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第二章 軍法
EP 15
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十一月十五日、金曜日。
帝都は、冷たい秋晴れの朝を迎えていた。
午前七時五十分。
帝都日報、地下二階、資料室。
作戦開始(オペレーション・スタート) 08:00
この「紙の墓場」の空気は、いつも通り、カビと、古いインクの匂いで淀んでいた。
坂上真一は、いつもと寸分違わぬ姿で、埃まみれの作業着のまま、「作業」をしていた。
ガタガタ、と。
外の詰所で、特高の「日勤班」が、「夜勤班」と交代する物音が聞こえた。
夜勤班の欠伸と、日勤班の「異常なしか」という、形骸化したやり取り。
彼らの監視対象は、あくまで「人間」である坂上真一。
彼らが、この「墓場」の「日常業務」にまで、注意を払うことはない。
坂上の耳が、遠くから近づいてくる、旧式のディーゼルエンジンの「非効率」な唸り声を捉えた。
(……来たか)
午前八時、ジャスト。
ゴオオオッ、ガシャン!
地下の搬入口に、廃品回収業者のトラックが、轟音を立ててバックで停止した。
「……んあ。うるせえな、もう来たか」
寝台で寝ぼけていた老社員・古株が、舌打ちをしながら、のろのろと起き上がった。
彼の日課だ。
古紙が詰まった、巨大な麻袋の山を、台車に乗せて、あのトラックに積み込ませる。
「おい、坂上。手伝え。今日はこっちの山だ」
古株が、搬入口に一番近い麻袋の山を指差した。
(……好都合だ)
坂上は、その指示を待っていた。
彼は、昨日のうちに、その「山」の一番手前の麻袋に、細工を済ませていた。
彼が、最初の麻袋を台車に積もうとした、その時。
彼は「わざと」足を滑らせ、体ごと、資料室の最も奥にある、巨大な「別の」新聞の山に、突っ込んだ。
ガラガラガッシャーン!!
凄まじい音を立てて、昭和元年(しょうわがんねん)から五年までの「経済紙」が、雪崩を起こした。
地下室全域に、十年分の埃が舞い上がる。
「うわっ! ゲホッ、ゴホッ!
……貴様ッ! 何をやってやがる!」
古株が、埃を手で払いのけながら、絶叫した。
「この、馬鹿が! これを片付けるのに、何日かかると思ってるんだ!」
坂上は、埃まみれになりながら、わざと狼狽した声で言った。
「……すまない。足がもつれた」
「ああ、もう!」
古株は、頭を掻きむしった。
その時、搬入口から、トラックの運転手の、いらだった声が響いた。
「おーい! 資料室さんよぉ!
古紙は、まだかぁ! こっちは、次がつかえてんだ!」
古株は、完全にパニックに陥った。
「非効率」な「緊急事態」の、同時発生だ。
「……チクショウ!」
古株は、坂上の「無能」と、運転手の「催促」の間で、合理的な判断を下した。
「……おい! 坂上!
貴様は、こっちの山を片付けろ! 俺が、トラックの連中に古紙を渡してくる!」
「……!」
坂上の「陽動」は、成功した。
古株は、坂上が「雪崩の処理」で、この場から動けないと、確信した。
彼は、坂上に背を向けると、台車に麻袋を積み始めた。
(……今だ)
坂上は、雪崩の陰で、身を屈めた。
彼の手には、あの『蚕糸業統計報告書』――「爆弾」を内蔵した本――が、油紙に包まれて、握られていた。
彼は、古株が台車に乗せた、最後の麻袋の、口がわずかに開いたものに、音もなくその「爆弾」を滑り込ませた。
「……チッ。腰が痛え」
古株が、台車をガラガラと押していく。
搬入口の向こう側は、特高の監視の「死角」だ。
トラックの荷台に、次々と麻袋が投げ込まれていく、鈍い音が響く。
「……よし、今月も、これで終わりだ」
運転手が、荷台の幌を閉める。
古株が、埃を払いながら、戻ってきた。
「……おい、坂上! 何をサボっている! さっさと、そこを片付けろ!」
古株が、新聞の山の奥を怒鳴りつける。
返事は、ない。
「……チッ。聞こえねえのか、あの馬鹿は」
古株は、それ以上追及せず、再び、自分の寝台へと戻っていった。
ゴオオオ……。
廃品回収トラックが、エンジンを吹かし、地下の暗闇から、地上の光の中へと、坂を上っていく。
その、荷台の奥。
古紙と埃にまみれた麻袋の一つが、わずかに、内側から動いていた。
坂上真一は、
午前八時十五分。
「人間」ではなく、「古紙」として、
特高の監視下にある「檻」からの、脱出に成功した。
帝都は、冷たい秋晴れの朝を迎えていた。
午前七時五十分。
帝都日報、地下二階、資料室。
作戦開始(オペレーション・スタート) 08:00
この「紙の墓場」の空気は、いつも通り、カビと、古いインクの匂いで淀んでいた。
坂上真一は、いつもと寸分違わぬ姿で、埃まみれの作業着のまま、「作業」をしていた。
ガタガタ、と。
外の詰所で、特高の「日勤班」が、「夜勤班」と交代する物音が聞こえた。
夜勤班の欠伸と、日勤班の「異常なしか」という、形骸化したやり取り。
彼らの監視対象は、あくまで「人間」である坂上真一。
彼らが、この「墓場」の「日常業務」にまで、注意を払うことはない。
坂上の耳が、遠くから近づいてくる、旧式のディーゼルエンジンの「非効率」な唸り声を捉えた。
(……来たか)
午前八時、ジャスト。
ゴオオオッ、ガシャン!
