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EP 20
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最初の「共犯者」
「総員、聞け!」
坂上の声が、静まり返った拠点に響く。
彼は、もはや「記者」ではなく、指揮官だった。
「敵は一人。視界は南東の稜線に固定されている。これより陽動と迂回による『挟撃』を行う」
坂上は、曹長と、腕を負傷している佐藤一等兵を指名した。
「曹長。貴官は兵3名を率い、拠点の北側から大きく迂回しろ。敵の視界の外を回り込み、稜線の『裏』を取る。発砲は俺の合図まで厳禁だ」
「はっ!」
曹長は、軍人の敬礼で応え、兵士を選抜して姿を消した。
「佐藤一等兵」
「は、はい!」
腕を吊った佐藤が緊張して立ち上がる。
「貴官は腕をやられたが、目は生きているな?」
「はっ! 両目2.0であります!」
「よろしい。貴官は『観測手』だ」
坂上は、埃まみれの双眼鏡を佐藤に渡した。
「俺が『陽動』として、敵にこちらの位置を誤認させる。貴官は、敵の狙撃手が発砲した瞬間の『マズルフラッシュ』の位置を正確に記憶しろ。俺の命より、その『データ』が重要だ。いいな」
「……! は、はい!」
(……何をする気? 陽動って……)
早乙女薫が、息を呑んだ。
坂上は、拠点の東側にあった、打ち捨てられたドラム缶とボロきれを指さした。
「あれを使う」
坂上は、近くの兵士に「あのドラム缶に、あの天幕の柱を括りつけろ。人間の『影』に見えればいい」と命じた。
数分後、粗末な「デコイ」が完成した。
「今から、あれを3秒だけ、土嚢の上に出す。その後、俺が本命として西側(反対側)から飛び出す」
「さ、坂上さん! 危険すぎます!」
薫が、思わず叫んだ。
「非効率な心配だ」
坂上は、薫を一瞥した。
「敵は、俺の『陽動』と、曹長の『本隊』のどちらを先に撃つか、という『二択』を迫られる。必ず思考に『遅延』が生じる。俺が狙うのは、そのコンマ数秒の『バグ』だ」
坂上は、佐藤に合図した。
兵士がデコイを土嚢の上に突き出す。
パンッ!
狙撃手は、即座に反応した。
デコイのドラム缶が、甲高い音を立てて弾け飛ぶ。
「今だ!」
佐藤が叫ぶ。
「稜線の岩陰! 右から二番目の!」
「そこか!」
坂上は、佐藤が指さす位置とはまったく別の、拠点の西側から、身を乗り出すようにして小銃を構えた。
「わざと」だ。
敵の狙撃手は、デコイを撃った直後、想定外の場所(西側)に現れた「本命(坂上)」に気づき、慌てて照準を合わせ直す。
パンッ!
坂上の頬を、銃弾が掠めた。
「……!」
だが、坂上は、その一瞬で、敵の正確な位置を「三次元」で特定していた。
(……600ではない。550だ。あの岩陰で確定)
坂上は、土嚢の陰に隠れると、曹長が持つはずのない「手鏡」(薫が化粧直し用に持っていたもの)を借り、それで光を反射させ、稜線の裏に回った曹長へ「突入」の合図を送った。
数分の静寂。
そして、稜線の裏手から、三発の銃声と、短い絶叫が響き渡った。
……静寂が、戻った。
やがて、曹長が稜線の上に立ち、こちらへ「安全」の合図を送った。
「……終わった」
曹長が叫ぶ。
「敵、一名! 討ち取りました!」
「うおおおおっ!」
拠点の兵士たちが、土嚢の陰から飛び出し、歓声を上げた。
赤痢を制圧し、今また、たった一人の「合理的」な指揮官が、全員の命を救った。
だが、坂上の顔に、勝利の昂揚はなかった。
彼は、歓声の中心で、一人だけ冷めていた。
(……遅すぎた。リソースが揃っていれば、3分で終わる作戦だ)
彼は、呆然と立ち尽くす竹下大尉に、静かに歩み寄った。
大尉は、軍刀を握りしめたまま、この「ありえない勝利」を前に、完全にフリーズしていた。
