上の平然とした態度に、田中は眩暈を覚えた。
「その『事実』とやらが、この国でどれだけ無価値か、まだ分からんのか!」
田中は、引き出しから乱暴に一枚の切符を掴み出し、坂上に叩きつけた。
「北支出張だ。事実上の左遷だ」
それは、川上の意向が、すでに新聞社上層部に「圧力」として届いた結果だった。
「陸軍閣下からの『ご提案』だ。北支の『赫々たる戦果』を、その目で見てこい、とよ! もちろん、片道切符だ! 二度と東京の土を踏むな!」
(……北支。最前線か)
坂上は、その「片道切符」を、何の感情も示さずに拾い上げた。
(好都合だ)
東京(ここ)の「中枢」のバグは確認した。
次は、現場(フィールド)の「非効率」を監査(チェック)する番だ。
「承知した」
坂上は、短く答えた。
編集局に戻る途中、彼は給湯室に寄り、煮詰まった「泥水(コーヒー)」を湯呑みに注いだ。
その、絶望的に不味い液体を、彼は一気に呷(あお)った。
(まずは、現場の『バグ』を、一つずつ潰していく)
戦場は、東京から北支へと移る。
坂上が憲兵に引きずられていった後、会見室は川上鷹司の怒りの余韻で満たされていた。
彼は副官に、吐き捨てるように命じた。
「あの男、坂上真一を徹底的に洗え。だが、帝都日報の記者だ。東京(ここ)で『消す』のは面倒だ」
「……では、どうされますか」
「『記者』なのだろう? 記者には、おあつらえ向きの場所がある」
川上は、壁に貼られた北支の地図を、憎々しげに睨みつけた。
「最前線だ。『特派員』として北支に送り込め。部隊には『スパイの容疑あり』と伝達しておけ」
「……!」
副官は息を呑んだ。それは、事実上の「暗殺指令」だった。
「戦場で『事故』はつきものだ。なあ?」
川上は、坂上のあの冷え切った目を思い出し、奥歯を噛みしめた。
(あの『犬死に』という言葉……。二度と、あの男にペンを握らせるな)
これが、陸軍参謀本部・川上鷹司による、坂上真一への第一の「ロックオン(殺意)」だった。
その頃、タイピスト席。
早乙女薫は、震える指で、川上に命じられた「公式議事録」のタイプを打ち終えていた。
だが、彼女の頭の中では、坂上の言葉がリフレインしていた。
『データなき作戦は、作戦ではない』
『それは、ただの「犬死に」の強要だ』
(……スパイじゃない)
薫は、直感していた。
スパイなら、あんな公の場で、あんな「本質」を突くような馬鹿な真似はしない。
(あの人は、狂人でもない)
(あの人は……)
薫は、父が職を追われる直前に、書斎で呟いていた言葉を思い出していた。
「この国は『非合理』という病に罹(かか)っている。誰も『数字』を見ない。誰も『兵站』を語らない。このままでは……」
(……あの人は、お父様と同じ『病気』に気づいている唯一の人?)
薫は、坂上が憲兵に連れていかれた扉を、見つめた。
(そして、川上中佐は、あの人を『消す』気だ)
あの「北支」という言葉が、傍聴していた彼女の耳にも届いていた。
(あそこへ行かされたら、あの人は「事故」で死ぬ)
彼女の中で、何かが決壊した。
父を守れなかった後悔。この非合理な国への絶望。
そして、あの「犬死に」という言葉を、この国の「中枢」に叩きつけた男への、理解不能な「期待」。
(……この男を、死なせてはいけない)
薫は、上司(古賀少佐)のデスクへ向かった。
「古賀少佐。お話が」
「ん? どうしたね、早乙女君」
「以前からお話のあった、北支派遣軍司令部での『文書整理』の件ですが……」
薫は、震えを抑え、毅然(きぜん)として言った。
「私、立候補いたします」
これが、早乙女薫による、坂上真一への第二の「ロックオン(保護と監視)」だった。
一方、坂上は、陸軍省の地下室での「非効率な尋問」を終え、帝都日報の編集局長室に突き返されていた。
憲兵による尋問は、彼にとっては「児戯(じぎ)」に等しかった。
(組織(アカ)の背景、なし。思想的偏向、なし。あるのは、異常なまでの『合理主義』だけ)
憲兵たちは、この「掴みどころのない狂人」を持て余し、結局、帝都日報に「厳重注意」の上で送還するしかなかったのだ。
「……馬鹿者(バカモノ)!!!」
編集局長の田中は、憲兵が帰るや否や、灰皿を投げつけんばかりの勢いで怒鳴った。
「貴様、我が社を潰す気か! 陸軍から、どれだけ電話が来たと思っている!」
「事実を質問したまでです」
坂上の平然とした態度に、田中は眩暈を覚えた。
「その『事実』とやらが、この国でどれだけ無価値か、まだ分からんのか!」
田中は、引き出しから乱暴に一枚の切符を掴み出し、坂上に叩きつけた。
「北支出張だ。事実上の左遷だ」
それは、川上の意向が、すでに新聞社上層部に「圧力」として届いた結果だった。
「陸軍閣下からの『ご提案』だ。北支の『赫々たる戦果』を、その目で見てこい、とよ! もちろん、片道切符だ! 二度と東京の土を踏むな!」
(……北支。最前線か)
坂上は、その「片道切符」を、何の感情も示さずに拾い上げた。
(好都合だ)
東京(ここ)の「中枢」のバグは確認した。
次は、現場(フィールド)の「非効率」を監査(チェック)する番だ。
「承知した」
坂上は、短く答えた。
編集局に戻る途中、彼は給湯室に寄り、煮詰まった「泥水(コーヒー)」を湯呑みに注いだ。
その、絶望的に不味い液体を、彼は一気に呷(あお)った。
(まずは、現場の『バグ』を、一つずつ潰していく)
戦場は、東京から北支へと移る。
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