地下の搬入口に、廃品回収業者のトラックが、轟音を立ててバックで停止した。
「……んあ。うるせえな、もう来たか」
寝台で寝ぼけていた老社員・古株が、舌打ちをしながら、のろのろと起き上がった。
彼の日課だ。
古紙が詰まった、巨大な麻袋の山を、台車に乗せて、あのトラックに積み込ませる。
「おい、坂上。手伝え。今日はこっちの山だ」
古株が、搬入口に一番近い麻袋の山を指差した。
(……好都合だ)
坂上は、その指示を待っていた。
彼は、昨日のうちに、その「山」の一番手前の麻袋に、細工を済ませていた。
彼が、最初の麻袋を台車に積もうとした、その時。
彼は「わざと」足を滑らせ、体ごと、資料室の最も奥にある、巨大な「別の」新聞の山に、突っ込んだ。
ガラガラガッシャーン!!
凄まじい音を立てて、昭和元年(しょうわがんねん)から五年までの「経済紙」が、雪崩を起こした。
地下室全域に、十年分の埃が舞い上がる。
「うわっ! ゲホッ、ゴホッ!
……貴様ッ! 何をやってやがる!」
古株が、埃を手で払いのけながら、絶叫した。
「この、馬鹿が! これを片付けるのに、何日かかると思ってるんだ!」
坂上は、埃まみれになりながら、わざと狼狽した声で言った。
「……すまない。足がもつれた」
「ああ、もう!」
古株は、頭を掻きむしった。
その時、搬入口から、トラックの運転手の、いらだった声が響いた。
「おーい! 資料室さんよぉ!
古紙は、まだかぁ! こっちは、次がつかえてんだ!」
古株は、完全にパニックに陥った。
「非効率」な「緊急事態」の、同時発生だ。
「……チクショウ!」
古株は、坂上の「無能」と、運転手の「催促」の間で、合理的な判断を下した。
「……おい! 坂上!
貴様は、こっちの山を片付けろ! 俺が、トラックの連中に古紙を渡してくる!」
「……!」
坂上の「陽動」は、成功した。
古株は、坂上が「雪崩の処理」で、この場から動けないと、確信した。
彼は、坂上に背を向けると、台車に麻袋を積み始めた。
(……今だ)
坂上は、雪崩の陰で、身を屈めた。
彼の手には、あの『蚕糸業統計報告書』――「爆弾」を内蔵した本――が、油紙に包まれて、握られていた。
彼は、古株が台車に乗せた、最後の麻袋の、口がわずかに開いたものに、音もなくその「爆弾」を滑り込ませた。
「……チッ。腰が痛え」
古株が、台車をガラガラと押していく。
搬入口の向こう側は、特高の監視の「死角」だ。
トラックの荷台に、次々と麻袋が投げ込まれていく、鈍い音が響く。
「……よし、今月も、これで終わりだ」
運転手が、荷台の幌を閉める。
古株が、埃を払いながら、戻ってきた。
「……おい、坂上! 何をサボっている! さっさと、そこを片付けろ!」
古株が、新聞の山の奥を怒鳴りつける。
返事は、ない。
「……チッ。聞こえねえのか、あの馬鹿は」
古株は、それ以上追及せず、再び、自分の寝台へと戻っていった。
ゴオオオ……。
廃品回収トラックが、エンジンを吹かし、地下の暗闇から、地上の光の中へと、坂を上っていく。
その、荷台の奥。
古紙と埃にまみれた麻袋の一つが、わずかに、内側から動いていた。
坂上真一は、
午前八時十五分。
「人間」ではなく、「古紙」として、
特高の監視下にある「檻」からの、脱出に成功した。
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