「……指揮権を強奪した。軍法会議ものだ」
坂上は、自分が何を「支払う」ことになるかを、正確に理解していた。
その日の夕方。
後方司令部から、トラックが二台、到着した。
竹下大尉は、曹長の「報告」により、指揮権放棄と精神錯乱の疑いで更迭された。
そして、坂上真一もまた、「指揮系統の重大な紊乱」――つまり、指揮官への反逆罪で、東京の憲兵隊本部へ「強制送還」されることが決まった。
兵士たちは、命の恩人が「罪人」として連行されるのを、悔しそうに、しかし無言で見送るしかなかった。
坂上がトラックに乗り込もうとする、その直前。
早乙女薫が、駆け寄ってきた。彼女の顔は、埃と決意で汚れていた。
「……坂上さん。貴方は、一体、何者なのですか」
薫は、震える声で尋ねた。
「記者ではない。軍人でもない。貴方は……」
坂上は、黒飴の空き袋をポケットにねじ込みながら、短く答えた。
「ただの、合理主義者だ」
「……!」
薫は、その答えを聞き、覚悟を決めた。
「貴方がこのまま東京に戻れば、川上中佐に『事故』に見せかけて消されます。軍法会議など、開かれもしないでしょう」
「……可能性は高いな」
「ですが」
薫は、懐から、一冊の薄汚れた「帳簿」を取り出した。
「貴方には『価値』がある。この国を救うかもしれない、唯一の『合理』だ」
「……なんだ、それは」
「私がこの拠点で『文書整理』をしながら見つけたものです」
薫が差し出した帳簿。それは、更迭された竹下大尉が、この拠点の「兵站」を、私的に横流ししていた「裏帳簿」だった。
「……横領か。あの男が『精神論』に逃げた理由だ。兵站(リソース)が最初から足りていなかった」
坂上が、即座に看破する。
「この『証拠』を使います」
薫は、坂上の目を真っ直ぐに見つめた。
「私の父の知人(リベラル派)を通じて、海軍の山本五十六閣下に、貴方を売り込みます。陸軍(川上)が貴方を殺すなら、海軍(山本)に貴方を『買わせる』!」
薫は、宣言し、その「裏帳簿」を坂上に託そうと、手を差し出した。
「貴方は『狂人』か『救世主』だ。……私は、貴方に賭けます」
だが、坂上は、その帳簿を受け取らなかった。
彼は、薫の手を制するように、帳簿を彼女の懐へと押し戻した。
「……非合理な判断だ」
「え……?」
「俺は『囚人』だ。東京に着けば、丸裸に検閲される。その『証拠』は、憲兵隊本部に着く前に没収され、握り潰される。そうなれば、貴官の『賭け』は即座に終了だ」
坂上は、冷徹な「指揮官」の目で、薫を見据えた。
「だが、貴官は『嘱託タイピスト』だ。ただの『民間人』だ。その『カード』を、監視の目をくぐり抜けて東京まで『輸送』できるのは、貴官だけだ」
「……!」
薫は、息を呑んだ。坂上は、自分を「共犯者」としてではなく、独立した「工作員」として扱っていた。
「憲兵隊(おれ)の車と、民間船(あんた)と、どちらが先に東京に着く?」
「……私が、先です」
「なら、先に動け。俺は『囚人』として、連中を『監査』しながら、ゆっくりと『輸送』されてやる。貴官の時間を稼ぐ」
憲兵が、トラックの荷台を叩き、怒鳴った。
「おい、囚人! さっさと乗れ!」
「貴官の『売り込み』とやら、楽しみにしている」
坂上は、薫の肩を叩く代わりに、彼女の持った「帳簿」を指先で一度だけ、トン、と叩いた。
「……好きにしろ。だが、覚えておけ」
坂上は、憲兵に両脇を抱えられることなく、自らトラックの荷台に乗り込んだ。
彼は、荷台の奥から、埃まみれのタイピストを、初めて「バディ」として見下ろした。
「俺は、高くつくぞ」
エンジンが唸りを上げ、トラックが東京へ向けて走り出す。
早乙女薫は、その土埃が見えなくなるまで、敬礼にも似た姿勢で、立ち尽くしていた。
彼女は、懐に押し込められた「裏帳簿」の重みを、確かに感じていた。
こうして、「共犯者」たちは、物理的に引き裂かれた。
