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EP 39
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騒音(ノイズ)の都
その日の夕方。
早乙女薫は、坂上の「要求書」を海軍省に届けた帰り道、銀座の通りを歩いていた。
(……うるさい)
街は、以前とは違う種類の「ノイズ」に満ちていた。
ショーウィンドウには「贅沢は敵だ」の貼り紙。
ラジオからは、勇ましい軍歌と、「愛国」「奉公」を叫ぶ演説が、絶え間なく流れている。
1937年。
大陸での緊張が高まり、国内には「非常時」の空気が充満していた。
人々は、生活の苦しさを「熱狂」で麻痺させようとしているように見えた。
「あら、早乙女さん?」
声をかけられ、薫は振り返った。
かつての陸軍省時代の同僚、タイピストの女性だった。
「久しぶり! 元気?
……聞いたわよ。貴女、海軍に行ったんですって?
しかも、あの『変わり者』の顧問のところで……」
同僚は、同情と、微かな軽蔑を含んだ目で薫を見た。
「ええ、まあ」
薫は曖昧に笑った。
「大変ねぇ。こんなご時世に、そんな『日陰』の部署で。
……あ、そうそう。私、来月結婚するの」
同僚は、誇らしげに言った。
「相手は、陸軍の将校様よ。今度、大陸へ行くの。
『聖戦』のために戦う立派な方よ。
……貴女も、早く『まともな』道に戻った方がいいわよ?
あんな『非国民』みたいな顧問と一緒にいたら、いつか特高に……」
薫は、胸の奥が冷えるのを感じた。
目の前の彼女は、悪気など微塵もない。
ただ純粋に、ラジオが流す「正義」を信じ、それに疑いを持たない「善良な国民」なのだ。
(……怖い)
坂上真一が戦っている相手は、竹下大尉や川上中佐だけではない。
この、善意で塗り固められた、巨大で、形の無い「空気」。
「思考停止」という名の、国民的病理。
薫は、笑顔で「おめでとう」と言い、逃げるようにその場を去った。
彼女は、築地の倉庫――あの薄汚れた、しかし「理性」だけが支配する場所――が、無性に恋しかった。
あそこだけが、この狂った国で、唯一「正気」でいられるシェルターだった。
その日の夕方。
早乙女薫は、坂上の「要求書」を海軍省に届けた帰り道、銀座の通りを歩いていた。
(……うるさい)
街は、以前とは違う種類の「ノイズ」に満ちていた。
ショーウィンドウには「贅沢は敵だ」の貼り紙。
ラジオからは、勇ましい軍歌と、「愛国」「奉公」を叫ぶ演説が、絶え間なく流れている。
1937年。
大陸での緊張が高まり、国内には「非常時」の空気が充満していた。
人々は、生活の苦しさを「熱狂」で麻痺させようとしているように見えた。
「あら、早乙女さん?」
声をかけられ、薫は振り返った。
かつての陸軍省時代の同僚、タイピストの女性だった。
「久しぶり! 元気?
……聞いたわよ。貴女、海軍に行ったんですって?
しかも、あの『変わり者』の顧問のところで……」
同僚は、同情と、微かな軽蔑を含んだ目で薫を見た。
「ええ、まあ」
薫は曖昧に笑った。
「大変ねぇ。こんなご時世に、そんな『日陰』の部署で。
……あ、そうそう。私、来月結婚するの」
同僚は、誇らしげに言った。
「相手は、陸軍の将校様よ。今度、大陸へ行くの。
『聖戦』のために戦う立派な方よ。
……貴女も、早く『まともな』道に戻った方がいいわよ?
あんな『非国民』みたいな顧問と一緒にいたら、いつか特高に……」
薫は、胸の奥が冷えるのを感じた。
目の前の彼女は、悪気など微塵もない。
ただ純粋に、ラジオが流す「正義」を信じ、それに疑いを持たない「善良な国民」なのだ。
(……怖い)
坂上真一が戦っている相手は、竹下大尉や川上中佐だけではない。
この、善意で塗り固められた、巨大で、形の無い「空気」。
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薫は、笑顔で「おめでとう」と言い、逃げるようにその場を去った。
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あそこだけが、この狂った国で、唯一「正気」でいられるシェルターだった。
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