『「貴様の命令では犬死にだ」 50歳のイージス艦長、昭和(1935)に転生。非効率な精神論を殴り飛ばし、日本を魔改造する』

月神世一

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第二章 軍法

EP 16

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変身(トランスフォーメーション)と潜入(インフィルトレーション)
ガタガタ、ゴトゴト……。
廃品回収トラックの荷台は、悪路を進むイージス艦のように不規則に揺れた。
坂上真一は、埃と古紙の匂いが充満する麻袋の中で、体の感覚を研ぎ澄ましていた。
(……脱出から、推定十分)
(……ルートは北へ。市街地を抜けた。
そろそろ、処分場が近い)
彼は、この「非効率な揺れ」の中で、ポケットに忍ばせていた万年筆のペン先を、麻袋の縫い目に差し込み、最小限の音で、糸を切り裂いていた。
「50歳の艦長」は、北支での経験から、小さな刃物一つ忍ばせずに、敵地を動くほど非合理的ではなかった。
トラックの速度が、ゆらりと落ちた。
交差点か、あるいは、別の荷の積み込みか。
(……今だ)
坂上は、幌の隙間から、外が工場地帯の薄暗い路地であることを確認した。
彼は、音もなく、麻袋から這い出した。
彼の手には、あの油紙に包まれた『蚕糸業 統計 報告書』――「爆弾」が、確と握られていた。
トラックが、完全に停止する直前。
彼は、荷台から、闇に紛れて路地のゴミの山へと転がり落ちた。
(……午前八時三十分)
彼は、埃とカビの悪臭にまみれた作業着のまま、立ち上がった。
ここは、帝都の東、深川の工業地帯だった。
帝国ホテルまでは、直線距離でも、かなりの距離がある。
(……タイムリミットまで、あと九十分)
最大の問題は、彼の「装備」だった。
この、埃まみれの「囚人服」のような作業着で、帝国ホテルのロビーに足を踏み入れることは、不可能だ。
(……変身が、必要だ)
彼は、工場地帯を、兵士が戦場を駆けるように、最短ルートで抜けた。
大通りに出ると、彼の目に、赤い暖簾が掛かった、一軒の建物が飛び込んできた。
【朝湯】
銭湯だ。
(……好都合だ)
午前九時前。
一番風呂を狙う、早起きの職人が、一人、二人入っていく。
坂上は、監視がいないことを確認し、客のフリをして、暖簾を潜った。
番台の老婆に、財布の底にあった小銭を払い、男湯の脱衣所へ滑り込む。
(……幸運だ。リソースがある)
脱衣所には、まだ湯気も立っていない。
だが、一番客のものと思われる、脱衣カゴが、一つだけあった。
そこには、小さな商社の社員が着ていそうな、地味だが、きちんとプレスされたスーツが、畳んで置かれていた。
坂上は、一秒も、躊躇わなかった。
(……作戦遂行のための、合理的な「装備転換」だ。持ち主には、非効率な損害を与えるが、国家の『バグ』を修正するコストとしては、最小限だ)
彼は、自分の埃まみれの作業着を脱ぎ捨てると、備え付けの冷たい水道の水で、顔と手にこびりついた「墓場」の垢を、乱暴に洗い流した。
鏡に映った、29歳の若い顔は、冷たい水のせいか、興奮のせいか、わずかに血色が良くなっていた。
彼は、その「盗んだ」スーツに、素早く袖を通した。
(……サイズ、ほぼ問題なし)
「爆弾」である『蚕糸業 報告書』を、スーツの内ポケットに、深く差し込む。
彼は、もはや「資料室の亡霊」ではなかった。
「霞が関に用がある、一介のビジネスマン」の姿だった。
午前九時二十五分。
帝国ホテル、正面ロビー。
早乙女薫は、その、豪華で、場違いな空間の片隅で、立ち尽くしていた。
(……来た)
彼女は、震える手で、偽造した「東邦経済雑誌」の記者バッジを、胸に付けた。
ロビーは、すでに、異様な緊張に包まれていた。
「本物」の記者たちが、カメラを抱え、陸海軍の予算折衝という「大ネタ」を待ち構えている。
そして、その記者たちを、鋭い目つきで「監視」する、スーツ姿の男たちが、何人もいた。
(……特高と、憲兵隊……!)
薫は、息を呑んだ。
警備のレベルが、想像を遥かに超えていた。
(……坂上さん。
こんな所に、どうやって……)
彼女の任務は、「一瞬」を作ること。
だが、この鉄壁の布陣を前に、彼女の足は、恐怖で床に縫い付けられそうになっていた。
彼女は、ただ、正面玄関の回転扉を、祈るように見つめることしかできなかった。
午前九時三十五分。
帝都日報、地下二階、資料室。
老社員・古株は、鼻を鳴らしながら、崩れた新聞の山に近づいた。
「……おい、坂上!
サボるのも、大概に……」
彼が、山の奥を覗き込んだ。
そこに、いるはずの男の姿が、なかった。
ただ、埃まみれの「作業着」だけが、空しく脱ぎ捨てられていた。
「…………え?」
古株の、眠りこけていた脳が、ようやく事態を理解した。
「……い、い、いねえ!」
彼は、転がるようにして、地下室の入口にいた「監視役」の特高に、叫んだ。
「お、おい!
いねえんだよ!
あの、坂上が!」
「……何!?」
特高の目が、血走った。
「檻」は、破られた。
帝都全域に、最大級の「警報」が、今、発令されようとしていた。
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