彼(坂上)は、「檻」の中へ。
彼女(薫)は、唯一の「鍵」を握り、次の戦場――霞が関での「情報戦」へと、駒を進めた。
「総員、聞け!」
坂上の声が、静まり返った拠点に響く。
彼は、もはや「記者」ではなく、指揮官だった。
「敵は一人。視界は南東の稜線に固定されている。これより陽動と迂回による『挟撃』を行う」
坂上は、曹長と、腕を負傷している佐藤一等兵を指名した。
「曹長。貴官は兵3名を率い、拠点の北側から大きく迂回しろ。敵の視界の外を回り込み、稜線の『裏』を取る。発砲は俺の合図まで厳禁だ」
「はっ!」
曹長は、軍人の敬礼で応え、兵士を選抜して姿を消した。
「佐藤一等兵」
「は、はい!」
腕を吊った佐藤が緊張して立ち上がる。
「貴官は腕をやられたが、目は生きているな?」
「はっ! 両目2.0であります!」
「よろしい。貴官は『観測手』だ」
坂上は、埃まみれの双眼鏡を佐藤に渡した。
「俺が『陽動』として、敵にこちらの位置を誤認させる。貴官は、敵の狙撃手が発砲した瞬間の『マズルフラッシュ』の位置を正確に記憶しろ。俺の命より、その『データ』が重要だ。いいな」
「……! は、はい!」
(……何をする気? 陽動って……)
早乙女薫が、息を呑んだ。
坂上は、拠点の東側にあった、打ち捨てられたドラム缶とボロきれを指さした。
「あれを使う」
坂上は、近くの兵士に「あのドラム缶に、あの天幕の柱を括りつけろ。人間の『影』に見えればいい」と命じた。
数分後、粗末な「デコイ」が完成した。
「今から、あれを3秒だけ、土嚢の上に出す。その後、俺が本命として西側(反対側)から飛び出す」
「さ、坂上さん! 危険すぎます!」
薫が、思わず叫んだ。
「非効率な心配だ」
坂上は、薫を一瞥した。
「敵は、俺の『陽動』と、曹長の『本隊』のどちらを先に撃つか、という『二択』を迫られる。必ず思考に『遅延』が生じる。俺が狙うのは、そのコンマ数秒の『バグ』だ」
坂上は、佐藤に合図した。
兵士がデコイを土嚢の上に突き出す。
パンッ!
狙撃手は、即座に反応した。
デコイのドラム缶が、甲高い音を立てて弾け飛ぶ。
「今だ!」
佐藤が叫ぶ。
「稜線の岩陰! 右から二番目の!」
「そこか!」
坂上は、佐藤が指さす位置とはまったく別の、拠点の西側から、身を乗り出すようにして小銃を構えた。
「わざと」だ。
敵の狙撃手は、デコイを撃った直後、想定外の場所(西側)に現れた「本命(坂上)」に気づき、慌てて照準を合わせ直す。
パンッ!
坂上の頬を、銃弾が掠めた。
「……!」
だが、坂上は、その一瞬で、敵の正確な位置を「三次元」で特定していた。
(……600ではない。550だ。あの岩陰で確定)
坂上は、土嚢の陰に隠れると、曹長が持つはずのない「手鏡」(薫が化粧直し用に持っていたもの)を借り、それで光を反射させ、稜線の裏に回った曹長へ「突入」の合図を送った。
数分の静寂。
そして、稜線の裏手から、三発の銃声と、短い絶叫が響き渡った。
……静寂が、戻った。
やがて、曹長が稜線の上に立ち、こちらへ「安全」の合図を送った。
「……終わった」
曹長が叫ぶ。
「敵、一名! 討ち取りました!」
「うおおおおっ!」
拠点の兵士たちが、土嚢の陰から飛び出し、歓声を上げた。
赤痢を制圧し、今また、たった一人の「合理的」な指揮官が、全員の命を救った。
だが、坂上の顔に、勝利の昂揚はなかった。
彼は、歓声の中心で、一人だけ冷めていた。
(……遅すぎた。リソースが揃っていれば、3分で終わる作戦だ)
彼は、呆然と立ち尽くす竹下大尉に、静かに歩み寄った。
大尉は、軍刀を握りしめたまま、この「ありえない勝利」を前に、完全にフリーズしていた。
「……指揮権を強奪した。軍法会議ものだ」
坂上は、自分が何を「支払う」ことになるかを、正確に理解していた。
その日の夕方。
後方司令部から、トラックが二台、到着した。
竹下大尉は、曹長の「報告」により、指揮権放棄と精神錯乱の疑いで更迭された。
そして、坂上真一もまた、「指揮系統の重大な紊乱」――つまり、指揮官への反逆罪で、東京の憲兵隊本部へ「強制送還」されることが決まった。
兵士たちは、命の恩人が「罪人」として連行されるのを、悔しそうに、しかし無言で見送るしかなかった。
坂上がトラックに乗り込もうとする、その直前。
早乙女薫が、駆け寄ってきた。彼女の顔は、埃と決意で汚れていた。
「……坂上さん。貴方は、一体、何者なのですか」
薫は、震える声で尋ねた。
「記者ではない。軍人でもない。貴方は……」
坂上は、黒飴の空き袋をポケットにねじ込みながら、短く答えた。
「ただの、合理主義者だ」
「……!」
薫は、その答えを聞き、覚悟を決めた。
「貴方がこのまま東京に戻れば、川上中佐に『事故』に見せかけて消されます。軍法会議など、開かれもしないでしょう」
「……可能性は高いな」
「ですが」
薫は、懐から、一冊の薄汚れた「帳簿」を取り出した。
「貴方には『価値』がある。この国を救うかもしれない、唯一の『合理』だ」
「……なんだ、それは」
「私がこの拠点で『文書整理』をしながら見つけたものです」
薫が差し出した帳簿。それは、更迭された竹下大尉が、この拠点の「兵站」を、私的に横流ししていた「裏帳簿」だった。
「……横領か。あの男が『精神論』に逃げた理由だ。兵站(リソース)が最初から足りていなかった」
坂上が、即座に看破する。
「この『証拠』を使います」
薫は、坂上の目を真っ直ぐに見つめた。
「私の父の知人(リベラル派)を通じて、海軍の山本五十六閣下に、貴方を売り込みます。陸軍(川上)が貴方を殺すなら、海軍(山本)に貴方を『買わせる』!」
薫は、宣言し、その「裏帳簿」を坂上に託そうと、手を差し出した。
「貴方は『狂人』か『救世主』だ。……私は、貴方に賭けます」
だが、坂上は、その帳簿を受け取らなかった。
彼は、薫の手を制するように、帳簿を彼女の懐へと押し戻した。
「……非合理な判断だ」
「え……?」
「俺は『囚人』だ。東京に着けば、丸裸に検閲される。その『証拠』は、憲兵隊本部に着く前に没収され、握り潰される。そうなれば、貴官の『賭け』は即座に終了だ」
坂上は、冷徹な「指揮官」の目で、薫を見据えた。
「だが、貴官は『嘱託タイピスト』だ。ただの『民間人』だ。その『カード』を、監視の目をくぐり抜けて東京まで『輸送』できるのは、貴官だけだ」
「……!」
薫は、息を呑んだ。坂上は、自分を「共犯者」としてではなく、独立した「工作員」として扱っていた。
「憲兵隊(おれ)の車と、民間船(あんた)と、どちらが先に東京に着く?」
「……私が、先です」
「なら、先に動け。俺は『囚人』として、連中を『監査』しながら、ゆっくりと『輸送』されてやる。貴官の時間を稼ぐ」
憲兵が、トラックの荷台を叩き、怒鳴った。
「おい、囚人! さっさと乗れ!」
「貴官の『売り込み』とやら、楽しみにしている」
坂上は、薫の肩を叩く代わりに、彼女の持った「帳簿」を指先で一度だけ、トン、と叩いた。
「……好きにしろ。だが、覚えておけ」
坂上は、憲兵に両脇を抱えられることなく、自らトラックの荷台に乗り込んだ。
彼は、荷台の奥から、埃まみれのタイピストを、初めて「バディ」として見下ろした。
「俺は、高くつくぞ」
エンジンが唸りを上げ、トラックが東京へ向けて走り出す。
早乙女薫は、その土埃が見えなくなるまで、敬礼にも似た姿勢で、立ち尽くしていた。
彼女は、懐に押し込められた「裏帳簿」の重みを、確かに感じていた。
こうして、「共犯者」たちは、物理的に引き裂かれた。
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